76 小さな町
ジルたちの故郷だが、この男爵領周辺の地理情報はギルドで公開していた。
詳しい地理となると軍事情報になるけど、そこに向かうだけの地理情報なら問題はないし、もう少し詳しい情報もランク3になった私なら閲覧できる。
「あの町に行くのですか?」
「……止める?」
あの受付嬢が地図を見る私を見つけて声をかけてきた。別に止められても行くつもりだけど、それを問い返すと受付嬢は小さく首を振った。
「あなたの年齢的には止めたいところですが、実力的にはあなた単独のほうが他の冒険者よりも生還率は高いでしょう。ただし無茶をしてはいけませんよ。当ギルドはランク3の斥候に現地の情報を持ち帰ることを期待します」
「……情報は買ってくれる?」
「もちろんです」
私と彼女は小さく笑い、彼女からオークの最新情報を貰った私は、その後も丸一日情報収集に費やし、翌日にこの町から出発した。
私に絡んできたあの冒険者とは会わなかった。会ってどうするつもりもないが、町の外で絡んできたなら、今度は相手が刃を抜くまで待つ必要もないだけだ。
危険地域に行くわけだから当然乗り合い馬車も出ていない。商人も馬車を出していないそうなので、念の為に塩だけは多めに買っておいた。
まぁ、どうせ私は馬車なんて使わないけど。
ジルとシュリの故郷の町は、男爵が住む町から馬車で一日、徒歩で二日半の距離にある。
北門から出て少し歩いてから徐々に速度を上げて、最高速の六割程度で街道を駆け抜けた。
周囲に森が増えたあたりで魔素の色を周囲に合わせて隠密を使い、暗視で周囲を警戒しながら身体強化した脚の筋力で音を消す。
魔物生息域に近いため国境近くには魔物が多く出没する。それでも町に近い街道ならあまり出ないとは思うけど、ギルドで調べたかぎりではこの辺りの街道でも魔狼や角兎が偶に出るらしい。
「あ、」
突然目の前に横手の森からホブゴブリンが出現した。
その瞬間に私は隠密状態のまま全力の身体強化を施し、特殊な足捌きによる歩法で飛び越えるようにホブゴブリンの側頭部を踵で蹴りつけると、その勢いを使って黒いダガーを首筋から脳に突き刺し、そのまま頭を踏み台にして飛び越えた私はホブゴブリンが倒れる前にそのまま走り抜けた。
……少し吃驚。
ここら辺にいないはずのホブゴブリンが居たと言うことは二つの意味がある。
まず、オークの集落が問題なく存在し、元々その周辺にいた魔物たちが他の地域に流れはじめている。
そしてこんな街道にも魔物が出てくると言うことは、巡回するはずの兵士がいない。もしくは何処かに立て籠もっているのだと思われる。
男爵側もだいぶ混乱しているな……
手持ちの兵力ではオークを駆逐できるか分からない。なので、おそらくは寄親であるトーラス伯爵に救援を求めて、それまで兵の損耗を抑えているのだろう。
けれどそれは正解とは言えない。
トーラス伯爵が救援に応えても、兵をまとめてこの冬の時期に兵糧を集めて出兵するとなると、ここに着くのは最短でも二ヶ月先で、下手をすれば春になってからの出兵もあり得る。
同様に冒険者ギルドも同じだろう。
ギルドにとって冒険者は“資産”だ。最高でもランク3しかいない現状では下手にギルドからの依頼を出すこともできず、ダンドールやトーラス伯爵領のギルドにランク4パーティーがいれば、彼らを送ってもらう要請をする程度しか出来ないはず。
数ヶ月すれば状況が変わる。でもそれまで小さな町は持たない。
私は途中で仮眠を取りつつ夜通し駆け抜け、翌朝にはギルドで確認したその町へと到着した。
人口はおよそ二千。住民の半数以上は農業で生計を立てており、小さな町と言うより大きな村という印象だ。
町の外にも畑が広がっているが手入れをされている様子はない。その奥に遠くに見える町は人の身長程の石壁に覆われているが、あれでは獣やゴブリンの襲撃なら防げてもオークの攻撃に何度も耐えられるとは思えない。
だからこそ、その周りを丸太や木の杭などで補強しているのだと思うけど、それでもやらないよりマシと言った程度だった。
「おい、そこのあんたっ、この町に何の用だっ」
私が町に近づくと、閉じられた門の内側にある櫓の上から、兵士らしき男が声をかけてきた。
「冒険者だ。昔住んでいた住人から町の様子を確認してくれと言われた」
「冒険者? あんたみたいな女の子が?」
「入れてくれないの?」
「あ、ああ、すまん。門を開けるからすぐに入ってくれ」
兵士が慌てて櫓から降りると、重たそうな門が軋みを立ててわずかに開く。
「すまんが、すぐに閉めるからそこから入ってくれっ」
「わかった」
50センチ程開いた門の隙間から町に入ると、すぐさま二人の兵士が門を閉めて太い閂をかける。
「ふぅ……冒険者だって? あんたこの町の状況を知ってるんだろ? 正直戦力になるのならありがたいが……」
「分かってる」
私が背負っていた荷物をそのまま渡すと、中を確認した最初の兵士が目を輝かせた。
「こいつはいいなっ。商人が来ないから少量でも助かる」
戦力になるならともかく、籠城している今だと戦わない旅人に回す食料も惜しいのだろう。
私が持ってきたのは3キロの塩だ。塩分が足りなくなれば身体が塩を求めて味覚が変化する。住人の分としたら足りないが、兵士や壁の補強をしている人たちなら汗をかくだろうから、商人が来なくなって町から配給された分では足りないだろうと思って持ってきた。
「それで、状況はどうなってるの?」
これでまともな飯が食えると喜んでいる兵士たちに声をかけると、途端に彼らの顔が暗くなり、二人の兵士が交互に喋り始めた。
「……オークのことは聞いてるだろ? 数週間前にオークの集団がやってきて壁の外で働いていた農民が犠牲になった」
「領主様に頼まれたっていう冒険者が来たんだ。そいつらが調べたら、なんかすげぇ数のオークが居るって……」
「たぶん、オークどもが居るのは10年前に廃村になった場所だと思う。雑食性のあいつらは壁の外にある農作物を持っていった。だけど、それがなくなったらこっちを襲いに来るだろう。それまでに領主様の軍が来なかったら……なぁ、冒険者ギルドはどうなってるんだ? 誰かこっちに……」
その時、町の集落のほうから鎧を着た冒険者らしき四人の男たちがこちらに駆け寄ってくるのに気付いて、私たちの会話が止まる。
「おーい、何があったっ!?」
「あ、お前はっ!」
彼らは冒険者ギルドで私に絡んできた男と、その仲間たちだった。
さすがに斥候に扮していた盗賊はいないようだが、私の姿を見つめて絡んできた男が私に詰め寄ってくる。
「お前、何しに来たっ!」
「待て待てっ! 何があったか知らないが止めろっ、ケビンっ!!」
そういえばこの男――ケビンはこの町の出身だと言っていたな。食って掛かるケビンに、塩を渡した効果があったのか知り合いらしき兵士が止めに入ってくれた。
それを見てケビンの仲間たちも便乗して彼を止めはじめる。
「そうそう、止めとけって。この嬢ちゃん、結構強いんだろ?」
「そうですよ。そういえばランク3にはなれたのですか?」
「うん」
念の為に警戒しつつ、ワンピースの詰め襟を開いてタグを取り出すと、それを見て彼らだけでなく兵士たちも驚いたように声を漏らした。
「……チッ」
ランク3のタグを見てケビンが舌打ちをして一歩離れる。
「それで、何しに来やがった」
「知り合いにここの様子を見てくるように頼まれただけだ。家族や友人がいるらしい。それよりも住人達は逃げないの?」
軽く尋ねたその一言にケビンが目を見開いた。
「お前に何が分かるっ!! ここの連中は生まれた時からここで生きてきたっ、ここでしか生きる術を知らなくて、自分の畑と一緒に死ぬって奴もいるんだっ!」
「ケビンッ!」
「もうやめろって」
また私に食って掛かろうとするケビンを仲間たちが掴んで止める。
このままでは埒があかないと思ったのか、最初の兵士が溜息を吐きながらも教えてくれた。
「他の町に親戚がいる二割程度はすでに町を出ている。他の連中も逃げられる奴は少しずつだが逃げ出している。だが、そのバカの言うとおり、外で生きていけない老人や、病人を抱えた家族とか、三割くらいの住人は逃げることができないんだ。……なぁ、冒険者ギルドは何かしてくれないのか?」
「無理だな。ランク4パーティーがいない現状ではギルドは動かない」
「そうか……」
「……お前が本当にランク3なら何とかしやがれ」
仲間に押さえられたケビンが私を見てそう吐き捨てる。
そうか……
「その人を放して。少し相手をしてあげる」
「ちょっと待ってくれ、こいつも気が立ってるだけで」
私の言葉に、ケビンを押さえていた仲間の一人がどちらを心配しているのか、私を止めにきた。
「知りたいんでしょ? “ランク3”を」
「このやろうっ!!」
私の挑発に激高したケビンが剣を抜いた。
さすがに刃物沙汰は見過ごせないのか、兵士たちが止めに入ろうとした一瞬前に、私はレベル3の【威圧】を“殺気”と共に解き放つ。
『――ッ!?』
「…う、うああああっ!!」
その場の全員が私の殺気に硬直する。その中でケビンだけが顔を引きつらせながらも剣を振るってきた。
その剣を掻い潜った私の掌底がケビンの顔面を打ち据える。大きく頭を弾かれた彼の腕の関節を打って剣を落とさせると、そのまま無防備な胸と腹に両手を使って拳打を叩き込んだ。
ダガーは使わない。お前は私の十倍以上の時間、その剣を振るってきたのだろう。でも、お前の剣には“威”が足りない。
私に剣を向けていながら、私を殺す“覚悟”がない。
私を目で追うことさえ出来ない彼の腕、腹、胸、肩、内臓の位置に容赦なく殴打し、一方的にケビンを叩きのめした。
『…………』
「…ぅ…ぁ……」
ズタボロにされて仰向けに倒れるケビンと、わずか十秒でそれをした私に怯えたような視線が注がれる。
「お前の“敵”は誰? お前が剣を振るう“理由”は何?」
私はお前を否定しない。お前が“自分”の理由で剣を私に向けるなら、その時は一人の人間として殺してやる。
「………ぐ」
ボロボロになりながらもケビンは怒りに満ちた瞳で剣を握り、痛みに耐えるように身を起こす。
「俺は……この町の…人を救う」
「ならばそうしろ」
私は彼から離れて、周りの人たちに向き直る。
「冒険者のお前たちは、オークを警戒しながら町の住民を逃がせ。そっちの兵士。逃げられる住民の避難が終わるのにどれくらいかかる?」
「あ、ああっ、五週間…いや、四週間くれっ! この町の兵士で何とかするっ」
「それでお願い」
「……あなたはどうするんですか?」
不安な視線を向けてくるケビンの仲間に、私はちらりとケビンに目を向ける。
「彼が言っていたでしょ? “ランク3が何とかしろ”って」
今の彼らの顔ならきっと大丈夫。
これで私が何かしなくても住民の避難は彼らが何とかしてくれるだろう。これで私は自分の“仕事”をすることが出来る。だから――
私は黒いダガーを抜き放ち、オークの集落があるという廃村の方角へ顔を向けた。
「一ヶ月。その時間は私が稼ぐ」
それが、私がした“約束”だから。
アリアはあえて殺さないという選択をしました。
ジルたちとの約束のため、独りで一ヶ月間の時間を稼ぐとアリアは決める。
次回、オークの拠点へ。スニークミッション。
たった一人、少女の戦いが始まる。