31 王女奪還 ②
「アリアッ!!」
彼女に伸ばされていた女店員の手を遮るようにナイフを投げると、その手を貫くことはできなかったが、二人が同時に振り返って金髪の少女――王女エレーナが私の名を呼んだ。
「へぇ……ここまで追いつくには後十数分はかかると思ってたんだけど、もしかして、君はあの穴をくぐって追ってきたのかな?」
「…………」
それには答えず私が黒いナイフを構えると、女店員は怒るどころか手を叩いて笑いながら喜んだ。
「メイドちゃんいいねっ! こんな仕事で二人も普通じゃなくて可愛い女の子に会えると思わなかったわっ! これだから貴族相手の仕事は面白いっ」
そんな奇妙な女を見ながら必要な情報を収集する。
年の頃は二十代半ば。暗めの赤毛に茶色の瞳。顔立ちは整っているような気もするけど、全体的に印象が薄く目を離すと顔を忘れそうになる。
身長はそれほど高くもなく体付きも予想通り細身だった。おそらくは演技を止めたからだろうか、動けば服装店の制服の上からでも、しなやかな筋肉が付いているのが分かった。
その特徴から考えるとやはり斥候系だろう。今回の誘拐も、あの店でずっと罠を張っていたのか、それとも印象の薄い人間を各地に配置することで、なり替わりを容易にしたのか?
女は単独犯だが、それらを考慮すると組織だった背後関係を感じた。だとするならここで女を逃がすわけにはいかない。下手に街の外に出られたら、私では足取りを追えなくなる。
それにしても……この女は何をしたいのか? 誘拐犯ならそれらしく抵抗か逃げると思っていたから、予想と違う反応に思わず眉を顰めると、馬車にいるエレーナが疑問の答えをくれた。
「その女は盗賊ギルドの
エレーナがその正体をバラすと、その女盗賊は苦笑するようにエレーナを見て、芝居がかった仕草で肩を竦めた。
【女盗賊】【種族:人族♀】
【魔力値:175/180】【体力値:145/155】
【総合戦闘力:388(身体強化中:440)】
「…………」
盗賊か……暗殺者よりマシだけど、それでもカストロ並みの戦闘力を持っている。
でも確かに戦闘力は高いけど、魔力値からするとそれほど高い値ではない。確かヴィーロに聞いた話では、盗賊は隠密系の技術や体術技能系は高いが、戦闘に特化した者はかなり少ないらしい。
この女盗賊もそうだとして、この身体強化の上がり幅なら……近接戦闘は2レベル相当だろうと感じた。
2レベルの短剣術ならやり方次第で私でも戦えないわけじゃない。けれど、2レベルの近接でこの戦闘力なら、たぶん……穴を掘った土魔法は、レベル3まではあると考えたほうがよさそうだ。
ランク3の
エレーナは無事なようだが動けない。言葉もわずかにおかしかったので、魔術で自力脱出は期待できないから、私が単独で何とかするしかない。
「エレーナ様を解放すれば追わない」
「それで取引のつもり? やはり子供ね…と言いたいところだけど、時間稼ぎに付きあう気はないわ。仕事で殺しはしない主義なんだけど……我慢できなくなったらごめんね」
「っ!」
一瞬殺気のようなものを感じて仰け反るように横に避けると、細いナイフがその脇を飛んでいった。
カストロと同じで予備動作が見えなかった。私も練習しているけど上手く使えたのはホブゴブリンに使ったアレを含めて数えるほどしかない。
だけど、そんな考察をする間もなく女盗賊から土色の魔素が膨れあがるのを感じて、私がとっさに飛び退けると同時に女盗賊が魔術を解き放つ。
「――【
その発動ワードが聞こえた瞬間、辺りに土色の魔素が広がり、地面から幾つかの小石が私に向かって飛んできた。
「くっ!」
身体強化と体術を使い、身を捻るようにして石礫を躱した私は、さらに下がって伏せるように片手を地につける。
「すごーいっ、躱されるとは思わなかったわっ」
「………」
私の額から血が一筋零れて頬に流れる。……すべて躱しきれてない。少なくても額に掠って肩にも一つ受けている。体力も少し減っているけど、まだ【
これが攻撃魔術か……実際に見るのは初めてだけど、おそらく私が食らえば一撃で戦闘不能になりかねない。
投擲を牽制に使って魔術を唱える時間を作っているのか……戦闘における魔術の使い方を学ぶと同時に、敵の魔術使用パターンを覚えておく。
礫を受けた肩も動く……額の血も目に流れてこないなら放置して身構えていると、追撃をかけてくると思った女盗賊は、何かを耐えるように身を震わせながら自分の腕を抱きしめていた。
「いいわ、いいわっ、メイドちゃん。キレイな幼い顔に流れる真っ赤な血……これだから私は殺しに向かないのよ。殺すよりも苦しんでいる顔に興奮して、つい、いたぶっちゃうの……あなたたちのように可愛い子は特にね」
……なるほど、変態か。盗賊は一般人の殺しをしないと聞いたけど、単に殺しが向かないだけの奴もいるんだな。でもそれを知って安心できる要素なんて一つもない。実際にエレーナは声も出ないほど顔を青くしていた。
「さあ、始めましょうか」
女が短剣を抜いて滑るように右手に移動する。ナイフを構えた私もそれに合わせて音もなく同じ方向に歩き出す。
変態趣味を兼ねているのか、女盗賊は魔術を使わず接近戦をご所望らしい。レベル3の魔術を使われるより遙かにマシだけど、さっきのように他の攻撃を牽制にして魔術を使う場合があるので、油断はできるはずもなかった。
単純な近接戦ではランク2程度の戦闘力しかなくても、その戦闘力は伊達ではなく、切り札として使われれば一撃で私を殺すことができるのだから。
「「っ!」」
ガキンっ!
ゆっくりと近づいていった私たちが同時に飛び出し、同時に繰り出した短剣と黒いナイフが火花を散らす。
でもスキルレベルと体格の差で私が弾かれるように数歩下がると、その隙を逃さず女盗賊が短剣で斬り込んできた。それに合わせて私も左手の投げナイフを放つが、女盗賊はそれも読んでいたのか短剣の軌道を変えてナイフを弾く。
「――【
動きながら呪文を詠唱していたのだろう。女盗賊が魔術を使い、その瞬間、私に向けて土埃が吹きつける。
マズい。色で魔素を視る私の場合、視界を塞がれると探知能力が激減する。
慌てて距離を取るが範囲が広い。レベル2の魔術だろうか、攻撃を受けることも仕方なしと割り切り顔を隠すように目を瞑ると、次の瞬間、腹部に衝撃を感じて数メートルも吹き飛ばされた。
「アリアっ!」
エレーナの悲鳴が聞こえる。けれど腹部を蹴られた私はすぐには動けない。
「……げほっ」
地面を転がりながら痛みで思わず咽せると、音もなく近づいていた足音がわずかに大きくなった。
「いいわいいわぁ! 今度はちゃんと切り刻んであげるからっ!」
その声が、女盗賊の位置と距離を私に教えてくれた。
ヒュンッ!!
「なっ!?」
女盗賊の驚くような声。私も女盗賊と同じように戦闘中に唱えていた【
「なによ、これっ!?」
私の“攻撃”を理解できなかった女盗賊が慌てて私から距離を取る。
けれど半端な間合いでは私の攻撃を躱せない。再び“糸”を引き寄せつつ、大きく弧を描くように刃を投げ放つと、女盗賊はさらに距離を取り、意識をそちらに取られた女盗賊の腕に私の投げたナイフが突き刺さった。
「つっ!」
素早く“糸”を引き寄せ、“刃”を袖に隠した私と、女盗賊が最初のように距離を置いて警戒するように対峙する。
けれど、女盗賊に最初のような、馬鹿にしたような笑みは浮かんでいなかった。
「……今のはなに? あなたの魔術?」
「さぁ?」
今使った武器は、紐分銅の代わりに作った新しい武器だ。
使っているのは生成りの木綿糸。それには私の血を染みこませて魔力を通すことで、髪と同様にある程度私の意志で動かせるようになっていた。
先端の刃は紐分銅で使わなくなった銅貨だ。今回は重りとして使うのではなく、平らな石で叩いて削り、刃になるまで根気よく研いだものだった。
私の寝不足の半分はこれのせいだけど、そのおかげで、遠心力で高速横移動する硬貨を見切るのは難しく、トドメを刺すには軽すぎるけど、無視できるほどダメージは軽くない、牽制にちょうどいい武器になった。
「……やってくれたわね」
最初の一撃か、女盗賊の頬が浅く切れていた。その流れる血と共に人相が変わり、女盗賊が赤髪のカツラを脱ぎ捨てると、短く切り揃えたくすんだ銀髪がきらめいた。
魔術かスキルの変装か……やはり盗賊の技術で店員に化けていたようだ。
顔立ちはほとんど変わっていないのに、化粧と仕草を変えるだけであそこまで別人に化けられるとは、盗賊系のスキルも侮れない。
ようやく相手が本気になった。普通なら油断させたほうがいいのだが、私には計算できない相手と戦うよりやりやすい。
セオとの模擬戦の時もそうだったけど、奇抜な手を使う相手とは相性が悪い。だから本気にさせてでもミリ単位まで計算して勝利の道筋を立てる。
そんな思いでナイフを握り直すと、女盗賊はわずかに目を細めた。
「ただの子供ではないと思っていたけど……あんた、何者?」
「…………」
情報を漏らす意味はない。けれど、女盗賊の意識を私に向けるため、あえて軽口に乗ってやる。
「私は……ただの孤児で、ただの冒険者…」
私をジッと見つめるエレーナに少しだけ目を向け、黒いナイフを静かに構える。
「私はその子を護り、敵を殺す、ただの……『戦闘メイド』だ」
相変わらず戦闘が地味。
次はいよいよ本気になった女盗賊との死闘。
次回は土曜更新予定です。