36 欲望の対価 後編
後編になります。
「い、イタズラっ？」
「バカ、声がでけぇよ」
イタズラ……そのままの言葉の意味でないことは、その手の経験がないリコにも理解できた。
その意味に気づいてリコが思わず呻きを漏らすと、それの発言をしたトニーがニヤリと笑ってわざとらしく辺りを窺い、その横からダンがヘラヘラとした笑顔で顔を寄せて声を潜めるようにして話に混ざる。
「それでトニー、どうすんの？」
「アーニャちゃん、今、水浴びしてるんだろ？ まずはちょっと覗きに行こうぜ」
「おい、あの子はまだ…」
三人の中でまだ常識があるリコが幼なじみ二人を諫めようとすると、それはいつものことなのか、トニーとダンは両側からリコの肩に手を置いた。
「分かってるって。『まだ子供だ』って言うんだろ？ 俺も言っただろ？ 姉ちゃんが御屋形様の妾になった歳とそんなに変わらねえって」
「やだなぁ、リコ。ボクたちだって犯罪者じゃないんだから、そんな酷いことはしないよ。あの子、可愛いから、ちょっと“遊ばせてもらう”だけだって」
それらしきことを言って正当化しようとする二人の言葉に、優柔不断なリコは次第に勢いを失っていく。
「……アーニャだって冒険者だし、魔術や武器も使うのに…」
「だから今行くんだろ？ 水浴びしてるなら装備なんてしてないだろうし、近くに武器を置いていても、三人でかかればすぐに奪えるだろ？」
「そうそう、それに魔術もアーニャは光魔術だしね。ボクらを攻撃することなんて出来っこないよ」
「でも……」
「おいおい」
なかなか乗り気にならない友人に、トニーが肩を組んで小さく耳元に囁く。
「リコ、お前さ……昔から、ああいう大人しめで綺麗な子は好きだろ？」
「…………」
リコは悪友と言うべき派手な友人二人と一緒にいても、その優柔不断な性格ゆえか、自己主張の強い女性が苦手だった。
一緒にいるなら大人しくて物静かな女の子がいい。それでいて綺麗な女の子となると今まで住んでいた町でもほとんど見かけることはなく、居たとしてもリコたちの身分では近寄ることもできない、正に高嶺の花であった。
自分でも心が揺れているのが分かる。リコの目が泳ぎ、それを見たダンがやけに爽やかな笑顔で、気の弱い友人を悪い道へと誘う。
「確かにアーニャってまだ子供だからさ。ボクらが“上”だって示せば、きっとリコの言うことを“何でも”聞いてくれるよ？」
まだ子供の彼女なら、街の女の子たちのようにリコのことをバカにせず、言うことを聞いてくれるようになる。
「………行く」
そうと決まれば行動は早かった。
アーニャが水浴びを終える前に彼女の自由を奪わないといけないので、三人は若干隠密の心得もあるダンを先頭に、水場のほうへ急いだ。
武器は背負ったままだがそれを構えはせず、トニーは手で弄んでいた細い荒縄をリコに渡した。
「いいか、見つけたらきっとアーニャちゃんはビックリして身体を隠すだろう。そしたら俺ら二人で飛びかかって手足を押さえるから、リコがあの子を縄で縛れ」
「頑張りすぎて強く縛らないでね。跡がついたら可哀想だし」
「光魔術使えるから平気だろ？」
好き放題なことを言いながら、三人は水場のある場所から上流に向かうために森へと分け入った。
近くの水場は、鎧や馬具を洗ったりする大量の水を使う場所だ。だが身体を洗ったり洗濯をするのなら、水が綺麗な上流に向かったのだと三人は考えた。
「…………」
リコは優柔不断にもまだ悩んでいた。
いくら好みだとしても女の子を弄ぶような真似をしていいのか？ でも二人はそんな酷いことはしないと言った。その言葉に騙されて何度も痛い目に遭った。でも二人は自分のことを考えてくれる大切な友人だ。二人の言うことなら信じたい。でも女の子に酷いことを……でも…でも…でも……
「居たよ」
先頭を歩くダンの言葉がリコの思考を中断させる。
「アーニャちゃん、水浴びだけじゃなく洗い物でもしてるのか？」
ダンの横でトニーが藪から覗き込み、それに釣られるようにして覗き込んだリコの目に、水浴びのついでにしゃがんで洗い物をしているアーニャの真っ白で細い綺麗な背中が映った。
「……、」
その光景がリコに残っていたわずかな理性を解かしていく。
それを知ってか知らずか、そのタイミングでトニーが腰を浮かし、それに合わせてニヤけた顔のダンが二人を振り返る。
「覗いて終わり…じゃないよね？」
「もちろん、二人とも準備はいいな？ それじゃ合わせていくぞ、一、二の三っ！」
トニーの掛け声に合わせてダンとトニーが藪から飛び出し、一瞬遅れて足をもつらせるようにして縄を持ったリコが飛び出した。
「ア～ニャちゃ～んっ！」
「大人しくしてねっ」
その物音と声に気づいたアーニャが振り返り、三人を見てキョトンとした顔で立ち上がる。
木漏れ日の差す柔らかな光に照らされ、仄かに丸みを帯び始めた染み一つない白い肢体が惜しげもなく晒されていた。
濡れたせいか、さらに輝きを増した桃色がかった金髪が頬にかかり、儚げな少女をまるで妖精のように見せる。
おそらく驚きすぎて悲鳴を上げることも出来ないのだろう。
飛びかかるように襲いかかる少年二人に、それを見ていたアーニャの目がスッ…と細められ、それを目にしたリコに背筋にゾクリとした怖気が奔った。
「…ごっ！？」
何が起きたのか、
突然奇妙な足捌きで前に出たアーニャが、両腕を広げて飛び込んできたトニーの顎を掌底で打ち抜いた。
真上を向くほど顎を打たれてもその勢いは止まらず、そのまま前に出た彼女は、その勢いのまま白い膝をトニーの脚の間に叩き込んだ。
ぐじゃり……
雑巾に包んだ果実を棍棒で叩き潰すような音がして、その耳を塞ぎたくなるような異様な音をかき消すように、絞められた鶏のようなトニーの悲鳴が森に響く。
「と、トニぎゅあっ」
あまりの光景にダンが思わず足を止めると、また奇妙な足運びで前に出たアーニャがダンの咽を肘打ちで潰す。
口と鼻から血を吹きだして仰け反るダンの首に白い二の腕を巻き付け、そのまま腰に担ぐようにして投げ飛ばしたアーニャは、ダンを頭から地面に落として彼の首をへし折った。
「だ、ダン……？ トニー……？」
ポトリ…と、荒縄がリコの手から地に落ちる。
途中で止まらなければ彼も二人と同じ目に遭っていただろう。少女の目を見た瞬間に立ち止まった、リコの優柔不断さがその明暗を分けた。
だが、それははたして“幸運”だったのだろうか？
最初とは種類の違う“非現実的”な光景の中で、アーニャが落ち着いた仕草で握り拳ほどの石を拾い、悶絶したまま泡を吹くトニーの頭に振り下ろす。
（死んだ…？ 殺された？ あんなにあっさり……）
リコは混乱の極致にいた。さっきまで喋っていた十年以上も付き合いのある友人たちが、目の前であっさりと殺された。
冒険者と言ってもまだ幼い可愛らしい女の子が、武器も魔術も使わず、素手だけで簡単に二人を殺してしまったのだ。
わずかに濡れた白い肢体を晒したまま、どちらかの返り血で頬をまだらに染めたアーニャが、ダンのナイフを抜き取り静かに立ち尽くすリコへと一歩踏み出した。
そんな無慈悲な天使のような少女の姿に、リコはようやく理解する。
彼女は大人しい女の子ではない。感情を出すのが下手な女の子じゃない。
彼女は……最初から最後まで彼らのことを信用せず、『冷酷』なまでに『冷静』に徹していただけだったのだ。
（殺される…っ！）
わずかに沸き上がる生への執着。それがリコの魂に刻まれた【剣術】スキルを起動させ、その手を剣の柄に添えさせた。
それはわずかにだが効果があったのだろう。アーニャは警戒するように足を止め、リコの間合いに入る寸前でその指先を指さすように彼に向ける。
「――【
「――ひぃいいいぎゃああああっ！！！？？」
その瞬間、今まで経験したことのないような“激痛”がリコを襲う。
何処か攻撃されたのか？ いつ攻撃されたのか？ 怪我の場所さえ理解できない恐怖に精神の限界に達したリコは、そのまま剣を投げ捨てるようにして脱兎の如く逃げ出した。
「っ！」
逃げ出したリコの肩に、飛んできたナイフが突き刺さる。
だが、混乱と激痛と恐怖に我を忘れたリコは止まらず、そのまま野営場を抜けて街のほうへ走り出した。
途中で狼や魔物に会わなかったのは幸運だったのだろう。恐怖に駆られたリコは一昼夜走り続け、そのまま倒れ込んで気を失った彼はその近くにあった農場主に拾われた。
目を覚ましても思い出すのは殺された友人たちのことと、それを殺した殺戮者の氷のような瞳だけ。
親切な農場主が何を尋ねてもリコはそれを口に出すことはなく、そのまま農場主に自分を農奴として売り払うと、贖罪のためか全額を友人二人の家族へ送り、リコは一生涯剣を握ることなく農奴のまま畑を耕し続けた。
＊＊＊
「逃げられた……」
ナイフが刺さったまま逃げ出した最後の一人を、私は唖然として見送る。
装備のない私を襲ってきた彼らからは、孤児を何度も買いに来た、あの“人買い”と同じ視線を感じた。
だからというわけではないが、襲ってきた時点で彼らに容赦をするつもりもなく、素手だったので手加減もしなかった。
そもそも、下手に情けをかけて後々憂いを残す危険を冒す人のほうが、私にはよっぽど理解できない。
最後の一人だけは戦闘力が８０もあったので【
ダメージがないと、こんな結果になることもあるんだね……気をつけよう。でも、彼の顔は覚えた。次に会ったときは即座に殺す。
念の為に偽名を使っておいて良かった。……と考え、そもそも『アリア』という名も偽名であることを思い出す。
私にとってこの名は、新しい人生を生きるための『新しい私』の名であり、偽名とは少しだけニュアンスが違っていた。
……本気で本名があることを忘れかけてたよ。
私は殺した二人の死体を放置して、もう一度返り血を拭うために身体を洗い、さっさと着替えてその場を後にする。
それにしても……どうして何も持ってなさそうな私を襲ってきたんだろ？
＊＊＊
「お前の目から見てその娘はどう映った？」
「……ご報告させていただきます」
アリアが湖畔の城を発った二日後、この国の宰相であり暗部の室長であるメルローズ辺境伯が到着し、その城の一室でセラの祖父であるホスから報告を受けていた。
「彼の少女は、確かに“お嬢様”と思しき女性の『記憶』があります。その知識にある情報は、我々の調査と類似する点が多く、それらを考慮しますとその少女が、お嬢様が残された“ご息女”である確率が高いと判断いたします」
駆け落ちして行方知れずとなり、魔物に襲われて死んだ娘の子が見つかったと報告を受けたメルローズ辺境伯であるベルトは、その少女が本物の孫…『アーリシア』であることを確かめるため、その母親である娘を知るホスを確認のために送り込んだ。
それを王都ではなく現地でもなく、その中間地点であるここダンドールでホスと会うことに決めたのは、もしその子が本物の孫であるのなら、それを知られればメルローズの家督を狙う外戚の者や政敵に狙われかねないからだ。
「その程度のことならば、お前に会うために直に私が来ることもない。お前だから感じる、その娘の印象を聞かせてもらいたい」
「……正直申しますと、かなり美しい少女でありますが、お嬢様とは印象が違います。女児は男親に似る場合が多く、それだけでは何とも言えませんが、少女の髪色は赤毛に近い金髪で、『
「そうか……」
得られた情報を統合すれば、白に近い灰色。だが、印象的には黒に近い灰色。
行方不明になった孫娘、アーリシアである確率が最も高く、当主さえ認めればそれだけで本人と断定できるほどの状況証拠は出ているのだが、ベルトは何か心に引っかかるものを感じていた。
直感、と言えばいいのだろうか？
その少女が、ベルトの娘が持っていた『指輪』を持っていれば確定したも同然なのだが、逆に言えば状況証拠のみで物的証拠が皆無なことが、さらにベルトを躊躇わせた。
「旦那様がご自身で会われますか？」
「それはまだ早い……」
ホスの言葉に首を振り、ベルトはテーブルの上に置かれた桃色の紐に視線を移す。
それはセラが持ってきた、とある少女が自分の髪で編んだという紐で、その少女の瞳の印象がベルトに似ていたことと、桃色の髪と言うことで、少女には捨てたと言って回収していた物だった。
その髪は随分と痛んで艶も失せているが、確かにベルトの記憶にある娘の髪色とよく似ていた。しかもその少女は七歳で歳も一致する。
だが、たかが七歳で、ホブゴブリンやランク３の盗賊を単独で討伐できる実力をどうやって会得したのか？
それを考えれば七歳というのも怪しく、娘である専業主婦の母と兵士の父の下、普通の生活をしていたはずの少女がそんな力を持てるはずもない。
「……ホスは予定通り、孤児院の管理者としてその少女を監視しろ。二ヶ月に一度は、文章でよいから報告を寄越せ。それと、この髪紐の持ち主である少女に手練れの者を送って、隠している持ち物がないか確認させろ」
「セラを向かわせますか？」
「いや……これ以上セラが王都におらぬと、王妃宮の警護に不備が出る。だからといって信用の軽い者を送るわけにはいかぬが……」
そこまで言って考え込んだベルトに、一度は一線から身を引いたホスも同様に知恵を巡らし、一人の男を思い出す。
その男は、多少融通が利かない面もあるが、若い頃に見せていた過激な言動も歳と共に落ち着き、子供を迎えに行くのに最適の人物とは言えないが、国家に対する忠誠心は疑いようがなく、この近隣にいる手練れの中では彼に勝る者もいないはずだ。
「それでは……王都に戻る前のグレイブに、一仕事頼むのはいかがでしょう？」
サツバツッ。
アリアは肌を見られた程度では動じません。そもそも数ヶ月前まで、10歳以下の孤児たちと纏めて裸にされて、バケツで水をぶっかけられて洗われるような生活をしていたので、そういう感情がまだ育っていないのです。
ついにアリアの存在に興味を持たれました。セラにしてみればこんな子供を雇ってみたという事務報告のついでに提出した物ですが、そこでアリアの出生に関わることになるとは、千近い貴族家があることを考えれば確率的に言えばかなり低かったと思います。
次回、新たな赴任地へ到着。