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03 フウタ は きぞく と はなしている!




 リヒター・L・クリンブルームは、自らの仕事を終えてちょうど登城してきたところだった。何人かの貴族と情報交換をする必要がある他、大臣に手渡すスクロールもある。


 財務卿は多忙なのだ。


 今日の夜にはようやく一息つけるとはいえ、また明日からも仕事は山積みだ。


 この昼にどれだけ用件を片づけられるかが、今夜の安息を得るために重要なのだ。


 だというのに。


「申し訳ありません、クリンブルーム様……」

「ふん。仕事に戻れ。あとは僕がやる」


 使用人たちが、とある部屋の外から恐る恐る中を覗いている状況を見て、無視することは出来ず。


 声をかけてみれば、やんごとなきお方が中に居てどうしていいのか分からないと来た。


 城の使用人に泣きつかれて、見て見ぬふりをするほど薄情にはなれない。

 仕方なく彼らを追い払い、そのやんごとなきお方とやらの面を拝んでやろうと、厨房へ足を踏み入れた。



 すると。



「スパイスは匙の大小を使い分ければいいとして、火加減に関しては薪の量だけじゃなく形と組み方でも変わってくる。これは1つ1つ考察しながらやらないとな。……待てよ。これひょっとして、ソースを混ぜてから火にかけるのと、火にかけてから混ぜるのとでも味が変わってくるのか!? なんてことだ、試すことが多すぎる。10日間でやれるのか、俺は。いや、やってみせる。コローナが10日間って時間をくれたんだ、それだけあればやれると信じて貰えたんだ。やるぞ、俺はやる。やってやる」


「……何をしているんだお前は」


 調理台にスクロールを広げ、逐一メモを取りながら何やら料理をしている男の姿。


 すらりとした長身痩躯に、エプロンが妙に似合っていた。


 何なら、そのまま料理教室でも開きそうな勢いだ。


「あれ、リヒターさん。なんで使用人用の厨房に?」

「こちらの台詞だ。使用人たちが気になって仕方ないといった風だったぞ」

「えっ。……邪魔をしてしまったか。そうか……悪いことしたな」

「別に厨房は1つではない。1つをお前に占拠されようが仕事が滞ることはないだろうが……せめて一言告げておけ」

「あ、ああ。分かった。次からはそうするよ」


 頷くフウタを無視して、リヒターは周囲を見やった。


「……で、何故お前が剣ではなく調理器具を振るっている」

「鍛錬には違わないさ」

「いや違うだろ」


 何を爽やかな顔で世迷言を。

 嘆息交じりに、リヒターは彼を見やった。


「殿下の客人が侍従の真似事をするなど、見ていられん」


 フウタの手元のメモには、スパイスの分量とそれに対する本人のコメントを始め、びっしりとこれまでの記録がされている。

 食材を無駄だと思うほど清貧な生活は送っていないが、それでも目の前の真面目男への呆れが募るリヒターだった。


「日頃の感謝をしたくてさ」

「……日頃の?」


 何の話だ、とリヒターは片眉を上げる。


「ああ。ほら、俺って稼ぎがあるわけじゃないからさ、こうして少しでも日頃の感謝を伝えられたらと思って」


 その対象はおそらく、コローナであり、ライラックなのだろう。

 フウタの心情は理解出来た。


 あのメイドは腹立たしいことこの上ないが、確かにフウタにとっては恩人に値する。リヒター自身、フウタに選択を迫った際にコローナが居なかったなら、おおよそ未来は変わっていただろうことは想像出来た。


 だからこその、感謝。


 道理には適っている。殿下の客人ともあろう特別な存在が、侍従と同じことをするというのが、リヒターの発想に無かっただけだ。


「……買い与えるのではなく、自ら作ることで日頃の感謝を示す、か」

「リヒターさん?」


 ふと、熟考する様子で顎に手を当てるリヒターに、フウタは首を傾げた。

 鍋を煮る火の加減を調整しながら、見上げる視線。

 別に隠すようなことでもないかと、リヒターは口を開いた。


「いや、身内に報いるというのは、報酬だけではないのだなと少し」


 クリンブルーム家は、王都の財務を一手に担っている。

 抱え込んでいる文官たちと共に、技術を独占した状態でだ。


 口止めも兼ねた高い報酬に不平不満が出たことはないし、リヒターがトップに立って以来裏切り者が出たこともない。


 だが、リヒターから言葉以外の労いが無かったのも事実。


「……財務卿が金銭や物品を与えるのは拙い。その点、なるほど。何かを振る舞うという手段が……パーティは貴族だけのものではない……」


 パーティとは即ち貴族の社交場であり、情報収集の機会。

 そう割り切っていたリヒターだったが、自らが部下の為に主催するのも悪くはないかと思考を練り始める。


 難しそうな顔をしたリヒターに、フウタは立ち上がって言った。


「財務大変そうだな」

「ふん、お前には想像もつかないほどにな」


 鼻で笑って、リヒターはそう告げた。


「殿下も何をするつもりか分からぬ上に、陛下がお戻りになられる。無茶を突き付けられないと良いが」


 そして、ぽつりと零した。

 彼の偽らざる本心。


『――殿下の専横を許すわけにはいかないんだ。国民のためにも』

『殿下の"職業"を考えてみろ。国王も工作によって騙されている。このままでは国が――』


 誰よりも、ライラック・M・ファンギーニを怖れているのが、このリヒター・L・クリンブルームという男だった。


「国の安寧を、安定した生活を守るためには、殿下の博打や陛下の無謀に付き合わされるわけにはいかない」

「無謀?」


 思わず顔を上げたフウタに、リヒターは口元を歪ませる。

 ふと思いついたのだ。

 この状況になった以上、殿下のお気に入りであるこの男に情報を与えておくのは、存外悪いことではないと。 


「お前も最早無関係ではない。というか、もうお前から言ってくれ」

「俺から何を言えばいいんだ。リヒターさんが言うのと、大して変わらないと思うけど」

「馬鹿を言え。良いか」


 諭すように、リヒターは続ける。


「自分の意見を伝える時には、正面から言うよりも、誰かを介したり手紙だったりを使った方が効果的なこともあるんだよ」

「……なるほど?」

「特に手紙は効果的だ。相手の反応と関係なく想いを伝えられる分、自分の全てが伝わりやすい」

「じゃあ、手紙を書けばいいんじゃ」

「もうやった」


 はぁ、と露骨にため息を吐くリヒター。

 フウタは1人、「なるほど手紙か」などと呟いていた。


「こっちはただでさえ国王陛下から戦費予算を組まされそうなんだ」

「戦費? 戦争でも起こす気なのか!?」

「声が大きい。今、王国の財政は斜陽なんだよ」


 使用人の厨房が、いつの間にやら"やんごとなき方々"の密会現場になったなど、侍従たちは知る由もない。


 嫌な予感に眉をひそめたフウタは、誰が居るわけでもないのに小声でリヒターに告げる。


「それで戦争って、いくらなんでも」

「僕としても是非勘弁していただきたいね。そんなことを言えるような状況ではないが」

「なんでだよ」


 決まっている、とリヒターは鼻で笑った。


「陛下と好戦派の規模が、僕の貴族派よりも大きいからだ。議会にかけられたら、僕の意見は封殺される」

「なっ……」

「まあ、本当にどこかとやり合うことになったら、お前の腕には期待している」


 ふ、とどこか力なく笑って、リヒターは背を向けた。


「……何だか最近、嫌な雰囲気ばかりだ」


 一度目を閉じて、ぱちぱちと薪の爆ぜる音に耳を傾ける。

 コローナの調子もおかしいし、ライラックもどことなく不機嫌だ。

 おまけに戦争が程近いと聞いては――。


 しかしふと思う。経済的に斜陽だから、戦争を吹っかけて征服しよう、という発想ならば。




『ええ。性根のねじ曲がり切った"経営者"と話をしなければなりません』

『企画、ですか。率直ながら良い言い回しですね。ええ、そうです。その"経営者"が王都での商業を牛耳っている首魁ですので……ぁ、美味しい』



『国王の帰還が近いものですから、それまでにやれることはやっておきたいのです』



 ライラックは、そのために動いているのではないか、と。


 この先への不安を、王女殿下への希望で埋めて、フウタは顔を上げる。


 とはいえ、ライラックとの話を、リヒターにするわけにもいかない。


 だが、こと戦争云々に関しては、フウタの面持ちは比較的明るかった。


「本当にやることになったら、俺もライラック様のために戦うよ」

「そうか」


 リヒターはそれだけ言って、厨房を出て行こうとして。


 ふと気付いたように振り向いた。


「ところで今夜は暇か?」



 おそらくは、手合わせの誘い。


 だが、フウタは首を振った。何せ。



「今日は、リヒターさんに誘われても行くなと命令が」

「名指し……だと……!?」


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