05 フウタ は てあわせ を している!
――王城城下、庭園。
夜の帳が落ちて、満天の星々がきらきらと庭園を照らし出す。
これまでも何度も向き合った場所。
そして、あの日。――フウタが王城に賓客として迎え入れられた場所。
だが、感傷に浸る余裕はない。
何故なら。
既に庭園には何度も何度も響く、剣戟を交わす鈍い音。
「――そこっ!!」
《宮廷我流剣術:
芝を蹴ったライラックの一撃が、フウタの首元を掠める。
流石のフウタもコンツェシュを薙いで彼女の剣を弾いた。
バランスを崩した彼女に追撃、情け容赦のない刺突の嵐。
《模倣:ライラック・M・ファンギーニ=宮廷我流剣術:
「ぐっ――」
平時であれば対応できるこの技も、一撃を決めにいった直後では姿勢に無理があった。
それでも五合、六合と打ち合い凌ぎ、その果てにコンツェシュを弾かれて終わる。
空を舞い、落ちてくるコンツェシュをフウタが掴んで、膝をついたライラックに差し出した。
「わたしもまだまだですね。決めに行くことに気を取られすぎました」
「いえ。以前は避けるだけで済んだ一撃を、弾かざるを得ませんでした。着実に、腕を上げていますよ、ライラック様」
「……そうですか。そう言われると、少し嬉しいですね」
やんわりと微笑んで、ライラックはコンツェシュを仕舞う。
何度も何度も、この場所で剣を交わせた。
その度にライラックは腕を上げていると、フウタは思う。
ひとえにそれは、今まで"格上"が現れなかったが故。
やはり研鑽を高めるには、自身と同等以上の存在が不可欠なのだ。
この世で、ただ1人フウタを除いては。
「さて、それでは終わりましょうか。今日も良い時間になりました」
「お疲れ様です、ライラック様」
「お互い様ですよ」
くすくすと微笑む彼女には、先ほどまでの気迫も闘気も見られない。
星々の明かりに照らされて。
膝をついたライラックに手を差し伸べれば、緩やかな動作で彼女はその手を取った。
立ち上がり、至近距離で息を吐く。
その雰囲気の柔らかさに、フウタは胸を撫でおろした。
「良かった」
「……どうかしましたか?」
「ああいや」
目敏くフウタの感情の機微に気が付いたライラックは、胸元から見上げるように彼を見据える。
蒼の瞳が星々に反射してきらきらと光る。
瞼を少し下げた半眼は、疑念を隠そうともしていなかった。
感情をストレートに出すようになった彼女は思ったよりも表情豊かで。それでいて、氷のような美しさと一緒に、思っていたよりも幼い顔立ちが引き立っていた。
「フウタ。貴方はまさか、わたしに隠し事をすると?」
「いやそんな。大したことではないのですが」
「……大したことかどうかはわたしが決めます。ところで」
半眼のまま、口角を上げて。底意地の悪い表情で続けた。
「貴方は、わたしを信頼させたいのでは?」
「う」
「貴方に隠し事をされるのは、我慢がなりませんね。どんなことであれ、詳らかになさい」
「……分かりました。何事も正直に、素直にします」
「ええ。その結果、わたしにとって不利益があったとしても、そうしてください」
頷いたフウタに、ライラックはようやく一歩下がる。
詰め寄られていたことにようやく気付いたフウタは、そこでどうでも良いことにも気が付いた。
「あ」
「今度は何ですか」
「いや……そうですね。素直に。正直に。ライラック様に不利益があったとしても」
「ええ、そうです」
「……至近距離で見るライラック様の表情は、思ったより幼くて可憐だったなと」
「おさな……っ」
ライラックはもう一歩下がった。
そして小さく咳払い。星明りがあるとはいえ、少し離れれば表情は見えない。ライラックにしては、姑息な計算の元打ち出された撤退方法だった。
「……不利益があったとしても、と言ったのはわたしでしたね。許しましょう。……そんなことはどうでもよろしい。先ほどの妙な安堵は何ですか」
「あ、はい。……日中は気分が優れないというか。何だか、機嫌が良く無さそうに見えたので。今はそうじゃないみたいなので、良かったなと」
「……なるほど。確かに」
納得したようにライラックは頷いた。
そして、一歩前へ、フウタの顔が見える位置へと歩み寄る。
もう、表情は平静なものに戻っていた。
「フウタの言う通り、機嫌はよくありませんでしたね。諸々の不利益が重なったことが大きいのですが」
「不利益、ですか。俺は、何か力になれることはありますか?」
「何を言うのです。もう十分、貴方のお陰で気分は晴れましたよ」
「そう、ですか」
「何か不満が?」
「こんなことで良いのかなと」
「――得てして。人は、自らの長所が成した事柄に対する感覚は鈍くなります。ですが、それこそが自身の持つ強み。貴方にとって"そんなこと"でも、わたしにとっては大きなこと。分かるでしょう?」
「……分かりました」
"職業"の溢れるこの世界では、痛いほどわかる理屈だ。
フウタには分からぬことだが、プリムなどはきっと観客を沸かせることに苦労したことなど無い。
フウタがどれだけ努力しても得られなかったものを、彼女は当たり前のように持っている。
「ですから、貴方との手合わせが一番気が晴れるというものです。間違っても、リヒターなどに譲っている暇はありません。理解しましたか?」
「あ、はい」
心の中でリヒターに謝りつつ、今後も何度も断ることになるだろうことを予測するフウタだった。
と、そこでフウタは昼間のリヒターとの会話を想い出した。
『お前も最早無関係ではない。というか、もうお前から言ってくれ。こっちはただでさえ国王陛下から戦費予算を組まされそうなんだ』
『僕としても是非勘弁していただきたいね。そんなことを言えるような状況ではないが』
『陛下と好戦派の規模が、僕の貴族派よりも大きいからだ。議会にかけられたら、僕の意見は封殺される』
「そういえば、ライラック様。そのリヒターと今日話したのですが」
「ほう、断りましたか?」
「その話じゃないです。いや、断りましたけれども」
どれだけ根に持っているのだろうか。
少し心配になったフウタだった。
とはいえ。
この話題は重い。フウタは覚悟を決めて、ゆっくり口を開いた。
「……戦争になりそうだとか」
ライラックを見つめる。
すると彼女は、その美しい髪を払って、あっさり言い放った。
「ああ。させませんよ」
「えっ」
「リヒターは他に何か言っていましたか?」
「あ、はい。他に、ですか。財務卿として、貴族派としては、戦争は勘弁してほしいと」
「……ほう」
ライラックはそっと目を眇めた。
「なるほど。それはたいそう、都合が宜しい」
「そうなんですか」
「ええ。それはもう。特に、財務卿が貴方を介してわたしに泣きついてきたというのが良い。――もちろん、手合わせとは関係の無い話です」
小さくウィンクして、ライラックは微笑む。
彼女の頭の中でどれほどの情報が動いているのか、フウタには知る由も無かったが。
それでも、彼女の口から、戦争の否定が飛び出したことにはほっとしたフウタだった。
若干、またリヒターがとんでもない目に遭わされるような気もしたが。
戦争に比べれば些細なことだ。
「わたしはこれから忙しくなります。陛下の帰還に合わせ、もう少し練っておきたいこともあります。ですから、手合わせは少なくはなりますが」
「いえ、大丈夫ですよ。頑張ってください」
「……ええ」
ライラックが、おそらくはフウタの件とは比べ物にならないほど大きい計画を組み始めていることは、フウタも理解していた。
だから、もしライラックが手を貸すよう声をかけることが無いのなら。
それまでは、彼女が安息を得たい時にいつでも居られるようにしよう。
退屈はしない。だって、部屋に戻れば彼女が居る。
「ところでフウタ」
帰り際、ライラックが振り返りざまに問いかけた。
「なんでしょう?」
「わたしは童顔なのですか」
「えっ」
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