50 戦いの予兆
「お祖父様、ご相談があるのですが、少々時間をいただいてよろしいでしょうか?」
クレイデール王国の王都、王城にある宰相の執務室にて、その部屋の主であるベルト・ファ・メルローズは、突然来訪した孫をジロリと睨む。
仄かに赤みがかったストロベリーハニーブロンドの少年は、現宰相である祖父の視線に物怖じもせず、その髪色と同じような甘い顔に笑みを浮かべた。
ミハイル・メルローズ。メルローズ家嫡男の第一子であり今年10歳になった少年は、強い魔力のせいかここ数年で平民の十三歳ほどまで成長し、祖母譲りの甘い顔立ちと艶のある微笑みで、王城に勤める若いメイドたちの話題となっている。
ベルトの息子でありミハイルの父である嫡男は、宰相の仕事で王都から離れられないベルトに代わってメルローズ辺境伯領を治めているが、まだ魔術学園入学年齢でもないミハイルが王都にいるのは、彼が王太子の側近候補である“友人役”だからだ。
ダンドール辺境伯令嬢のクララがエレーナの遊び相手を務めていたように、王太子の遊び相手として、次代国王の周りを固める家柄の良い子供たちが数人集められ、その中でもミハイルは、現総騎士団長の長子でクララの兄でもあるロークウェル共々、王太子と良い関係を築けていると聞いている。
「お前は本当につかみどころのない奴だな……」
「私はお祖父様の眼光には慣れておりますからね。そもそもメルローズ家の人間は、あまり人の顔色を窺うような性格ではないでしょう」
「……そうだな」
ベルトは自分もそうであると理解して口元を歪めながら、執事のオズが煎れた茶で口元を濡らした。
元一国の王家であったメルローズ家の人間は、良くも悪くもそんな側面がある。それ故に王家に対しても物怖じせずに意見具申することが出来るのだが、それがベルトやミハイルのように王族に気に入られることもある。
「そういえば、彼奴もそうだったな……」
今にして思えば、娘が立場も考えず駆け落ちをしてしまったのも、そんなメルローズの性格が色濃く出てしまったからなのか。
「その方とは、お話に聞く叔母上でしょうか? お美しい方だったと古い使用人が話しておりました。……噂では私の従妹にあたる少女が見つかったとか?」
「……どこでその話を聞いた?」
王家を含めた極一部の者しか知らない“事実”を話すミハイルをベルトが睨むが、彼はにこやかな笑みを浮かべてそれをあっさり受け流す。
おそらくはこの歳で独自の情報網を持っているのだろう。それを考えれば王太子が国王になったときの宰相としては、その父である息子よりも適任かもしれないが、あまりにも早熟すぎる孫にベルトは小さく溜息を吐いた。
「アレはもう数年は様子を見る。……それで話とは何だ?」
「その前に、この件はお祖父様だけにお伝えしたいと思います」
「……わかった。オズ」
「かしこまりました」
部屋の隅で控えていたオズがベルトとミハイルに頭を下げて退出する。暗部の騎士である彼にさえ聞かせられない話とは何なのか?
「これでよいか?」
「はい、お祖父様。王太子殿下のことにございます」
ミハイルの話では、王太子が最近市井の生活に興味を持っているそうだ。それ自体は悪いことではないが、王太子は“王太子”としての立場ではなく、『お忍び』で王都を見て回りたいと希望しているそうだ。
王都の中には治安維持のために衛兵の詰め所が各地にあり、見回りもしているので、よほどのことがないかぎり危険はない。その治安の良さは、さすがに一人でとは言わないが、伯爵クラスの令嬢でも二~三人の護衛や侍女だけをつれて街で買い物をする姿がよく見られるほどだ。
だが、王太子の立場ではそれは許されない。たとえ王都内であろうと十人程度の近衛騎士を連れ、買い物をするのにも高級店を貸し切りにする必要があった。
それがお忍びで見て回りたいというのは、おそらくほとんど護衛もなしに出掛けていた、自由奔放だった元子爵令嬢である王妃に感化されてしまったのだろう。
(……本当に厄介なお方だな)
「私もさすがに数名の護衛はつけるよう承諾はさせました。ですが王女殿下の療養の件で、未遂とは言え誘拐を許したと何処かから聞き及んだらしく、城以外での暗部の護衛は拒絶なさっておられます」
「そうか……」
確かにあれは暗部組織として失態だった。いくら人手が足りないとはいえ、王族の周辺には、セラなどの上級騎士が確認した、信用のある者しかつけていなかったのだが、調査の結果、三十年近く王家のために働いてきたグレイブが、人員の配置を換え、王女殿下の警備を意図的に薄くしていたことが判明した。
グレイブは若い頃に潔癖なほど過激な面はあったが、それはすべて王家に対する忠誠ゆえだと思われていた。実際にここ十年以上は過激な面は鳴りを潜めて、王家派である彼がそのようなことをする理由がわからなかった。
(いや、……その潔癖ゆえの暴走か)
グレイブは、ベルトが出した指令である『桃色髪の少女』の確認もせずに姿を消し、その少女は“怪人”に襲われて行方不明になったと聞いている。
現在見つかっている“孫娘”に違和感を感じて、否定する材料が欲しくて確認に向かわせたが、もはや生死も分からない子供を捜す術はなかった。
セラの祖父であるホスも有能ではあったが、友人が残した忘れ形見に目が曇っていたということだろうか。
「ミハイル……お前なら殿下を諫めることもできただろう?」
「それはどうでしょう? それに私としても将来仕える相手として、温室育ちの世間知らずでは不安がございます」
「言うではないか。それで何が望みだ?」
「はい。有能な暗部騎士は全員、殿下も顔は知っています。なので、お祖父様に市井に詳しい、暗部以外の護衛を数名貸していただけると嬉しいのですか」
「市井に詳しい…か」
有能な騎士に護衛させる手もあるが、上級騎士が多い近衛では市井に詳しいとは言えず、一般騎士では市井に詳しくとも王太子が求める“市井”とは違うと思う。
(そういえば、あの連中が近々王都に戻ってくると言っていたな)
「誰か、ギルドに使いを出せ。冒険者パーティー『虹色の剣』に指名依頼を出す」
***
「……予定より早かったですね。下級とは言え盗賊三人の暗殺は時間がかかると思っていたのですが」
予定より早かったらしい一ヶ月で、暗殺者ギルド北辺境支部の本拠地へ戻った私に、支部の長であるディーノが驚いたような顔をした。
私の戦闘力を知っていても所詮は子供なので手間取ると考えていたのだろう。実際には到着して三日ほどで仕事が終わってしまったので、戻ろうと思えばもっと早く戻れたけど、ついでにダンジョンで魔物を少し狩ってきた。
とはいえ、パーティーではなく一人なので深く潜れるわけではないし、潜るつもりもない。聞くところによると三十階層とされていても、それはダンジョンが出来てからの年数と階層の規模によって算出された数値でしかないらしく、あのダンジョンの攻略階層は六十年ほど前の当時の領主が兵士のごり押しで進めた十五階層が最高到達地点だとギルドでは言っていた。
地下五階層辺りからはランク3の魔物が単独で出現する。
実際に倒しながら進むとすればかなり時間はかかったはずだけど、低階層ならギルドに地図があり、隠密と探知を使って私は強引に地下へと進んだ。
ダンジョンは魔物であり、その中は地上の法則が通用しない場所である。
地上よりも強い魔素に満ちており、そのおかげで魔物は最低限の食料のみで活動することができるが、そのせいか常に飢えており、人の味を覚えた魔物は非常に好戦的だった。
だが、その強い魔素のおかげで、魔物が棲みやすいだけでなく、深く潜るほど人間もスキルを得やすい環境になっているのだ。
本来なら、ダンジョンは初めてなので慎重に進めるべきだろう。
でも私には強い敵との戦闘経験がまだ足りない。自分より強い敵との戦いばかりしてきたように思えるが、実際は片手で数えられるほどの戦闘しかしていないので、私は強くなるために単独でダンジョンに潜り、体力と食料の限界まで狩ってきた。
それを切り上げたのは、それ以降の階層に下りると複数の敵を相手にする必要があったのと、単独でいるランク3の魔物が私に近寄ってこなくなったからだ。
「まぁいいでしょう、約束の報酬をお支払いします。それとちょうど良かった。先ほど例の『暁の傭兵』の情報が連絡員より届きましたので、それもお渡しします」
ディーノが報酬の金貨10枚と次のターゲットの情報を渡してくる。
金銭はだいぶ使ってしまったのでちょうど良かった。だいぶ無茶な戦闘をしたので、また衣服と外套を買う必要があり、残りが銀貨数枚になっていた。
でもそれよりも今はターゲットの情報を読むべきだろう。生成りの紙の束をペラペラと捲り、個人情報は飛ばして現在の状況を見てみると――
「……王都?」
「あれから時間が過ぎましたので、連中はこの北辺境地区を離れて王都へ向かったようです。おそらくは、ほとぼりが冷めるまで王都近くにある大規模ダンジョンに隠るつもりかもしれません」
「またダンジョンか……」
「できれば王都にいる間に仕留められればよいのですが、警備の厳しい王都ではそれも難しいでしょう。現地には連絡員がいませんので、こちらからも一人か二人送るべきでしょうか……」
「王都に暗殺者ギルドはないの?」
ここの暗殺者ギルドは、国内に数カ所ある支部の一つだ。支部と言うことは本部があり、それは王都にあると思っていたのだけど違うのだろうか。
私がそんな疑問を口に出すと、ディーノは大仰な素振りで肩を竦める。
「我が愛する兄弟弟子よ。その辺りは面倒な話になりますが、我々暗殺者ギルドは同じ組織でありながら一枚岩ではありません。敵対しているわけではありませんが、同じ目的を持つ“
「なるほど……」
争っているわけでなく各支部で成績を競い合っている感じか。いや、大手商会から暖簾分けされて別経営になった商会が、本店と疎遠になっている感覚に近いのかも。
冒険者ギルドでもそういう面が多少あるけど、情報の共有さえしないのは馬鹿らしいとは思うが、私にとってはそのほうがやりやすい。
さて、話は終わりだ。資料を外套の内側に仕舞って背を向ける私に、まだ何かあったのかディーノが最後に声をかけてきた。
「ところで、数週間前からガイが外に出たまま戻っていないのですが、君のところへ姿を見せてはいませんか?」
「私が知るはずないでしょ」
「そうですね……」
ディーノはまた肩を竦めるとそのまま背を向けて去って行った。
疑われている……? でもディーノは
おそらく鑑定が使える人間なら、私が最初に着いたときに戦闘力を見ていると思う。そして鑑定には魔力が必要なので、それ以降はよほどのことがないと再鑑定はしないはず。
そこが、私が付けいる隙になる。
やることが終わっても、何が仕掛けられているのか分かったものではないから、与えられた部屋には戻らない。
私は一人、ギルド内を再確認するようにもう一度見て回る。
暗殺者ギルドではあまり他者の気配を感じないが、誰かがいる程度の薄い気配は感じていた。私も気配を消しているので、私の存在を捉えることが出来る人間は少ないはずだ。
このような環境にいたら、嫌でも隠密と探知を鍛えられるな……。戦闘力が低くてもそちら方面の技術が高い者がいるのはそういう理由か。
出掛けているのか仕事をしているのか、ギルド内にキーラの気配は感じなかった。顔を合わすのも面倒で厄介な奴だが、姿が見えないのも不気味だ。
他にギルド内で厄介なのは、影使いラーダ、戦闘狂シャルガ、呪術師の賢人か。
名前からしてラーダを見つけるのは難しいだろう。逆にシャルガは、存在をまるで隠さない強い気配があり、何の対策もなしに近寄るのはマズいと思えるほどの力を感じさせた。
ある一角に足を踏み入れる直前で私は足を止める。その場所は、目に見える魔素が奇妙なほどに混ざりあい、混沌とした様子を見せていた。
これは……嫌な感じだ。まさかこれが『呪い』だろうか。呪術師、賢人……そこに足を踏み入れることが出来ずに立ち止まっていると、通路の奥の暗がりからローブのフードを被った老人が暗い目付きで私を見つめていた。
「…………」
………エルフでも歳は取るんだな。
その呪いの領域には踏み込まず、私がその場から離れても何もしてこなかったので、賢人の戦闘形式は受け身型だと推測する。
私はそのまま元炭鉱である暗殺者ギルドの最奥まで足を進めた。
どこかから風が通り抜けるような低い唸り声が聞こえてくる。
そこに近づく前から分かっていた。私の足がそこに行きたくないと重さを増す。きっと誰も近寄らない。そこに近寄れば死が待っていると分かるからだ。
それに気づかないような奴はここで生きる資格さえないのだろう。
私は怯えそうになる精神を心の奥底へ沈めて一歩ずつ歩を進めると、その最奥で鎖に繋がれ、女の腕ほどもある太い鉄格子に閉じ込められた、一人の“獣”を見つけた。
「処刑人……ゴード」
私の呟きに低い唸り声をあげていたゴードが顔を上げる。
【ゴード】【???♂】
【魔力値:167/186】【体力値:531/546】
【総合戦闘力:1281】
三メートル近い身長に二メートル以上もありそうな長く歪んだ腕。
その全身を汚物にまみれた包帯で巻かれたその男は、黄色く濁っていたその目に凶悪な光を宿し、突然私に襲いかかってきた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!』
ガガンッ!!!
岩肌に括られていた鎖が限界点まで伸びて、太い鉄格子を歪ませるようにぶつかってきたゴードの爪が私の鼻先数センチのところで宙を切る。
ゴードの全身には、賢人のエリアで見た混沌とした魔力がこびり付いていた。おそらく賢人が呪術でゴードを縛っているのだろう。
この男はただの“獣”じゃない。狂っているのかもしれないが、その動きにはあきらかに洗練された“技術”が垣間見えた。
おそらくは、薬物と魔術と呪いの成れの果てか……。その何かを求めるように伸ばされた腕の爪先に私がそっと指で触れると、逆に驚いたようにゴードが腕を引いた。
誰もお前には近づかない。
誰もお前の姿を直視することはない。
誰もお前に触れようとは思わない。
私はゴードの濁った瞳を真っ直ぐに見つめながら、彼に小さく声をかけた。
「待っていろ。お前に相応しい舞台を用意してやる」
【アリア(アーリシア)】【種族:人族♀】【ランク2】
【魔力値:172/180】10Up【体力値:142/145】5Up
【筋力:6(7.2)】【耐久:7(8.4)】【敏捷:10(12)】1Up【器用:8】1Up
【短剣術Lv.2】【体術Lv.2】【投擲Lv.2】【操糸Lv.2】
【光魔法Lv.2】【闇魔法Lv.2】【無属性魔法Lv.2】
【生活魔法×6】【魔力制御Lv.3】1Up【威圧Lv.3】1Up
【隠密Lv.3】1Up【暗視Lv.2】【探知Lv.3】1Up【毒耐性Lv.2】1Up
【簡易鑑定】
【総合戦闘力:216(身体強化中:242)】45Up
新しい攻略対象者はアリアの従兄でした。ゲームに出てくる攻略対象者は六人です。
王太子、騎士団長の子息、宰相の孫、神殿長の孫、暗部の騎士、王弟です。テンプレですね。
次回、王都へ旅立ちます。水曜更新予定です。