72 “ヒロイン“
第四章、冒険者編『灰かぶり姫』の始まりになります。
切りの良いところまで書いたらちょっと長めです。
クレイデール王国最大の面積を誇るメル湖と周辺は風光明媚な土地である。
メルローズ家直轄地であるその地を治めていた、メルローズの分家であるメルシス子爵家は、その日、とある“少女”を養女として迎えることになった。
「アーリシアお嬢様、お屋敷が見えてきましたよ。お疲れになっていませんか?」
「はいっ、私は大丈夫ですっ! ありがとうございますっ!」
アーリシアと呼ばれた少女は、若い執事の言葉に満面の笑みで元気よく答えた。
仄かに赤みがかった金の髪。黒に近い碧い瞳は意志の強さを感じさせ、まだ10歳だという彼女の愛らしさを引き立てる。
「あのお屋敷が“私”のお家になるんですねっ!」
馬車の中から見える湖畔に建つ大きな屋敷を見て、アーリシアは目を輝かせる。
貴族としては言動以上に見た目が幼い。
貴族ならば幼少時より魔術の訓練をして魔力値を伸ばし、外見は平民よりも2~3歳は成長が早まるはずだが、アーリシアの見た目は本当に平民並みの、十歳児の外見でしかなかった。
彼女の外見が幼いのには理由がある。
アーリシアは元々貴族であるが、とある理由により孤児となり、この年齢まで平民の孤児と一緒に孤児院で暮らしてきたからだ。
行方知れずとなっていたアーリシアが発見され、彼女が本人と確認されるまで貴族から派遣した管理人を置いて、ある程度の教育は施したが、さすがに基礎のない人間に魔術のような高等教育をするわけにもいかず、結果的にアーリシアが得られたのは魔術の基礎のみで、身体が急成長するほどの魔力を得ることは出来なかった。
「どうしました? 私の顔に何か付いていますかっ?」
「いえ、アーリシア様はお小さいな、と」
若い執事が自分を見ていたことに気づいたアーリシアが、上目遣いで彼の顔を覗き込み、慌てたように自分の顔を触るアーリシアに執事も思わず苦笑する。
「ええっ、そうですか? これでも最近背が少し伸びて、孤児院でも大きいほうだったんですよっ!」
前任の管理者が虐待していたため成長が遅いと言われる孤児院で、平民並みに育っているのなら、確かに魔術基礎の効果は多少あったのかもしれない。
狭い馬車の中で“成長した身体”を押し付けるように身を寄せてくるアーリシアに、若い執事が困ったように身を離すと、対面に座っていた侍女から声が発せられた。
「アーリシアお嬢様。淑女たる者、簡単に異性に触れてはなりません」
「ええ~……でも、執事さんだから…」
「執事でも男性です。お嬢様はメルシス子爵家のご令嬢となるのですから、異性とは節度ある距離を知っていただかないと、社交界に出てからアーリシアお嬢様が困ることになりますよ」
「……は~い」
侍女の咎めるような物言いに、アーリシアは渋々といった顔で執事の腕から手を放した。
この馬車にはアーリシアの他に一人の執事と一人の侍女が乗っている。
そもそもこの面子なら、貴族令嬢であるアーリシアは侍女の隣か一人で座るのが正解なのだが、彼女は頑なに執事の隣に座ることを望んだ。
孤児院からの移動に、アーリシアの護衛兼世話役として選ばれた二人の姉弟は、顔を見合わせて視線だけで通じ合わせ、孤児院の管理役を命じられていた祖父の困ったような顔と、その言葉を思い出す。
『アーリシア様は、見目が良く愛らしいので、妬んだ同性より苛められていた形跡があった。それ故、女性を警戒し、男性に庇護を求める傾向があるので、その点を注意して見守ってほしい』
確かにそれが事実なら可哀想なことなのだが、アーリシアの言動にはそれ以上に子供らしくない“蠱惑”さを感じた。
「馬車が着いたようですよ」
馬車が停まり、執事と侍女に続いて馬車を降りたアーリシアが、迎えに来た子爵とその侍女たちに引き渡される段階になって、アーリシアが不安げに執事を見上げる。
「我々はここまでです。これからはご家族となるメルシス子爵家の者が、アーリシアお嬢様のお世話をいたします」
「で、でも…」
「何か不都合でもありましたか?」
わざわざ玄関から歩いて迎えに来てくれた子爵がそう尋ねると、不安げにしていたアーリシアの顔が一瞬で変わり、満面の笑みを浮かべて子爵に振り返る。
「いいえ、なんでもないですっ!
「お、おお、そうか」
その後ろにいる子爵夫人や侍女たちに目を合わすこともなく、子爵の腕に縋り付いたアーリシアに、一緒の馬車に乗ってきた執事と侍女は溜息を吐いて子爵に頭を下げ、メイドに書類を渡して乗ってきた馬車に乗り込んだ。
「……もういいんですか?」
「かまいません」
二ヶ月も護衛として旅をしてきたのなら、護衛対象と受け入れ側の様子を見るため、一日程度は残るのが一般的だが、それを気にする御者に執事はあっさりと頷いた。
侍女のほうは何も言わずにあっさりと馬車に乗り込み、仕方なく御者が馬車を動かすと、それに気づいたアーリシアが、それまで自分から縋り付いていたメルシス子爵の腕を振りほどくようにして馬車に向かって大きく手を振った。
「また“私”に会いにきてくださいねっ! オズさんっ!!」
***
「……と、これが今回の報告となります」
「ご苦労だったな……オズ、セラ」
この二ヶ月の内容を記した書類と、大まかな内容を口頭で説明したオズに、メルローズ辺境伯当主のベルトは、溜息を吐きながら二人の部下を労った。
ベルトは孫娘と思われるアーリシアの様子を見るために、まずは成人まで分家であるメルシス子爵家の養子として預けることにした。
彼女の存在はまだ一般的には極秘であり、その移動に際して大勢の騎士を護衛につけることが出来なかったベルトは、心においても武においても最も信頼の置けるセラとオズの二人に頼まざるを得なかった。
王城で王妃宮警護の責任者の一人であるセラと、宰相であるベルトの執事と秘書を兼任するオズがいなくなることは、ベルトだけでなく多方面にも影響が出て苦情が噴出したが、こればかりはどうしようもない。
本気で人手が足りない。ただ人を集めるのではなく、信頼もできて腕の立つ人間となると各省で奪い合いとなる。
(せめて、王女の身の回りの護衛だけでも任せられる者がいれば……と、今はそれどころではないな)
「そういうことだが、どう思う?」
「お祖父様……」
まだ十二歳だが見た目は十五歳ほどにまで成長したミハイルが、王宮の若い侍女たちが騒ぐ艶のある瞳を胡乱げにして祖父を見つめる。
「あの娘が子爵家に入るのは、来年のはずでは? それまでに本物か見極めるはずが、何故一年も早まったのですか?」
「その娘本人が、自分は貴族の娘だと言いふらして問題になりかけて、仕方なく保護を早める結果となった」
「……なかなか厄介な娘ですね」
苦虫を噛み潰すような祖父の言葉に、ミハイルも深く溜息を吐いた。
二年も経つが、いまだに発見された『アーリシア』が“本人”であるという明確な証拠は挙がっていない。
本人の証言と状況証拠だけを見るのなら、どの貴族家でも自分の家族と認めるのだろうが、メルローズ女系の髪色をしていないという理由だけで、ベルトはその娘をアーリシアと認めることに違和感を感じていた。
「とにかく、私は来月より学園に入学となります。上級貴族でも期間の半分は寮生活となりますので、こんな風に呼び出されても対応できなくなりますよ」
「もうお前もそんな歳か。すまなかったな」
貴族が入学する『魔術学園』は、農作物の収穫が終わり税の回収が終わった後、翌年の新年から新学期が始まる。
その年に十三歳となる貴族子女が対象であり、全員が十五歳の成人を迎えた年の年末が卒業となり、大人として扱われるようになる。
「私も気持ちはお祖父様と同じです。報告を聞くだけでもその娘が『
それだけを伝えるとミハイルは祖父の執務室を後にする。
セラとオズがいなかったせいで、まだ学院入学前のミハイルが『宰相の勉強』という理由でベルトの執務を手伝うことになってしまった。
普段ならそれも望むところだが、今は入学前の準備で忙しく、ミハイルも個人的にしたいことも考えたいこともあった。
「……
先ほどの言葉をもう一度口に出す。
古い言い伝えによれば、月の精霊が一人の女性の高潔さと美しさを讃えて、月の薔薇と、それと同じ色の髪を与えたとされている。
本当かどうかわからない。けれど外に嫁げば数代で消えるその色が、メルローズ家の直系の女性だけに受け継がれるのは、本当に月に愛されているように思えた。
友人であるダンドールのロークウェルに話せば、またロマンチストと言われるかもしれないが、その名を呟くだけでとある少女の姿を思い出した。
王都で出会った冒険者の少女。
その髪の色は、本当に月のある夜だけに咲く月の薔薇と同じ色をしていた。
初めて見た時から気になっていた。正に“孤高”と言うに相応しい雰囲気は美しくすらあり、ミハイルが幼い頃に思い描いた月の精霊のように思えた。
この王都で冒険者をしているのならまた会える。
そう思って別れ、何度か冒険者ギルドに足を運んだが、再び少女と出会えることもなく時間だけが過ぎていった。
このまま学園に入学すれば、探しに行くことも出来なくなる。
これが恋だとは思わない。けれど、ミハイルは彼女の孤高な姿に憧れた。
「また……会えるかな」
*
「それではわたくしも失礼いたします」
「ご苦労だったな、セラ」
「“仕事”ですので」
それまで何も発言をしなかったセラが、ミハイルが部屋を出ると一拍置いて頭を下げ、それにベルトが返すと、オズは「仕事」と言い切る姉の言葉にわずかに威圧を感じて、その額に冷や汗が流れた。
「…………」
主の執務室を出たセラが無言のまま深く溜息を吐く。
その溜息の大半は気疲れからだ。数ヶ月も王宮を離れていたためにあちこちで齟齬が生じている。
部下だけでは処理しきれなかった仕事が溜まっているだけでなく、溜息が出たのは、あの“アーリシア”と二ヶ月も一緒にいたせいだった。
礼儀が出来ていないのは、元が孤児なので当然だ。あれでも祖父が仕込んでいるので平民としてはマシなほうだろう。
だが、あの少女が見せた男にだけ縋る姿と女性を無視する様子は、子供と考えてもあまりにも異様だった。
あの少女を主家の令嬢としてこれから付きあっていくことを考えると、主やミハイルが疑うのも賛同したくなってくる。
そしてこれから機嫌の悪い王女エレーナの世話をしなくてはいけない。
彼女が気に入っていた“メイド”が行方不明となり、それ以来そのメイドが『暗部』だと知っている王女は、セラたち暗部を見ると機嫌が悪くなるのだ。
エレーナは、そのメイドに暗部が危険な仕事を割り振ったのだと思っているが、実際は暗部の裏切り者が手にかけた可能性があるので余計にタチが悪い。
その“メイド”が戻ってくれれば王女の護衛を任せられ、王女の機嫌も良くなるのだが、そんな美味い話は転がっていない。
「母さんっ!」
そんな息子の声が聞こえて、セラはまた溜息を吐く。
「アリアは見つかったっ!?」
「確かに北には行きましたが、彼女は見つかっていませんよ」
セラの息子のセオは、いまだにアリアの影を追い続けている。
身体も心も急激に成長し、見た目は十二歳ほどになったが、彼女に出会ったことは幼かった彼にはよほど衝撃だったのか、セラがアリアが亡くなった可能性も伝えても、セオは諦めずまた会えると信じて修行を続けていた。
「そっか……」
諦めていなくてもそう簡単に見つかると思っていないセオは、溜息を吐きたい気持ちを抑えて笑顔を見せる。
「母さん、お帰り」
「今更ですか?」
そう言いつつもセオの成長を確認するように抱きしめ、セオも母の無事を確認するように抱きしめる。
「主家のお嬢様をお迎えしました。彼女が学園に上がる際には、おそらくあなたが護衛することになるでしょう」
「……あまり良い噂は聞かないけど?」
「それを口にするものではありません」
キッパリと割り切りを見せながらも否定をしない母に、セオも思わず苦笑した。
「僕も執事見習いの仕事に戻るよ。その後でまた修行をつけてね」
「わかりました。頑張りなさい」
母の顔で微笑むセラに、セオも精一杯の笑顔を見せ、そのまま廊下で別れた。
「うかうかしているとアリアに置いて行かれるからね。僕は諦めないよ」
***
クレイデール王国北西にあるケンドラス侯爵領は、鉱山で栄える土地である。
その土地の西にあるコンド鉱山は大陸南方最大の鉱山であり、隣国であるイルス公国とソルホース王国とが所有権を争う緩衝地帯でもあった。
そのため国軍を配置することは他国を煽り立てることになり、鉱山までの安全を確保するために冒険者の仕事も多い。
そんな鉱山と街を繋げる夜の街道で、その道を一人歩く人物を襲うために六人の男たちが飛び出した。
黒ずくめの革衣装に反り返った片刃の剣。知る者が見ればそれが砂漠民族の流れを汲む、中央西地区支部の“暗殺者”だと推測できるはずだ。
この北辺境地域に正式な暗殺者ギルドの支部は存在せず、この侯爵領の盗賊ギルドには、この人物に手を出すような愚か者は
「ぐっ!?」
横手から音もなく襲撃した一人が、蜘蛛の“糸”に捕らえられたように体勢を崩して、真横から飛来した刃に首を切り裂かれた。
「っ!?」
仲間の突然死に驚愕しながらも訓練された暗殺者たちの二人が同時に襲いかかると、その刃は道を歩いていた“少女”をすり抜け、その瞬間に一人が頸動脈から血を吹きだして崩れ落ちる。
「幻術だっ」
「どこだっ!?」
少女はまだ真っ直ぐに歩いてくる。本当に幻覚なのか? それとも“本物”なのか? 一瞬の躊躇を見せた暗殺者の一人が、真っ直ぐに歩いてきた少女に一瞬の躊躇もなく斬り殺された。
「っ!?」
それが本物だと気づいて慌てて跳び下がる一人の首を、弧を描いて飛来する刃が咽を斬り裂く。
未知の攻撃に恐怖し動きを止めた一人は、少女が投擲したナイフに顔と咽を貫かれて驚愕の顔で死んでいった。
「な、なんだよ……何だ、お前はぁあああああああああああっ!!!?」
瞬く間に仲間を殺され、最後に残った一人が錯乱したように悲鳴を上げる。
今回、この暗殺に集められた人員は全員がランク3の一線級の者たちだ。それが何もすることも出来ずに、虫を払うように皆殺しにされた。
「……知っているのでしょ?」
その声は真後ろから聞こえた。いつの間にか目前にいたはずの少女の姿は消えて、暗殺者が反射的に刃を背後に振るうと、背後にいた“人型の気配”が消滅する。
「ぐぎっ!?」
その瞬間、腹を貫かれるような激痛が男を襲う。耐痛訓練を受けた男が何故か耐えられずに呻きを漏らすと、再び真後ろから頭の脇を通るように白い少女の腕が伸ばされ、男の頭に巻き付いた白い手が男の首をへし折った。
首をへし折られて崩れ落ちる男の目が、ようやく本物の少女の姿を瞳に映す。
その姿に男はやっと思い出したかのように、少女の威名を呟いた。
「………“灰かぶり…姫”……」
【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク3】
【魔力値:174/240】30Up【体力値:182/190】20Up
【筋力:9(12)】2Up【耐久:9(12)】1Up
【敏捷:13(17)】1Up【器用:8】
【短剣術Lv.3】【体術Lv.3】【投擲Lv.3】1Up【弓術Lv.1】New
【防御Lv.3】2Up【操糸Lv.4】2Up
【光魔法Lv.3】1Up【闇魔法Lv.3】【無属性魔法Lv.3】
【生活魔法×6】【魔力制御Lv.4】1Up【威圧Lv.3】
【隠密Lv.4】1Up【暗視Lv.2】【探知Lv.4】1Up【毒耐性Lv.3】2Up
【簡易鑑定】
【総合戦闘力:576(身体強化中:691)】133Up
ようやく偽ヒロインの登場です。
何とも言えない良い感じに仕上がったと思います(笑)
アリアは、ところどころレベル4に達していますが、ランク4ではありません。
けれど、戦闘力はかなり上がりました。
セオくん追いつけるか…?
それでは今章もよろしくご贔屓にお願いします。
次回、最初の地へ。