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94 グレイブ討伐戦 ⑤ ―標的― 



 クァールとその背に乗った私は、共に深い地の底から脱出した。

 私一人ではあの場所から脱出するのは難しかったが、基本的な身体能力の違いか、クァールはあの脆い壁を崩れる前に一気に駆け上ってみせた。


 クァールはそのまま天にそびえるような枯れた大木を足場にして、さらに高く飛び上がり、私はその位置から辺りを見回して状況を確認する。

 グレイブと遭遇した時は太陽がまだ高い位置にあったが、今はだいぶ陽が傾いて、青い空を茜色が浸食し始めていた。

 私がヴィーロたちと離れてからおそらく四~五時間は経っている。

 まだ戦闘は続いているのだろうか? ヴィーロとサマンサはグレイブが相手でも負けはしないと信じてはいるけど、負けはしなくても危機的状況にある可能性はあった。


「向こうだ。そこに私たちの“敵”がいる」

『ガァオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』


 私の声に応えてクァールが吠えると、涸れた地面を砕くように着地して大地に点在する穴を避けるように移動を始めた。

 待っていて……すぐに行くから。


   ***


「よく持つな。年の功か?」

「ぬかせ、小僧がっ!!」


 ランク5の魔術師でありながらレベル4の身体強化と体術を扱い、高速移動する老婆が【飛礫(ストンブリツト)】に似た岩の弾丸を撃ち放つ。

 サマンサの土魔法である【石弾(ストンシヨツト)】で、レベル2の魔力消費を維持しながら対生物効果ではレベル3の【岩槍(ストーンランス)】と同等近い威力を誇る。


 さすがにそれを斬り払うことは難しいのか、グレイブが跳び避けるように回避すると同時にその背後からヴィーロが襲いかかるが、

「――【跳水(スプラツシユ)】――」

「くっ」

 体勢を崩しながらもグレイブが放つ水魔術に、ヴィーロは魔力の通りやすいミスリルの短剣をぶつけるようにしてそれを防ぎ、その瞬間に繰り出されたグレイブの蹴りに吹き飛ばされた。


 グレイブは剣術や隠密系技能だけでなく魔術も使う。

 それでも以前は元同僚であるセラと同じレベル2までしか覚えていなかったが、単独で複数相手にすることを考慮して、魔術系技能をレベル3まで鍛え上げていた。


「攻撃が単調になってるぞ、ヴィーロ。弟子の危機に焦っているのか?」

「うるせぇよっ! 【闇の霧(ダークミスト)】っ」


 ヴィーロもこの三年で闇魔術をレベル2に上げている。その修行過程で魔力制御もレベル4になり、身体強化の精度も向上して戦闘力も上がっていた。

 以前はそこまで個人の戦闘力を重視してなかったが、単独で強敵と戦い続けるアリアの戦い方を見て何か思うところがあったらしい。

 たとえその理由が、弟子に追いつかれる、という理由だったとしても、それほどランク4以上の冒険者が常に向上心を持つのは難しいのだ。


 ヴィーロが放った闇の霧がグレイブの視界を塞ぐ。その霧の範囲から逃れようとグレイブが動き出す直前、サマンサが魔術を行使する。


「――【岩肌(ストンスキン)】――」


 土属性の魔素を纏い、一定量のダメージを吸収する鎧系の魔術だ。

 【岩肌(ストンスキン)】を纏ったサマンサが【闇の霧】の中に飛び込んでくるのが分かった。

「そうきたか」

 魔素で出来たこの闇の中では暗視も利かず、探知で正確な位置を把握するのも困難になる。

 通常攻撃では【岩肌(ストンスキン)】に防がれる。相手が魔術師でもレベル4の身体強化を操る老練の冒険者なので、攻撃を防がれた瞬間、グレイブの思いも寄らない攻撃をしてくる可能性もあった。

 戦技を使えば【岩肌(ストンスキン)】ごと斬り裂けると思うが、この闇の中で攻撃を外せば、硬直時間を待ってくれるような生易しい相手でもない。

(この場は下がるしかない)

 そう判断したグレイブが跳び下がると同時に、闇の中から再びサマンサの魔術が放たれた。


「――【水球(ウォータボール)】――」


 このレベル3の水魔術はグレイブも使えるので知っている。威力も弱く速度も遅い魔術だが、この魔術の利点は、レベル3では珍しい“範囲攻撃”だった。

「くっ」

 押し寄せる水圧にグレイブの足下が流される。

 その瞬間を狙って、自分も水の圧力でダメージを受けながらも飛び込んできたヴィーロとグレイブが交差すると、グレイブの脇腹から血が噴き出した。


「ざまぁみやがれっ!」

「気を抜くな、坊主っ!!」

 闇の中から出てきたサマンサが叱咤して、ヴィーロの横に立って身構える。

 グレイブは自分の脇腹から溢れた血に顔を顰めながらも、二人を牽制するようにジロリと睨め付けてから、自分で治癒魔術を使った。


「――【高回復(ハイヒール)】――」


 回復と治癒の効果を一瞬で付与するレベル3の光魔術だ。消費魔力は30と大きいが、その分絶大な効果が見込まれる。

 グレイブがこの魔術を使うせいでサマンサとヴィーロは攻めきれずにいた。

 盾と矛である重戦士が居ない状況でレベルの高い魔術を使う場合は、その一撃でほぼ戦闘不能にできることが前提となる。

 大きな魔術を連発して躱されたとしても、一撃でも当てれば事が済むからだ。

 だが、グレイブが【高回復(ハイヒール)】を使うせいでこの前提は崩れ、サマンサは魔力消費を抑えるためにもレベルの低い魔術を使わなくてはならなくなり、グレイブも何度も放たれる小さな魔術に攻めきれず、三人の戦いは膠着状態に陥っていた。

 だが――


「残念だったな。光魔術が使えるアリアがいれば、もう少しまともな戦闘になったのだがな」

 傷の治癒を終えて、グレイブが揶揄するようにニヤリと笑う。

「てめぇ……」

「口の減らん小僧じゃ」


 サマンサも光魔術はグレイブ以上に使える。

 だが、グレイブのトドメを刺すには高レベルの属性魔術が必要であり、魔力の消費を抑えるためにも、サマンサは自分たちに治癒魔術を使うのを躊躇していた。

 基本的に【回復(ヒール)】も【治癒(キユア)】も接触魔術で、対象に触れた状態で数十秒間魔術を行使しなくてはいけないが、【高回復(ハイヒール)】は数メートル程度なら“飛ばす”ことも可能なので、戦闘中に使うこともできるのだ。


 三人ともポーション類は持っているが、同様に戦闘中に飲める物ではない。

 そして戦闘中に治癒魔術を封じられたヴィーロたちは傷を治せず、グレイブは魔力消費こそあるものの、メインの戦闘は近接なのでまだ余裕はあった。


「幻獣が戻ってくる前に、そろそろ決着をつけさせてもらおう。お前らも治癒を使ったほうが良いぞ、そんな余裕があるのならな。アリアも、もしかしたら戻ってくる可能性もあるかと思ったが、少々買いかぶりすぎたか」

「くそ野郎が……」

「……そう簡単にいくと思うな、小僧」


 ヴィーロとサマンサが殺気を放ち、グレイブも愛用の二本の魔力剣にさらに魔力を込めて、前のめりに身構える。

 老いたりとは言えランク5と4相手にグレイブも油断はしていないが、この数時間の戦闘である程度の“底”は見えた。

 だがその時――



『グァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』


 湿地帯の森に“獣”の咆吼が響き、視線を移す彼らの瞳に、彼方より恐ろしい速度で駈けてくる漆黒の幻獣クァールの姿が映る。


「……時間をかけすぎたか」

 獣ゆえの気まぐれで、アリアと戦い傷つけば戻ってこない可能性もあったが、グレイブは本当に買いかぶりすぎたかと落胆する。

 けれど、グレイブの予定に変更はない。クァールは人の区別はあまりできておらず、グレイブとヴィーロの違いも理解していない。

 ヴィーロを囮にすれば、グレイブが逃げる程度の時間は稼げるはず。ヴィーロたちがクァールに殺された後で、ゆっくり公爵の暗殺計画を続ければいい。

 それに懐には、クァールを誘き出すと決めた時から用意していた、対獣用の“奥の手”もある。


「幻獣……? くそっ!」

 クァールが現れたということは、弟子が負けた可能性があると気づいて、ヴィーロがクァールに刃を向ける。

「下がれ、坊主っ!!」

 グレイブが位置を変えて、ただ一人取り残されたヴィーロにサマンサの声が響く。

 その時――


「違う。“それ”じゃない」


 そんな“少女の声”が微かに聞こえて、ヴィーロに襲いかかろうとしていたクァールは彼の上を飛び越えた。

 その飛び越えるクァールを見上げるヴィーロの瞳に、武器を構えたまま片腕を絡ませるようにして尾に掴まっている、“灰かぶり”の少女の姿が映る。

「アリアっ!!!」


「放て」

 ――了――


 グレイブに襲いかかるクァールが強く尾を振り、その勢いのまま弾丸のように放たれたアリアが、一瞬虚を衝かれたグレイブの肩を深々と黒いダガーで突き刺した。


「お前はそろそろ死んでいろ」

「アリアかッ!!!」

 不意打ちで肩を貫かれながらも、グレイブが歓喜にも似た歪な感情を見せる。

「これは予想外だっ!! フハハッ!」

 グレイブが叫びながらも片方の剣をアリアに振るうと、素早く飛び離れたアリアが宙返りをするように刃を回避しながら、その細い指先をグレイブに向けた。


「――【幻痛(ペイン)】――」


「そんなモノが、ッ!」

 耐えられるはずの幻痛が、想定よりも鋭い痛みになってグレイブを襲い、そのわずかな差が一瞬だけ彼の動きを止めた。

(まさか、この短時間に魔術のレベルを上げたとでもいうのかっ!)

 だが、それでも一瞬だけだ。宙を舞うアリアはまともな追撃をできず、ヴィーロやサマンサも一瞬の混乱からまだ戦闘態勢に入っていない。

 でも、グレイブの“敵”は彼らだけではない。


『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』


 アリアを放ったクァールがその勢いのままグレイブに襲いかかり、狙われた喉笛をギリギリで躱したグレイブの左腕を、すれ違い様に食い千切った。


「ぐおおおっ!!」

 さすがのグレイブも苦痛を漏らして跳び下がるように距離をとる。

「――【石弾(ストンシヨツト)】――ッ」

 離れた場所から放たれたサマンサの魔術がグレイブの脇腹を貫通し、ヴィーロの投げたナイフがその肩を切り裂いた。

 そこにすかさずアリアがスカートを翻しながら投擲ナイフを抜いて眉間を狙うと、グレイブは残った剣を投擲してそれを防ぐことしかできなかった。


「……まさか、お前がクァールを手懐けるとは……運命はお前に味方をしたか」


「そんな安っぽい言葉で“私”を語るな」


 油断なくペンデュラムを構えて冷たい瞳を向けるアリアに、グレイブは目を見開き、その顔に歪な笑みが浮かぶ。


「ふははははははっ、確かにそうだ。私はお前を知らない。そして最初に感じた通り、お前は危険だと判断する」

 グレイブは片腕も愛用の武器も失い、それでも覇気を込めてその二つの瞳にアリアを映すと、おもむろに懐から取り出した“玉”を突然街道の木床に叩きつけた。


「グレイブ逃げ切れると――」

「坊主、下がれっ! 毒の煙幕じゃっ!」


 異様な匂いがする煙が一瞬で広がり辺りを覆い尽くす。それでもグレイブを追おうとしたクァールは、その異様な匂いに堪らず横に跳び避けた。

「…………」

 視界が防がれると魔素を目で視るアリアの探知能力は激減する。それでも油断なくペンデュラムを構えるアリアに、煙の中からグレイブの声が放たれた。


「もう公爵如き小物を狙うのは止めだ。アリア、これからはお前がターゲットだ。お前は王女を護ってみせろ。俺が必ず殺しに行く」


 その声が流れると希薄だったグレイブの気配が完全に消えた。斥候系の軽戦士で光魔術まで使えるのなら、追っても無駄だろう。


「……逃がしたか」

 アリアが口元をショールで覆いながら低い声でそう呟いた。

 グレイブが“アリアを狙う”と宣言しながらもアリアに王女を護れと言ったのは、王女を狙うことでアリアの行動を縛ることが目的だろう。

 だが逆に考えれば、アリアが王女エレーナの側にいるかぎり、グレイブは他者を狙わずアリアだけを狙うことになる。


「望むところだ、グレイブ。次は確実にお前を殺す」



アリアとグレイブは互いを標的として狙うことになりました。

次回、この事件の決着と新たな任務。

そしてクァールとの関係はどうなるのか?


次は、水曜日の更新予定です。


これからの予定ですが、第四章はダンジョン編をやって終了ですが、あまりにも長くなったので、そこまでを【第一部:灰かぶり姫】として、乙女ゲーム本編である学園編以降は【第二部:鉄の薔薇】として続けたいと思っています。

もう少しで学園編が始まります! モチベーションとなりますので、ご感想やブックマークなどをいただけたら喜びます。


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