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39 狂気の精霊



 怪人の正体は人間ではなく『魔物』ではないか? 残された魔素や状況からそう推測した私は、冒険者ギルドで情報を買い、それがこの辺りに出没する水の魔物ではなく、狂った『水の精霊』だと考えた。

 できればハズレていてほしい予想だったが、悪い予感ほどよく当たる。


【水の下級精霊】

【魔力値:337/503】

【総合戦闘力:371/553】

【※状態:狂気】


 下級でも精霊はとても厄介な敵だ。

 通常、世界の理を制御する精霊と敵対することは滅多にないが、今回のようにその属性元から切り離してしまったり、召喚した術者が死んで精霊界に戻れなくなった精霊は『狂気』状態になって、魔素を奪うために人間や生物を襲いはじめる。


 普通の下級精霊の場合、総合戦闘力は500前後で魔物に換算すると【ランク3】の上位になるが、精霊の場合、討伐難易度は【ランク4】相当となり、冒険者ギルドでも討伐には魔術師二人以上を含めたランク3パーティー以上が推奨されていた。

 それというのも、物質界の生物ではなく精神生命体である精霊に物理攻撃はほぼ効果がない。

 それでも攻撃側の『倒す』という意志と精神力で一割程度のダメージは与えられるが、精霊の体力と言うべき魔力は一秒に1ポイント回復するので、戦士系では数によるごり押し以外対抗する手段がなかった。

 属性魔術でもその精霊の属性は完全無効であり、逆に魔力を回復させてしまう。

 ゆえに精霊と戦う場合には、その精霊の属性以外の攻撃魔術を使える術士を集めて、短期決戦のごり押しで倒す必要があるのだ。


 だから私は、この戦いに兵士たちを巻き込む気はなかった。一割程度のダメージが通るといっても、低レベルの攻撃ではダメージは通らない。

 ただの肉壁としてなら使えるかもしれないが、それよりもせっかく削った精霊の魔力を兵士たちを襲うことで回復されたり、怯えた兵士に好き勝手に動かれて私の罠が潰されるほうが厄介だ。

 それでも数さえ揃えれば何とでもなるのだろうが、マリアの婚約のために事態を大きくしたくなかったので、多くの手勢を集めることも、多数の被害者を出すこともしたくなかった。

 まぁ、そもそも“子供の推論”だけで兵を動かしてくれるとは思ってないけど。


 私だって積極的に戦いたい相手じゃない。けれど、精霊の魔力値を確認して、予想通り魔力値が回復していないことを確認できた。

 誰かを襲ってまで魔素を欲するということは、存在の維持に魔力を消費して回復まではできていないのだろう。

 それなら私でも戦いようがある。相手の正体さえ判明して丸一日以上時間があれば、それなりの“準備”もできるから。


『――――!』


 水精霊が潜んでいる太った水死体の口から、勢いよく水が噴き出した。

 たぶん、【跳水(スプラツシユ)】とかいうレベル1水魔術の魔法版だろう。速度は中程度で物理系と魔力系双方の攻撃力があって使いやすいが、私がすかさず身を隠した木の板で防げる程度の攻撃力しかない。

 物理攻撃が碌に効かない精霊に、魔術も幻惑と回復がメインである私がダメージを与える術はない。でも私には“知識”とそれを使う“知恵”がある。


「――【硬化(ハード)】――」

 私は木の板の裏に隠していた“粘土のナイフ”に、生活魔法の【硬化(ハード)】をかけて投げ放つ。

『――――!』

 水の精霊もそれが“何か”分かったのだろう。壁に張り付いていた水死体を操り、血に濡れた手形を壁に残してそれを避けた。

 最初に投げた石を躱し、粘土のナイフも避けたことで、私はこの“攻撃”が有効だと確信した。


 あの女の知識の中に『五行』という考え方があった。

 水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を切り、木の根は土を抉り、土は水を堰き止める。

 すべてがこの世界に当て嵌まるわけではないが、魔術の世界でも火の対抗属性は水であり、光と闇は相互に削り合うと言われるように、私は水の対抗属性なら少ない魔力でもダメージを与えられると考えた。

 土属性の魔術は覚えていないが、生活魔法の【硬化(ハード)】なら使える。効果時間を短くして土属性を強くしたナイフなら、少しずつでも水精霊の魔力を削れるはずだ。


 粘土のナイフを拾い、【硬化(ハード)】をかけて投げつける。肉の殻に閉じこもっている水精霊は空中ではナイフを躱せず、存在を削られた水精霊が再び【跳水(スプラツシユ)】を撃ってくるが、私はそれを転がるようにして躱した。

 焦らない。深追いはしない。敵の間合いにも入らない。

 駆け引きをしてくる人間の魔術師と違って、距離さえあれば単調に撃ってくるだけの攻撃魔法はギリギリ躱せる。

 鑑定で視ると狂った水精霊の魔力は四割近く減っていた。

 粘土のナイフで削れる魔力は5程度。水精霊に魔法を使わせても10程度しか消費しないが、それでも全く届かない数値じゃない。


『――――――!!!』

 水精霊の全身から強い魔力が発せられた。女盗賊がレベル3魔術を使ったときと同等の魔力を感じて距離を取ると、同時に水精霊の魔法が放たれた。

 直径2メートルもある水球が撃ち放たれ、綺麗に整えられた庭の樹木を薙ぎ倒す。

 直撃こそなかったけど、私も飛び散る水に巻き込まれて数メートルも流されてしまった。

 【火球】の呪文の水版だろうか? 火球のような広範囲のダメージこそないが、地面が一瞬でぬかるみになり行動が阻害される。

『――――』

「【硬化(ハード)】っ!」

 動けなくなった私に水精霊から【跳水(スプラツシユ)】が放たれ、私は即座に【硬化(ハード)】で足下を固めて泥まみれになりながらもそれを避けた。


「…………」

 地味にダメージを食らっている。外傷はほとんどないけど、感覚だと体力が二~三割削られ、作っておいた粘土のナイフも泥に消えた。

 でも、大きな魔法を使った水精霊も、魔力値は半分くらいまで減っているだろう。

 私は脚に纏わりつくスカートの裾を、太ももの上まで縦に裂く。身体の腱や筋に痛みがないことを確認しながら足場を固めてぬかるみから脱出すると、屋敷のほうから複数の声が聞こえてきた。


「何の音だっ!」

「庭が……」

「アリアっ!」

 門番だけでなくロディまで来てしまったようだ。

 この場所が一番呼び寄せる確率が高かったとはいえ、思ったよりも早く見つかってしまった。ロディには来るなと言ってあったが、逆効果だったかも。

 できれば他の人たちに見つかる前にもう少し削りたかったが、仕方ない。少し早いけど第二段階に移行する。


「……【流水(ウォータ)】」

 水属性が濃くなるように効果時間を短くした【流水(ウォータ)】を使うと、乱入者のほうへ向いていた水死体が私の方を向いた。

 ここでロディやマリアを狙われたら元も子もない。水を垂れ流すように塀に登り、振り返って一瞬目の合ったロディに『ついてくるな』と首を振る。

 そのまま水の魔素を見せつけるようにして塀を乗り越えると、水精霊の気配が背後から追ってくることが分かった。


 深夜の真っ暗な街を巡り、人の少ない地域で屋根に登って、ポケットから取りだした魔力回復ポーションを一気に呷る。

 あの女盗賊との戦闘から最低一本は魔力回復ポーションを持つようにしているけど、これ一本で銀貨三枚もするから、がぶ飲みはしたくない。それでもこれを飲んだことであと1時間くらいは魔力が1分に1ほど回復するはずだ。

 泥まみれで重くなったスカートを膝上辺りで切り捨てると、水精霊の水死体が追いついてきた。

「――【硬化(ハード)】――」

 切り捨てた泥だらけのスカートの裾を、屋根に上がってきた水死体に投げつけ、放ちかけていた魔法を阻害する。

 水死体の“殻”を破壊する必要はない。水死体は水精霊の魔素の消費を抑えると同時に、水精霊の行動を妨げ、逃走を防ぐ“檻”にもなる。


『――――――!!!』


 水精霊が声にならない叫びを上げる。私に対する怒りか、飢餓で悲鳴を上げているだけか。私には理解できないし、人間の気持ちすら解らないのに非生物の気持ちなんて理解するつもりもない。

 だからせめて、お前が生きるために足掻くのなら、私が死ぬまでつきあってあげる。


 ようやく【跳水(スプラツシユ)】が私に躱されると悟った水精霊が、再び【水球】の魔法を使う。

 広範囲で躱しにくい魔法なら私に確実にダメージを与えられるけど、その判断は悪手だよ。何のために屋根の上に登ったと思っているの?


 直径2メートルの水球が撃たれるが、そこまで大きくなると水の重さで【跳水(スプラツシユ)】ほどの速度は出ない。

 そして屋根にはレンガでできた煙突があり、そこに身を潜めれば直撃は避けられ、私も流されることもなく、溢れた水もすぐに屋根から流れ落ちた。

 そこが状況判断のできない狂った非生物の限界だ。いかに人間を圧倒する魔力と魔法を持っていても、戦闘経験と判断力がなければそれほど脅威ではない。

 だけど私も、さすがにノーダメージでは済まない。このまま大魔法を連発させて水精霊の魔力を削ってもいいが、それでは私のダメージも大きいので反撃を開始する。

 ロディと一緒に作った粘土のナイフは泥に消えた。でも私にはまだ武器がある。


 ヒュンッ!!

 私が投げたペンデュラムの刃が水死体の額を掠り、土属性と水属性の魔素が互いに削り合う。

 銅貨を削ったペンデュラムの刃に【硬化(ハード)】は使えない。でも私は、もう片方の潰れてしまった刃を、粘土を焼いて作った陶器製の刃に差し替えていた。

 素焼きにした粘土でも【硬化(ハード)】は使用可能であり、叩けば簡単に割れてしまう素焼きの刃も【硬化(ハード)】を使えば鉄の強度を持つ武器となる。


『――――!!』

 ペンデュラムに【硬化(ハード)】のかけ直しをしながら水精霊の存在を削っていく。

 水精霊も生き延びるために魔法を放ち、時には体当たりをしかけてまで私を殺そうとした。

 水精霊の残り魔力も残り三割程度まで減っていると思うが、私の体力と魔力も半分近くにまで減っている。そして一見互角に見えても、一撃でも水精霊の攻撃を受ければ私は戦闘不能になるだろう。

 油断はしない。欲も出さない。ただ淡々と冷静に冷酷なまでに削り続けるしか、私に勝つ道はない。

 だが、その時――


「――【鋭斬剣(ボーパルブレイド)】――」


 突然光の剣撃が奔り、私の知らない【戦技】が水精霊の水死体を真っ二つに斬り裂いた。

 断面から大量の水を零しながら水死体が屋根から落ちていき、その背後の闇から、魔力を帯びた片手剣を持った旅服の男――グレイブが姿を見せる。

 上級執事の彼がどうしてここに……? 彼の性格からして救援に現れたとは思えない。……いや、それよりも。


「アレは私の“敵”だったんだけど?」

「そうか。だが、あんなモノは冒険者ギルドにでもくれてやれ」


 不満げな私の言葉にグレイブは吐き捨てるようにそう答えると、その剣を鞘に収めることなく真っ直ぐに私へ向けた。


「アリア。お前は何者だ?」




唐突なグレイブの乱入。実際の指令を無視したとしか思えない、彼の行動の意味とは?


次回、第二章ラスト――『決別』

土曜更新予定です。


アーリシアのイメージラフを活動報告に載せてあります。

本来の乙女ゲームのアーリシアと、本編のアリアの対比です。よろしかったらどうぞ。

https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/642340/blogkey/2306448/

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