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王城散歩"ライラック・M・ファンギーニ"

王城散歩シリーズは、章と章の間にフウタとの関係が変化したキャラを中心に、今はこんな関係だよー、みたいな緩い短編を投下していきます。お楽しみいただければ幸いです。(意訳:これ投下してる間に二章練ってる)




 白く美しい刺繍の施されたドレスグローブが、そっと唇を撫でる。


 思案するように首を傾けた彼女は、大きな瞳をぱちりと瞬かせた。


 長く美しい銀の睫毛に気を取られた青年の耳に、囁く優しい声音。


「……フウタ」

「はい」


 自らの名に、彼は顔を上げる。

 目の前に腰かける少女は、なおも何かを考えているようで。


 ティーカップを左手で握るソーサーに戻しながら、パズルのピースでも探すかのごとく、探り探りで言葉を紡ぐ。


「……フウタ、くん?」

「……はい?」


 呼ばれたことのない敬称をくっつけられて、フウタは思わず問い返す。

 ライラック自身も微妙な顔をして首を振った。


 そして、真っ直ぐにフウタを見つめて、呟く。


「フウタさん」

「はぁ……」


 何が始まっているのかと、困惑を露わにするフウタ。

 彼の感情をよそに、ライラックは続ける。


「ふーくん」

「……えっと、王女様?」

「難しいですね」


 ソーサーをローテーブルに静かに置いて、ライラックは天井を見上げた。指先が自らの唇を撫でる仕草は、最近になってフウタが気付いた、彼女が思考に耽る時の癖だった。


 ゆったりと足を組んで、彼女は改めてフウタを見る。


「親しい相手には特別な愛称を付ける慣習が、この国にはありまして」

「はぁ、なるほど……慣習ですか。国によって様々ありますからね……」


 フウタも同じく天井を仰いだ。


 ドーム状になった高い天井と、広い部屋。

 ここは、初めて王城を訪れた際に、一時的にフウタが匿われていたライラックの私室だ。


 難しい顔をしたライラックが、午後の休憩にフウタを連れ出したかと思えば。

 こんなところで、こんな話をすることになって。


 難題でも起きたのか、もし自分で役に立てることがあれば、と気を負っていたフウタからすれば、拍子抜けな状況だった。


 それだけに、ライラックの言葉に対しても、当たり障りのない返答しか出来ずにいる。


「えーっと……この話のために、わざわざ午後の休憩を潰したんですか?」


 少なくとも王城にやってきてからの1月。ライラックが政務の最中にフウタの部屋を訪れ、休憩を彼と消化するなどということは無かった。


 だからこそ、呼び出しを受けた時は気を揉んだのだが。


「……いけませんか?」


 しかして、その問いに対する返答は明確な"不機嫌"だった。


「いえ、王女様の行動に制限を付けるようなことは、俺は何も」


 フウタとしても、ライラックを不快にしたい気持ちなどこれっぽっちも存在しない。

 首を振って応えれば、ライラックは頬杖をついてそっぽを向いた。


「せっかく親しい相手が出来るというのに、形から入ることの何が悪いというのでしょう」


 親しい相手が"出来る"という言い方が、余計にフウタの心に刺さった。



『貴方の気持ちは、まだよくわかりません』

『えっ』

『でも。……分かろうと努力してみよう、なんて思います』



 彼女なりの、歩み寄り。


 想いが伝わればこそ、申し訳なさが胸の内から沸々と。


 生真面目なフウタは、ここは自分が身を切る場面だと決意した。


 勢いよくソファから立ち上がると、まるでプレゼンターのように叫ぶ。


「ではいっそプー太とかどうでしょう!」


 ライラックは徐に顔を上げ、非常に困惑した複雑な表情で問うた。


「なぜ」


「極東では就労可能にも拘わらず就職しない者のことを」

「それは愛称ではなく蔑称では?」

「……はい」

「わたしに、貴方を蔑称で呼べと?」

「はい、いえ、すみません……」


 力なく腰を下ろすプー太、もといフウタだった。


「……ふう。いえ、わたしが拗ねていても仕方ありませんね。どうしようもない人です、貴方は」

「弁解のしようもありません……」


 ライラックは、困ったように柔らかく微笑む。


「結局のところ。慣習などというものは、わたしには似合わないということなのでしょう。貴方のことは、フウタと呼ぶのが一番しっくりくる」


 そもそも、と彼女は指を立てた。


「額面上のことに囚われている時点で意味がありません。何故、そんな慣習が生まれたのか。親しい間柄という"証明"? 否、むしろ距離を縮めるための手段に過ぎません」

「なるほど」

「であれば。他に距離を縮める方法があれば、フウタをどう呼称しようが関係がないということです」


 そんなに真面目にする話ですか、とツッコむメイドはここにはいない。


 フウタは感銘を受けたように頷き、ライラックは機嫌を取り戻した。


「……でも、そうすると。何故呼び名を変えてみようと思ったんです?」

「効果があるなら、それに越したことはありませんし。それから――」


 それから。


 言葉を選ぶように、ライラックは一度目を閉じて。


 眦を下げて、笑った。


「貴方と無意味な話をするのは、何故だか悪くない気がしたものですから」


 不思議なものですね、と紅茶を傾けるライラック。


 彼女に限った話ではないが、時間というものは有限だ。

 そしてライラック・M・ファンギーニという少女は特に、決められた執務以外にも多くの"為すべきこと"がある。自らの地位を盤石に、己の思惑の通りにこの国を動かすために。


 そんな彼女が、生まれて初めて"無意味な話"に価値を見いだせたのだとしたら。それは1人の人間として幸せなことだ。


 ――残念ながらこの部屋に、その意味を理解する者はいない。


 だが、理解出来ないからと言って、感情まで動かないかと言えば、答えは否だ。


 少なくともフウタは、こうしてライラックの方から自分との時間を悪くないと言って貰えたことが嬉しかったし、人と話す楽しさを得るのもまた、数少ない経験だった。


 しかもその経験の大半を、お騒がせなお掃除メイドが構築してくれている。

 彼女にかかれば、きっとどんな人間も楽しい時間を作って貰えるだろうと思えばこそ、ライラックからこの言葉を引き出せたのは嬉しかった。


「王女様にそう言って貰えるのは、光栄です」

「……」

「……王女様?」


 彼女は難しい顔をしてフウタを見つめていた。


「……フウタ」

「はい?」

「……距離、遠くありません?」

「えっ」

「貴方が、わたしに、親愛を抱いてくれていると言いました」

「はい、それはもう」

「……距離、遠くありません?」

「えっ……わかりました」


 フウタは少し考えて、徐に席を立った。

 自身を見上げるライラックを見つめながら、ローテーブルの周りをぐるりと回って。


「失礼します」


 ライラックの横に腰を下ろした。



「……」

「……」


 ライラックはゆっくりとティーカップを手に取って、紅茶を喫してほっと一息。

 それから、隣の大きな体を見上げて、言った。


「ではなく」

「えっ」

「物理的な話であれば、あの日の夜に十分感じさせていただきました」

「あ、いや、あれは……その。今思い返すと恥ずかしくはあるのですが」

「……はぁ。呼び名ですよ。呼び名。王女様、というのは随分と距離が遠いと思いませんか?」


 そう問われて、フウタは目を見開く。


「流石に、他の呼び方は恐れ多いかと」

「ほう。恐れ多い? 良いでしょう。許可しますから、どんな呼び方があるのか試してみなさい」


 実のところ、少しだけわくわくした気持ちを載せて。

 ライラックは、優雅に紅茶を傾けながらフウタの言葉を待った。


「マイプリンセス」

「ごぼっふぇ」

「王女様!?」


 けほ、けほ、と震える手でソーサーを置くと、フウタを睨みつけるライラックだった。


「貴方、ほんとに、言葉の、センスが! センスが!」

「だ、ダメでしたか」

「ダメですね!」


 フウタは激しく凹んだ。


「……まさか、名前以外の方向から殴られるとは思いませんでした」

「な、名前を呼ぶのは流石に」

「毎日毎日どこででもマイプリンセス呼びされるよりは圧倒的にマシです」

「そうですか……」


 まぁ、と呼吸を整えたライラックは隣のフウタを見上げて。


「自分の姫、と堂々言えることだけは誉めておきましょうか。廊下でわたしを見つけて、その名で呼んだら怒りますが」

「……では、どうすれば」

「ライラックとでも呼べばいいのでは?」

「えっ!?」


 先ほどまでのやり取りはどこへやら、すまし顔で紅茶に手を伸ばすライラック。

 慌てたフウタが彼女を見ても、どこ吹く風といった雰囲気。


 ただ、少しだけ耳が赤かった。


「……ら、ライラック様」


 流石にこれが限界だった。


 ゆっくりとフウタの方を振り向いたライラックが微笑む。


「まあ。今はそれで許しましょう。今後は、そう呼称するように」

「え」

「良いですね?」

「あ、はい……」

「では、話は終わりです。政務の後は、楽しみにしていますよ」


 そう言って、彼女は立ち上がるなりそそくさと部屋を出て行った。





 パタリ、と扉を後ろ手で閉めたライラックは小さく笑う。


「ふふっ」


 "王女様"という呼び名は何だか気に入らなかったのだ。


 ――計算外の珍解答が幾つか飛び出したにせよ。


 今日も今日とて、ひそやかに最初からの目的を果たしたライラックだった。


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