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70 暗闇からの誘い ③

暗殺者編のラストです。



「ひぃ、ひぃっ」

 ライナスは血塗れの顔面を押さえて裏路地を走っていた。


 計画は完璧だった。

 とある上級貴族が欲しがっていた『精霊の涙』と貴族の地位を同時に手に入れる。

 自分はこのノルフ男爵領の小さなギルドで燻っている男じゃない。

 スラム出身の自分たち姉弟が何年もかけて計画を立てた。この地区のギルドで地位を上げ、精霊の涙を売った貴族の後ろ盾を得て貴族になれば、弱小ギルドと自分たちを馬鹿にしていた、ダンドールの盗賊ギルドの鼻を明かすことも出来る。

 金と地位だけでなく、貴族の女さえも手に入れようと考えたのは、ライナスの劣等感からだ。


 暁の傭兵が暗殺者ギルドに狙われているのは知っていた。そもそも、その依頼料のために金を貸したのは男爵領の盗賊ギルドだ。

 ライナスたちは最初から、暁の傭兵を暗殺者ギルドに始末させるつもりでいた。

 精霊の涙は、暗殺者を退けた暁の傭兵が直に売りに来るのでも、暗殺者ギルド経由でノルフ男爵の手に戻っても、いずれ全てが自分たちの手に入るはずだったが、いつの間にか状況が変わり、信じられないような情報が舞い込んできた。


 暗殺者ギルド北辺境支部の壊滅。しかもそれを成したのは、暁の傭兵を始末したという子供の暗殺者だった。

 子供がどんな方法を使ってギルドを壊滅させたのか分からないが、情報をもたらしてくれた暗殺者ギルドの生き残りによると、その子供は魔族の弟子らしく、怪しげな魔道具でも使ったのだろう。

 しかも『精霊の涙』は、その暗殺者――“灰かぶり”の手にあるらしい。


 その時ライナスは、これを恰好の機会だと考えた。

 何の理由があってギルドを裏切ったのか知らないが、どれだけ腕が立とうと子供であるならいくらでも口で丸め込める。

 生き残りや他の支部に報復されることを仄めかし、庇護するという名目で、その戦力と威名を手に入れる。

 実際の“灰かぶり”の実力が子供ゆえに大したことはなくても、暗殺者ギルドを壊滅させた人間がいるというだけで、このギルドは裏社会で一目置かれるようになるだろう。


 最初の計画は完璧だった(・・・)

 だけどライナスは、ギルドの人間を皆殺しに出来る子供の精神と実力が、自分たちの理解の範疇を超えていることに気付けなかった。


 灰かぶりは、見た目は十二歳程度のまだ幼いが見目の良い少女だった。

 その少女が暗殺者ギルドを潰したと知っていても、彼女を見た盗賊たちはその見た目の可憐さに誤解した。

 こんな少女が簡単に人を殺すなんてあり得ない……と。


 敵対した瞬間、瞬く間に仲間が殺された。

 荒事が得意でない盗賊だとしても、それは“冒険者に比べて”であり、今回は念の為にランク2や3の戦える人間だけを連れて来ていた。

 時間にして1分もかからなかった。一瞬の躊躇もなく、野に咲く花を摘み取るように容易く、舞うように命を刈り取っていく姿は美しくさえあった。

 実際、彼女は美しかった。顔を斬り裂かれた痛みさえ忘れて見惚れるほどだった。

 だが、その可憐とも言える容姿で躊躇いなく命を摘み取っていく姿は、まるでこの世のものではない死神のように見えて、ライナスは殺されていく仲間を見捨てて逃げ出していた。


 陽はまだ高く、表通りに出て衛兵に訴え出れば、商会の番頭という表の地位を持つライナスは助かるかもしれない。

 けれど、ライナスにも裏社会に生きる者の矜持があり、裏の人間同士の諍いでそんなことをすれば、この世界で生きていけないことも理解している。

 そんな“言い訳”が頭を過ぎり、表通りに出られなかったのだが、実際は『そんなことをしても無駄』だと、心の何処かで気づいていた。

 アレは絶対に殺しに来る。

 必要なら、邪魔をする全てを皆殺しにしてでも、自分を殺しに来る。

 灰かぶりの瞳を見た瞬間、ライナスは裏社会に生きる生き物の本能でそう理解してしまった。


「あ、開けろっ、開けろっ!!」


 自分の商会に戻り、ライナスは裏口の扉をけたたましく殴りつける。

「ら、ライナスさんっ!? その怪我は…」

「五月蠅い、どけっ!」

 裏口を開けた男を押しのけ、ライナスが奥へと進む。

 この商会は、この男爵領のギルドが昔から隠れ蓑として使っていた商会で、男爵を罠に嵌めると決めた際にギルドの拠点をここに移し、今ではほぼ全員がギルドの構成員に替わっている。

「店を閉めろっ!! “アレ”が来るっ!」


 まだ夕方にも拘わらず慌てて店を閉め、数少ない何も知らない従業員を追い出すと、倉庫から武器を集めて戦う準備を始めた。

 店の奥で治療もせず、ガタガタと震えながら武器を握るライナスに、残っていた十数人の盗賊たちは困惑して顔を見合わせる。

 戦いの準備をしろと言われても、戦いが得意な者はライナスが連れ出しており、ここにいるのは精々ランク1か2程度の、隠密系や詐欺の得意な人間しか残っていない。

 しかもライナスが説明を出来る精神状態でなかったために盗賊たちが困惑していると、奥のほうから半裸の女を侍らした、がたいが良い上半身裸の壮年の男が現れる。


「何事だ、ライナスっ!」

「親父っ!」

 その男はこの男爵領の盗賊ギルドの長で、スラムから姉弟を拾った親代わりの人物でもある。

「た、助けてくれ、親父っ! アレが来るっ!」

「なんだぁ?」

 怯えた血塗れの顔で縋るような声を出すライナスに、盗賊ギルドの頭はあきれ顔で溜息を吐いた。

「どうやら下手を打ったようだな。……仕方ねぇ、おい、使いを出して冒険者崩れの連中を――」


「……親父?」

 途中で動きを止めた盗賊ギルドの長に、ライナスが振り返ると、長の右目と眉間と咽に三本のナイフが突き刺さっていた。

 盗賊ギルドの頭が、そのまま地響きを立てるように仰向けに倒れる。


 ……何が起きたのか? あまりの出来事に理解が及ばず、長の横にいた女たちさえ唖然としたまま、その場の全員が微かに流れる風に誘われるように振り返る。

 たった一カ所だけ開いた窓の外……暗くなり始めた群青色の空に浮かぶ月を背に、灰で髪を汚した一人の少女が、この場にいる盗賊たちを凍るような冷たい瞳で見つめていた。


「お前たちを殺しに来た」


   ***


 ノルフ男爵領の街中で大量の殺人が起こった。

 まずは裏路地で見つかった九つの死体。そのうちの八人は死体を検分した衛兵の何人かが、とある商会の人間だと証言し、兵士たちがその商会に向かうと、朝になっても開かなかった店の中で、会頭の男と番頭のライナスを含めた十数名が、全員、死体となって見つかった。

 死者は合わせて二十余名。この男爵領で起きた最大の殺人事件ではあったが、商会内部で犯罪に関与した資料と、盗賊ギルドと関わりのある書類が見つかり、全員がほぼ一撃で殺されていることから、裏社会の抗争として表沙汰になる前に処理された。


 その商会が、この街での盗賊ギルドの本拠地だとしても、盗賊はまた各地から押し寄せ、再び街のどこかにギルドが作られるだろう。

 その中には当日ギルドに顔を出していなかった幸運な者がいたはずで、彼らは新しく来た盗賊に怯えた顔でこう語るのだ。


『“灰かぶりの少女”には関わるな』――と。


   ***


 この街の盗賊ギルドが壊滅した数ヶ月後、ノルフ男爵の屋敷では、領主の一人娘であるノーラの結婚式が行われていた。

 その相手は新しく婚約者になっていた商会の番頭ではない。

 元々の婚約者であり、お互いに想いを通い合わせていた男爵家の三男と、彼女はようやく想いを遂げることが出来たのだ。

 彼は一人娘であるノーラの婿養子としてノルフ男爵家に入り、これから次のノルフ男爵として今の男爵から統治を学んでいくことになる。


 花嫁姿のノーラに、しみじみと涙ぐむノルフ男爵の隣に夫人の姿はない。

 ノルフ男爵は数年前に亡くなった妻の小さな肖像画を抱えており、その後に家に入った後妻は、彼女の実家である商家が“廃業”すると同時に離縁され、その前から恐怖に錯乱状態だった彼女は、離縁と同時にこの男爵領を逃げ出し、ダンドールに向かう山中で山賊に襲われて命を落としたとされている(・・・・・)


 結婚式で、幼なじみの青年と微笑み合うノーラの胸元には、バレないように少しだけ装飾された『精霊の涙』のネックレスが揺れていた。

 こっそりと聞いた使用人たちの話によると、そのネックレスは母親の形見だったそうで、精霊使いだった母親の祖母が精霊より貰ったものらしく、聖教会が禁じたような、精霊を殺して取った忌まわしい品ではないと言う。


「…………」

 私は幸せそうなノーラを見届けてそっと背を向ける。

 この街の中で色々とやってしまったせいで、いつどうやって返すか悩んだけど、結局シンプルに寝ている彼女の部屋に忍び込んで枕元に置いてきた。

 一応、『仇は討った』と書き置きは残したけど、今から思えば余計なことだったかもしれない。

 ノーラは幸せそうだ。残した言葉は区切りにはなるのだろうが、彼女はもう後ろを振り返るべきじゃない。

 最後にもう一度だけ振り返ると、そのタイミングで振り返ったノーラと偶然視線が合ってしまい、かなり離れていたにも拘わらず、私を覚えていたらしいノーラは少しだけ目を丸くして満面の笑顔で手を振り、私も軽く手を振り返してその場から離れた。


 この数ヶ月で私はようやく九歳になった。

 身体もまた少し成長して、暗殺者ギルドや盗賊ギルドの支部を潰すことが出来たとはいえ、私はまだ本当に強くなったとは言い切れない。

 色々な人たちとの約束を果たすためには、まだ強さが足りない。

 私を襲い、エレーナを害する可能性があるグレイブとの決着もまだつけていない。

 セラのいる組織ともまだ決別したままで、敵か味方かも分からない。

 散発的にだけど、ギルドの残党が襲撃してくることもある。そのせいでいまだに師匠の所へは帰ることはできない。


 私はまだ、私を縛ろうとする全てを退けられるほど強くない。

 でも、もう逃げるのは止めた。隠れるのも止めた。

 襲ってくるのならいつでも襲ってくるがいい。お前たちが強ければそれだけ私も強くなる。

 私は戦う。師匠やエレーナとの約束のために、私は貴族のしがらみにさえ縛られない強さを身に付け、裏社会の人間からも恐れられる者になろう。

 いきがった子供の妄想かもしれないけど、私は“それ”を手に入れる。

 そのために私は『暗殺者』ではなく『冒険者』として生きよう。対人戦だけではなく本当の強さが欲しいから。

 だから――


「出てこい」


 暗くなった街道でそう声に出すと、闇から滲み出るように黒ずくめの人影が現れた。

 おそらくはどこかのギルドの暗殺者か。全身を隠しているせいで正確な鑑定は出来ないが、それでも発せられる雰囲気からランク4程の実力は感じられた。

 その暗殺者が黒い片手剣を抜き放ち、私も黒いナイフを引き抜いて、同時に刃をぶつけ合う。


「私は“何”からも逃げない」



これにて暗殺編『灰かぶりの暗殺者』終了です。

次回より、冒険者編『灰かぶり姫』を開始します。


読者様の中には、乙女ゲームの学園編を愉しみにしておられた方もいらっしゃたかもしれませんが、次の第四章が第五章の学園編に移行する重要な部分になり、乙女ゲームの要素が少しずつ増えていきます。

アリアはもっと強くなります。その実力と威名を持って学院編に移ります。


この作品はかなりアクが強く、読む方を選んでしまう小説ですが、沢山の方に読んでもらえたみたいで大変ありがとうございます。

それでは、次は日曜予定です。



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