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87 糸狩り



 師匠が住む庵に到着して、錬金術の授業を受けながら消費した丸薬やポーションなどを自作して五日もすると、師匠の薬が良かったのか久々に熟睡できたおかげか、体調も九割近くまで回復するようになった。


「それじゃそろそろ良い頃合いだね、無愛想弟子(アリア)、出掛けるから支度しな」

「どこに?」


 そういえば師匠は、私がそろそろ戻ってくるから“準備”をしていたと言っていた。それが何かと尋ねる間もなく、疲労回復用や滋養強壮の薬などを教わりながら作らされていたのだけど、いったい何の準備をしていたのだろう。


「お前がここを出て二年近くにもなるからね。そろそろ“糸”が足りなくなる頃じゃないのかい?」

「……どうして分かったの?」

 あまりにも精確すぎる予測に若干戦慄しつつも無表情を保ってそう尋ねると、師匠は事も無げに返してくる。

「アリアが狩った蜘蛛の大きさだと、数年で足りなくなるのは分かっていたからね。どうせお前のことだから無茶な戦闘でもしてきたんだろ?」

「…………」

 師匠は私が無茶をするとは分かっていたみたいだけど、さすがにオークジェネラルを含めたオークたちとの戦いは、叱られそうなので言うのは止めておこう。


 私が狩ったジャイアントスパイダーの糸は、新鮮な素材を使ったので良く出来ていたが、所詮は中級品だ。宙を舞う糸を切れる人間や魔物は少ないけど、ランクが高い人間や魔物はそれを可能にする者もいる。

 前回戻った時の私の戦闘力を見て、これからはランクが高い敵との遭遇もあると考えた師匠は、ここに来る行商人や数少ない伝手を使って、魔物蜘蛛の情報を集めてくれていたそうだ。


「ここから三日ほど北に行った河が通る渓谷で、数ヶ月前からアラクネが目撃されるようになったそうだ。まだ被害もなく、河があるから冒険者も無理に狩ったりはしないだろうが、いなくなる前に狩りに行くよ」

「……了解」


 師匠はエレーナと同じように四属性持ちで、肥大化した魔石のせいで無理のできる身体ではない。しかも魔族軍で“戦鬼”と呼ばれるほど戦ってきた師匠は、その無理がたたって長く戦える身体ではなくなっていた。

『無理をしないで』

『そんなことはしなくていい』

 私はそんな言葉を師匠に言ったりしない。

 彼女の人生は彼女だけのものだ。でも、だからこそ、そんな師匠が私のためにしてくれたことを、一欠片でも無駄にはしたくなかった。


 師匠が現役の“戦鬼”として使っていたブーツや手甲は私が使っているので、師匠は魔術師としての装備を済ませていた。魔術だけならそれほど心臓の負担にはならないはずだけど、一応出発前に師匠の荷物も自分の近くに寄せておく。

 私も手入れを済ませていたゲルフ作の革のワンピースを纏い、ガルバスの黒いナイフと黒いダガーを腰に差して、中古のほうの外套を上から羽織る。


「それじゃ、無愛想弟子。アラクネの特徴を言ってみな」

 出発してすぐに師匠の授業が始まった。

 師匠が教えてくれることは魔術や錬金術だけでなく、生活一般に関する常識や、私が冒険者として生きるための、危険な魔物や森の生き物など多岐にわたる。


 アラクネは巨大な蜘蛛の上に人間種女性の上半身が生えた魔物だ。

 このアラクネには二種類あり、“通常種”と“希少種”がいる。どちらも同じ種族だが師匠によると別種と呼んでいいほどの違いがある。

 通常種の上半身は一見すると普通の女性に見えるが、知能がゴブリン程度しかなく、動き出した瞬間に全身が醜く歪んで魔物としての本性を現す。

 希少種は魔物としての本性がほぼなくなり高い知性を持つらしい。人語を解して魔術も使い、その姿は美しい女性のままで人間の男を惑わすと言われている。


 要するにこの二種は同種族だが、人間種とゴブリン並の違いがあるそうだ。亜人寄りと魔物寄りといってもいい。

 希少種のアラクネは知性があって意思疎通もできるが、その反応は中立だ。友好的な個体もいれば、言葉巧みに騙して喰おうとする奴もいる。魔術も使い、奸計にも長けていることから希少種の討伐難易度はランク5にもなる。

 でも今回、師匠と私が狩るのは通常種のほうだ。魔術は使わないのでランク的には一段階下がってランク4になるけど、身体能力は希少種より上なので私のような攻撃力が低い斥候職だと油断できる相手ではない。

 森を移動しながらそんな解答を聞いた師匠が頷いてくれたので、私の答えは及第点だったようだ。


師匠(セレジユラ)、通常種と希少種で糸の質に差はないの?」

 授業の一環として気になったことを聞いてみると、師匠は少しだけ難しい顔になって口を開く。

「一般的には変わらないとされているが、魔物も生き物なので体調や栄養状態で多少の差違は生まれる。特に希少種の場合は男を誑かすために髪や肌の艶に気をつけているので、人間よりもよほど食生活に気を使っている個体もいる」

「……そうなんだ」

 魔物も大変だな……。


 その日は森の中で野営する。二~三日程度で私一人なら、気配を消して火も使わずに木の上で眠るけど、今回は二人なので魔物避けの香を焚き、そこら辺の野草やキノコ類と干し肉で適当な汁を作って食事とした。

「……無愛想弟子。お前の作る飯は、相変わらず野趣溢れているね」

「栄養は摂れている」


 そこから二日ほど移動して河が見えた辺りで森の斜面を登っていくと、下に河が流れる渓谷の山頂部が見えてきた。

 この河で商業ギルドが船を使って海沿いの貴族領と交易をしているのだが、いつからか偶に襲撃をしてくる鳥の魔物が姿を見せなくなり、その代わりに渓谷の上方で蜘蛛の巣とアラクネらしき影を見かけるようになったという。

 商業ギルドは冒険者を雇って船を護っていたが、冒険者の姿があるとアラクネは姿を見せないそうで、それだけで防げるのなら、こんな森の奥まで積極的に討伐するほどではないと放置されているのが現状らしい。


「それじゃ、行ってくる」

「しっかりおやり」


 まずは渓谷にいるはずのアラクネをおびき寄せる必要がある。

 そこで闇エルフである師匠が出るよりも、女で子供である私が一人でいたほうがおびき出しやすいと考え、私一人が渓谷の裂け目に向けて歩き出した。

 師匠は魔術師としてはランク5だが近接戦闘スキルはレベル3なので、今なら私のほうが囮には最適だ。それにナイフ程度しか持っていない私は、はたから見ればただの旅人にしか見えないと思う。

 もちろん、こんな森の奥に子供が一人でいるのは不自然なのだが、希少種ならともかく知能が低い通常種ならただの獲物に見えるはず。


 40メートルくらいの幅がある渓谷の山頂部、その近くの岩に腰掛けて休憩するように時間を潰していると、私の“目”に視える魔素に乱れが映る。

「っ!」

 タンッ、と地を蹴るように身を翻しながら外套を脱ぎ捨てると、飛んできた“糸”に外套が絡め取られて、一瞬で引き寄せられた。


「――【大旋風(タイフーン)】――」


 その瞬間を狙って隠れていた師匠からレベル5の風魔術【大旋風(タイフーン)】が放たれ、荒れ狂う暴風が私を狙っていたアラクネを宙へ吹き飛ばした。


『ギィイイイイイィイイイイイイイイイイッ!!!』


【アラクネ】【種族:魔物蜘蛛】【ランク4】

【魔力値:132/150】【体力値:386/435】

【総合戦闘力:697(身体強化中:831)】


 二メートルほどの蜘蛛に生えた人間の上半身……間違いなくアラクネだ。

 【大旋風(タイフーン)】は効果範囲こそ大きいが、間近でなければ人間を吹き飛ばす程度の威力しかない。飛ばされて奇声を上げながら地に降りたアラクネの、その上半身が人間のような姿からゴブリンのように歪んで私を睨み付けた。

 その時にはもう飛び出していた私がナイフを投擲すると、尻ではなく蜘蛛の頭から糸を出してナイフを絡め取る。


『ギィギッ!!』

 アラクネが人の頭部のほうから毒液のようなものを吐き出した。

「――【魔盾(シールド)】――」

 とっさに出した魔盾で防ぎながら横に飛んで躱すと、私の背後から飛んできた師匠の【旋刃(ギロチン)】がアラクネの脚の一つを斬り飛ばした。


『ギィイイイイイイイイッ!!』

 悲鳴をあげつつ下がろうとするアラクネに、私は斬撃型のペンデュラムを放つ。

 また蜘蛛の頭が糸を吐いて絡め取ろうとするところを、私は糸を操作してアラクネの糸を躱して、その首を浅く斬り裂いた。


 次の瞬間、頭上から私とアラクネを押し潰すように大岩が降ってくる。

『ギィッ!?』

 それに気づいて逃げようとしたアラクネの背中に、横手に回っていた師匠から放たれた三本のナイフが深々と突き刺さる。

 私は風圧さえ感じない師匠の幻術の大岩を突き抜けると、そのまま混乱しているアラクネの右腕を黒いナイフで斬り飛ばした。

 だが、さすがにランク4。まだ致命傷ではないし、受けた攻撃もことごとく急所を外されている。


 両手にナイフとダガーを構えて迫る私に、また毒を吐こうとしてその背後から迫る師匠に気づいたアラクネは、その不利を察したのか突然、ゴブリンのように歪んでいた顔を人族の綺麗な女性のように変えて、怯えた表情を見せつけた。


 だけど、今更“それ”に何の意味がある?


「――【突撃(スラスト)】――」

「――【斬撃(スラツシユ)】――」

 私の黒いナイフと師匠の鉈がアラクネの首に左右から打ち込まれて鋏のように斬り飛ばし、驚愕と怯えの顔を張り付かせた“人間の顔”が渓谷に落ちて消えていった。

 アラクネの脳は人の頭部と蜘蛛の頭部に二つあるけど、蜘蛛のほうは小脳のような役割で単体では本物の虫程度にしか動けない。

 念の為に蜘蛛の頭にもトドメを刺すと、師匠がしみじみと呟いた。


「人の顔したくらいで、私たちが躊躇するような人間に見えたのかねぇ?」

「さあ?」


 自分を喰らおうとする相手に手加減をするはずがないでしょ。

 私一人なら手間取ったはずだけど、師匠が私に合わせてくれたので、ほとんど苦戦することなくアラクネを倒すことができた。これがパーティー戦闘か……ソロとはこんなに違うんだね。

 討伐した蜘蛛の胴体を処理していると、師匠は持ってきた荷物の中から簡易の錬金器具を取り出し、ニヤリと笑って私に差し出した。


「時間の勝負だよ、無愛想弟子。ちゃんとした糸が欲しかったら、半刻以内にここの材料で糸を作る薬品を作ってみなっ」

「……了解」

 相変わらず厳しいと思いながらも“懐かしい”と感じて、私は錬金器具を受け取り急いで薬品の製作をはじめた。


   ***


 その日、クレイデール王国の王城にて、王太子の正式な婚約者となった三人の貴族令嬢たちが一堂に会していた。

 ダンドール辺境伯令嬢、クララ・ダンドール。

 フーデール公爵家令嬢、パトリシア・フーデール。

 レスター伯爵家令嬢、カルラ・レスター。

 どうして今日ここに集められたのか、彼女たちは何も知らされていなかった。上級貴族の令嬢である彼女たちは、王城に赴く際にも数名の従者と護衛を連れてくることを許されているが、ここへは一名だけ入室が許されているだけで他の者は別室にて待機させられている。


(……退屈)

 他の二人が緊張した面持ちでいるのに対し、この中で一番年下のカルラは緊張感もなく退屈しきっていた。


 カルラは父の方針により幼い頃より全属性を得る実験をされ、その結果として他家との繋ぎを作る貴族令嬢としての“意味”をなくした彼女に、その父は最後の役割として王太子妃を押し付けてきた。

 王家としても健康に難のあるカルラに何かを期待しているのではない。ただ単に国内の繋がりを強化する“手駒”として使われているに過ぎなかった。


 本来ならこのクレイデール王国では、二代に一人は国外の王族から王妃を迎える。

 それによって隣国との繋がりを強めて、他の大国との政治的な問題に対処していたのだが、国内の有力貴族と縁を繋げ、繋がりを強化するはずだった現国王が婚約者候補でもなかった子爵令嬢を第一王妃としたことで、国内の派閥対立が激化してしまった。

 前国王が責任を取る形で王太子に王位を譲って王家の地位安定も図ろうとしたが、それでも国内の反発は治まらず、再び国内の有数貴族家から王妃を娶るしかなくなり、その結果、次に輿入れ予定だったソルホース王国の王族とは亀裂が生じている。


 それについてカルラは思うことはない。王太子という“玩具”を得る機会を得られたのだから、国がどうなろうと知ったことではない。

 無垢な王太子を穢すことで“死ぬ”まで遊べるだろうと考えていたのだが、ある少女と出会ったことで、カルラは初めて自分の人生が色付いた気がした。

 冷酷で無慈悲な死の天使。彼女だけが自分を分かってくれる気がした。彼女だけが自分と同じ線の上に立っていた。


(沢山の血の花咲く園で、アリアと殺し合えて死ねたらなんて素敵なのでしょう)



「王太子エルヴァン・フォン・クレイデール殿下、第一王女エレーナ・クレイデール殿下、ご入室いたしますっ」


 カルラが素敵な夢を思い描いていた時、会場の扉が開いてこの国の王太子と王女が入室する。

 カルラの王太子への興味は多少薄れたが、その代わりに第一王女のエレーナに興味を抱くようになっていた。入室する王太子から視線を移してその後に続くエレーナに目を向けると、王女は他の婚約者ですら視線を逸らすカルラに、ジッと警戒するような強い視線を向けてくる。


 エレーナは、以前は兄である王太子に纏わり付いていたはずだが、三年前辺りからその執着は一般的なものにまで落ち着き、一人の王族として貴族派に付け込まれないよう毅然とした態度を取るようになっていた。

 何が原因で彼女をそう変えたのか? ほとんどの者はただの成長と見ているが、カルラはその変化に“興味”を引かれた。


 それから少しして、宰相とカルラの父である筆頭宮廷魔術師を連れて、国王陛下が入室してきた。

 謁見ではなく、王族の子とその婚約者を集めて話す内容とは何なのか?

 皆が固唾を呑むようにして身を固くしていると、国王陛下が子供たちの顔を見渡して、直接口を開いた。


「其方たちには王家の一員として、一年後にフーデール公爵の飛び地である離島のダンジョンを攻略してもらう。その地で“精霊”に願い得たその【加護(ギフト)】を、国のために使うことを願う」


 王のその言葉に一瞬の沈黙の後、ざわめきが生じ、その影でカルラだけが薄く笑みを浮かべた。



アリアは新しい糸を得て、物語はアリアの思惑とは関係なく動きいていきます。

久々の乙女ゲームパートです。この内容がこれからのアリアにも関わってくるので、覚えておくと四章がわかりやすいかもしれません。

書かなくてはいけないことが多すぎて困ります(笑)

頑張りますので応援宜しくお願いします。


捕捉

王家の次世代が【加護】を得ようとするのは、今回だけの話ではなく代々続いています。

だからといって必ずしも加護が得られるわけではありません。

現在の国王や前国王も加護を持っていませんが、先代の第二王子が加護を得て早世しております。


次回はヴィーロとの待ち合わせの場所へ。

次は多分、水曜予定です。


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