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40 決別

第二章ラストになります。



 クレイデール王国の暗部にグレイブという男がいた。

 彼は本来このクレイデール王国の人間ではない。クレイデールの北にある宗教国家、ファンドリア法国の男爵家の子として生まれ、信心深い家の人間として育ったが、ある日のこと彼の父は政敵によって貶められ、神官長としての座を逐われただけでなく獄中で帰らぬ人となった。

 それからグレイブの母はまだ幼いグレイブを連れて国を離れ、厳しい旅を経て、クレイデール王国へと流れ着く。


 だが、その厳しい旅によりグレイブの母は身体を壊し、彼女も父の後を追うことになった。見知らぬ地でたった独り生きることになったグレイブは、スラムに住み着き、生き延びるためなら何でもして、自分と家族をこのような運命に落とした世界と貴族を恨んで生きてきた。

 だがそんなグレイブを救ったのも貴族だった。

 その男はホスというクルス人で、彼とグレイブの父は知り合いだったらしく、ホスはグレイブの父と母を救えなかったことを幼いグレイブに詫び、スラムで犯罪者まがいの生活をしていた彼を家族の一人として迎えてくれた。

 だがグレイブは、貴族であるホスの養子になることを拒み、暗部の騎士であったホスの部下として戦う道を選んだ。


 宗教国家でありながら、ファンドリア法国の上層部は腐っていた。

 このクレイデール王国でも腐った貴族はいるだろう。だが、ホスや他のまともな貴族が潰されずに残っているのを知って、その違いは国の上層部……王家の力だと考えるようになった。

 王家が正しく力を持っていれば国家は乱れない。グレイブは己を厳しく律して武術と魔術を鍛え上げ、時には命令違反すれすれの行為をして国を乱す可能性のある“悪”を潰していった。


 彼の情念は、ある意味“狂気”と言ってもいいだろう。

 国家に巣くう“膿”を出すため表面上は大人しくしてながらも、彼の情念は暗く激しく燃えさかり、己に厳しいグレイブは当然のようにそれを他者にも求めるようになっていった。

 グレイブは特に有能ではあっても、出自のハッキリしない者が王宮に近づくことをことのほか嫌った。セラが子供を使うと聞いて、スラムを嫌うカストロをその世話役に割り当てたのもグレイブだった。

 グレイブにとって国の安定を乱すものは、それが王族でも“悪”になる。

 まだ王太子も幼い故にまだその排除は考えていないが、歪んだ第二王妃に育てられ、王位継承の争いの種になるエレーナが事を起こせば、グレイブは自分が処刑されることになっても彼女を排除することに躊躇はしないだろう。


 そのエレーナのお気に入りとなった一人のメイド見習いがいた。

 子供でありながら貴族に勝るほどの魔力を持ち、単独でホブゴブリンさえ撃破する彼女をグレイブは警戒した。

 そのメイド見習いを試すために、わざとエレーナの誘拐さえ見過ごしてその反応を見たが、そのメイドはたった一人でランク3の盗賊さえも倒してしまった。

 そんな子供はあり得ない。そんな怪しい子供を、エレーナのお気に入りというだけで王宮に入れる危険を冒すつもりはなかった。

 国家の安寧を乱す者は、それがたとえ小さな芽であろうと見過ごすつもりはない。

 とりあえず仕事を与えて地方へ追いやり、時を見て始末しようかと考えていたが、次に暗部の組織から、その子供の持ち物を調べて、“装飾品”を持っているか確認するように命令が下った。


 任務の理由も機密事項だと開示されていない。

 傷つけることも許されず持ち物を確認すると言うことは、もしかすれば、その子供は素性がバレてはいけない貴族の落胤である可能性もある。

(危険だ……)

 あまりにも特異すぎるその存在は、王族さえ巻き込みこの国を揺るがす存在になりかねない。

 彼女が本当に“装飾品”を持っており、もし本当に貴族の落胤であるのなら、その出自が何であれ、グレイブは彼女を排除するべき“危険”だと判断した。


   ***


「……どういうつもり?」


 月のない夜の街……その屋根の上。突然現れて“私の敵”を斬り捨てた、私の雇い主でもある上級執事グレイブは、手にした魔法の剣を私へ向ける。

「質問に答えろ」

「…“何者”って知っているでしょ?」


 どんな筋力をしているのか、片手で構えたその切っ先にわずかなブレもなく、その自然体に見える身体は、私がおかしな真似をすればすぐさま斬り捨てるような剣呑な気配を漂わせていた。


「アリア……。ヴィーロが連れてきた得体の知れない子供で、単独でホブゴブリンを殺し、格上の盗賊さえも容赦なく殺した、不気味なガキだ」

「…………」

「そんなガキがいるものか。その力をどうやって得た? その歳で何故、躊躇なく人を殺せる? あの盗賊を殺したのは何かの口封じのためか? お前は何を隠している? 何故貴族がお前に興味を持つ? もう一度問う……」

 グレイブの鋭い視線が私を射る。

「“お前”は、“何者”だ?」


「……さあね」

 コイツはどこまで知っている? 私に貴族の血が混ざっているなんて、そんなことは誰にもわからなかったはずだ。

 ただ単純に、私の戦闘力に疑問を持っているだけか? だがそれを説明するには私の出自に関することを省けば不自然になる。あの女が“私”だと断定した母が残したこの御守り袋の“指輪”を知られたら、再び運命の歯車に巻き込まれてしまうだろう。

 冷静に状況を判断しようとして、それでも私は少し焦っていたのか……無意識に首から下げた御守り袋を服の上から触れてしまうと、それをグレイブに見咎められた。


「やはり何かを隠していたか。それを渡せ。お前が貴族と関係があるのなら…」


「――【幻痛(ペイン)】――ッ」


 即座に放った【幻痛(ペイン)】にグレイブが一瞬硬直し、その隙に私は屋根を蹴るようにして逃走を開始した。

 戦闘力で十倍以上の差があるグレイブと戦っても勝算は薄い。今の私では勝つどころか逃げることさえ難しいが、魔力の溜はなくても私の奥の手である【幻痛(ペイン)】を食らえば一瞬だけでも隙が出来るはず。

「っ!」

 殺気、と言うよりも嫌な予感で跳び避けると、私の肩を浅く割いてナイフが屋根に突き刺さり、その瞬間に聞こえた風斬り音にそのままの勢いで転がり避けると、迫ってきたグレイブの蹴りが屋根を蹴り抜いた。


「やはり貴族の関係者か。お前が何者であろうと、お前のような危険な存在を王家に近づけるわけにはいかない。貴様はここで排除する」

「……どうして私を殺す?」


 グレイブは【幻痛(ペイン)】の激痛に耐えて即座に追ってきた。戦士系の上級者なら耐える人もいるとは考えていたけど復帰が早すぎる。

 次の策を練るためにどうでもいい言葉をかけると、グレイブは律儀にもその言葉に答えてきた。


「念の為だ。この先、国の安寧を乱す可能性は、すべて“念の為”に潰す。お前が懇意にする王女も同様にな」

「…………」

 エレーナが……彼女の警備が手薄に感じたのはそのせいか……


「お前が死ね」

 右手でナイフを抜くと同時に投げ放ち、左手でペンデュラムを投擲する。

 グレイブは慌てもせずにペンデュラムの刃を一歩下がって躱し、手の剣でナイフを弾き飛ばした。

「ぬっ?」

 一本目のナイフの影になるように投げていた二本目のナイフがグレイブを掠める。

 その間に懐から出した小さな袋を投げると、周囲に粉末が飛び散った。

「毒かっ」

 瞬時にそれを見破ったグレイブが口元を抑えながらも突っ込んでくる。やはりコイツも【毒耐性】持ちか。それでももう一つの小袋を投げると、ようやくグレイブの脚が止まった。

「小細工をっ!」

 一つ目の粉は毒草の粉末で毒耐性があれば耐えられる。だが、二つ目は毒ではなく、森で見つけた赤辛子の種を粉にした刺激物だった。

 それを躱しながらグレイブがナイフを投げ放つ。私はそれを黒いナイフで弾き、口の中で呪文詠唱を始めながら三階建ての屋根から飛び降りる。


「逃がさん」

 即座にグレイブも飛び降りて追ってくる。

 私は落ちながら唱えていた【重過(ウエイト)】を使って落ちる方向をずらし、落ちきる前にペンデュラムを窓枠の手摺りに絡ませ、壁を駆け上がるようにして追ってきたグレイブとすれ違い、元いた屋根へと舞い戻った。

 こんな曲芸まがいのこと、もう一度出来る自信はないが、それでもこの稼いだ時間を有効に使う。

 グレイブが登ってくると思う地点に、最後の赤辛子の粉を撒いてわずかでも時間を稼ぐ。そのまま後ろも見ずに屋根の上を走り出した私の肩を、背後から飛んできたナイフが掠めて血が噴き出した。

 もう登ってきた。でもこれだけ距離を取れば、投げナイフでは刺さっても大きなダメージはないはずだ。もちろん急所に刺さる可能性もあるが、それは運に頼るしかない。


 持っていた手持ちの武器をばらまくように全て使い、グレイブの足止めをしながら、暗い屋根の上を駆け抜ける。

 手持ちの毒はすでに尽き、最後の投擲ナイフも躱された。ペンデュラムの糸も切られて刃は何処かへ飛んでいき、手持ちの武器が黒いナイフだけになったとき、私は街に流れる河の大きな桟橋まで追い詰められた。


   *


「散々逃げ回ってくれたな」

 アリアという怪しい子供をようやく河まで追い込んだ。

 曲芸じみた体術に、状態異常を起こす毒の粉末。投げナイフに、糸の先に刃が付いた奇妙な武器。そしてあの激痛を感じさせた奇妙な魔術と、この子供は奇妙な技術を大量に覚えていた。

 その技術は一見奇妙でこそあるが、そのすべては、単独で格上と戦うことを想定した技術に思えた。特にあの魔術は、厳しい修行で痛みに慣れているグレイブさえ一瞬動きを止められた。もしアリアにランク4以上の力があり、初見でそれを使われたらグレイブは殺されていたかもしれない。

(やはりコイツは危険だ……その牙が王に向けられる前にここで殺す)


 思ったよりも手こずったがこれで終わりだ。もうアリアに武器はなく、最後に残った黒いナイフを構えながら、ジリジリと桟橋の縁まで追い詰められている。

「最後に無駄を承知で挑んでくるか? それともそのナイフで自ら命を絶つか?」

「…………」

 アリアは何も答えない。鋭い瞳でグレイブを睨みながらわずかでも生き残る道を探している。

 その瞳は嫌いじゃない。セラやヴィーロが気にかけて、自ら鍛えていたのも少しだけ分かる気がした。

「私は……お前の手で死ぬつもりはない」


 アリアの足が桟橋の縁を蹴り、その小さな身体がふわりと宙に舞う。

 その瞬間にナイフを投げることもできただろう。だが、その生にしがみつくように足掻くその強い瞳に魅入られ、アリアが真っ暗な激流の水に飲まれて消えていくのをグレイブは見送った。


「結局、自ら死を選んだか……」

 できれば隠している物を回収して正体が判ればよかったが、未来の災いを始末できたことだけでも充分だ。

 最後に見たその瞳はまだ生への執着を感じさせたが、この何も見えない夜の中、魔物がいる激流に飛び込んで助かるとは思えなかった。

 魔素の反射を視る暗視では、この激流ではほとんど効果がない。上下も分からない水の中で水呼吸の呪文を使えないアリアでは、助かる確率はグレイブと戦って逃げるよりも低いだろう。

 その行動は、最後に自分への嫌がらせだったのかとグレイブは考えた。

 これまで何人も死に追いやったが、知恵の回る者ほど証拠を消すために、最後にそのような行動をとることが多かったからだ。

 おそらくは死体の回収も不可能だろう。この河の流れではどこまで流されるか分からず、下流まで流れても飢えた魔物が死体を処理してしまうはずだ。


「……潮時だな」

 今まではあまり怪しまれないように動いてきたが、暗部から出ていた指令を無視して対象者を殺したのだから、もう組織に戻ることはできないだろう。

 対象が河に落ちて“事故死”なら言い訳は立つかもしれないが、元々暗部には情報目当てで所属しており、最近ではセラなどから怪しまれていると感じはじめていたので、暗部に残る意味はあまりないだろう。

 それどころか立場のせいで思うように対象を処分できない現在のほうが、グレイブには面倒に感じていた。


 グレイブは月もない夜の闇に溶けるように姿を消す。

 セイレス男爵領を襲っていた怪人の脅威は鳴りを潜め、最後の犠牲者であるメイドの少女が行方不明となることで、見かけ上事件は終息した。


 そして――


 河の流れがわずかに緩む下流の水の中、その辺りを根城にしているランク1の魔物である水大蛇は、水の中を流れてくる“肉”の存在に気がついた。

 普段は魚などを食料としているが、ごく稀に流れてくる人間や動物の死体は、水大蛇にとって最高のご馳走だった。

 数メートルもある長い身体をくねらせて水の中を進み、山羊程度なら丸呑みにできる顎を広げて待ち構えていると、突然その肉と思われていた存在から魔力が迸り、一瞬で水大蛇の頭部が胴体から斬り飛ばされた。

 水大蛇にまだ意識があったのなら、その存在の後から流れてくる数体の首のない水大蛇の死体に気付けただろう。


 その“存在”が首を失った水大蛇の尾を掴むと、黒い刃を歯に咥えた桃色髪の少女が水から顔を出す。

 緩やかになった流れの中を岸まで泳ぎ、浮き輪代わりにしていた泥だらけのメイド服から【硬化(ハード)】を解除した少女――アリアは、冷え切った指先で咥えていたナイフを構えて微かな声で呟いた。


「グレイブ……お前は必ず殺してあげる」



アリアは暗部組織と決別しました。

グレイブの独断でありますが、そんなことはアリアは知りません。

グレイブの行動は端から見ると愚かで、意味の分からないことをしていますが、彼にとっては大事なことでその情念は狂気の域にまで達しています。

何度も書き直しておかしくなった部分は、後で書き直す予定です。


次回から第三章、『灰かぶりの暗殺者』編になります。

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