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王城散歩"リヒター・L・クリンブルーム"



 フウタにとって、この1月はまさしく激動だった。


 色んな人と出会い、色んなものを知って。


 そんな彼にとってようやく訪れた落ち着いた時間は、思っていた数倍は快適で――そして窮屈な、矛盾を孕んだものだった。


「これはこれはフウタ殿。ご機嫌麗しゅう」

「我々も決して殿下をないがしろにしたいわけではなかったのです」

「貴方からも、どうか殿下には――」


 王城のどこを歩こうが、誰からも咎められることはない。

 わざとらしい陰口をたたかれることもなければ、面と向かって自分を否定する人間も居ない。もちろん、ゴミが投げ込まれることもない。


 大手を振って他国の王城を歩くことが出来るというのは、よくよく考えてみればおかしな話ではあった。


 ただ、どうしてこんなことになったのか。

 その筋書きは特等席で見せて貰っている。


『今後は是非、わたしの客人を丁重に扱ってはいただけませんか?』


 あの言葉は、観衆の殆どを黙らせるに足るものだったのだろう。


 だからこそ、根無し草の風来坊が、王城をホームグラウンドとする貴族たちから一定の地位を用意されている。


 フウタの心には、お膳立てを整えてくれたライラックへの感謝しかない。


 しかしながら、フウタ自身が身を置いたことのない環境の中で、戸惑いを露わにしているのも事実であった。



「――キミたち。客人がお困りだ。下がるがいい」



 だから、王城の吹き抜けで取り囲まれていたフウタにとって、その声は福音であった。


 振り向けばそこには、何度も見た男の姿。


 フウタにあれこれと話しかけていた彼らも、財務卿の登場には引き下がるしかないらしい。


 潮が引くようにぞろぞろと豪奢な階段を降りていく彼らを見送って、フウタは口を開いた。


「助かったよ、リヒターさん」

「あまり簡単に恩を感じるな」

「え、なんで」

「なら、以前お前を公衆の面前で流刑者呼ばわりした件は、これでチャラだな」


 リヒターとしては、忠告のつもりだったのだろう。


 あたりかまわず感謝を述べていては、足元をすくわれる。要らない借りを作る。そして、立場がどんどん悪くなっていく、と。


 だが、残念ながらその皮肉は、目の前の男には通じなかった。


「ああ。そうだな」

「そうだなではない」

「えっ」

「何を清々しい顔を浮かべている愚か者。お前がされたことは、誇りを傷つける侮辱なんだ。それを、こんなことで――」


 きょとんとしているフウタの目線に気付いたらしい。

 リヒターは軽く咳払いをする。


「喋り過ぎた」

「よくわからないけど、心配してくれたのか。ありがとう」

「だから無駄に感謝をするなと言っているだろう! しかもよく分からない!? ふざけているのかお前は!!」


 誇りを傷つける、名誉を毀損される。そんなことは当たり前だ。

 "無職"として、人間扱いされなかったこともザラにあった。

 そんなフウタにとっては、リヒターの言っていることはいまいちピンと来ないのも事実だった。


「ふざけてはいないけども。あまり、そういう、社交的? なことは疎くてさ」

「……はぁ」


 やれやれ、とリヒターは首を振った。

 別に、この男を心配してやる義理もないのだ。

 付き合っていられないとばかりに、リヒターは背を向ける。


「まあいいか。お前がそのくらい隙だらけの方が、いざという時利用しやすい。王女の弱点が増えたと思えば」

「それは困る」

「は?」


 が、と肩を掴まれた。無駄に強い力に、煩わし気にリヒターは振り向く。


「俺がライラック様に迷惑をかけるわけにはいかない」

「はぁ。そうか。どんまい」

「待ってくれリヒターさん!」

「離したまえ。僕が待ったところで状況は変わらな――離せ、おい、はな、力強いなお前!?」


 肩を掴まれるとは、ここまで身動きが取れなくなるものなのかと戦慄するリヒターだった。


「お前が困ろうが僕には関係が無いどころか、むしろ幸運なんだよ!」

「頼む。俺のその社交性の無さみたいなものでライラック様に迷惑がかかったらと思うと、死にたくなる!」

「みたいなものも何もそのものだろうが! ほら! 今! 社交性の無さが滲み出ているじゃないか!! これだよこれェ!!」


 肩を掴んだ手を指さし、口角泡を飛ばして怒鳴るリヒター。


「でも離したら逃げるんだろ?」

「逃げるとはなんだ逃げるとは! お前と話すことなど無いというだけのことだろうが!」


 フウタは心底悲しそうに言った。


「やっぱり逃げるんじゃないか」

「僕は逃げない! どんなことからも!」

「……本当か? なら、離すけど」

「クリンブルーム家の当主が、逃げるなどと。あるはずがない」


 ふん、と鼻を鳴らすリヒター。

 フウタが手を離すと、苛立たし気にジャケットの皺を整えた。


「――で、なんだ」

「社交性というのはどうしたら身に付くんだ」

「どう足掻いたところで"無職"では"貴族"に社交界で勝つことなど出来ん。僕から言えることがあるとすれば――」


 そこまで言って、リヒターはふと気が付いた。


「……あるとすれば、何だ?」

「言ってやってもいいが、条件がある」

「俺に出来ることがあるなら、何だってやる」

「それがダメだと……まあ良い。そうだ、お前にできることだ」


 これで条件を付けて、フウタを釣ればいい。

 それがリヒターの思いついたことだった。


 交換条件付きなら、フウタに少し社交界での身の振り方についてアドバイスしてやるくらい安いものだ。


「お前、明日の夜は空いているか?」

「明日の夜は――ライラック様との手合わせが入ってるな」

「……なら、四日後の夕刻」

「四日後の夕刻は――ライラック様との手合わせが入ってるな」

「…………七日後の夜」

「七日後の夜は――ライラック様との手合わせが入ってるな」

「ふざけているのか!?」

「嘘は1つも言ってない!」


 多忙なリヒターにとって、休みというのは貴重だ。

 フウタのように年がら年中時間が空いているわけではない。


 そう思っていたのに、彼の行動予定表の殆どがライラックの五文字で埋まっているとは予想だにしなかった。


「予定をきいてどうするんだよ」

「簡単な話だ。お前が僕から学ぶ度、一度手合わせを求める」

「えっ」

「殿下に手合わせを求めるわけにも行かず、かと言って僕より腕のいい武人も居ない。……今まではそんな環境だったんだ。御前試合という伝統がある以上、強くなれる土壌があるなら鍛錬するに越したことはない」

「……」


 腕を組み、リヒターは瞑目した。


 フウタは一度二度と目を瞬かせる。するとリヒターは目を眇め、


「どうだ。不満か」

「いや、嬉しいよ。求められることは、嬉しい」

「気持ち悪い奴だ」


 鼻で笑うリヒターに、フウタは続けた。


「俺でよければ引き受けるよ。ライラック様に許可は取るけど」

「ふん、僕から言っておく。お前との"契約"に、お前の行動に対する制限は無かったはずだ」

「え、あ、ああ。……よく調べているな」

「言ったはずだ。お前と殿下が隙を見せれば、容赦なく突くと。しかし、ふっ」

「なんだ、急に笑って」

「いや?」


 笑いをかみ殺し、リヒターは1人思う。


 久々に、あの王女の嫌そうな顔が見られる。そう考えるだけで、胸がすく想いだった。


「男が約束を違えるなよ、フウタ」

「あ、ああ。もちろん」


 そう言って、リヒターは去っていく。



 後日、確かにリヒターはフウタとの手合わせにこぎつけた。

 だが、自分のフウタを一瞬でも取られたライラックが、腹いせに某メイドを同道させ、リヒターがうぉっしゅうぉっしゅされたのはまた別のお話。



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