52 王都
大地に叩きつけたジャイアントクロウの断末魔が渓谷に響き渡ると、まだ上空で残っていた風鳥たちが蜘蛛の子を散らすように飛び去っていった。
……これで一息ついたかな? 私が幻惑などを使わず真正面から叩き潰すように戦ったのは、“警告”のためだ。
魔物は普通の動物よりも知能が高い傾向がある。この渓谷を通り抜けるのにも数日はかかるため、隠密などで隠れても食事や睡眠時に見つかってしまう恐れがあった。
なので魔物たちに私を襲う危険を見せつけた。そのおかげもあり、私か鴉か、どちらか勝ったほうの“おこぼれ”にありつこうとしていた岩ネズミたちの気配も消えていた。
頭部が潰れたジャイアントクロウの胸を、解体用のナイフで裂いて魔石を抉り出す。
この鴉の素材はほとんど金にならない。巨大な風切り羽は羽根ペンの材料として買い取ってもらえるが、それでも一枚で小銀貨1枚程度だ。
嘴や爪も売れるわけではなく、そうなるとまともな金になるのは魔石くらいだけど、難易度はランク3相当でも所詮はランク2の魔物なので、属性もない無属性の魔石では高値で売れないが、それでも銀貨1枚ほどにはなる。
風鳥のほうには属性があるけど、こちらはランク1のせいか、それとも身体の大きさに比例しているのか、本当に小さなクズ魔石しかないので回収するのは諦めた。
それでも地面に落ちた風鳥を数体拾っているのは、肉が欲しいからだ。鴉のほうは肉が固く臭みがあるので食用には適さないが、風鳥のほうは少しパサついているけど充分に食べることができた。
生活魔法の【
本当ならずっと練習してきた闇魔法を使いたいところだが、まだ慣れていないのと、総魔力値の関係でまだ実用できる段階ではなかった。
チャリン……
私が何も持っていない手の平を握りしめ、再び開くとその手の中から銅貨が一枚こぼれ落ちた。
これは手品の類ではなく、れっきとした【闇魔法】になる。
ヴィーロは闇魔術によって内部が拡張された鞄を持っていた。
私は考察と実験により、闇の魔素が本物の闇ではなく『闇色の粒子』であり、術者の思念と精密な魔力操作で、様々に形を変え、ある程度の効果を与えられると知った。
その応用が『幻術』であり、『空間魔術』になる。
空間魔術の初歩である【
空間魔術の基本は、物質を魔素で包み込むことにあるのだ。
内部拡張鞄の場合は、鞄の内側に闇の魔素を固定化することで、固定空間を創り出してその内部を広げる魔術だった。
拡張鞄を製作出来る闇魔術のレベルは4になる。
それは鞄の中に魔素を固定化してそれを維持する魔術構成や、魔石や持ち主の魔力を微弱に吸収したり、中のモノを自由に出し入れする技術、そしてそれらを構成するだけでも膨大な魔力が必要になるので、そのレベルが必要になるのだと師匠は言っていた。
そこで私は思いついた方法を師匠に相談すると、面白いと言って私と一緒に魔法構成を考えてくれた。
それは私の身体そのものを拡張鞄にすることだ。
人間の身体は普通にしているだけでも影は必ず発生する。服の隙間や口の中はもちろん、体内にも闇はある。
それを闇の空間だと仮定して極小さな魔素の空間にすることで、そこを魔力で拡張すれば、拡張鞄と同じ効果を得られるはずだと考えた。
魔素を切り離さず、自分の魔素を流動させることで一部の面倒な構成を省いた。
物の出し入れも、身体の表面にある闇に、そのたびに魔法を使うことで出入り口を固定化するのに必要な構成も省いた。
そのためにレベル3くらいの闇魔法で使える構成にはなったが、闇魔法レベル2の私では闇の空間を維持するのに常に意識を割かなくてはならず、今の総魔力値ではコインを数枚入れるだけの空間しか出来なかった。
そんなわけでいまだに実用段階ではない実験中の闇魔法だったが、そこに焼いた肉を仕舞いたかったのには訳がある。
一般的な魔術の“知識”では、闇魔術で拡張された空間に、生きた生物を入れることはできない。
だがこれは正しくはない。正確に言うと、闇の魔素で構成された空間内では生物が生きていけずに死滅してしまうのだ。
これは推論になるけれど、拡張鞄の中は大気の代わりに魔素で満たされ、限りなく真空に近い状態なのではないだろうか。
拡張鞄に入れると時が停まって食べ物が腐らないという“デマ”があるが、本当のところは、食べ物を腐らす小さな生き物――知識によると“微生物”が死滅することで、船乗りが使う瓶詰めや、あの女の知識にもある『カンヅメ』と同じ効果を得られているのだと推測する。
ただし、これにも問題があってチーズのような発酵食品を入れると、良い菌まで死んでしまうので、保存食ではなくなってしまう。
まぁ要するに、この肉は二日くらいで消費したほうがいいということだ。
焼いた肉を仕舞った私はそのまま渓谷を王都に向けて歩き出す。さすがに見せしめのために派手に戦闘をしたので、その後は魔物が襲ってくることはなかった。
私の様子を窺っていた岩ネズミも、今頃は放置しておいた風鳥の残骸や大鴉に夢中でしばらく姿を見せることはないだろう。
私が肉をまとめて焼いたのは、野営時に火を使わないためだ。
鳥系の魔物は太陽が真上の時にしか私を見つけられない。まだ冬なので火を使わない野営は普通なら危険だが、光魔法で生体を活性化できる私ならそれほど苦でもなく、火を焚く理由がなかった。
この渓谷を抜けるのに、行商隊の馬車なら五日ほどかかるが、大荷物もない私の足なら、急げば三日ほどで抜けられる。
眠るときは微弱な動物避けの野草を焚いて、岩の隙間で目を瞑る。
もう眠っていても隠密を維持できるようになっていたので、たとえ行商隊の人間には危険な暗がりでも、私にとっては人間のような悪意のある敵がいない、安全を確保できる場所になっていた。
最終日に大鴉がもう一体襲ってきたが、今度は見せしめにする必要もないので、幻術と毒で、安全を確保しながら対処した。
危険がある場所での野営はある程度慣れているつもりだったが、それでも緊張していたのか、私は渓谷を抜けて固くなった身体をほぐすように背筋を伸ばす。
私は“知識”があっても経験が足りていない。街の中や街道のような均された道ならともかく、起伏のある場所や足場の悪い場所などでは、身体に不自然な力が入ってしまい疲労が溜まる。
今まではヴィーロにも歩き方を習いつつ身体強化で誤魔化してきたが、これからは普段歩くときでも地形を把握するように鍛錬をするべきだろう。
幸いにも私は人族の限界を超えた【暗視】レベル2を会得できたので、鍛錬次第では獣人なみの周辺把握が可能になるはずだ。
最後の肉を食べて簡単な食事を済ますと王都への旅路を再開する。
とはいえ、貴族領に入ってしまえばそれほど危険なことはない。そもそも人目を避けて街道を通っていないので、山賊にさえ出会わなかった。
レベル3になった隠密は、私を容易く野生動物から隠してくれた。
さすがにランク3以上の魔物だと私を発見する恐れはあるが、中央に近い貴族領ならそんな魔物は滅多に出会わないだろう。
「…………」
以前、森の中を通るとき出会い頭にホブゴブリンと遭遇したこともあったが、一度あったことなら再び起こる可能性もあると言うことか。
身長は2メートルほど。がっしりとした人型で横幅があり、全身が筋肉の鎧で覆われていたが、その頭部は人型ではなく野生の豚のような形をしていた。
【オーク】【獣亜人種】【ランク3】
【魔力値:108/110】【体力値:343/413】
【総合戦闘力:374(身体強化中:430)】
……たぶんこれがオークだ。生まれながらの戦士であり、集落を形成し、集団で人間を好んで襲う危険な魔物だ。
こんな場所に出現するとは思わなかったが、この体力の減り具合だと、またどこからか流れてきたはぐれ魔物か。
唐突な出会いで私とオークの距離は五メートルもない。だけどオークは、隠密を使っていた私をまだ見つけていない。
私は瞬時に全力の身体強化をかけて思考を加速する。
これは好機だ。相手は格上でも今の私の戦闘力からすれば圧倒的な強者ではないが、時間をかけてしまえば地力の差で私が不利になる。
使える技を全て使って対処する。戦法は奇襲による暗殺……全力を使った瞬殺だ。
オークを発見して3秒で思考をまとめ、ペンデュラムを木の枝に巻き付け、移動していた勢いのまま木の上に飛び上がる。
『ブォ?』
気配はなくても私が動いたわずかな風の流れでオークが振り返るが、そこにはすでに私の姿はない。
闇魔法で茂みの中に隠すように“兎”の形と音を作ると、それを探知で察したオークが
その時には私は木の枝からさらに上に飛んでいた。
いつもの魔鋼製の黒いナイフではなく、ブーツに括り付けていた細いナイフを空中で抜き放つ。
セラに貰って1本だけ残った細身のナイフは、鋼製の大量生産品だが、刃が厚く貫通力に優れていた。
オークの全身は筋肉の鎧に覆われているが、それはあくまで身体強化されていることが前提だ。気を逸らし油断し、弛緩しているオークの首に上空から全体重をかけて細身の刃を根元まで突き刺した。
『ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?』
唐突な激痛にオークが攻撃をされたと理解する前に、ナイフから手を放して死角に回るように姿を消し、黒いナイフを逆側の首に突き刺した。
オークの体力値が一気に減るが黒い刃が筋肉に阻まれて途中で止まる。筋肉で挟まれたナイフからまた手を放した私は、腰からフェルドに貰ったナイフを抜き放つ。
ずっと解体だけに使っていた予備のナイフだが、これ自体はかなり良い物で、実際に単純な攻撃力なら黒い短剣に匹敵する。
オークの背後に回り、必ず振り返ると信じて鋼のナイフを大きく振りかぶる。
「――【
そしてようやく攻撃されたと察したオークが振り返るのと同時に、私が繰り出した短剣の戦技が、オークの目玉から脳髄まで貫通した。
***
オークと遭遇してから二週間かけて、ようやくクレイデール王国、王都に到着した。
オークの素材は特に回収せず魔石だけを取ってきた。
あの女は、オークの肉が高級素材と思い込んでいたようだが、実際は肉食の魔物の肉など臭みがあって売れはしない。
安い屋台などで豚肉の代用品として使われることはあるが、人型の肉なんてよほどじゃないと一般人の手は伸びないだろう。
王都にある一般人用の門に並んで中に入る。この国の中で一番警備が厳しいと言っても、所詮は人が行うことなので、子供であり冒険者ギルドのタグを所持していれば簡単に街に入ることができた。
ただ――
「お前さんのタグは随分と傷んでるな。ギルドで交換したほうがいいぞ」
門番にそう言われるほど、今までの修行と戦闘で金属製のタグが痛んでいた。ランクも1のままだし、そろそろランク2に更新してもいい頃だろうか?
師匠のところを出たときは真冬だったが、そろそろ春の気配を感じられ、私が孤児院を脱走してからもう一年になり、あと半年もすれば9歳になる。
今まで出来るだけ身バレは避けてきたけど、あまり逃げ回ってばかりでも行動が阻害されるので、発行場所を王都に更新しておけば誤魔化せる場面も多くなるだろう。
王都の街並みは、大都会と言われたダンドールに比べてもさらに栄えていた。
「………?」
そんな人の多い王都の街を眺めながら歩いていると、少し嫌な視線を感じた。
いつもの好奇心のような視線もあるがそれとも違う。かといって盗賊ギルドの人間や暗殺者ギルドの連絡員はあり得ない。
王国一安全と言われるこの街で、そんな馬鹿げたちょっかいをかけてくる“プロ”は存在しないはず。だとするなら、この視線は馬鹿なチンピラが小遣い稼ぎに旅人や子供を狙っているのだと考えた。
放っておいてもいいけど……面倒だな。
衛兵に訴えるという選択もあるが、まだ襲われてもいないし、自由民の私のいうことを真面目に聞いてもらえるかわからない。
まぁ、街の情報を得るには、痛めつけていい相手は丁度いいかもしれない。
大通りから離れて裏通りのほうへ進むと、嫌な視線もついてくる。
……3~4人かな? 足運びの乱雑さを考えると、チンピラでもなく街の不良少年たちといった感じだろうか。
呑み屋街のような場所を抜けて、さらに人の少ない場所へと向かうと、完全に人が居なくなった辺りで小走りになった足音が聞こえてきた。
やはり4人……全員十代半ばから後半の少年たちだ。彼らは足を止めた私にニヤニヤ笑いを浮かべながら近づき、リーダーらしき少年が自分の力を誇示するように小さな鉄製のナイフを抜き放ったその時――
「お前らっ! そこで何をしているっ!」
裏路地の入り口から別の人の声が響き、背の高いガッチリとした、見覚えのある男のシルエットが浮かび上がる。
この声は……
「………フェルド?」
フェルドについては第四話辺りをご参照下さい。
次回、再会。どうして彼がここにいるのか?
そしてアリアは意外な人物と関わることになる。