32 王女奪還 ③
今更ですが残酷な表現があります
「へぇ……『戦闘メイド』ね」
女盗賊の私を見る目が少しだけ変化した。
貴人を護る『護衛メイド』にも種類がある。ただひたすら主の側にいて、毒味や有事の際には盾となる、身体を張って主を護る役目の者や、主の周りで情報を収集し、危険そのものから主を遠ざける役目の者もいる。
その中でもセラのような高い戦闘力を有し、侵入者や暗殺者を人知れず始末して、冷酷なまでに排除する、戦闘を主な役目とする者達がいた。
女盗賊の反応から察するに、そういう者たちは、貴族の館に侵入する盗賊たちから恐れられて嫌悪されているのだろうと感じた。
セラのような凄腕の護衛を『戦闘侍女』と呼ぶのなら、私は『メイド』程度の力しかないけど、それでもエレーナは私が取り戻す。
タンッ!!
「キャッ!?」
突然女盗賊が私に視線を向けたままナイフを馬車に放った。
ナイフが刺さった木の板の裏からエレーナの悲鳴が聞こえ、その場から魔素が拡散するのが視えた。
「お転婆なお姫様ね。魔力や声を抑えても呪文の『韻』が聞こえてるわよ? 次に下手な真似をしようとしたら魔術で…」
ヒュンッ!!
「つっ!」
“糸”についた“刃”を真横から遠心力で投げつけると、一瞬気を逸らしていた女が仰け反るように身を引いて躱した。
「お前の相手は“私”でしょ?」
「……あんた」
女盗賊が意識を私に戻し、私はこちらをを見ているエレーナに、『何もするな』と小さく首を振る。
「それもそうね……時間もないし、遊びはここまでにしましょう」
そう言った女盗賊が服装店の制服を脱ぎ捨てると、身体にピッタリとした革製の衣装に変わった。
確かにゆったりとした服は動きにくい。私もメイド服に慣れていないときは、動きがかなり阻害されるように感じたけど、これはこれで利点もある。
女盗賊がそれまで使っていた短剣を捨て、新たに引き抜いた2本のダガーに不自然な光沢を感じた。
おそらくは“毒”だ。毒にも種類はあるけど、この女盗賊が使うような毒なら掠るだけでもマズい気がした。
けれど、最も怖いのは“魔術”だ。しかもレベル3の土魔法なんて“知識”でも分からないが、私は毒と魔術を警戒しながら生き残るための策を講じないといけない。
ヒュンッ!
「またその攻撃かっ!」
気配を察した女盗賊がその場から飛び避ける。
私は毒を使う女盗賊の間合いに入らないように“糸”の“刃”で牽制する。女盗賊もその攻撃が何か分からなくても、飛び道具だと察して気配だけで避けていく。
今の私の切り札は、この“糸”の“刃”と“幻惑魔法”だ。
その一つである“糸”の“刃”を初見に使った時点で、ある程度のダメージは与えておきたかったが、効果的に使えないまま牽制に使うしかなくなった。
毒を警戒して間合いを開けても、この女盗賊には魔術がある。今はまだ、遠心力の速度で見切られていないが、このまま使い続けて、ただの糸に付いた刃物だとバレてしまえば、すぐに魔術の餌食になるだろう。
それでも今は、女の隙を作るために手持ちの武器で攻撃を続けるしかなかった。
「――【
「っ!」
“糸”の“刃”から逃れるように、女盗賊が魔術を行使する。
私の足下に突然穴が開き、私はそれから転がるようにして魔術を避けるが、こいつはそれを見逃すような奴じゃない。
女盗賊が毒付きのダガーを1本投げつける。私は膝を地につけた体勢から、ギリギリでダガーを弾くことはできたが、その時にはダガーを投げると同時に突っ込んできた女盗賊が、大きく後ろに振りかぶるようにしてダガーの“突き”を繰り出した。
「――【
短剣2レベルの戦技、【二段突き】だ。射程は通常と変わらないが、速度が増し、突きによる二回連続攻撃が可能になる。
体勢を崩した状態で、この攻撃は躱せない。でも――
「なっ!?」
膝を付くように身を低くした私の身体が真横にスライドして、女盗賊の戦技は私のスカートだけを斬り裂いた。
確かに普通なら躱せない。でも私は、呪文という発動に時間のかかる手段より、時間のないことに焦った女盗賊が、一撃の威力が高い戦技に頼るだろうと予測していた。
だから私は広がった長いスカートで脚を隠したまま、セラから習った足運びを使って攻撃を回避することが出来たのだ。
予測といっても半分は“勘”だ。ここで魔術を使われたら避けることはできず致命傷を受けていただろうが、女盗賊が戦技を外したこの隙を逃す手はない。
片膝をしっかり地につけて身体を支えた私が、上半身を捻るようにナイフを引くと、私の“する”ことを理解した女盗賊の顔がわずかに歪む。
「――【
私はあまり【戦技】を使わない。高威力は確かに魅力的だが、それを使った後に生じる隙が嫌だった。
私が戦技を使うときは、トドメを刺すときか、明確に隙が生まれたときだ。敵がわざわざその隙を作ってくれたのなら、私が戦技を使わない理由がない。
「ちっ!」
だが、当たると思った【
それでも完全には躱せず、私の戦技は女盗賊の肩を浅く斬り裂いたけど、女盗賊はそのまま横倒しに倒れると同時に、鋭い蹴りを放ってきた。
立場が逆転し、戦技を使った後の私は躱すことができない。一瞬の判断で自分から飛ぶように腰を蹴られて数メートル転がり、そのままの勢いを使って跳ねるように立ち上がる。
わずかに距離を取って私は体勢を立て直す。だけどその時には女盗賊も立ち上がり、呪文の詠唱を始めていた。
その魔素の量から判断して大きな魔術を使うつもりだろう。私はスカートを翻して抜いたナイフを投げつけるが、一瞬早く女盗賊の魔術が完成した。
「――【
ギンッ!
投げナイフが女盗賊の革服で弾かれた。
攻撃魔術じゃなく防御系か。それを見極めるために“糸”の“刃”を投げ放つと、女盗賊はニヤリと笑って刃を素手で打ち払う。
「へぇ……糸の先につけた刃物……ペンデュラム? 面白いモノを使うようだけど、もうこんな小賢しい攻撃は効かないわ」
「…………」
今のが魔術の効果か……。女盗賊の見た目は変わっていないが、その全身が土属性の魔素に覆われていた。
たぶん、その効果から察するに魔術系の鎧だと判断する。
「もう終わりよ。本当に……ランク1程度の子供に、こんなに手こずるなんて思ってもいなかったわ。私の“奥の手”を使わせたんだから、せめて良い声で啼いてね。ものすご~く“痛く”してあげるから」
女盗賊が歪な笑みを浮かべながら、再び魔術の詠唱を始める。
それを阻止しようと“糸”の“刃”を投げつけるが、女盗賊は躱しもせずに、刃は女の頬で硬質な音と共に弾かれた。
何の魔術か分からないが私が的を絞らせないように走り出すと、それと同時に女盗賊の魔術が完成した。
「――【
「っ!」
地面から幾つもの小石が、弾けるようにして放たれる。
私は頭部を護るように腕を十字にして飛び避けるが、それでも数個の小石が私の身体を打って地面に転がした。
「く……」
「子供なのに、我慢強いのね……ふふ」
身体の傷と体力値は別物だ。体力が空になっても気絶して動けなくなるだけで、すぐに死ぬわけじゃない。逆に体力が満タンでも心臓を刺されただけで人は死ぬ。
石礫は打撃系なので急所さえ防御できれば深刻なダメージはない。それでもあれほどの数を躱すことは難しく、一発でも急所に受ければ次こそ命がないだろう。
もう時間を稼ぐどころの話じゃない。私の攻撃は何も効かず、相手はダガーでも魔術でも簡単に私を殺せるのだ。
「もう、奇策のネタは尽きたのかしら? 子供にしてはよく戦ったけど、厄介なあなたは確実に殺す」
「…………」
私には、もう一つだけ“切り札”がある。けれど、それはまだ使う“条件”を満たしていない。
普通の攻撃をするにも、女盗賊は魔術の鎧を使っている。
魔術系の鎧は“知識”にあまりないが、それでも情報を掻き集めると、一定の累計ダメージで消滅するか、一定時間一撃の攻撃ダメージを一定量軽減するかどちらかだ。
この土の鎧はどっちか? おそらく土系なので前者だと考える。本人が奥の手と言うからには、レベル3の魔術でもう一度使えるか微妙なところなのだろう。
なので私はその魔術が再び使えないことを祈って、全身の痛みに耐えながらも、魔術の鎧を削り続けた。
「あはは、無駄無駄ぁっ!」
ナイフも女盗賊がペンデュラムと言った糸の刃もその肌で弾かれる。私が肌の見える場所ばかりを狙っていたせいか、女盗賊はわざと顔で刃を受けて私を笑った。
女盗賊が防御もなしに真っ直ぐ突っ込んでくる。武器が効かないのなら体術で凌ごうとするが、ダメージを受けた私の身体は本来の動きができずに、女盗賊のダガーが私の肩を掠めた。
「っ、……ぁあああああああっ!」
その浅い傷から激痛が私を襲う。その痛みに思わず声をあげてしまうと、女盗賊の顔が恍惚に歪んだ。
「ああ……ようやく啼いてくれた。でも安心して。すぐに死ぬような毒じゃないけど……この毒は凄く“痛い”でしょ?」
「…くぅっ」
傷自体は深くないのに鋭い痛みに呻きが漏れる。
激しい痛みで筋肉が痙攣し、呼吸さえも上手くできない。ただの子供なら泣き叫ぶか気を失うかしかないが、私はここで気を失うわけにはいかなかった。
……もう少し……
女盗賊が私を笑いながら見下ろし、上手く動けなくなった私を蹴り飛ばす。
地面を転がり、女を睨むように唇を噛んで悲鳴を漏らさずにいると、女盗賊は震えるように恍惚とした表情を浮かべて、仰向けに倒れた私を踏みつけた。
「いいわぁ…メイドちゃん…もっといたぶりたい……もっと啼かせたい。殺さなくちゃいけないのに、時間がないのに…ああ……もっと苛めたいのに」
「…………」
「ああ、その顔ステキ! もっと声を聴かせてっ!」
女盗賊は叫ぶようにして腕を振り上げると、毒付きのダガーを私の腹部に深く突き立てた。
「あああああああっ!!!」
「そうよ、もっと泣いて啼いて! もっと苦痛に歪んだ顔を私に見せてっ! 痛いでしょ? 苦しいでしょ? あはははははっ!」
痛いっ苦しいっ、……でもここで気を失うわけにはいかない。ようやく……準備ができたのだから。
だから……お前に“返して”あげる。
「……【
私の闇魔法が発動すると、女盗賊が一瞬キョトンとした顔をして、次の瞬間、顔を醜く歪ませた女盗賊が屠殺場の豚のような悲鳴を上げた。
「ひぃいっ!! ああああああああっ!!! ぐああああああああああっ!!」
戦闘をあまりしない魔術師系の盗賊だからか、あまり“痛み”の耐性はないようだ。
恥も外聞もなく、それまで優位に立っていた女盗賊だったが、今は地面を転がりながら狂ったように悲鳴を上げ続けていた。
幻惑系の魔術は、自分の知っているモノしか再現できない。
たとえば【
私が使った【
けれど、それを使うために私は、自分が死なないギリギリのラインで、その基準となる“痛み”を知る必要があった。
痛みは与えても肉体的にはダメージはない。構成も【
それでも数秒間程度、相手の動きを止める効果を期待していた。
でも、自分の痛みではなく、どこが痛いのかも分からない激痛は、女盗賊の精神を混乱させ、痛みに騙された神経が痙攣を始めるような効果をもたらした。
「………、」
私も同じ痛みに耐えながら震える脚に力を込めて立ち上がる。
私の精神が強いわけじゃない。同じ痛みを感じていても、ようやく見えた光明は私の精神を高揚させ、痛みに耐えるだけの力を与えてくれた。
「ひぃい、があぁ、や、やめ……くるな…もう動け…ぐあ」
少しずつ混乱から立ち直っているのか、女が途切れ途切れに声を漏らしながら、這いずるように私から距離を取ろうとした。
けれど、痙攣する身体は力が入らないのか、腹を刺されて身体を引きずるように進む私よりも遅かった。
女盗賊の神経が痛みの“錯覚”に慣れる前に、決着をつける。
でも女盗賊の身体はいまだに魔術の鎧に覆われ、刃物や打撃ではダメージが通らないけど……
「ひっ」
身を引こうとする女盗賊の首に、私は糸を巻き付ける。固定するように何度も何度も首に捲き、その首に膝を当てて渾身の力で糸を引くと、刺された腹の傷から血が噴き出した。
「ひ…や、やめ……たすけ」
「ダメだ。お前は死ね」
私も最後の力を振り絞り、身体強化と膝を使ったテコの力で糸を引く。
「あがあががああがががああああ」
「――っ!」
軟体持ちでも限度はある。渾身の力を込める私に、女盗賊が痙攣しながらも首の力で耐えようとした。
私はレベル2になった魔力制御を使い、全力の身体強化で糸を引くと、拮抗していた女盗賊の首が捻れ始め、少しずつ捻られていったその首が――
パキン……ッ。
濡れ雑巾に包んだ枯れ枝を折るような音と共に真後ろを向いた。
「「………」」
恐怖に引き攣った女盗賊の顔が唖然として私を見つめ、その瞳に輝いていた生命の光は、無表情の私をその瞳に映したまま静かに闇へと沈んでいった。
決着です。今回はかなり泥臭い殺し方になりました。
普通の主人公なら覚醒でもして鎧を貫くんでしょうか……
倒せましたが終わってません。腹を刺されて毒を受けたアリアは生き残れるのか。
次回、エレーナとの誓い。
たぶん明日予定です。
軽い解説。
コメントでもご指摘がありましたが、『戦闘メイド』という職種はありません。
護衛メイドの種類で、戦闘を主に担当する者がいて、そういった者たちは暗殺者や盗賊から恐れられています。
エレーナが呟いた『戦闘メイド』は、そういう者たちを示す造語のようなもので、正式な名称ではないのですが、業界人には意味が通じます。エレーナとアリアが同じ言葉を使ったのはただの偶然です。