57 危うい少女
波立つ黒く長い髪。病的なまでに青白い肌。窪んだように見える隈で覆われた紫色の瞳が、興味深げに私を見つめていた。
年の頃は私と同じくらいだろうか? 彼女を取り巻く魔素量からすると、私と同じように魔力で身体が成長していると思われる。
目の前で人を殺した私を目撃して、同じく人を丸焼きにしておきながら、彼女はこちらが不安になるほど無邪気な笑顔で嗤っていた。
彼女のことを一言で表現するなら……『危うい』…だろうか。
「……誰?」
「そんなことはどうでもいいでしょ…と言いたいところだけど、あなたには教えてあげる。カルラって呼んでいいわよ」
【カルラ】【種族:人族♀】
【魔力値:375/395】【体力値:31/45】
【総合戦闘力:323】
膨大な魔力値に幼子のような体力値……そして、人間一人を一瞬で炭にする魔術の威力に、それを何とも思っていない異常性……
危険だな……私にコイツを殺せるか? 一撃でも当てれば簡単に死にそうな体力値だが、下手に手を出すと危険だと私の“勘”が訴えていた。
私は生きるために殺すが、カルラは殺したいから殺している感じがする。
「あなた、やっぱりいいわね。そこら辺の
「……それが声をかけてきた理由か?」
「そうよ。あなたからは、他の人とは違う“血の臭い”がした。それとも、あなたも生き物の命の大切さとか、理解できない綺麗事を言う人かしら?」
笑顔のままのカルラの全身から暴力的な殺気が滲み出る。
彼女に殺す理由は必要ないが、私の答え次第では、私を“殺さない理由”がなくなるのだろう。
「どんな理由でも、殺されるほうからしたら同じでしょ?」
「……ふふっ、やっぱりあなたはいいわ。殺さない理由がまた増えちゃった。ねぇ、あなたの名前を教えて」
やはりそんな感じか。そんな彼女を見て私は、警戒しながらも発動させたままだった身体強化を止める。
「……アリア」
「アリア……あなたによく似合ってるわ。聞いておいて何だけど、どうして教えてくれる気になったの?」
死んだ男たちの死体から身元が分かりそうなものを奪ってドブに捨てながら、私はチラリと愉しげに笑う彼女を見る。
「私も、お前を殺す理由がないことに気づいた」
そう答えた瞬間、カルラは噎せ返るほど笑い出し、少ない体力値がさらに3ほど減っていた。
***
私はカルラを殺す理由がない。カルラは私を殺さない理由ができた。
異常者で危険な奴だが、何故か私は立派な人たちが並べ立てる万の綺麗事よりも、その一つの考え方に共感を覚えた。
それは彼女も一緒だろう。私と接する間合いが最初より半歩ほど近づいている。
カルラはダンジョンの案内をすると言った。それはただの話しかける切っ掛けの言葉だったのだろうが、私はそこらの冒険者に頼むよりも信用できると感じた……が、
「そんな体力値でダンジョンに潜れるの?」
「大丈夫よ。私が死んだら、お父様は駒がなくなって顔を顰めると思うけど、お母様なら心の底から喜んでくれると思うの」
「倒れたら捨てていく」
「もちろんよ。その時はアリアも一緒に死んでくれると嬉しいわ」
「一人で死ね」
そんなことを言い合いながら、私たちは危険だと言われる大規模ダンジョンに、たった二人で入ることになった。
魔力で成長していると言っても、大人から見れば私たちの外見はまだ子供だ。そんな二人組がダンジョンに入ろうとすると、警備をしていたまともな兵士は止めようとしたが、詰め所から出てきた騎士がカルラを見て怯えたように道を空けてくれた。
「失礼よね。人のことを無差別殺人鬼みたいな目で見るなんて」
「カルラの家には鏡がないの?」
「アリアは綺麗よね……きっと血塗れでも綺麗よ。あなたの血でも、他人の血でも」
カルラは貴族令嬢らしいが、そんな彼女が護衛もなしに彷徨いていられるのは、彼女が実力も権力もある“危険人物”だからだろう。
「ここは獣亜人のダンジョンよ。最低でも百階層はあると言われているけど、公式の攻略階数は四十程度ね」
「公式? 非公式では?」
「貴族のごり押しで、とんでもない数の犠牲者を出しながら、最下層まで辿り着いたことがあるそうよ。聞いたことがあるでしょ? 古いダンジョンの最下層には、ダンジョンの精霊がいるって」
「……【
その話は聞いたことがある。古いダンジョンの最下層には精霊が宿り、辿り着いた者には望みの【加護】を与えてくれると。
カルラが単独でダンジョンに潜る理由はそれか。師匠の話では、かなり厄介な制約と共に強い力を得られるそうだ。カルラは病気みたいだが、その加護で身体を癒すつもりなのかもしれない。
「一階層は、ゴブリンやコボルド程度しか出ないわ。ほら、やってきたわよ」
「うん」
言われるまでもなく近づいてくる三体の気配には気づいていた。
「アリア、殺してみせて」
「…………」
花を摘むのをねだるような自然な“お願い”に、私が無言で腰から抜いた暗器を投擲すると、真正面から咽に刃を受けた一体のゴブリンが、仰け反るように倒れてそのまま息絶える。
『グギャッ!?』
何が起きたのか理解できずに困惑して立ち止まる残り二体に、私は隠密を使いながら音なく近づき、ゴブリンたちが気づいた瞬間、黒いナイフと細いナイフで、同時に二体の首を斬って命を刈り取った。
「やっぱりアリアは綺麗……」
「人にばかり働かせるな」
「そうね、次は私がやろうかしら」
次に現れた二体のゴブリンは、カルラが放った【火矢】と【氷矢】を同時に喰らって息絶える。
いくら戦闘力は目安に過ぎないと言っても、カルラならランク4までの相手なら容易く殺してしまうだろう。
カルラは本当に案内をしてくれるつもりのようで、最短コースを選んで三階層までの道まで教えてくれる。
「ねぇアリア。どうして魔物はダンジョンの罠にかからないと思う?」
カルラは意外とお喋りだ。
戦闘がなくなると、意味のある話や意味のない話も混ぜて色々と話しかけてくる。
ダンジョンは魔物であり、迷い込んだ生き物の生命力と魔素を得るために人や魔物を呼び寄せて戦わせるが、古いダンジョンは知恵を得て罠を仕掛ける場合があった。
それでもそんな複雑な罠ではない。
下の階層に落ちる落とし穴や、触れると天井が崩れてくる壁など、単純な仕組みの罠が多いが、そのぶん規模が大きく致命傷になりやすい。
「魔物は罠にかからないの?」
「そうよ。魔物は何故かかからないの。罠の場所を知っているからじゃなくて、どうやら、罠自体が発動しないみたいなの。だから、ダンジョンの魔物が、そう設定しているのだと言われているわ。だから下手に突っ込んでいかないでね。潰れて死ぬのは綺麗じゃないから」
「なるほど……」
……面白い情報だ。
「ねぇ、アリア、聞いてくれる? 私には婚約者サマがいて、先日初めてお目にかかることが出来たのよ」
「へぇ」
また話題が変わった。ダンジョンの話が聞きたかったが、言って無駄なことをしても仕方ないのでやめておく。
「気のない返事ね。まぁいいわ。あの方は可愛いのよ。アリアとは真逆の意味でお気に入りね。無垢すぎていつか汚らしく穢すときが来るのが待ち遠しいわ……でもそれは、結婚するまで我慢するの」
「それは気の毒にな」
「ふふ……簡単に殺したりなんてしないわよ? 私の数少ないお気に入りなんだから。でも、あの方には私の他にも婚約者がいるのよね。でもいいわ。私はどうせ子供が出来るか微妙だから、世継ぎを産んでもらうまで生かしてあげるの」
「そうか」
「でも、これ以上の浮気は許さないわ。もしあの方が、私たち婚約者以外の女に目を移したら、その女には最悪のタイミングで死んでもらうの」
「浮気なら仕方ないな」
「ね、そう思うでしょ。その時が楽しみで仕方ないわ」
複数の婚約者か……もしかしたらカルラはかなり高位な貴族かもしれない。
それならばエレーナと関わることもあるのだろうか……もしカルラがエレーナの敵になるのなら……
「程々にしておけ。お前を止めるような依頼が来たら面倒だ」
私の言葉に何かを感じたのか、カルラが足を止めて真っ直ぐに私を見る。
「アリアなら私を止められるというの?」
私を射る真っ直ぐな瞳。少し寂しげで、少し愉しげな、そんな紫色の瞳に私もジッと見つめ返した。
「それがカルラの望みなら殺してやる」
「……ああ、素敵ね。私、いつか死ぬのなら、アリアに殺されて死にたいわ」
ダンジョンの案内は、カルラの体力が回復魔法や薬でも回復できなくなった時点で終わることになった。
実際、カルラの顔色は青白く、体力値も10程度しか残っていなかったが、コイツが簡単に死ぬのならカルラの親も悩みはないだろう。
ダンジョンから出て夕暮れになった外に出ると、いつものことなのか、カルラの迎えに豪華な黒塗りの馬車が待機していた。
そこで彼女とはお別れになる。馬車から迎えに来る執事に気づいて私が適度な距離を取ると、カルラが無邪気な笑顔を浮かべてこっそりと囁いた。
「ねぇ、アリア。あなた、狙われているわよ」
「……知っている」
この微かな違和感は……ラーダか。カルラがそれに気付けたのは謎だが、彼女ならそれを不思議とも思わなかった。
「私が殺してあげよっか?」
揶揄するようなその言葉に、私は静かに目を細めて威圧を放つ。
「私の獲物に手を出せば殺す」
「ふふ……それも愉しそうだけど、今はやめておくわ。ではまたね。生きているかぎりアリアとはまた会いそうな気がするわ」
「…………」
少しだけ不吉な言葉を残してカルラは黒い馬車に乗り消えていった。
もう少しダンジョンで修行をしたい気持ちもあるけど、ラーダが監視しているので手の内を晒す必要はない。
そうして私は、適当に選んだギルド近くの冒険者用の宿屋を取ると、そのまま閉じこもって“闇魔法”を研ぎ澄まし、その二日後、ダンジョンから出てきた『暁の傭兵』に会うために、冒険者ギルドへと足を向けた。
殺伐とした関係です。
でも何故か、こういう二人の関係は嫌いじゃありません。
次回、いよいよ暗殺の仕事開始です。