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30 フウタ は やりつかい に しょうりした!



 歓声が喚声に変わる。


 わ、とどよめきが上がると同時、響くのは落胆。


 いつものことだと思いながらも、どこか寂しそうな笑みを見せるフウタの表情に、プリムは呟いた。


「不甲斐ない挑戦者に対する諦めの笑み――じゃあ、無かったんだね」

「……そこまで自分に自信はなかったさ」

「そっか」


 鎗を拾って、プリムは右手を差し出した。


「楽しかったよ、フウタ"くん"」

「ああ」


 手を取り交わす時間は短い。


 これはコロッセオでの剣舞ではなく、代理人同士の決闘だから。


 そっと手を放したところで、声。


「あ、あのさ」

「ん?」

「その、悪かっ――」



 その言葉が最後まで紡がれるよりも先に、事態は動いた。


 どん、とフウタの背後に衝撃。

 両肩越しに回された両腕に、抱き着かれたことを察する。


 下手人はだいたい分かっている。


 やれやれと、振り返らぬまま言葉を告げる。


「おいおい、まだ挨拶も終わってないって。喜んで貰えて嬉しいけど、こういうのは後にしような」


 いい加減彼女のスキンシップにも慣れてきたというものだ。


 ――妙に、正面のプリムの表情が強張り、引きつる。


 少し気になりはしたが、些細なことと断定してフウタは続けた。


「試合が終わったばかりで汗臭いし。いや、お前は気にしないでくれるかもしれないけどさ。俺もちょっとどころじゃなく嬉しいのは事実だから、後で両脇抱えてくるくる回るくらいのことはしてあげるから――」


 冗談抜きに、そのくらい内心では嬉しいのだ。

 でも場所が悪いから考えような――と、回されていた手に触れて、気が付いた。



 女性特有の柔らかさはあるが――明らかに、剣を握る者のそれだった。




 該当者:一名。





 さっと血の気が引く。


「あ、あれ――コローナ、は……」

「はいはーいっ! 呼ばれて飛び出てお掃除メイドっ! やりましたねフウタ様っ! 優勝! やったぜ!! おめっとー!」


 目の前に金髪メイドが現れて、紙吹雪をわっさわっさと撒き始めた。


 祝いは嬉しいが、目の前に出て来れたというのが、もうダメだった。


 だって、後ろの体温は未だ感じているのだから。


「……あ、の。お、王女様……?」

「はい。あとでくるくるしてくれるんですか?」

「いや、それはそのっ……!!」


 からかい交じりの言葉が耳元で囁かれた。


「ふふっ。冗談ですよ」


 するりと、解けるように手が引かれる。

 慌てて振り向いたフウタの目の前には、目に見えて上機嫌なライラック。


「ただ、よくやりましたね。フウタ。思わず抱き着いてしまったのは、決して冗談の感情ではありません」

「い、いえ」


 惜しみない賞賛を正面からぶつけられて、フウタは首を振る。


 思わず抱き着いてしまった。そこまで喜んでくれたことは嬉しかったし、何より自分も頑張った甲斐があったというもの。


「……期待に応えられて良かったです」

「はい。……しかしいけませんね。今夜はしっかりと発散させて貰わないと、気がどうにかしてしまいそうです」


 頬を染めてそんなことを言われては勘違いの一つもしそうなものだが。

 真面目なフウタは真面目が故に、正しい意図をくみ取って頷いた。


 別の意味にも聞こえてしまって、少し生唾を飲み込んだのは秘密だ。


「え゛」


 だから、妙な声が聞こえたのはフウタの背後から。


「え、は? この国の王女様と、キミって、そういう?」

「あー、薄々誤解は察するけど。手合わせの予約ね」

「誤解するなって方が無茶でしょこんなの!」


 驚きを隠そうともせず、顔を手で扇ぐプリム。


 彼女は十字鎗を背に負うと、踵を返した。


「敗者は去るとするよ。……余韻に浸ると良い。そんなに、キミの勝利を喜んでくれる人が居るんだからさ」

「ああ」


 ふ、と小さく口角を上げて、彼女は歩きだす。

 しかし、少しして立ち止まった。


「そうだ。キミに一つ言っておかなきゃいけないことがある」

「何だ?」

「――キミの居場所は、知れ渡った。そして、私は言ったよ。チャンピオンになることよりも、キミに勝つことを望む奴は私だけじゃないって」

「……」

「この先」


 晴天を見上げるプリムの表情は吹っ切れたよう。


 また一つ付いた黒星に胸を張りながら、彼女は続けた。


「キミの居場所を聴きつけたありとあらゆる猛者どもが、キミを倒しに押しかけてくるよ」


 ぴり、と感じる闘気。それはプリムから、というよりも。

 コロッセオの闘剣士から感じたような、そんな――。


 今、フウタの知る多くの闘剣士たちの姿が、順々に想い出されたような、そんな気がした。


 彼らもまた、世界中に散って"最強のチャンピオン"を捜しているとしたら。


「それぞれの想いを最強のチャンピオンにぶつけに来る。だからどうか。彼らの挑戦に背を向けないで欲しい。――もちろん、私も含めてね」


 にこ、と微笑んで。


 プリムは観客たちの中に溶けていった。


 本来ならば、彼女のような魅力的な闘剣士の退場には、惜しみない拍手と共にサインやら握手やらを強請る集団が現れるものだが――今回に限っては違った。


 試合直後の熱は冷め。


 彼らの眼に映るのは、公衆の面前でフウタに抱き着いたライラック第一王女。


「――フウタ様の勝利を喜んだのは本気だとしても。"思わず抱き着いた"っていうのは、まーまー嘘ですよねっ」


 誰にも聞こえないような小声で、笑顔のままに呟くメイドが1人。



 ざわめく会場の中から、プリムと入れ替わるように歩み出てくる者が居た。


「お待ちください、殿下!!」


 その張りのある声は、決して王女1人に向けたものではなかった。

 衆人の注目を集めきり、この会話に傾注させんとする意志は、フウタにもはっきり感じられるもの。


 リヒター・L・クリンブルーム。


 彼はライラックと数歩離れた位置で立ち止まると、フウタを一瞥した。


 少し、目を伏せたように感じられたのは、気のせいだろうか。


 謝意の籠ったような瞳は一瞬。


 すぐさまライラックに向き直ると、彼はまるで舞台俳優のように朗々と声を張り上げた。



「如何にこの御前試合に勝利したとて、この者を騎士にするのは早計かと存じます!」



 ぴり、と空気が変わる。

 剣を交える戦場から、議論を交わす戦場へと。


 肌を刺す視線は周囲一帯から。


 フウタを見つめる猜疑と警戒の瞳は、おそらくプリムに"勝ってしまったが故"のこともあるだろう。


 不人気のチャンピオンはいつだって、敵対の渦の中に居る。


 ――騎士。


 言葉を取り交わすことこそ無かったが、この御前試合の裏に隠された意味に気付かない者の方が少ない。


 ライラック第一王女の騎士の座を、風来坊の男に与えるなど言語道断。


 そんな意志がありありと、庭園を満たしていく。



 平和な国の権力闘争。

 ライラック第一王女に最も近い席を狙う者たちにとって、フウタの存在は酷く邪魔なものだった。


 プリムに下されれば良し。

 そうでなかった今は、この衆人環視の中で否定するまで。


 だからこその、小さな謝意ではあったのだろう。

 リヒターの瞳に映ったのは、昨日言い捨てて行った一言。


『あの人がどういう人であろうと、俺は受けた恩を返すだけだよ』

『……そうか。ならば――恨んでくれるなよ』


 リヒターは、ライラックに正面切って告げる。



「その男は確かにコロッセオの元チャンピオンではあるが、八百長の末国外追放された流刑者だ!」



 ざわ、と周囲に走る緊張。


 フウタは思わず拳を握った。

 リヒターには確かに知られていた。吹聴されても仕方ないと思っていた。どんな風に悪しように言われようが構わないとも思っていた。


 だが、自分の隣に居るライラックには、まだ過去を告げていなかった。



 静かに目を伏せるフウタに一瞬だけ視線を寄越して、それでもリヒターは続けた。


「そんな前科のある"無職"の男を、騎士の座に置くなど――あってはならないことです、殿下!」


 しん、と一瞬静まり返った庭園に、はちきれんばかりの、同調。


「そ、」

「その通りです、殿下!」

「ええ、かような者を騎士になど!」


 もはや、リヒターに与する人間以外も彼に同意した。

 リヒターたちにライラックの騎士の座を取られては困るが、フウタに取られるのはもっと困る。


 敵の敵は味方、とでも言うべきか。

 口々にフウタを否定する姿は、コロッセオを想起させるほど。

 人数は違えども、諦念の混じったコロッセオの観客と違い、必死なだけ強い排除の意志を感じた。


 たとえば、チャンピオンから王女のヒモにジョブチェンジしたとして。


 その扱いは、変わらない。



 ――そう思っていた。



 ざ、と芝生を踏みしめる音。

 まるでフウタを守るように立ちふさがる、銀世界のように靡く髪。


「――黙りなさい」


 その底冷えするような一言に、誰も彼もが口を噤んだ。


「……王女様」


 呟くフウタの言葉に振り向くこともなく、ライラックはリヒターを睥睨する。


「勘違いしているようですね、リヒター」

「勘違い、ですか。八百長の件であれば間違いなく行っています。証人も居る。それでも勘違いとおっしゃりますか?」

「ああ――」


 食い下がるリヒターに、ライラックは口角を歪めた。

 その冷笑は、後ろのフウタには見えない。


「――八百長の話ですか。知っていましたよ?」

「えっ……」


 フウタは思わず声を漏らした。

 知っていた? いったい、いつから。


 と、目を見開くフウタの手に、そっと包み込むような温もり。

 見れば、両手で彼の手を握った少女が、フウタを見上げてにへらと笑った。


「どーせ、最初の頃からですよっ。もう後は姫様に任せて、お前はここでぬぼーっとしてるといいですねっ。――やっぱり、全部計算通りですよっ。こっわい人ですねーっ」


 コローナの囁きは、辛うじてフウタに聞こえる程度。


「殿下、ご存知でいながら」

「ええ、知っていて客人としました。わたしは、フウタの近況が見るに堪えなかったのですよ。剣が強いか否かを競う場所で、あろうことか剣の美しさの如何で貶され続けた孤独な王者。それでもひたむきに努力を続け、経営者の甘言に乗ってしまった……」


 胸に手を当て、首を振る王女。

 その姿はまさしく民を想う"貴族"のようで。

 彼女の口から紡がれた事実に、観衆の幾ばくかは既に心を傾けられる。


「そんな彼を客人として迎えたわたしは、間違っているでしょうか?」

「――客人としてならともかく」


 一瞬、リヒターも気圧された。

 ライラックの潤んだ瞳からは、打算の欠片も感じられず。

 それがたとえ演技だったとしても、決めつけることは出来ず。

 何よりこの場で露骨に否定しようものなら、リヒターの方が悪者だ。


 だからこそ、言葉も弱くなる。何より、相手は王女殿下その人だ。


 そんな隙を晒してしまえば、後はもう消化試合だ。少なくともライラックにとってはそうだった。


「リヒター。もう一度言いましょう。勘違いしているようですね」

「はっ?」

「わたし……彼を騎士にするつもりなど、微塵もありませんよ?」

「――――え?」


 今度こそ、庭園の空気が凍てついた。


 前提をひっくり返されたのだ。

 騎士にするつもりが無いならば、そもそもこの御前試合の意味すら――。


「ま、さか」

「彼がコロッセオのチャンピオンと知り、剣の腕に自信が無くなっていたわたしは、手合わせのお相手を求めることにしたのです。八百長結構。だって、金銭のやり取りなどありませんから。ただ、居て貰うだけ。そこに何か問題がありましたでしょうか?」

「……」


 押し黙るリヒター。

 混乱する会場。


 だってそうだ。騎士にするつもりが無いというのなら、わざわざこの場に足を運んだ自分たちは何なのだ。

 必死に王女の客人をこき下ろした自分たちは――。


「ああでも、心外です」


 響く。響く、響く。

 王女の沈痛な面持ちが、胸に手を当てた彼女の、もう片方の手がそっと瞳のそばを撫でる。


 王女の心を傷つけたのは、誰だ。


 この場に居る者全員だ。


「客人と、闘剣士の試合を楽しみにして。――先ほどは、フウタの勝利に舞い上がっていた気分が、沼に沈んでいくようです」

「で、殿下」

「いえ、それでもわたしは。わたしは構いません。ですが」


 周囲を見渡し、眉を下げ、告げる。


「皆さまの心無い言葉が、どれだけわたしの客人に刺さったか」


 フウタを見る目は、様々だ。

 未だ居丈高に振る舞おうとする者。バツが悪そうに目を逸らす者。

 申し訳なさそうに目を伏せる者。面倒なことを引き起こしたなと苛立ちを露わにする者。


 だが、その誰もがフウタに言葉を向けられない。


 たかが根無し草1人に、貴族が手も足も出ない。


「謝れとは言いません。あなた方も、何やらよく分かりませんが必死だったのでしょう。ただ」


 ああ、とリヒターは察した。


 これが目的か。

 最初から、この王宮でのフウタの立場を確定させることが――。



「今後は是非、わたしの客人を丁重に扱ってはいただけませんか?」



 負い目を押し付けて、実利を得る。

 可愛らしい王女の小さなわがまま。


 そんな風に見せて、彼女はお願いをする。


 お願いに見せかけた、命令を下す。


 彼女を暴君と罵ることは出来ない。無理を通したわけではない。

 何故なら、道理を無視して無理を通そうとしたのは、いつの間にか彼らの側になっていたのだから。


 許す代わりに、小さな譲歩を。これでお相子。

 ライラックは、そう言いたいのだ。


「……は、はは。そこまでして」


 思わずリヒターは言葉を零した。

 そこまでの価値を、フウタに見出したのか。


 ただ、王宮でフウタが自由に行動できるようにするために、こんな茶番を作り上げるほどに。


 リヒターは必死に状況の挽回を摸索する。

 このままでは完全に自分たちが悪だ。何よりリヒター自身の立場が危うい。

 だが、思考に割く時間は無い。何故なら、時間はリヒターの味方ではないからだ。


 追い詰められているのは観衆。心の強い者ばかりで構成されているわけではない。


「も、もちろんですとも!! フウタ様のことは、それはもう!」


 待て、と否定を入れることも出来ず。


「そう、ですな。我々としましても、かような状況を招いたことは遺憾」

「ええ。御前試合の意味を知らなかったものですから」

「まったく。ライラック殿下の肝入り、そのお披露目というのであれば、最初からそう言ってくれれば。お人が悪いですぞ」


 あっはっは、と笑いが起こる。

 この流れは既に、リヒターが切られたということだった。

 自分たちは悪くない。悪いのは、御前試合の意味をはき違えて臨んだ貴族派だけだ。


 その笑いに乗るように、ライラックもくすくすと微笑む。


「ええ。ごめんなさい」


 そして彼女は続けた。


「どうです。"フウタは、強いでしょう?"」


 彼女の言葉に、フウタはハッとした。



『すぐに貴方の強さを証明する機会を作ります。それまでは、賓客としてお過ごしください』



 あの時から彼女は、ここまで考えて動いていたのか。


 証明する機会、と聞いてただの試合かと思っていた。

 だが違った。

 気付けば既にフウタは、王宮内での明確な立場を得られている。


 王女殿下の"大事"な客人であると。

 その大事さは、貴族たちへの貸しと合わさって、彼ら自身が思い知らされているから尚のことだ。


 ただ、客人を連れてきて『丁重にしてください』と告げるのとはわけが違う。彼らはもう、フウタに手出しが出来ない。



 ぼう、と見つめる先でライラックは貴族たちと談笑していた。

 フウタの剣技をほめたたえる言葉を聞いては、嬉しそうに微笑むその姿は。


 フウタを褒めていれば、何もしない。


 その意志表示に他ならない。


「ああ、本当に――」


 ぽつり、と呟いてライラックはリヒターを見やる。


「"証明"出来て良かったです」



 華やかな笑みに、リヒターは諦めたように空を仰いだ。



「ええ。フウタは素晴らしい剣士ですね」

「そうでしょう。貴方にも分かって貰えて嬉しいです」


 これ以上立場を悪くするわけにはいかない。


 だが、騎士の話が無くなった以上――リヒターも、そう悪い気分ではなかった。


 あとでせいぜいフウタに謝罪の一つでもして、また手合わせでも願おうか。


 今日の苛立ちをぶつけるくらいは、あの生真面目な男も許してくれるだろう。


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次回、エピローグ。

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