26 フウタ は ごぜんじあい に やってきた!
"職業"というものは戸籍と同じだ。
変化するのは極めて稀。
ライラック第一王女は生まれながらにして"奸雄"という職業を持っていた。
狡猾さを以て旗頭となる英雄。
そんな存在が生まれたことに、国王は強い危惧を抱いた。
とはいえ、生後しばらくはあまり心配は要らなかった。
無邪気なじゃじゃ馬に育った彼女は、奸雄というよりは英雄――騎士に憧れる少女だった。
しかし、聡明で機転が利き、弁舌も立った12,3歳頃になって、やはり国王の心に不安が再浮上した。
今は可愛い娘だが、この先何かがあった時に敵に回ったらと思うと、気が気ではなかった。
奸雄という職業を持つ人間はそうおらず、資料は殆ど見当たらなかった。
そんな折、偶然国王の耳に入ったのは極東の国に生まれたという奸雄の噂。
治世においては能臣として仕える者でもあるらしいと知り、国王は安堵した。
簡単な話だ。
"奸雄"が国王より、一枚上手だった。
それだけのこと。
噂の出所は、今も知れず。
国王は知らない。――極東に生まれた奸雄は、治世において能臣になると惜しまれただけの、世紀の叛逆者である。
嘘の中に一抹の真実を添えて。偽報工作の初歩的な手口は、幼少期の奸雄が繰り出す精一杯の生存戦略であった。
――御前試合当日。
普段、ライラックとフウタが剣を交えるために使っている王城城下の庭園。
ここに本日は席が設けられ、招かれた国の要人たちが紅茶を片手に中央を見守る形になっていた。
噂に聞こえしライラック第一王女の客人と、リヒター・L・クリンブルームの連れてきた闘剣士の試合。
この御前試合を、ただの催し物として見ている人間はそう多くない。
殆どは、こう考えていた。
ライラック王女の騎士候補を決める戦いである、と。
麗らかな陽気が差し込む庭園は、普段のフウタが訪れる夜の顔とはまた違った美しさを誇っていた。
生垣で囲まれたこの園は、陽光が差し込むと植物の緑がより美しく輝く。
暗くて見えなかった草花もまた、目の保養になる美麗なものだった。
ただ、今日の主役は植物園ではなく、その中央にある芝生。
剣士の為に誂えられたフィールドだ。
「動きにくくはありませんか?」
「いえ、問題は何も。ありがとうございます」
庭園の隅の一角。護衛に囲まれた、王女の席。
彼女の前に、フウタは立っていた。この日の為に用意された礼装を身に纏って。
「微妙にお似合いですよっ、フウタ様っ」
「微妙言うな、自分でも分かってる」
マントこそ無いものの、白いタイツと赤のジャケット。
兵士というよりも、儀兵。または、それこそ騎士。
無骨な雰囲気のフウタには、あまり似合わないのは事実だった。
「姫様も正直なので、服装にコメントは控えておりますっ」
手のひらでライラックを示すコローナ。
ちらりとフウタが目をやれば、困ったように微笑むのみだった。
「コローナ、失礼ですよ」
「ほら、否定しないでしょっ?」
「もう許してくれ」
肩を落とすフウタに、ライラックは告げる。
「フウタ。腕に見た目は関係ありませんから、心配しないでください」
「わーっ、姫様のフォローに見せかけたとどめの一撃っ」
「俺、2人に何か悪いことしました……?」
落ち込むフウタを見て、楽し気に小さく微笑むライラック。
「ふふ。冗談ですよ。緊張とは無縁のようですし――あまり、話す意味も無かったようですが」
「あ、いえ。緊張はしていませんが、そうして気にかけてくれるのは、嬉しいです」
「そうですか。では――期待に応えてくださいね」
「はい」
頷く。
そしてライラックの前から下がると、入れ替わり立ち替わり彼女に挨拶しに来る者たちの相手で、すぐに手一杯になってしまったようだった。
『――"奸雄"ですよっ』
彼女の"職業"がどうだとか、彼女が何を考えているのかとか。
そういったことに、フウタは今まで無頓着だった。
だが、"奸雄"となれば話は別だ。
一説には、"奸雄"は生まれた国を滅ぼす、とまで言われている。
ある意味では希少な"職業"で、そして悪名高い"職業"でもあった。
だから、警戒するべき――ではない。
フウタはこれまでの、自らの軌跡を振り返る。
逆だ。
フウタにとって、"無職"というレッテルがとても痛かったように。
彼女が生まれながらに"奸雄"であったなら、これまでの多くの人間の彼女への対応も頷ける。
自然と、1人で戦うことにもなってしまうだろう。
王族に生まれれば、危険視されて家族から殺される、なんて可能性すらあるだろうに。
それでも、ここまで潰されずに生きてきたのが彼女なのだ。
彼女の何かを手伝えることは、無いかもしれない。
けれど、自分に手を差し伸べてくれた少女は、本当に1人ぼっちで剣を振るっていたのだ。
その光景が、生々しく目に浮かぶ。
そうだと知って、何も出来ないのは嫌だった。
せめて、支えになることが出来たらと。
「……」
「フウタ様っ?」
「ああいや、悪い。試合前だってのに、ぼうっとして」
「いーえー。ぬぼーっとしてる方がちょうどいいですよっ」
「なんだ、ぬぼーって。……集中しないとな」
ライラックに関しては、試合の後にもゆっくり話が出来る。
だがそもそもこの試合に勝たなければ、後も何もないのだ。
「十字鎗、か」
フウタは、自らが握っている得物に想いを馳せる。
これは、ライラックに頼んでおいたものだ。
相手と同じ得物を用意してくれ、と。
その結果手にした十字鎗は、見覚えのある代物だった。
『十中八九、フウタの関係者でしょうね』
反響するのはライラックの台詞。
もしも十字鎗を扱う者が、フウタの関係者だとしたら思い当たる節がある。
チャンピオン防衛戦にこそ上がってくることは無かったが、何度も刃を交えたことのある相手。
「――ようやく見つけた」
その声に、フウタは顔を上げた。
この国の騎士礼装に身を包んでいることを除けば、何度も目にした"闘剣士"の少女がそこに居た。
「プリム、か」
「へぇ。名前くらいは憶えていてくれたってわけ」
口角を上げる彼女から、ひしひしと感じる"敵意"。
膨れ上がる闘気はライラックと同等かそれ以上。
今にも斬りかかりそうな感情をぐっと押しとどめているような、そんな気迫を真正面から受けてなお、フウタはどこか浮かない顔をしていた。
「なに、その顔。こっちは一年間、ひたすらお前を探し続けてたってのにさ。名前を想い出すのも苦労してます、とでも言いたげだね」
二つに結った黒髪を払って、煩わし気に彼女――プリムは続けた。
フウタは一度目を閉じる。
元から、よく敵意のようなものをぶつけられていた相手ではあった。
だが、今思い返せばあれは、敵意によく似ていながら異なるものだったのだろう。
今の彼女から感じる露骨な敵愾心に比べれば、以前のものはまだ可愛い感情だったに違いない。
「別に、苦労なんかしてないよ」
「は?」
首を振った。
そして、彼女を双眸で捉えて、告げる。
「名前くらい、というか。憶えてるよ。お前の十字鎗も」
怖いくらいに成長が早く、腕の立つ鎗使いだった。
その研鑽に嘘はなく、そして正確無比な狙いから繰り出される神速の一撃は、対応にも苦心させられた。
少なくとも、フウタはそう思っていた。
「――そう」
その軽い返事に、どれだけの感情が乗せられていたのか、フウタは知る由もない。
「二年前。お前が姿を消してから、ひたすら練り上げてきた十字鎗術……刮目して見ろ。お前は、私が必ず倒す」
「ああ、分かった」
どんな言葉を返しても良かった。
だが、刃を交える前に何を言っても無意味だ。
フウタに課せられた使命は一つだけ。
『貴方に挑もうとする闘剣士に、最強を証明してきなさい』
だからそれを全うしよう。そう自らに言い聞かせるフウタの眼前に、さ、とプリムの鎗が突き付けられる。
「でも」
俯かれた前髪に隠れて、彼女の瞳は見えない。
ふるふると、切っ先が震える。少し間違えれば鼻先に突き刺さりそうな鎗を前に、フウタは真っ直ぐ彼女を見つめた。
きっ、と顔を上げたプリムの瞳は潤んでいた。
「――もう一度、勝負を汚すような真似をしてみろ。末代まで呪ってやる」
「っ……」
正直に言えば、泣かれるほどとは思っていなかった。
フウタは確かに許されないことをした自覚がある。
『八百長は無職のせいじゃなくてお前のせいですよ』
『でも、それでも、"職業"のせいにしたら、お前はそこで終わりなんです。人生お仕舞いなんです。そーゆーダメな人も結構居ます』
『お前は、なっちゃダメです』
思い返すのは、いつも支えてくれている少女の言葉。
勝負の場を台無しにした後悔は今でも苦い。
だがそれは自分が背を向けたという情けなさ、不甲斐なさからくるもので。
誰にも期待されていなかった自分の行いが、誰かを泣かせるほどのものだったとは、と。
「あのことは、俺も死ぬほど後悔した」
鎗の刃を掴んで、ゆっくりと下ろす。
「だから、二度とやらない」
そして、口にした。言葉ではどうとでも言える、と言われてしまえばそれまでだが。
言葉にする大切さを、フウタは知ったから。
「――そう」
十字鎗を背に負い、プリムは踵を返す。
「なら。全力で相手をして貰う。その為に私は――コロッセオを辞めたんだ」
それだけ言い捨てて、彼女はリヒターたちの居る方へと歩いていった。
「……コロッセオ、辞めたのか」
ぽつりと呟いたフウタの言葉は、誰に届くわけでもない。
でも。
『――最強の剣士に挑みたいと思わない闘剣士がどこに居るんです?』
答えは、姫君から貰った。
全力で応じるだけだ。そう、フウタは十字鎗を握りしめた。
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