44 来訪者
一ヶ月かけて、ようやく魔物糸の束が出来上がった。
太さ1ミリ程度で約40メートル。そう言うと沢山あるようにも思えるけど、ペンデュラム1本あたり7メートルくらい使うので、そう考えると3本分しか予備がないから、少しも無駄にできない。
【操糸】スキルがない頃は、命中率を一割程度補正するのが精一杯だったが、スキルを得たことで三割程度の命中率補正が出来るようになった。
髪の毛ではなく私の血を馴染ませた糸では、補正が二割程度になったが、この魔物糸でも同程度の補正は出来るだろう。
そして何より魔物糸は強靱だ。ただの木綿糸ではいくら魔力で強化しても、グレイブにはあっさり見切られて糸を切られてしまった。
もちろんこの魔物糸でも単体で刃を受け止めることなんて出来ないけど、宙を舞っているこの糸を切るのは相当難しいはず。
師匠に教えてもらいながら魔物糸の防腐と耐火処理をして、最後に無くした刃の代わりに暗器の投擲ナイフを括り付けていると、不意に師匠が顔を上げ、私も同じように顔を上げて玄関のほうへ視線を向ける。
「人の気配がする」
「……気配を消しな、無愛想弟子。とりあえずあんたは奥へ入れ。私が相手をする」
「了解……師匠」
この五ヶ月間、誰も訪れることがなかったこの場所に“人”らしき気配が現れた。
師匠によると、年に一度知り合いの行商人が塩や素材などを届けてくれるらしいが、今はその時期ではない。
しかも外にいる人物は、斥候系の探知スキルを持つ師匠や私でも、家の周囲に近づくまで気付けなかった。
斥候系の技量と強さはイコールではないけど……只者ではないな。
私は師匠に言われたとおり奥にある部屋に入り、気配を殺しながらそっと扉に聞き耳を立てた。
*
「……入れ」
セレジュラが扉に向かってそう声にすると、音もなく扉が開き、外の光と共に背の高い三十代半ばほどの男が姿を現した。
暗い金髪に爽やかそうな薄っぺらな笑みを張り付かせた男は、舞台役者のような仕草でセレジュラに頭を下げる。
「お久しぶりです、我が敬愛する師よ。お元気にしておりましたか?」
「……お前を弟子だと思ったことはない。何をしに来た、ディーノ」
冷たく言い放つセレジュラにディーノが気取った仕草で肩を竦める。
「この度、私が北辺境地区の長となりましたのでそのご挨拶と、少し厄介な仕事がありましてね。我が敬愛する師セレジュラにお願いしようかと思いまして」
「お前のところは、こんな世捨て人を使うほど碌な人間がいないのかい?」
「普通の相手なら問題ないのですが、相手が手練れの冒険者崩れでしてね。まともにやるとこちらの被害も大きい。なので、あなたに“お願い”しています」
「……私はもう“殺し”からは足を洗ったんだよ」
ディーノは『
そんな組織とセレジュラに何の関係があるのか? 暗殺者ギルドの長であるディーノがどうしてセレジュラを“師”と呼ぶのか?
セレジュラの返した答えは想定内だったのだろう。ディーノは慌てることなく軽く頷くと、用意していた言葉を告げる。
「魔族の東部戦線の『戦鬼』セレジュラ。今でもあなたが生きていると知れば、騎士団が総出で討伐に来るでしょう。そんなあなたなら、ランク4の冒険者パーティーなど問題ではないでしょう?」
「…………」
ディーノが笑顔でセレジュラを脅す。
セレジュラは元魔族軍の魔術師で、多くの戦場で多数の他種族を殺してきた。そんな彼女がどうして魔族軍を抜けたのか誰も知らないが、魔族軍の目から逃れるために、セレジュラは最も安易な裏の世界に身を寄せた。
「それと……ここには、もう一人おられますね? 珍しく弟子でも取られましたか? 私も兄弟子として、その方の“面倒”を見ないといけませんね」
「ディーノっ」
無関係な人間まで巻き込もうとするディーノにセレジュラから殺気が湧き上がるが、彼の仮面のような笑みは変わらない。
ディーノはセレジュラが暗殺者ギルドと敵対できないことを知っている。
彼ではセレジュラには勝てないが、もし敵対しても、ここから逃げおおせる程度の算段はしているだろう。そして敵対して逃がしてしまえば、セレジュラだけでなく新しく弟子にした幼い少女まで暗殺者ギルドに狙われることになる。
魔術師と暗殺者では戦い方が違い、一度でも逃がせば立場が逆転する。
どれだけ“個”で圧倒しようとも、“組織”相手に延々と戦い続けることがもうセレジュラにはできないのだ。
「……これが最後だ。わかってるな?」
「ええ、もちろんですとも。我が敬愛する師に無理なお願いはもういたしませんよ。では、ターゲットの情報ですが、」
「その話は“私”が聞く」
*
「無愛想弟子っ! あんたは引っ込んでなっ!」
言いつけを破って部屋から出た私に、師匠が声を張り上げた。
話を聞いていて察した。この男はおそらく『暗殺者ギルド』の人間で、師匠もそれに関わっていたのだろう。それから足を洗った師匠が、今度は私を盾にされることで無理強いをされている。
私は師匠の声を無視して前に出ると、ディーノという男の全身を視界に収めながら師匠に声をかける。
「師匠は、もう戦えないんでしょ?」
「あんた……」
「ほぉ…? 弟弟子ですか? 妹弟子ですか?」
「それが大事なこと? 冒険者を相手にするのなら、師匠が力業で倒すよりも私のほうが向いているはずだ。師匠の代わりに私が行く」
「何を言ってるんだいっ!?」
私の言葉に師匠が一瞬ディーノがいることすら忘れて私に詰め寄った。
「ガキが大人の話に顔を突っ込むんじゃないよっ! あんたは分かってるのかいっ? コイツは“殺し”の依頼をしてきたんだよっ」
「確率の問題だ」
師匠は何も言わないけど、おそらくまともに戦える身体じゃない。
師匠は私よりもディーノよりも強い。でも、長時間戦うことができない師匠では、依頼を達成できても生きて帰れる確率は私が戦うよりも低いと判断した。
「相手が“人”なら、今の師匠よりも私のほうが生き残れる。ただそれだけだ」
「…………」
師匠も私が“子供”でも、それなりの“経験”と“修羅場”をくぐってきたことを思い出したのだろう。
感情的には納得していないけど、師匠も冷静に判断して、魔物や圧倒的強者ならともかく、ランク4の冒険者相手なら、敵に躊躇せず相手の油断を誘える私のほうが今の自分よりも確率が高いと理解して、説得する言葉を失った。
「君に人が殺せるのですか?」
「問題ない」
それまで黙って私たちのやり取りを聞いていたディーノが、私を怪しむような瞳で見る。でも怪しむ以上に、師匠が弟子を向かわせて苦しむことや、子供の私が失敗して無惨に殺されるような姿を想像したような、嗜虐的な笑みが顔に浮かんでいた。
でも私は死なない。師匠も死なせない。そのためなら“関係のない人”でも手にかける覚悟はできた。
「ならば、我が愛しい兄弟弟子殿にお任せしましょう。ですが、その前に一人殺していただいて、それを試験としますがよろしいですか?」
「私の“敵”なら殺す」
無差別に殺させるつもりか? 暗殺者ギルドがそんな安っぽい殺しをしているのか、と侮蔑を含んだ視線を向けると、その意味を読み取ったのか、ディーノは朗らかで薄っぺらな笑みを浮かべた。
「ご安心を。私どもは殺す対象も厳選しております。それに、我らが敬愛する師セレジュラに依頼する仕事は、すべて対象が悪党ばかりです。その愛弟子であるあなたにも、同じようなクズの始末をお願いします」
「それは自分で判断する」
暗殺者ギルドに殺しを依頼される人間は、よほどの“クズ”か、よほどの“善人”かどちらかだ。冒険者で善人はいないだろうと考えていたが、最初から師匠もそんな依頼は受けなかったと言うことか。
「では、こちらをどうぞ。当日までに、そこまでおいで下さい。では我が敬愛する師セレジュラ、またお会いしましょう」
ディーノはメモに使うような紙の切れ端に簡単な場所と日時を書いて私へ渡すと、師匠に挨拶をして意外なほどあっさりと帰っていった。
「「…………」」
ディーノの気配が完全に消えて二人きりに戻ると、師匠が複雑な顔で私を見る。
師匠はお人好しで甘い人だ。私のほうがこの仕事に向いていると理解しても、子供を死地に送ることを一瞬でも認めたことに後悔していた。
でも私は死にに行くつもりは欠片もない。だから心も揺れることはない。
気負いもなく、後悔もなく、不安もなく、ただ真っ直ぐに見つめ返すと、師匠は諦めたように溜息を吐いてそのまま自分の部屋に入っていった。
「…………」
いまさら話を蒸し返されても困るからちょうどいい。
私も自分の部屋に戻り、最初に着ていた上下の旅服に着替えると、手持ちのナイフや新しく作ったペンデュラムと一緒に、作った毒類を袋に詰める。
もうすぐ夕方だが、暢気に夕食を食べてから出発する必要もないだろう。元々根無し草の浮浪児なので、いつでも“戦える準備”はしていたから、用意にそれほど時間はかからない。
荷物を抱えて部屋を出ると、自室にこもったはずの師匠が居間のテーブルで私を待ち構えていた。
「無愛想弟子。少し話につきあいな」
「わかった」
一応警戒しながらテーブルに着くと、そんな私に師匠はまた深く溜息を吐いてから、幾つかの物をテーブルに並べた。
「今更止めはしないよ。お前は庇護される子供じゃない。これからは一人の“人間”として、アリア、お前の意志を尊重する」
そう言って話してくれたのは、師匠自身のことだった。
師匠は、魔族でもそこそこ良い家の生まれだったらしい。
闇エルフは森エルフと同様に長寿だが、それ故に怠惰に生きる者が多いそうだ。そんな闇エルフの中で、師匠は幼い頃から厳しい魔術の訓練をして、魔族からも恐れられるような魔術師となった。
人族との戦争で、顔さえも知らない者たちを殺していた師匠は、100年以上前の戦場で、唐突に自分には何もないことに気づいたらしい。
大事なものがないから恐怖がない。それを今まで殺してきた者達の『恐怖』を知ることで理解した師匠は、そのまま戦場で死んだことにして魔族から離れた。
それでも魔族である師匠はどの種族にも受け入れてもらえない。だから、種族にあまり拘りのない、実力主義である『裏社会』に紛れて生きることにした。
その一つが暗殺者ギルドで、過去に北辺境地区の長の息子であるディーノにも魔術を教えたこともあったそうだ。
「いいかい、大事なことだからよくお聞き。私がまともに戦えなくなったのは、長く戦ってきたせいだけじゃない。“ここ”のせいさ」
師匠が指先で自分の心臓辺りをつつく。
師匠の魔力属性は四つ。一般的には属性が多いほど優秀とされているが、歴史を見ればそんな英雄はほとんどが長生きできていない。
英雄になったから誰かに殺されるのではなく、心臓に生成される“魔石”のせいで英雄が死ぬのだと師匠は言った。
属性が二つくらいなら問題はない。だが全属性をもつほど才能に溢れた英雄は、そのために肥大化した魔石のせいで、長生きできない身体になってしまう。
確かエレーナも四属性で、強すぎる魔力で身体を壊したと言っていた。でも師匠の話が本当なら、肥大化した魔石に幼い心臓が耐えられなかったのではないだろうか?
もしかしたら、増えた魔力によって身体が急成長するのは、心臓の負担を減らすためにそう進化したのではないかと思った。
四属性くらいなら無理をしなければ寿命を全うできるそうだが、それ以上になると早死にすることが分かっていながら、子供に多くの属性を持たせる魔術師の家系があるそうだ。
それと同じでダンジョンなどで手に入る【加護】も、使用すれば寿命を大幅に減らしてしまうらしく、もし得られる機会があっても絶対に手を出すなと言っていた。
やはり美味い話には“裏”があったか……
「それと餞別だ」
師匠が私に餞別としてくれたのは、師匠が昔使っていた装備類だった。
布製の物は百年でダメになっていたが、魔物革で作られたショートブーツは、濡れ布巾で拭くだけでその光沢を取り戻した。
「今のあんたには少し大きいけど我慢しな。こいつはナイトストーカーという魔物の皮を使っているので吸音性に優れている。そして上位魔物の革は、多少の傷でも水分と使用者の魔力で徐々に再生する。ほら、靴の裏も再生しているだろ?」
それだけじゃなくブーツには幾つかのギミックが仕込んであり、接近戦では役に立つと思えた。
その他にも魔鋼を中に仕込んだ左手のみの手甲や、射程は5メートルしかないけど手の平に隠れるほどのクロスボウ。それから師匠が仕込んだ“ポーション”と“猛毒”を、師匠が昔使っていた魔物革のポーチと一緒に貰った。
「お前は絶対生き残って“大事なもの”を見つけるんだよ。無愛想弟子」
「うん……師匠」
***
(対象、確認)
セレジュラの森の隠れ家から離れた森の中、一人の若者が家から出る子供の姿を認めて注視する。
若者は暗殺者ギルドの監視員で、戦闘力はランク2程度と低いが、3レベルの探知スキルと2レベルの遠視スキルを持ち、ターゲットの監視をするには適した人材だった。
彼の監視任務は、セレジュラ及びその弟子が逃げ出さないか監視すること。
もっとも闇エルフのセレジュラでは逃げても人族の社会に紛れることはできないが、今回仕事を受けたというその弟子が、妙な真似をしないか監視するのが主な理由だった。
ディーノは最初から、セレジュラもその弟子も信用していなかった。セレジュラが敵対するとは思っていない。だが、弟子をこっそり逃がすことはあり得ると考えていたのだ。
(……なんだ?)
家から出た子供の姿が不意に消えた。レベル3の探知スキルはその存在を朧気に捉えていたが、若者の監視は遠視スキルと組み合わせることで本領を発揮するので、姿が見えなくなると精度が下がる。
その子供は、人里へと続く獣道ではなく、若者がいる方角へ向かってきた。
まさかバレたのか? ディーノが現れたことで警戒はしているだろうが、森の中に隠れた若者を見つけることは、“普通”の探知では難しいはず。
その子供の気配が脇道に逸れるようにして若者の30メートル脇を通り過ぎ、気のせいだったかと安堵した若者の首筋を、糸の先についた刃が斬り裂いた。
「がっ!?」
木の上から落ちて死に掛ける若者の瞳に、冷たい目をした子供の姿が映る。
何故ここにいる? さっきまで感じていた気配は何だったのだ? 子供は若者の疑問に答えることなく容赦なく咽を斬り裂き、その死を確認すると冷たい声で呟いた。
「お前たちは、“私”の“敵”になった」
アリアはセレジュラの代わりに暗殺者ギルドへ向かいました。
そこで彼女が取る決断とは。
次回は水曜予定です。