22 フウタ は おうじょ と はなしている!
あけましておめでとうございます。
――王城内部客室。フウタの部屋。
「それで、話というのは何でしょう。王女様」
「そうですね、そろそろ話しましょうか」
温かく湯気の立ち上るティーカップを、品のある所作で口元に運ぶライラック。
シャワーを浴びたばかりの彼女の艶っぽいナイトドレスと相まって、改めて目の前の人物が王女であることを痛感するフウタだった。
コローナは居ない。
彼女は今、部屋の外でぽけっと座り込んでいるか、通行人に絡んでいるか、或いは身代わりの人形を置いてどこかに行ってしまっているか。
予測不能ではあるが、話が終わるまでは部屋に戻らないよう言われていた。
「貴方と出会って以来、執務の合間を縫って色々調べていたのですが」
「……そういえば、俺のことも調べたんでしたっけ」
「貴方個人に関してもそうですが――主に、"無職"について」
ライラックはティーカップを置くと、いつもの怜悧な表情でフウタを見据えた。
「"職業"にはそれぞれ強みと発動条件があるのは分かりますね? だからこそ、"無職"は虐げられていると」
「はい」
「"職業"はその殆どが、才能の一点特化を助長しています」
闘剣士ならば、強いことではなく、"勇壮なる戦い"。
発動条件は、他者との闘争。
侍従ならば、何者かに対する"奉仕の心"。
発動条件は、奉仕すべき対象の存在。
経営者ならば、事業に対する"広角的理解"。
発動条件は、経営すべき事業。
などなど、彼らには他の"職業"の者と同じ物で競った場合の明確な強みが存在する。
このことを踏まえたうえで、ライラックはフウタを見据えた。
「"無職"にもそれがあるのではないか。というのが、わたしの推論でした」
「なるほど……そうですか」
フウタは眉を下げた。
"無職"のみに許されたスキルに、心当たりが無かったからだ。
「俺に心当たりはないです。申し訳ありません」
「……それは予想していました。貴方が自分の強みを認識出来ていれば、路頭に迷うこともないでしょう」
「はい」
頷くフウタ。無職だから愚直に努力を続けてきたのだ。
何かとっかかりがあれば、こうまでがむしゃらに生きてはいない。
少し考えるように頬に手を当てて、ライラックは呟く。
「"模倣"は、貴方の個人的な技術の結晶でしたね」
「あれは……俺だけでしたね。周りにも無職は何人も居ましたが、誰かの真似が出来る無職は、見たことないです」
とはいえ。ライラックの言うように、"無職"にも何か特化するものがある、という発想はフウタにはないものだった。
無職とはその字の通り、職にあぶれた者でしかないとばかり考えていた。
だが、もし、他の職業と同等に何かがあると仮定して。
「あまり思いつきませんね。王女様は、調べて何か気づいたことなどは?」
「……一周回って笑えるお話が、1つありますよ?」
「なんでしょう?」
「フウタほど無職でありながら何かを磨いたという人物が居なくて、参考資料が殆どありませんでした」
「……それはまた」
フウタからすれば、何とも反応に困る話だった。
「ですから、貴方のコンプレックスを抉る覚悟でこうして直接問うたのですが」
「……ですが?」
「けろっとしていますからね、この通り。わたしが貴方個人ではなく、"無職"の調査をしていたと知ったら、少なからず悪感情の一つも漏れるものなのでは?」
「そういうものでしょうか?」
「わたしに聞かれても困りますが……まあ、良い意味で誤算ですか」
ふう、と息を吐くライラック。
「さて」
ティーカップをソーサーに戻すと、彼女はフウタを見据えた。
「それでは、ここからが本題です」
「王女様の考える、"無職"の力、ですか?」
「推測交じりにはなりますが、おそらくは確定かと」
「え、すげえ」
思わず素の言葉が零れて、慌てて紅茶を飲む振りをするフウタ。
「別に、そのくらい砕けていても構いませんよ。わたしと貴方だけですし。……そも、その程度のことを咎めていては――」
「いては?」
「あの子をお付きになんてできませんし」
「ああ……コローナ……」
二人の脳裏に、『ぺろりんっ』という声が響いた。
「でも、驚きました。俺、人生二十数年生きてきて、何も分からなかったんですが」
「貴方とわたしでは、調べられる環境、知識を付ける環境が異なりますから当然でしょう。……とはいえ、褒められて悪い気はしませんが」
「それだって、王女様がご自分で身に付けた知識と、ご自分で作った環境でしょう? 与えられたままなはずが無いですし」
「そこまで褒められるようなことでもありませんよ。確かに、苦労はしましたし? 人脈を繋いだ相手は曲者だらけですし? こうした地道な努力を褒められることはありませんでしたし? 悪い気はしませんが?」
結構喜んでいるらしいことを察したフウタだった。
「こほん。わたしのことはさておき、フウタの話です。"無職"について分かった一番大きなこと。この推測を確定させる為に、問います」
「はい、なんでしょう」
重要な質問だと思ったフウタは、背筋を伸ばす。
ライラックは一度言葉を溜めて、放った。
「フウタ。貴方、"努力は楽しかったですか"?」
反射的に否定しようとした。
コロッセオを思い返せば、辛い日々だった。
でもそれは果たして、"努力"が辛かったのか。
答えは否だ。
環境が。どんなに努力しても変わらない環境が、辛かった。
鍛錬をした。鍛錬をした。鍛錬をした。
それで何一つ変わらない状況こそが辛かった。
だからこそ、今も。
コローナの隣で、趣味と称して鍛錬が出来ている。
嫌いになっていたら、トラウマになっていたら、こんなことは続けていないはずだ。
ライラックに言われて、次々に思い出す。
努力を積み重ねることが楽しかったこと。ひたむきに頑張って、それが報われた瞬間が何よりの幸福だったこと。
ただ1人で生きてきて、それだけが楽しみだったこと。
そして今は、ライラックと剣を交える時間。手合わせと称して互いに研鑽する時間が、とても幸せであること。
コローナとだらだら話しながら、筋トレを邪魔されたり背中に乗られたりすることが、とても幸せであること。
「――俺、鍛錬が、努力が凄く楽しかったです」
「そうですか。やはり、わたしの考えは間違っていませんね」
こともなげに、ライラックは頷いた。
確信している風な彼女の言い回しに、思わずフウタは食いつく。
「聞かせてください!」
"無職"という職業。
ただ誰かの下位互換でしかないと突き付けられて生きてきて。
そこにもし可能性があるというのなら、是が非でも聞きたかった。
思わず立ち上がったフウタに、少々驚いたらしいライラックが目を瞬かせる。
しかし、一度目を細めると。
「貴方との出会い無しでは得られなかった成果です。そして、貴方との時間が無ければ抱けなかった確信でもあります。教えることに、否はありません。――ですが条件があります」
「条件、ですか」
「難しいことを要求するつもりはありませんよ。――知識とは、財産です」
「ご存知の通り、お金は持ってませんが……」
「そうではなく」
ライラックはそっと唇に人差し指を当てた。
「このことは、わたしと貴方だけの秘密です。何れ公表することもあるでしょうが、今ではない」
フウタには、彼女の考えていることはよく分からなかった。
「よく分かりませんが……分かりました」
「無論、今なお"無職"であることで虐げられている人々が居るのは知っています。ですが、今公表すると不利益の方が大きいのです」
と、そこまで真剣に口にしてから、煩わしそうに髪を払った。
「ま、そもそもまだ確定ではありませんし。あとから齟齬を発見した時のリスクを考えても、黙っておくに越したことはありません」
おそらく、ライラックの中では既に、この事実を公表するまでのロードマップが出来上がっているのだろう。
なら、フウタに彼女を妨害する発想は無かった。
「分かりました。……そもそも、王女様のやることに口を出す権利はありません」
「それはわたしも同じですよ。契約に、貴方の発言を縛る文言はありません。ですからこれは、ただのお願いです」
柔和に微笑んだライラックに、フウタも頷いた。
「では、改めて。少々前置きが長くなりましたね。紅茶も冷めてしまいましたが……話しましょう」
「はい」
「"無職"とは、"享楽の拡散"ではないか。それがわたしの結論です」
「"享楽の拡散"……?」
「楽しいことをする、面白いことをすることで、周囲にその享楽が伝播する」
「なる、ほど……。俺との戦いを王女様が楽しんでくれていたのは、そういうスキルの恩恵だと」
「スキルの恩恵、というと何だか嫌ですね」
「えっ」
ライラックは露骨に不快そうな顔をした。
「貴方の才能ですよ。わたしは、"職業"に踊らされることが何より嫌いです。"職業"とは、人間が利用するものであって、決して言うことを聞いて生きるためのものではない。今はこの世の殆どの人間が、"職業"の奴隷ではありますが」
どろり、と、ライラックから強い負の感情がまろび出た気がした。
フウタは少し悩んでから、ライラックに問うた。
「……王女様、その」
「なんですか?」
「俺はあまり頭が良くないんで……どう違うのか、よく分からなくて」
「そう難しく捉えずとも良いですよ。"職業"とは自分の強みです。それを活かす生き方をするなら良し。"経営者"だから経営者になる、というような生き方が気に入らないんです」
ふと、フウタはライラックの言葉を想い出した。
『――人間は、"職業"の奴隷ではない。貴方は身をもってそれを魅せつけてくれました』
あれはつまり、"無職"でありながら闘剣士という道を選び、ここまでの実力を練り上げたフウタへの賞賛であったことを。
「人間である以上、"職業"には絶対に縛られます。ですが、"経営者"だから経営者になれるわけではない。優れた"経営者"は、そのための努力をしています。それを、"職業"の恩恵、で片づけるこの世界がわたしは――」
こほん、と可愛く咳払いをして。
ライラックは、軽く手で頬を仰ぎながら微笑んだ。
「取り乱しました」
「いえ……なんだかちょっと、王女様の言いたいことが分かった気がしました。俺みたいな頭のよくない奴でも」
「そうですか。それなら、良かったです。自らを卑下する言葉は好ましくありませんが」
「ごめんなさい」
「よろしい。少なくとも、わたしが楽しかったのは、貴方が剣を磨いた結果だと知りなさい。貴方の努力は、何者にも否定させはしません」
満足そうに頷くライラックに、フウタは気になったことを問うた。
「そういえば、もし"無職"がそういう職業だったとして。発動条件とかって、あるんでしょうか」
「ああ、それはわたしも少し考えたのですが……多分、これだろう、というのはあります」
「お聞きしても?」
「ええ。これはわたしも、自らを褒めるべきではないかと考えました」
「おお」
胸を張り、誇らしげなライラック。
彼女が自分を褒める、となれば、きっとファインプレイがあったのだろう。何だろう、と期待するフウタに向かって、ライラックは告げた。
「たぶん、働かないことだと思います」
「……へ?」
「"無職"ですし。働いたら負けなんでしょう」
「ええ……」
マジか。とフウタは天井を仰いだ。
「人間は"職業"の奴隷ではありません。貴方が出奔するというのなら、わたしに止めることは出来ませんが」
そこまで言ってから、ライラックは珍しく、からかうように続けた。
「わたしはいつまでも、貴方の逗留を歓迎しますよ」
フウタは察した。
なるほど、褒めるべきというのは、フウタを抱え込んだことだったか、と。
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