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02 フウタ は おうじょ と はなしている!



 ――王女執務室。


 薄暗く、陰気が漂う北側の私室は、ライラックが自ら選んだ仕事部屋だった。

 少し肌寒さも感じるようになってきた時期。

 部屋の隅で音楽を奏でるオルゴールは、しんしんと降る雪を思わせるお気に入りの音色。



 デスクに腰かけ、筆を走らせていたライラックは、ふと顔を上げた。


「今、なんと?」

「わー! メイド、姫様の驚いた顔とか、初めて見たかもですねっ。記録しておけば良かったかー?」


 ぺろりんっ、といつも通りの笑顔を見せる、自らのメイドを睨みつける。


「えー。何度も言わせるなーとか、姫様がよく言う台詞じゃないですかっ」

「確かに、わたしの言に耳を傾けない人間は嫌いです。ですが、今のは聞いていなかったのではない。万が一にも聞き間違いなどあってはならないと判断しての問いです」

「ぶー。ですからーっ」


 彼女はあっけらかんと続けた。


「次の"契約"の更新、やめとこー? って話ですよ、姫様っ」

「…………」


 目を眇め、疑念を隠そうともしないライラック。

 漏れだした彼女の闘気を受けてなお、にこにことした笑みを崩さないコローナ。


 静かに、オルゴールの音だけがもの悲しく鳴り響く。


「……そう、ですか」


 ライラックは瞑目して、押し殺すように呟いた。


「貴女には、一定の信を置いていたのですが」

「3年くらい? けっこー楽しかったですよっ」

「所詮は双方合意のもとに交わされた"契約"。貴女がもう良いというのなら、わたしに止める権利はない。どこへなりと、消えなさい」

「へいへーいっ。ほんじゃー、どこに行きましょうかねー」

「行き場を見つけたのではないのですか」

「さてはて、教えませんよーっ。姫様ったらすーぐメイドのすべてを丸裸にしちゃうんだからーっ。いやんっ」


 静かに、オルゴールの音だけがもの悲しく鳴り響く。


「……」

「……」


 静かに、オルゴールの音だけがもの悲しく鳴り響く。


「なんか言えよっ?」

「……これは、貴女が寄越したものでしたね」


 静かに、オルゴールの音だけがもの悲しく鳴り響く。


「……あー。メイドの録術で保存しためろでぃーですからねー。なんと、お値段無料っ! お得! めいどー!」

「……では、"契約"はあと10日で終わり。その後のことは、関与しません。良いですね」

「はいはい、おっけー。気にしなーい。そんじゃ、残り10日間だけ世話になるぜっ!」

「はい。――下がりなさい」

「ほなまたー」


 とてて、と駆けて、コローナは部屋を後にする。


 取り残されたライラックは、小さくため息を吐くと、未だ鳴り響くオルゴールに目をやった。


「――何故、急に」


 唇をそっと撫でて、ライラックはしばし思考に耽る。

 彼女の言動。去年との環境変化。これから起こりうる未来。彼女の周辺に起きた事案。この先の予想図と、それに伴う彼女が受ける影響。

 そして、かちりとピースがハマって顔を上げた。


「……なるほど。裏付けを取る必要はありますが、おおよそ」


 手元で進めていた仕事のスクロールを見つめ、呟く。


「フウタを気にかけて、ですか」


 目を閉じる。


 彼女を引き留めるべきか。考えて、首を振った。

 所詮、互いに利用するだけの利害関係。

 彼女が自分のもとを選ばなかったというのなら、彼女にとってライラックへの信頼がその程度だったというだけのこと。


 そう、それだけのことだ。


 たとえ、美しい音色がお気に入りであったとしても。  


「縛って味方に付けた人間ほど、後の害になるものはないのですから」


 "契約"が終わる以上、これからは居ないものとして計画を立てるだけのこと。


 そう、ライラックはオルゴールの蓋を閉ざした。














「――ライラック様。お呼びですか? フウタです」

「入ってください」


 失礼します、と一声挟んで入ってきた長身痩躯の青年を、ライラックは席を立って出迎えた。


 彼は少し部屋に違和感を抱いたように首を傾げ、周囲を見渡すも――すぐにライラックに向き直る。


「とりあえず、お茶を淹れますか?」

「そうですね。フウタも少しは腕を上げてくれないと、この先困りますから」

「いやまぁ……最悪コローナに頼みますよ」

「……」


 お茶を淹れるための熱湯は、ケトルに入れて持ってきていた。


 ここ最近行われるフウタとライラックの茶会は、場所は転々としつつもやることは変わらない。


「今日は執務室からは出られそうにない感じですか?」

「――このあとの予定を考えると、そう長い休憩も出来ないものですから」


 ローテーブルに出したティーカップを温めながら、フウタはライラックに目をやった。

 執務机の上を片づけている彼女の表情にはどこか影があるように見える。


「予定ってことは、誰かと会ったりですか」

「ええ。性根のねじ曲がり切った"経営者"と話をしなければなりません」

「それはまた……凄い人物評が飛び出しましたね……」

「事実ですからね」


 執務室にある上等な茶葉を、専用のポットで蒸らすこと少し。

 砂時計の落ちるタイミングに合わせて、ゆっくりとカップに注いでいくフウタ。


「その人と、何か企画を?」

「企画、ですか。率直ながら良い言い回しですね。ええ、そうです。その"経営者"が王都での商業を牛耳っている首魁ですので……ぁ、美味しい」


 サーブされた紅茶を一口、少し驚いたようにライラックは呟く。


「少しは上達しましたか!?」

「ええ。悪くありません。……まあ、これからが楽しみという程度ではありますが」

「……ぐっ。料理だけじゃなく、お茶も学ぶ必要があるか……」


 すまし顔のライラックは、拳を握りしめたフウタを見つめて小さく微笑んだ。


「ふふ。こんなことに使う言葉ではありませんが、"期待"していますよ」

「はい」

「そこは、はいではなく。もう少し、気の利いた台詞が欲しいものですね」

「わ、分かりました」

「日々精進、ですよ?」


 にこにことカップを傾けるライラック。


「こうして楽しいばかりの茶会なら、いつでも歓迎なのですが」

「今日の予定はそうはいかないと?」

「まあ、この国をぶち壊す片棒を担がせるには、ちょうどいい相手ではありますが」

「ライラック様、発言が些か悪に偏ってませんか?」

「偽らざる本心ですからね」


 あっさりとそう言って、彼女はケーキスタンドからクッキーを摘まむ。



『この国をぶち壊す』


『職業というレッテルを引き剥がし、全ての人に可能性を見せる。それは秩序の終わり、混沌の始まり。でも私は、その混沌は悪くないと思うのです』


『まずは、職業"貴族"を平民と同列にし、"国王"を引きずり降ろす』



 あの夜に交わした言葉は、今もフウタの耳に焼き付いている。


 その、性根のねじ曲がり切った"経営者"とやらとの会合は、彼女の目的のために大事なものなのだろう。


「国王の帰還が近いものですから、それまでにやれることはやっておきたいのです」

「えっと……ライラック様の、お父さんですか」

「そうなりますね。まあ、それだけですが」


 銀世界のようなその美しい髪を払い、ライラックは立ち上がった。


「良い休憩になりました。紅茶も美味しかったですし……」


 対面に腰かけるフウタを見下ろし、彼女はまるで童女のように無垢な笑顔を見せた。


「わたしの考えていることを、誰かに話すというのは初めての試みですが……話すというのは、自らの思考の整理にもつながるのですね。これは、初めて知りました」

「ライラック様の役に立てたなら、俺としても何よりですよ」

「そうですか。……そうですか。不思議ですね。それ、本心ですよね」

「はい」

「です、か」


 息を吐いて、彼女はデスクからスクロールを幾つか手に取ると。


「今日はわたしの用事が終わり次第、手合わせの時間にしてください。……リヒターに何かを誘われても断るように。良いですね?」

「えっ? あ、はい。名指し……」

「片付けはコローナにさせます。行きましょう」


 一度、部屋の中に重要な資料を残していないか確認をして、ライラックは歩き出した。


 フウタはその後を追おうとして、ふと気づく。


 部屋に入ってきた時も覚えた違和感。


「そういえば今日はオルゴール鳴ってないんですね」


 彼女の執務室ではいつも鳴り響いていた、雪のような音色のオルゴール。

 ライラックは一度足を止めて、フウタに向き直った。


「ええ。先ほど止めましたが――奏でておいた方が良かったですか?」


 よく分からない問いだった。


 フウタは急に振られた質問を生真面目に熟考して、首を振る。


「それはライラック様の気分で」

「……です、か。ええ、全くその通りです」


 銀世界のような髪を靡かせて、彼女は部屋を出ていく。


 そこでフウタは、何故かどうしても言わなければいけないような気がして彼女を呼び止めた。


「でも、俺はあの音色、すげえ好きですよ」


 ぴたりと、ライラックの足が止まった。


「ライラック様は、飽きられたとかですか?」

「……さて」


 天井を睨むように見上げ、ライラックは呟く。


「飽きたのか、飽きられたのか。――どうでもよろしい」


 そう言って、振り向きもせずに歩き出した。その背を、フウタは。


 気の利いた台詞は浮かばないけれど、それでも。


「……ライラック様?」


 何か、よからぬ予兆を感じ取って、目を細めた。

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