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06 フウタ は やくそく の さかい を した!




 ――10日後。使用人用厨房。



「――で、出来たッ!! これが、俺の鍛錬の果て!!」



 じっくりコトコトと煮込まれたシチューを前に、フウタは拳を突き上げた。

 手には刃ではなく、味見用の匙が握られている。


 簡易なレシピからここまでの形に仕上げるまで、苦節10日。


 多くの困難がフウタを襲った。おもに、スパイス切れや薪切れ。


 そんな日々を乗り越え、自前で用意した木を薪に変えて奮闘したフウタの元には、それはもう完璧なシチューが出来上がっていた。


「おー。おめっとー!」


 隣からシチューを覗き込んでいたコローナが、勢いよく何かを撒き始める。


「わ、花吹雪!?」

「スパイスっ」

「やめろ!!! 味が!!! 味が変わってしまう!!!」


 慌てて蓋を締めるフウタだった。


「入ったところで鍋に録術使うだけですしー、けちけちすんなよーっ」

「いや、そうかもだけど、なんか達成感がさ」

「最初から始める?」

「勘弁してください」


 この努力を最初にまで戻されたら、フウタは卒倒してしまいそうだった。


「お酒もちょうど良いのが手に入りましたしっ。そんじゃま、いきましょー!」

「おー。って、コローナにも、待ってて欲しかったんだけどな」

「メイドがメイドしないで終わるのも、なんだかなーって感じなのでっ」

「終わる?」

「初めての、フウタ様主催メイド大感謝祭!」

「やっぱりダメだろ、感謝すべき相手働かせてるじゃん」

「おっとー、否定しなかったことにびっくりだぜー。姫様はおまけかー?」

「おまけってわけじゃないけど、コローナへの御礼が目的だったからな」

「ふむー」


 気の抜けた声で思案するコローナは、いつも以上に元気が良かった。


「フウタ様フウタ様フウタ様っ! 今日はメイド、ちょっとお酒しちゃおうかなと思いますっ!」

「あれ、良いのか? メイド的に」

「姫様に許可さえ貰えば、どーせフウタ様の部屋に入り浸ってるだけですしー」

「入り浸るって言っちゃうんだ……」


 でも、とフウタは思う。

 こんなことを言い出したのは初めてのことだ。


「お酒好きだっけ」

「全然。まったく。ちっとも」

「おいおい……そりゃまた何で」

「なんとなく! 人生は太く短くだぜー!」

「まあ、気分に素直なのは良いことか」


 厨房を出るコローナの後をついて、フウタも鍋をワゴンに乗せて歩き出す。


 既に、ライラックは庭園で待っている頃だ。


「俺の居た国じゃ、あまり見なかった光景だけど。結構こっちの人って、三食にお酒入れたりするんだな」

「王侯貴族はだいたいそんな感じー。そこまでお酒に弱い人も居ませんしねー」

「はー、文化の違いだなー」

「ちなみにメイドはすこぶる弱いっ!」

「飲むのやめたら?」

「やーめないっ」


 ぺろりんっ、と舌を出して、彼女はフウタを先導する。

 廊下を抜けた先にある庭園は、昨夜鍛錬に汗を流したばかりの場所。


 植物園に椅子とテーブルを用意して、会の準備は整っていた。

 心地の良い陽気に照らされたお昼時。

 感じる外の温かさもちょうどよく、絶好の日和と言えるだろう。


「ライラック様、お待たせしました」

「……来ましたか」


 珍しく、何も用意されていないテーブルに、静かに腰かけるライラックの姿があった。

 普段であれば紅茶の一杯でも傾けていそうだが、そうしないのは如何なる理由故か。


 別にフウタが何かを勘繰ったわけではなかったが、その答えは隣のメイドから零れ――もとい、濁流のように流れだした。


「姫様ったら楽しみにしててくれたんですねっ! フウタ様初の手料理と、メイド大感謝祭!! メイドも感激ってものですよっ!」

「……貴女も招かれた側なのですから、少しは大人しく腰掛けたらどうですか?」

「ぺろりんっ」

「着席で何故そんな音が鳴るのです」

「ぺろりんっ、ぺろりんっ」

「立ったり座ったりしなくてよろしい」


 額に指を当てて首を振るライラックと、起立着席を繰り返すコローナを眺めて、思わずフウタは口元を緩めた。


 ――幸せというものが、もし自分に許されることだとしたら。

 まさしく、今この瞬間を言うのだろうと。


「――何を笑っているのですか、フウタ」

「あーいえ」


 器にシチューをよそいながら、フウタは今の心根を整理する。

 だらしなく表情が緩んでいたのは事実だろう。


「ありがとうございました」

「……何を急に。勘違いしないで欲しいのですが、フウタの手料理というだけで舞い上がるような子供ではありません。味を見て、判断させていただきます」

「ああ、いや。そんな、料理で喜んでくれてありがとうだなんて、己惚れては居ません。ただ、今やっぱり思ったんです。あの日、拾ってくれたこと。本当に感謝すべきだと」

「……はぁ。なぜ、また、今」

「今だから、ですよ」


 こんな爽やかな陽気の元で、大切な人達に、鍛錬しか趣味の無かった男が料理を振る舞っている。


 半年前の自分に今の光景を見せたとして、信じられるかと言えば否だろう。


「姫様姫様っ、なんだか1人で納得して1人で浸ってますよっ!」

「そう言う割に、貴方も何かを仕掛けたりはしないのですね」

「仕掛けるだなんて、人聞きが悪い……メイドは、ただ誰かの為を想いあくせく働く優しきメイド……想いが伝わらないってこんなに悲しいことなのね……」

「誰ですか貴女は」

「偽物だとまで思われるとはっ!」


 器用にその金の二房を逆立てて、威嚇する猫のようにぴんと身体を張るコローナ。

 ライラックは小さく嘆息すると、フウタの差し出したシチューと、注がれる葡萄酒に目をやった。


「なるほど。酒の選定はコローナのようですね」

「あ、分かります?」

「初心者が選べるようなお酒ではありませんから」

「そう、なんですか」


 酒蔵での光景を思い出す。


 ばっとセラーに飛び込んだコローナが、何の躊躇もなくその辺から1本のボトルを引っ張り出してきて、『今日はこれで決まりっ!』『決め手は?』『てきとー!』などという会話が行われたのだが。


 本当に適当に引っ張ってきたというよりは、最初から目当てのものが分かっていたのだろうと考えた方が、自然だった。

 そのくらいには、コローナのことも分かってきたフウタだった。


 しかし。


「コローナ、お酒はダメなんじゃなかった?」

「酔っちゃうだけですしー。酒精は毒と一緒だぜっ」

「……なるほど。録術、便利な……」

「酒蔵の高級酒開け放題っ!!」

「やめなさい」


 もし録術で元通りになるとしても、セラーのワインを片端から開けて回るなんて暴挙は看過できないフウタだった。


「まぁ、コローナが録術をどう使おうと自由ですが」


 ライラックは小さく呟いて。


「後悔はしないように」

「やだなー。生まれてこの方、メイドを後悔させた奴なんて居ないぞっ?」

「自分も含めて?」

「含めてっ!」


 ぺろりんっ、と舌を出したコローナは、そのまま「食べよー!」とフウタに声をかけた。


「あ、ああ」


 録術で後悔とは、いったい。

 首を傾げたフウタだが、そこはそれ。


 せっかくだからと3人でテーブルを囲むことを良しとしたライラックに礼を告げ、一同は食事にありついた。


 と、同時。コローナは思いついたように、ぽっけから何かを取り出すと。


「でん! フウタ様にプレゼントっ!」

「お……何だコレ」

「あけてみれー?」


 両手に収まるサイズのキューブだった。そこそこ軽い。


 ライラックの、カトラリーを持つ手が静止する。

 片眉だけ小さく上げて、コローナを見つめていた。


 コローナはと言えば、早く開けろ早く開けろとばかりに目を輝かせ、フウタの手元にご執心。


 開けた者を驚かせるような悪戯が仕込まれているかもしれない――などとはフウタは露にも思わず、何のためらいもなく開いた。


 すると。


 やけに明るい音楽が、その場に波紋のように広がり始めた。


「……これは」

「メイドお手製オルゴールっ! 正確には音を閉じこめてるだけだからオルゴールじゃないけどー」

「お手製って、凄いな」

「録術を保管する箱さえあれば、ざっとこんなものですよっ」

「――それに、俺、この曲も滅茶苦茶好きだ」

「ほ? "も"って何だ、"も"って~」

「ライラック様の部屋に流れている曲も、凄い好きなんだよ」

「あー、あれもメイドお手製っ!」

「マジか、凄いな」

「もっと褒めろー! メイドは誉めて伸ばすタイプのメイド!」

「他にも居るのか……メイド……」

「叩いて伸ばすタイプのメイドと、捏ねて伸ばすタイプのメイドが居る」

「パン生地か何か?」


 くだらない話をしながらも、耳が集中するのは音楽の方だ。


 底抜けに明るくて、聞く人全てを楽しくしてしまうような、そんな音色。

 ライラックの部屋にあった、雪景色を思わせる安らかな音色もフウタは好ましく思ったが、負けず劣らずこちらも好きだった。


「……コローナ」


 ぽつりと、ライラックが呟いた。


「はいはい、こちらお騒がせお掃除メイド王都支店っ」

「他にも居るのですか……ではなく」

「あれは、フウタをイメージして作ったのですか?」


 その問いに、コローナは首を振った。

 確かに、ライラックに手渡したものは、ライラックをイメージして作ったものだが。


「あれはコローナちゃんですよっ」

「……それは」

「楽しかったですよ、姫様っ」


 ぺろりんっ、と舌を出して。


「フウタ様フウタ様フウタ様っ! 冷める冷める!」

「え、あ、しまった! いや、コローナが言うのか!? 怒るに怒れないんだけど!」

「……それでは、いただきましょうか」


 ライラックが一言と共に、シチューを口に運ぶ。


「……ど、どうですか?」

「………………」


 もぐもぐ、と咀嚼した彼女は、小さな吐息と共に。


「悪くありませんね。温かいものを口にしたのも、久しぶりです」

「そーそー、フウタ様ったら聞いて聞いてっ。メイドが冷めた料理温めてあげるって言っても、姫様は嫌がるんですよっ」

「……貴女に何をされるか分かったものでは無いからでは?」

「姫様ひどいっ」


 そっけなくそう告げたライラックの言葉には、何やら別の理由も隠されては居そうだったが。


「しかし。ええ、フウタの努力が見える味ですね。どうでしたか。料理は楽しかったですか?」

「はい。コローナが教えてくれたのもそうですが、やっぱり2人の喜ぶ顔が見たくて」

「……そうですか。それは嬉しいことですね」


 よどみなくカトラリーを動かすライラックを見て、フウタは安堵した。

 どうやら、彼女が食べられる程度にはまともなものが作れたらしい。


「んー! フウタ様フウタ様フウタ様っ」

「はいはいどしたの」


 ライラックに続けて、食べ始めた2人。


「初日の言葉、そっくりそのまま返してあげるっ」

「えっ」

「ぺろりんっ」


 一瞬、呆けたフウタ。


 初日と言われて、フウタはすぐに気が付く。

 忘れようもない。世界の誰が忘れたとて、フウタは絶対に忘れない。



『昨日と今日で、人生で一番おいしい食事の1、2位更新って感じだ……』

『1位は今日の弁当だわ』



 そこまで言ってくれるのか、と。


 しかし、感動に思考を奪われていたフウタをよそに。


「姫様、食べ残したらメイドのお腹に入っていきますよっ?」

「……余計なことを言わないでください。そんなことあるはずないでしょう」

「ですよねっ。姫様ってば食欲はもがが」


 気付けば、目の前でライラックがコローナの口にスプーンを突っ込んでいて。


 なんだか微笑ましいものを見られた気持ちで、フウタは眦を下げた。




 たとえこの身に録術が使えなくとも。


 今の光景はきっと一生忘れない。



 これからもきっと、この幸せをかみしめて。



 底抜けに明るい楽しい音楽の調べを耳に。











 ――翌日、コローナは王城から姿を消した。



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