86 懐かしい場所
移動回です。
「アリア……お前なぁ、お師匠様を置いて一人で帰りやがって。あの後、早馬で戻ってきた
「うん、ごめん。ありがとう」
やっぱり面倒なことになったみたい。だからといって知らせないわけにはいかないので、情報だけ渡してほとんど丸投げしてきたけど、あの町にいた斥候が優秀だったみたいですぐにオーク壊滅の情報を知らせに来たようだ。
「これから領主もギルドも大変だね」
「他人事だな、おい。でもまあ、襲われるよりマシだろうな」
ガルバスの工房で待っていた私と戻ってきたヴィーロは、とりあえずこれからの予定を調整する。
私も本調子ではないし、ヴィーロももう一人のメンバーを迎えに行くと言うので、私たちは三ヶ月後にクレイデール王国の西にある、ヘールトン公爵領で待ち合わせることにした。
それだけ時間をかけるとグレイブが移動する可能性もあるはずだが、その場合はダンドールなどの大きな街の冒険者ギルドに私宛の伝言を残すと言っていた。
これで師匠の所に寄る時間は出来たけど……
「この依頼って、やっぱりあの“組織”から?」
念の為に確認すると、ヴィーロは軽く腕を組んで珍しく真剣な顔になる。
「お前、まだあの組織を疑ってるのか? グレイブが裏切った理由は分からないが、少なくともお前の抹殺を組織が命じたわけじゃない。そんな理由もないって言うか、そもそもグレイブがお前を襲った理由が意味不明だ」
「グレイブはあの時、貴族が私に興味を持ったからだと言っていた。王家に近づきすぎたとも。どういう意味?」
王家の話は、私がエレーナと近づきすぎたからだろう。貴族の件は……まだ私を捜している血族がいるのだろうか?
「それは……わからんな。セラ辺りなら分かるかもしれんが、聞いてみるか?」
「いらない。もうしばらく組織とは、警戒は止めるけど距離は置いておく。それでもいい?」
「別に俺も組織の人間じゃないから、良いも悪いもねぇよ。ただ、セラとその息子くらいにはお前の生存を知らせて良いか?」
「そうだね……いいよ」
「それとな。お前がこれからも王女と関わるとしたら、あの組織とも関わることは覚悟しておけ。今だから言うが、あの組織は、この国の“暗部”だ。お前が冒険者として生きるつもりでも、お前ほどの実力があれば、いつかは関わることになる」
「……了解」
エレーナの時点で予想はしていたけど、この国の諜報機関である暗部組織か。全国規模の情報網があり、表側の権力さえ行使できる暗部は、敵対するとしたら暗殺者ギルドよりも厄介だ。その時点で国から逃げるくらいしか方法は無くなる。
……そろそろ覚悟の決め時か。
今までは逃げてきたけど、私はもう逃げないと決めた。もしそこに“乙女ゲーム”とやらに関わる人間や私を捜す家族がいるとしても、私は実力で排除する。
実力が足りなければ……その時は、“お人形”として生きるくらいなら命を捨てる覚悟もしておこう。
それまでに私は少しでも強くなる必要がある。
私の運命は、“私”だけのものだ。
ガルバスより黒いダガーと研ぎ直した投擲ナイフを受け取り、三ヶ月後と約束をしてヴィーロと一旦別れた。
ヴィーロが迎えに行くメンバーとは、引退した元パーティーメンバーらしい。
そういえば魔術師が引退して代わりを捜していると聞いたような気がする。その人を迎えに行くのなら、まだ新しい魔術師は見つかっていないのだろう。それにしても……確か高齢で引退したはずだけど、大丈夫なのかな?
私が師匠の所に戻るのは、身体が本調子でないのもあるけど、他にも大きな理由が二つある。
ペンデュラムの糸は二年前に作ったけど、色々と戦闘で使った結果、今ペンデュラムに結んである2本しか残ってない。新しいペンデュラムが四つになったので、その予備を含めたらその倍は欲しい。
それに、ゴルジョールを倒した最後の技――“原初の戦技”のことも聞きたい。普通なら使うのも命懸けだけど、師匠なら何か知っているのではないかと思った。
この男爵領から師匠の所まで、トーラス伯爵領やダンドールを経由すると、どれだけ急いでも一ヶ月以上かかり、そこからヴィーロと待ち合わせたヘールトン公爵領までも一ヶ月半はかかるはずだ。
ヴィーロが仲間を迎えに行く場所は王都から二週間前後のワンカール侯爵領なので、彼らが待ち合わせに遅れるとは思えないので私が遅れるわけにもいかない。
……やはり移動手段は必要か。
この行程だと師匠の所には一週間程度しか居られない。だから私は行程の短縮のために、危険地帯の森を通ることにした。
この“ホーラス男爵領”から師匠のいる“セイレス男爵領”までの直線上は、魔物が跋扈する深い森が広がっている。
そこから北側は“魔物生息域”になっているが、その場所はクレイデール王国の領土ではない。だけど、その森まで国境線が引かれて領土になっているということは、そこまで探索して、国境となる魔術の境界を施した人間がいたはずだ。
国境があるから人跡未踏の地ではない。そこまで立ち行った人がいるのなら、最低でも国境線沿いに人が通れる“道”があるはずだと考えた。
町で塩や砂糖を多めに買い、予備の外套も買っておく。ヴィーロが魔石の代金も受け取ってくれたので、足止めされることがなくて色々と助かった。
ちなみにオークの魔石が銀貨2枚。ソルジャーの魔石が金貨2枚で、ジェネラルであるゴルジョールの魔石は大金貨3枚にもなった。
合計で大金貨5枚弱。かなりの大金だが、素材を回収できたらこの倍はいったはず。それを回収せずに残したのは、私では運びきれないのと、他の冒険者たちの報酬を残したかった、という馬鹿な理由だ。
体力も魔力もまだ七割以上に回復しない。それでも今は充分だ。戦いに行くのではなく切り抜けるだけなら、今の状態でも何とかなるだろう。
最後に露店で質の良さそうなドライフルーツとナッツがあったので購入し、黴の生えそうなものだけを無菌状態の【
隠密を使いながら六割程度の速度で走り出す。魔力量を調整しながら適度に身体強化を使えば、無理をせずに一日60キロ以上は走れるはずだ。
ただ、それはあくまで平坦な道があることが前提になる。深い森に入れば平坦な地形のほうが少なくなり、移動速度は格段に下がるだろう。
そうなる前に魔力制御を使って身体強化の鍛錬をする。
あの“原初の戦技”を使った時のように魔素から属性を取り除き、暴走しようとする魔素を意志の力で抑え込む。
暴走さえしなければ、身体強化は通常の力しか発揮しないが、魔力制御の鍛錬はけして無駄にはならない。
今やっている試みは、魔素の流動性を高めることで、少ない魔素で扱う身体強化の効率を上げることだった。
それにしても……身体に魔素を使うことに慣れすぎたせいか、身長は伸びても手足が太くならない。
筋力が無いわけじゃない。ちゃんと全身に筋肉は付いているんだけど、脚は細いままだし、腹筋も割れているように見えないのはどういうことだろう?
筋組織が魔素を使うことを前提とした“魔物化”しているとしても、オークやフェルドはあんなに筋肉ガチガチだったのに……
街道から離れて森に入ると、前にやったように木の葉が堆積した地面に足を着けず、岩や倒木に飛び移るように移動する。
途中で見つけたゴブリンや魔狼には手を出さない。そもそも隠密を使っている私に、魔物たちは気付きもしなかった。
私は意味もなく生き物を殺す趣味はない。
動物を殺すのは“食べる”ため。
魔物を狩るのは成長の“糧”とするため。
人を殺すのは、問題を解決するのにもっとも“合理的”だからだ。
だから私は、“敵”を殺す時に何か“想う”ことはなく、感情で他者を殺さず、情けをかける理由もない。
だから私は生きることに迷わない。
深い森を影となって駆け抜け、見つけた果物や保存食だけで食事を済まし、疲れを感じたら木の上で小まめに睡眠を取る。国境線の精確な位置は分からないけど、森を進んでいると大きな岩や崖に“人”の痕跡を見つけることが出来た。
それが“道”だ。この道は人が住む場所へと続いている。
それでもさすがに魔物生息域に近いせいか、強い魔物を何体か見かけた。
ランク3上位の魔物であるオーガ。ランク4のトレント。ランク5のグリフォンやトロール。
特にグリフォンは私のほうが先に見つけたので回避できたが、先に見つかっていたら死亡する確率のほうが高かった。
「……見えた」
そんな死と隣り合わせの危険な森を抜け、十日もすると岩場の上から森の隙間に広い湖を見ることが出来た。
そこは以前にも通ったバッシュ伯爵領と男爵領の境にある湖で、この辺りにある大きな湖はそこしかないのでまず間違いないだろう。
岩場からまっすぐに湖を目指してそこから北上する。ようやく人里に入った私は近くの町で一泊した後、四日かけて三度目となるセイレス男爵領に辿り着いた。
セイレス家のあの姉弟も今頃は学園に通っている年齢なので、二人とも王都に居るのかな? もしかしたら姉のほうは成人して戻っているかもしれないけど、どちらにしろ会いに行く予定はない。
この地を襲っていた“怪人”の問題は解決したので、二人に会う理由はない。
それでもこの地は、グレイブと戦い敗北した場所であり、私にとっては印象深い場所だった。
「…………」
グレイブ……お前は王家に近づく私を危険だと殺そうとした。でも今度は、エレーナに害をなす存在として、私がお前を狩りに行く。
お前にどんな理由があったとしても、私は私の“敵”としてお前を始末する。
師匠の所に顔を出すのは、暗殺者ギルド壊滅の報告に戻ってからおよそ一年近く振りになる。師匠への手土産として大量の塩と香辛料を持って師匠がいる庵に到着すると、また少しだけ薬草畑が大きくなって、知らない野草が植えられていた。
「戻ったよ、師匠」
薬品臭い懐かしい庵の中に入って荷物を下ろす私に、奥の錬金部屋から出てきた師匠は、闇エルフ特有の艶やかな黒い肌の顔をあげてニヤリと笑う。
「遅かったね、無愛想弟子。そろそろ帰ってくる頃かと“準備”をしていたのに、無駄になるところだったじゃないか」
「……準備?」
師匠は私が戻るのを予見していたように慌てもせず、抱えていたポーション瓶を箱に仕舞うとそのまま私に近づいてそっと抱きしめた。
「また少し大きくなったね。でも少し痩せたんじゃないかい? お帰り、アリア」
「うん、ただいま、
こうして私はこの世界でただ一人、家族と呼べる人のいる“家”に帰ってきた。
久々のお師匠様(本物)です。
アリアはちゃんとヴィーロのことも敬っていますが、厄介ごとも多いので扱いが雑です(笑)
次回、セレジュラがしていた準備とは?
次はまた日曜日の更新予定です。
また地図を載せておきます。今回の移動は北側でした。