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73 始まりの場所



「久しぶり……」


 街道から見える小さな町を見つめて、口の中で呟いた。

 各地を転々としていた私は、二年半ぶりにあの孤児院があったホーラス男爵領に帰ってきた。

 別にここが故郷だと思っているわけじゃない。実際この領だとは思うけど、幼かった私は家族と住んでいた町がどこかも覚えていない。

 良い思い出がある土地じゃない。

 それでもここに戻ってきたのは、約束の一つを果たしたかったからだ。


 あの孤児院のあった小さな町を通り抜けても、私を覚えている人は誰もいなかった。

 私も孤児院の外にはほとんど出たことがなかったので、誰か知り合いがいるわけでもないけど、それでもこの町によったのは、“何となく”としか言いようがない。


 焼いた粉ものを売る屋台(腹は膨れるが美味しくはない)で聞いたところ、あの老婆がいなくなってからクルス人の神父が孤児院の面倒を見て、それからは孤児院もだいぶマシになったらしい。

 けれど、その神父も半月ほど前に引退して、次の管理人が領主から送られてくるまで町の人間が交代で孤児の世話をするそうだ。

 ……孤児が虐待されているのを見て見ぬ振りをしてきた住人に世話が出来るの?

「………」

 別に孤児たちが気になったわけじゃない。

 私がいなくなった後の孤児院に少しだけ興味があっただけだ。


 記憶が曖昧なので少し迷ったけど、問題なく懐かしくもない孤児院に到着する。

 クレイデール王国が温暖な土地でも、今のような冬の季節は、碌な食事もなく薄い毛布だけで土間で寝る夜は、とても寒かった記憶がある。

 通りから中を覗いてみると、少し身綺麗になって少し健康そうになった孤児たちが、覇気の無い顔で庭で洗濯や掃除をしていた。


 ――おら、食い物出せよ――

 ――……や、やめて――


「…………」

 孤児院の裏門に続く路地のほうから微かにそんな声が聞こえてきた。

 何となくそちらを覗いてみると、薄汚れた服を着て腰にナイフを帯びた、たぶん成人したばかりのような若い男が孤児院の女の子に絡んでいた。


「これを渡したら小さな子のご飯が……」

「はぁ? 俺がいた頃もガキ共は食ってなかっただろっ」


 ……ああ、思い出した。

 女の子のほうは私の三つか四つ上で、老婆の代わりに食事を作っていた子だ。

 そして若い男のほうは、小さな子から食事を奪って仕事を押し付けていた年上の孤児だった。

 いや……年齢からしてもう“孤児”ではないのか。

 本来なら孤児院にいる成人間近の子供は、職業訓練のような形で職人などに奉公に出るのだが、あの老婆は孤児たちをこき使うか“売る”ことばかり考えていて、そんなことはしていなかった。

 それでも雑事をこなしていればそれなりに何か出来るようになるものだが、他人に仕事を押し付けていたあの男は、成人と共に孤児院から出されて、町のチンピラにしかなれなかったみたい。


「……何見てんだ、てめぇ」

 見ていたら絡まれた。

 当時の感情も思いだしたせいで、少しだけ気配が漏れ出てしまったようだ。ソイツは私を見て若い女だと気づいたのか、肩を左右に揺らすようにして近づいてくる。

「てめぇ、冒険者か? 冒険者なら金を持ってんだろ? 恵まれない孤児のためにちょっと置いてけや」

「お前が孤児のようには見えないな」

「俺も元孤児さまよ。だったら恵まれない俺は、孤児院の金を貰ってもいいだろ」


 訳の分からない理論で金を置いて行けとコイツが言うと、その後ろからさっきの女の子が声をあげる。


「知らない人を巻き込まないでっ、私の分ならあげるからっ!」

「そんなもんで足りると――」


 ゴギュゴッ!!


「ぎぎょっ!?」

 一瞬で踏み込んだ私が、ソイツの顎を身体強化込みの掌底で打ち抜いた。

 右手のグローブの内側には、最悪の場合刃を止められるように薄い魔鋼板を仕込んである。そのせいか手の中で顎の骨がぐしゃぐしゃに砕けた感触がして、男が奇妙な声をあげて仰向けに倒れた。

 この程度なら治療院で【治癒(キユア)】をかけてもらえば多分治る。その金がないのなら一生固形物が食えないだけだ。

 私にも孤児の目の前で元孤児を殺さないだけの分別はある。


「邪魔をした」

「ま、待ってっ」

 痛みで気絶した男の襟首を掴み、ゴミ捨て場にでも捨ててこようと引きずりだすと、女の子が私を呼び止めた。

「巻き込んでごめんなさい……それと、」

 彼女は私の顔をジッと見て自信なさそうに声を漏らした。

「もしかして……前に孤児院(ここ)にいなかった?」

「……気のせいだ」

 短くそう言って男を引きずって歩き出すと、もう彼女は声をかけてこなかった。

 ……でも、今の私の姿を見てよく気づいたな。


 暗殺者ギルドの北辺境支部を潰してから、もう一年以上が過ぎて、私も10歳になっている。


【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク3】

【魔力値:221/240】【体力値:178/190】

【筋力:9(12)】【耐久:9(12)】【敏捷:13(17)】【器用:8】

【短剣術Lv.3】【体術Lv.3】【投擲Lv.3】【弓術Lv.1】

【防御Lv.3】【操糸Lv.4】

【光魔法Lv.3】【闇魔法Lv.3】【無属性魔法Lv.3】

【生活魔法×6】【魔力制御Lv.4】【威圧Lv.3】

【隠密Lv.4】【暗視Lv.2】【探知Lv.4】【毒耐性Lv.3】

【簡易鑑定】

【総合戦闘力:576(身体強化中:691)】


 さすがにランク4の壁は厚い。幻術系は無詠唱でも使えるようになり、戦闘以外での技能(スキル)はレベル4に上がったものもあるけど、身体技能系はまだ上がらない。

 一度だけ師匠の所にも報告を兼ねて顔を出した。狙われているので長居は出来なかったけど、光魔術の呪文を習い、光魔法のレベルが上がったおかげで魔力制御がレベル4にはなったが、まだそれだけだ。

 そもそもランク4に上がれる人間のほうが稀なのだ。

 あの女の“知識”で喩えるのなら、“おりんぴっく”とやらに出場できるのがランク4だとすると“きんめだる”を取れるのがランク5だと思えばいい。

 十代の半ば程度でそれを成そうとすれば、人生をかけるほどの修行と独自の技術が必要になるだろう。


 それでもこの一年でだいぶ身体も出来てきて、手応えは感じている。

 襲ってきた暗殺者や盗賊の数もたぶん五十は超えていて、私はその全員を返り討ちにしてきた。

 実戦は修行だ。そしてそれは確実に実を結びはじめている。


 でも私が一番変わったのは“容姿”だろうか……

 魔力がまた増えたせいで私の外見年齢は13~14歳ほどにまで成長している。

 あの女の“知識”にある第二次性徴とやらで、外套を纏っても男に見られることはほぼなくなった。

 今の私の服装も今の体型に合わせてゲルフに作ってもらったものだ。

 ヘルハウンドの革で作った、ノースリーブに膝上丈の真っ黒なワンピースで、スカートの内側の腿につける専用のナイフホルダーも作ってもらっている。

 スカートの左側にはスリットを付けてもらったので、とっさにナイフの抜き撃ちも出来るようになった。

 耐刃性と耐火性に優れたかなり良いものだが、ゲルフには金貨十枚以上の金は受け取ってもらえなかった。


 体型が変わり、今までなかった部分に肉や脂肪が付いてバランス調整には苦労したけど、成長したせいかステータスも上がったのだから悪いことばかりじゃない。

 ……ただし、そのせいで奇妙な“二つ名”が付いてしまったけど。


 でも不思議なのは、筋力値が大人並みに増えているのに、腕や脚の太さがそれほど変わっていないことだ。

 多分だけど、色々な知識を交えて考察すると、身体機能が筋力だけでなく魔力を使うことを前提とした身体になり、魔物のような筋肉組織に変化したのだと推測する。

 ……そう考えると、あれだけの筋肉を持つフェルドのステータスは、とんでもないことになっているんじゃなかろうか。


 顎を砕いた元孤児の男をゴミ捨て場に捨て、私はそのままこの地の領主が住む大きな町へと向かった。

 以前は二日近くかかった道のりも、今の私なら一日もかからず走破できる。

 夕方に町を出て、最初の拠点にしていた野営場の近くの森で食事と仮眠を取る。濡らした布で汗を拭い、【浄化(クリーン)】で身体を清めてからさらに移動して、翌日の夕方近くに隣町へ到着した。

 以前なら壁の穴からスラムに入っていたけど、今回は門が開いている時間に来たので正面から入る。


「この町で登録した冒険者か。あまり見ない顔だな」

「王都やダンドールにも行ってたからね」

 その町で登録した冒険者なら町の出入りは自由になる。それでも二年半ぶりなので兵士に誰何はされたけど、タグを確認して問題なく通された。

「久しぶりに来たなら北の遺跡は気をつけろよ。最近は怪我をする冒険者が多くなったと報告があるから、詳しいことはギルドで聞いてくれ」

「……わかった。ありがとう」

 遺跡があり魔物が多いこの地の冒険者はかなり手練れが多いはずだが、どうしたのだろう? まぁ、どっちみち冒険者ギルドへは行くつもりだから、その時に確認すればいいか。


 私は暗くなり始めた空の下、スラム近くの低所得者地域に入ると同時に、私は気配を周囲に溶け込ませるようにして姿を消した。

 私の【隠密】スキルはレベル4まで上がっている。

 初めてヴィーロと出会った時、私が彼の姿を“魔素の色”でしか判別できなかったように、今の私が闇に紛れたら、【探知】レベル1程度では“違和感”さえも感じられないはずだ。


 私はケンドラス侯爵領で買った荷物を抱え直して、目的の場所に向かう。もうすっかり暗くなってしまったが、この時間でも何の問題もないだろう。


「ガルバス、いる?」


 私がそう声をかけると、鍛冶場の火から離れた長椅子でもう一人と酒を呑んでいたガルバスが顔を上げた。

「……おめぇは」

「まさか、“灰かぶり”かっ?」


「二人とも久しぶり」

 ガルバスではなく隣の人物が声をあげる。その場にいたのは、黒いナイフをくれたガルバスと、この鍛冶屋を紹介してくれた雑貨屋の親爺さんだった。


「随分久しぶりだな、って、おめぇ、女だったのか……」

「お前の目は節穴か、最初から女だったろ、節穴爺っ!」

「人族の子供の性別なんて分かるか、馬鹿野郎っ!」

「なんだと、やるかっ、偏屈爺っ!」

「偏屈爺でも容赦しねぇぞっ!」


 ダンッ!

「仕事を頼みたい」

「「…………」」

 侯爵領の探鉱夫が集まる岩ドワーフの集落で買った、特上の火酒をテーブルに音を立てて乗せると、突然喧嘩をしはじめた酔っぱらい偏屈爺二人の動きが止まる。


「おう……酒持参とは、ガキのくせによく分かってるじゃねぇか」

「しかも特上の火酒とは久しぶりに見たな」

「お前さんの仕事ならやってもいいが、くだらねぇ仕事ならしねぇぞ?」

「まずはツケを払う」

 パチン…ッ。

 私は【影収納(ストレージ)】から金貨を出して1枚テーブルの上に乗せた。

「おう、意外と早かったな。だがガキが無茶を…」


 ガシャンッ。

 次に私が持っていた金の全てをテーブルにぶちまけると、ガルバスだけでなく雑貨屋の親爺も呆れたような顔になった。

 これまで貯めた金の全て。大金貨10枚、金貨14枚、銀貨22枚に銅貨少々。


「私の全財産だ。これでペンデュラムに使う専用の“刃”を作ってほしい」




ようやく借金返済。

そして新しい武器は作ってもらえるのか?


次回、男爵領に迫る危機。


私自身がそろそろお盆休みに入るので、お盆明けまで更新を早めにします。

次は多分、明日か明後日です。


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