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02 フウタ は ろとう に まよっている!


 旅の果て。


 コロッセオを追放されてから二年。


 フウタの姿は、祖国から遠く離れた王国の首都にあった。


 この国まで来ると、最早フウタを知る者など殆どいない。

 距離が離れていることもあるが、何よりこの王国にはコロッセオという文化が無かった。


 もっとも。


 フウタを知る者がもし居たとして、以前とはかけ離れた風貌の彼を、フウタと断定できるかは難しいところだ。


 伸び放題の髪と、粗雑にナイフか何かで切っただけの髭。

 体躯は痩せ衰え、纏うボロ布は異臭を放っている。


 これで"無職"とくれば、仕事を斡旋して貰えないのも当然だろう。

 自分でも分かっていた。 


 それでも何か、仕事のきっかけになるものがあれば。

 王国王都までやってくれば、非合法だろうと何だろうと、仕事の一つもあると期待してここまで歩いてきた。


 だが、フウタは最早限界が近かった。


 視界は霞み、腹部より下は既に感覚が殆ど残っていない。

 飢えと、日照りによる脱力で、歩みを一歩進めるのもやっとだった。 


 ――まだ意識がはっきりとしているのは、これまで積んできた鍛錬のおかげだろうか。



 王都の隅にある裏通り。昼から営業している酒場の店主は、来店のベルを聴くや顔を上げ、フウタを見るなり顔をしかめた。



「……金は持ってんだろうな」

「……」


 金は持っていなかった。路銀はとうに尽きている。

 もしも善意で食糧を恵んでくれるような店主なら、と仄かな期待はすぐに諦め、フウタは酒場の奥へと目をやった。

 しかしてそこには、幾枚もの羊皮紙が貼られた掲示板があった。


「……おい兄ちゃん、聞いてんのか」

「仕事を。仕事をくれれば、良い」

「仕事だァ? ……"職業"は? まさか"無職"ってんじゃねえだろうな」


 禿頭の店主は腕を組み、フウタを上から下まで眺めて呟く。

 一歩、一歩、店奥の掲示板まで足を運ぶフウタの肩を掴んで止める。


 ここでも、"職業"だ。

 どの町でも、どの国でも、"無職"の扱いは粗略に尽きた。


 この店でも仕事を断られたら、いよいよ自分は死ぬかもしれない。

 ぼんやりと、それもまたいいかもしれないと思った。


 長い時間かけてすり潰された心。追放からの当てもない旅。

 うだるような熱と、幾つもの悩みに、脳は溶け、死ぬことすら怖くなくなっていた。心が軽く麻痺を起こしていたと言ってもいい。


「――だとしたら、仕事は無いか?」

「マジで無職かよ。……そっちの掲示板には無職なんぞにくれてやれる依頼はねえ。どうする?」


 その問いに含まれた副音声は、すぐに分かった。

 非合法で、割に合わない依頼ならある、ということだろう。


 何が割に合わないのかは、ものによる。

 対価、日数、報酬、リスク。


 或いは――


「……話し相手になるだけで、30万?」

「こんな胡散臭い依頼、うちに置くのも嫌だったがな」


 店主が渡してきた依頼は、内容の割に高額な、所謂怪しい仕事だった。

 当然違法だ。

 少なくとも、正当な依頼方法で出そうとしたら検閲で弾かれる。


 だが、今のフウタにとってはちょうどよかった。

 どのみち依頼を受けなければ死ぬだけだ。


「前金は受け取っているのか?」

「5万な」

「これを引き受ける。……その金で、飯をくれないか」


 フウタの懇願に、店主は少しだけ嫌そうな顔を浮かべて呟いた。


「まぁ良いだろ。臭ぇ浮浪者にうちで飯食わせるなら、5万は妥当だな」


 食ったら即帰れ、と言って厨房に引っ込む店主。


「……ふぅ」


 ひと月ぶりだろうか。

 ようやく、まともな食事にありつける。

 涙が出そうになるのを堪え、フウタは改めて依頼書に目を通した。


 これからどんな目に遭うか分からない。


 ただ、今は。 


 この依頼のおかげで命を繋ぐことが出来た感謝の気持ちで、胸がいっぱいだった。















――翌日。王都裏通り、旧噴水広場。



 昨日食事にありつけたおかげで少しだけ元気を取り戻したフウタは、依頼書を片手に約束の場所にやってきた。


「――っ」


 気配。


 はっと顔を上げる。

 噴水の前。静かに座す、フードを被った少女の姿。


 本来、こんなところに1人で少女が居ようものなら、たちまち飢えた人間の欲望の捌け口にされる。


 だからこそ、異質に映った。


 広場には、浮浪者の根城はあっても彼らの姿は一つもない。


 張りつめたような空気はまさしく、コロッセオで感じた闘気そのもの。


 少女が発するそれは凄まじい。フウタが相手にしてきた最上級の闘剣士に勝るとも劣らない、静謐かつ鋭利な猛者の力の発露。


 フウタは慌てて依頼を確認した。


 待ち合わせ場所は合っている。

 相手の風貌は蒼のフードを被った軽鎧の人物。該当するのは彼女だ。


 しかし依頼は果たし合いではなく話し合い。もとい話し相手だ。


 話し相手をしに来たのにこの空気感では、自分以外の受注者は逃げ出してしまうのではないか。素直に、フウタはそう思った。


「あの」


 一歩、広場に足を踏み入れて声をかける。

 瞬間、フードの角度が上がった。こちらから見える口元だけが、小さく弧を描く。


「依頼を受けてくださった方ですか?」

「ええ……まあ……」


 フウタは面食らった。

 彼女の声は清涼で、可憐。張りがあり、聞き心地が良かった。

 それは良い。


 ただ、敵意の欠片も感じなかった。

 これだけの闘気を纏わせておいて、だ。


「どうかなさいましたか?」

「いや、その。依頼主さんを不快にさせるつもりはないのですが」


 きょとん、と首を傾げる少女。フードがこてんと揺れた。


「これほどの闘気を纏わせていると、誰も近づけないんじゃないかなと」


 フウタにとっては、コロッセオで馴染んだ気配だ。

 それでも、慣れるのには時間がかかった。どいつもこいつも猛者ばかりのコロッセオで、何度も何度も戦ってようやくだ。


 いくらなんでも、こんな場所に非合法の依頼を引っ提げて訪れるような人間に、この空気の中を歩いていけというのは酷だろう。


 だと言うのに、少女はよく分かっていない様子だった。


「はぁ、わたしから闘気が? そんなつもりはありませんでしたが」

「マジですか」

「結構、分かるほどなのですか? 意外と出している本人は気づかないものなのでしょうか」

「一度しっかり訓練はしないと、漏れてしまうことはあるみたいです」

「……なるほど、道理でここ数年、人に避けられていたわけですね」


 ふむ、と顎に手を当てる彼女。

 しかし闘気が消える兆候は一切ない。

 となればフウタも、彼女が無意識に出しているものだと結論付ける他なかった。


 隣へ行って、少し考えて、離れて座る。


「あれ。……わたしの闘気って、そこまで離れたいものなのでしょうか」

「いやむしろこちらがしばらく不衛生だったので、臭うかなと」


 気を遣ったつもりだったのだが、少女は首を振る。


「この場所がもう随分と臭いがきついので、今更ですよ。気にしないでください。わたしが、お話をしたくてここに来たのです」

「それはまた、奇特な……」


 お話。

 果たして実際はどんな依頼なのだろうかと身構えてやってきてみれば、どうやら本当にお話のようで。フウタは目を瞬かせて、少しだけ彼女に寄って腰かけた。


 噴水を取り囲む石の淵に二人。


「で、話というと? 依頼には、詳しいことが書いてなくて」

「そうなんですよね」

「えっ」


 口元に手を当てて、彼女はまるで他人事のようにそう言った。


「ほら、お互いに何も知らない間柄ではありませんか」

「そうですね」

「そういう関係なら話せることもある……などとアドバイスを貰い、こうしてやってきたのですが。いざ会ってみると、悩んでしまいますね」

「はぁ……」


 そんな思い付きに、非合法の依頼を――それも30万などという大金を使って――出したのか。

 この様子なら金に不自由はしていないのだろう。

 金持ちの考えることは分からない。


 とはいえ、こちらは依頼を受けた身だ。

 話し相手になる、という依頼である以上、会話が続かないというのは良くないだろう。

 話術に自信があるわけでもなければ、そういう"職業"でもないけれど。


 ありきたりの話でも、振らないよりはマシだろう。


 まずは、そう。


「依頼、ありがとうございました。本当に」


 深く、頭を下げた。

大仰な礼に、少女は少し驚いたように口を開ける。


「いえ。そんなに、御礼を言われるようなことでは」

「貴女にとってはそうかもしれません。でも、俺にとっては違ったんです」

「……というと?」


 フウタはぽつぽつと、この国に来るまでのことを語り始めた。


 仕事でやらかして、国を追放されたこと。

 それから路頭に迷い、"無職"ゆえに仕事もろくにさせて貰えなかったこと。

 ようやく、遠いこの国に辿り着いたこと。


「"無職"……なるほど」


 小さく呟いた少女の言葉は、フウタには届かず。


「追い出される前は、どんなお仕事をしていたのですか?」

「闘剣士です。腕には、自信があったんですが」

「追い出されてからは、その腕を活かせるお仕事にも付けなかった、と?」

「ええ。資格に"職業"のふるい分けがあるのと――まあ、"無職"でここまで剣の腕だけを鍛えていた人間もそう居ないでしょうから」

「……」


 少女は押し黙り、俯いた。


「"職業"のふるい分け」

「……どうかされましたか?」

「ああいえ」


 ぽつりと呟かれた台詞は、フウタの耳には届かなかった。

 わざわざ聞き直して、依頼主を不快にさせることもないだろう。

 そう思って、彼女の呟きは流す。


 すると彼女は顔を上げ、立ち上がった。


「――良い、機会だったかもしれません」


 それが何を意味する言葉かは、フウタには分からない。

 ぼんやりと立ち上がった少女を見上げることしか出来ない彼に、少女は振り返る。


「手合わせをしませんか? 報酬は別途でお支払いしましょう」


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