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29 悪役令嬢

二つに分けようかと思いましたが、切りが悪かったので少し長めです。




「もうそろそろ到着するはずですわ、エレーナ様」

「私は街のほうが良かったのですけど……」


 時は少し戻り、ダンドール所有の迎賓館の一つである、湖畔の城へ向かう馬車の中。その服装や態度から、どこぞかの貴族の令嬢……しかもかなりの上位貴族だと思われる二人の少女が語り合う。

 赤い髪の少女はダンドール辺境伯直系の姫であるクララで、まだ幼いながら知性ある瞳と落ち着いた態度だけでなく、いずれ大輪の花となるであろう片鱗を窺わせた。

 そのクララが敬うような態度を見せている相手は、クララに勝るとも劣らない美貌を持つ美しい金髪の少女だったが、その顔には不満が表れており、そんな友人であり従姉妹でもある第一王女に、クララもわずかに苦笑を浮かべた。


 第一王女エレーナは、兄である王太子エルヴァンを慕い、それがあまりに行きすぎたために、一旦距離を置いて頭を冷やすために、第二王妃である母の実家になるこのダンドールに『療養』に出された。

 だがエレーナは我が儘でも愚かでもない。エレーナが我を忘れるときは兄が絡んでいるときだけで、それ以外では凛とした王族の顔を見せている。

 母の拷問のような英才教育のせいで丈夫な身体ではなくなってしまったが、その教育はエレーナに七歳とは思えない理知的な精神を与えていた。

 そのエレーナが王女の顔ではなくわずかでも不満を見せているのは、この場にいるのが従姉妹であり友人であるクララだけだからだろう。

 兄に会えない不満はあるが、エレーナは自分が父王や正妃に心配をかけていると分かっているのだ。


(どう話を切り出そうかしら……)

 悪役令嬢の一人であるエレーナに“ヒロイン”を排除させる。久しぶりに会った従姉妹だけで話をしたいと、クララがダンドールの城からエレーナと二人きりの馬車にしたのは、そんな思惑もあった。

 ゲームのエレーナは王太子が興味を持ったヒロインに嫉妬して、小言のような文句をつけ、悪戯めいたことも仕掛けるが、物語が進んでヒロインが王太子と恋仲になると、ヒロインを認めて味方になる。

 今の段階なら、王太子と恋仲になっていないヒロインの味方にはならない。けれど、王太子と接触をしていないヒロインに、エレーナに敵意を持たせることは難しい。

 下手な嘘を言えば、聡明なエレーナはすぐに違和感を感じてしまうだろう。だからこそこの話題は慎重に期する必要があった。

(でもまだ時間はある。この一ヶ月間の療養期間内に、エレーナの害意をヒロインに向けさせれば……)


「クララ? 今日は随分と大人しいのね。何か考え事?」

「……いいえ、何でもありませんわ」

 しばし無言のまま馬車だけが目的地に進む。以前は本当の姉妹のように仲の良い二人だったが、クララが前世を思い出してからわずかな“ズレ”が生じはじめていた。

 そんな馬車の中で窓の外を見ていたエレーナが、見えてきた湖に声をあげる。

「クララ、あの城ではありません?」

「はい、あの城がエレーナ様に滞在していただく迎賓館になります」


 城が見えたことで自分の立場を思い出したクララが窓から周囲を窺う。

 従姉妹同士で幼い頃からの遊び相手でもあるが、彼女は辺境伯令嬢として第一王女を迎える役割も担っていた。

 徐々に城に近づくと、門から玄関へと向かう道なりにダンドールと宰相が用意した使用人たちがずらりと並んでいる。

 王宮やダンドールからも人を出しているが、さすがにメイドや小間使いなどは他家からの応援に頼らざるを得ない。そう言った貴族の縁者たちの中にはダンドールや王城で働きたいと願う者も多く、彼らは頭を下げながらも時折意欲的……悪く言えば野心的な顔を覗かせた。

(……え?)


 その列の隅で大人しく目立たないようにしていたが、まだ幼いともいえるクルス人らしき小麦色の肌の少年が目に付いた。

 あの顔には見覚えがあった。セオ・レイトーン……まだ幼いが、あの少年はヒロインが魔術学園に入学する際、執事として付き従う『攻略対象者』の一人だった。

 その実態はヒロインを影から護る暗部の騎士であり、最初は何の力もないヒロインに対して真面目に護衛をしていなかったが、地道に努力するヒロインの姿に感化され、幾つかのイベントを経て恋するヒロインのために覚醒する。

 まさかこんなところで出逢うとは思っていなかったが、彼が暗部の関係者ならそれも納得がいく。

 だが、クララが真に驚いたのは彼ではなかった。執事見習いである彼の反対側、メイドの列の一番端に、ゲームで何度も目にしたピンクブロンドの髪を見つけて息を飲む。


(まさか…ヒロインっ!? ううん、そんなはずがない。ヒロインは今ならまだ孤児院にいるはずで、あのメイドもまだ子供だけど10歳くらいだから、きっと違う)


「クララ……? どなたか気になる方でもいらしたの?」

「い、いえ、なんでもございません」

「ふ~ん?」

 目敏くクララの異変に気づいたエレーナが不審げに目を細め、カーテンの隙間からクララが見ていたであろう光景を見て、微かに口の端を上げる。

「さあ、到着したようですわ。クララ、案内をお願いしますわ」

「……かしこまりました、エレーナ様」


 そして馬車から降りたエレーナは、その洞察力でクララが見ていたであろう方角から一人の少女を見つけ出し、彼女を欲しいと口にした。


   ***


 私が影から監視するはずの金髪の少女が、私を『欲しい』と言った。

 私からすれば、少女が同じ年頃の人間に興味を持つのは何となく納得できたけど、貴族の常識を持つセラたちは、貴族が仕事を出来ない人間を欲しがるとは思っていなかったらしく、セラとあの上級執事の二人で説得を続けていた。


「あの者はまだ教育中で、ここでも下働きの予定でいます。とてもではありませんが、殿下のお側付きに出すことはできません」

「教育が終わり、こちらで適性有りと判断できれば、あらためて王宮のメイド見習いとすることもできましょう。それまで彼女が本当に必要かご再考を願います」


「市井の子でも見習いなら10歳にはなっているのでしょ? わたくしも幼いメイドに、いきなり侍女の役目をさせようとは思っていませんわ。けれど、わたくしはその子の見た目が気に入ったの。近くに置いて侍女に取り次がせる程度は出来るでしょ?」


 城にあるリビングの一つで、私は部屋の隅に立たされたまま自分の立場が決まるのを待つ。

 部屋の中にいる侍女も執事もそれらの会話に顔色一つ変えないが、同じく部屋の隅にいる、おそらく貴族の縁者であり、少女たちの家と繋ぎを持ちたかったメイドたちは、オーガのような目付きで私を睨んでいた。

 今更、戦闘経験もないお嬢様に睨まれても何も感じないけど、それより“殿下”ということは、あの少女は王族の一人なのだろうか? まだ国外に逃げるほどの力量はないのだから勘弁してほしい。

 それから何度か問答が続き、上級執事が深く溜息を付いた。


「まだ言葉遣いも出来ていないただの子供です。それが分かっておいでなら、この城に滞在する間だけ、部屋付きの一人に加えることを許可いたします。それが最大限の譲歩です」

「もちろん、それで構いませんわ。それでもし私が気まぐれではなく、本当に彼女を気に入ったなら、教育後、正式な侍女見習いとして城に寄越しなさい。こちらもそれが最大限の譲歩よ」

「かしこまりました」

「……アリア、こちらに来てご挨拶を」


 私の意志に関係なく私の立場が決まったようだ。最終的に私の身に危険があればお尋ね者になっても逃げ出す心の準備はするとして、今は監視任務が容易になったと割り切り、セラの声に従い前に出る。

 今の私はセラや上級執事はもちろん、少女を護る騎士の一人にさえ及ばない。いずれ追いついてみせると心に決め、金髪の少女の前で教えられたとおりに頭を下げた。


「メイド見習いのアリアです。よろしくお願いします」

「アリア…ね。わたくしはエレーナよ。誠心誠意仕えなさい」


【エレーナ】【種族:人族♀】

【魔力値:120/120】【体力値:33/35】

【総合戦闘力:50】


 光魔術と闇魔法を覚えた私と、同等以上の魔力値を持つ子供なんて初めて見た。

 体力値を見るに近接戦闘技能はないようなので、おそらくは複数の魔術スキルを持っているのだろう。

 “知識”にある貴族らしく尊大な物言いをするエレーナだが、その声音は言葉よりもキツくない。でも、その後ろから私を見る赤毛の少女は、私に近づくことなく睨むような鋭い視線を向けていた。


   ***


「アリア、あなたの監視任務は、あくまで私どもの補佐であることは変わりませんが、これからは連絡要員も兼ねてもらいます。よろしいですね」

「はい」

「それと部屋付きとなったことで追加の情報を開示します。エレーナ様はこの国の王族の一人で、もう一人の方はダンドールのご令嬢、クララ様になります。この二人が監視対象になりますが、警護の優先順位はエレーナ様が上になります。間違えないように」

「はい」

「そして二人が入城したことで、対象のどちらか、もしくは両方を快く思わない派閥から、その動向を監視する人間が現れはじめたと報告がありました。直接の行動を起こすことはないと思いますが、もし何らかの手段を講じてきた場合は、近くにいるあなたも、殿下だけでもお護りするように」

「はい」

「それから、あなたは殿下から直接お名前を教えられましたので、殿下ではなくエレーナ様とお呼びするように。クララ様は、お嬢様とお呼びしなさい」

「……はい」


 セラから地味に長い変更事項を確認してわずかに頷くと、セラと一緒に庭の散策を始めている監視対象者の下に戻る。

 だからといって特にやることがあるわけではない。こんなことがなければ草むしりや雑用をこなしながら、彼女たちが突然いなくならないか『子供視点』で見ているだけでよかったが、部屋付きになったことで、他のメイドたちの後ろでジッとしているのが私の新しい仕事になる。


「アリア、こちらにいらっしゃい」

「……はい、エレーナ様」

 でもエレーナはそうさせてはくれないようだ。私の何が気に入ったのか分からないけど、給仕が出来るわけでもない何も出来ない私を側に置く。

 私が近づくとダンドールのお嬢様が怯えるように距離を取り、私がエレーナの名を呼んだことで、名を呼ぶことを許されていないメイドたちから、憎悪に近い視線が私に注がれ、それを見ていたエレーナは愉しそうに口元を笑みに変えた。

 ……彼女はなかなかいい性格をしている。

「アリアは、なかなかいい性格をしているわね。あまり他人の評価は気にならない性格なのかしら?」

「……恐れ入ります」


 どうやら私とエレーナは似たもの同士だったようだ。

 もちろん性格は違うけど、貴族としての修羅場があるとするのなら、彼女の肝が据わるような出来事があったのだろう。私はその在り方が少しだけ好ましく思えた。

 メイドたちは離れた場所にいて、侍女たちも用事がないかぎり必要以外近寄らない。

 ダンドールのお嬢様も私がいるとその場から離れてしまうときがあるので、何日か過ぎるとエレーナの近くにいるのは私だけになっていることが多くなった。


「だいたいお母様も心が弱すぎるのよ。正妃となられたあの方は良い方だけど、所詮は王妃教育を受けていない子爵令嬢だから、第二王妃であるお母様がいないと、この国の政はまともに動かないのよ? そこで国内外に地盤を作ればよかったのに……そうは思わない?」


 近くに私だけしかいないとき、私にしか聞こえないような声で、エレーナは愚痴を漏らすようになっていた。……彼女は本当に私と同じ子供なのだろうか。

 ダンドールのお嬢様も大人びた態度と言葉を使うけど、彼女はエレーナと違って本当に経験を経た大人と話しているような錯覚に陥る。

 エレーナは母親から異常なまでの英才教育を施されたと聞いた。彼女も詰め込まれた“知識”を使って、生きるために必死に足掻いてきたのだろう。


「私には分からない」

「アリアは本当に冷たいわね。でもそんなあなたは格好いいわ。明日は街に買い物に行くから、あなたも伴をしなさい」

「了解」


 二人だけの会話の時は、私がぞんざいな言葉を使ってもエレーナは気にしない。

 でも私たちは『友達』じゃない。彼女はメイドに対する主の立場を崩すことはなく、私も必要以上に踏み込まない。

 私が彼女に仕えることはないだろう。でも、今感じているこの空気は、私はそれほど嫌いじゃない。


 ゆっくりと……静かに流れる時間の中、テラスの白いテーブルでお茶を飲んでいたエレーナは時折、青く澄んだ湖へと目を向ける。

 私と同じように詰め込まれた“知識”で、彼女は今まで何を見て何を感じてきたのだろうか……。そして今、彼女の瞳には何が映っているのだろう。

 私も彼女の斜め後ろに立ち、同じ景色に目を向ける。無言のまましばらく二人でそうしていると、不意にエレーナが口を開く。

「アリア……あなたには何が見えるのかしら?」

 景色を見つめながらそう問うエレーナに、私も湖に瞳を向けたままゆっくりと口を開いた。

「たぶん……同じものだ」



 その翌日――エレーナが入城してから一週間が過ぎて、ダンドール城のある街に買い物に出掛けることになった。

 それでも公の立場で来ているわけではないので、護衛はセラの仲間たちが市井に紛れて行い、目に見える護衛は三人の騎士だけで、あとは侍女と執事を二人ずつとメイドを四人だけ連れて行くことになる。

 そのメイド四人の中に私も含まれている。だけど、侍女と執事の中にセラと上級執事の姿はなかった。

 二人がどちらも城を空けるわけにいかない理由もあるが、大きな原因は口うるさい二人が来るのをエレーナが拒んだからだ。

 けれど上級執事のほうは市民に紛れて監視すると聞いたので、よほどのことがないかぎり私の出番になることはないはずだ。

 本当なら参加しなくてはいけないはずのダンドールのお嬢様は、(私が同行すると聞いて)体調不良でお休みらしい。


「さすがに王都に次ぐ大都会ですわ。平民でも手の届く服装関連のお店が揃っているようですね。アリア、あなたにも何か買ってあげましょうか?」

 馬車の窓から街並みを見て聞いてくるエレーナに、私は静かに首を振る。

「そうよね。アリアは、欲しいものは自分の力で手に入れるのが似合っているわ」


 目的地の一つである高級服装店に到着した。

 騎士の一人が裏手に回り、一人が入り口の脇に立ち、一人が同行して中に入る。

 この店は本日貸し切りになっていて、他の客はいない。たぶん何度も調べられていると思うけど、店主の他には女の店員が三人いるだけで、私の探知にも他の気配は感じられなかった。


「本日はお越しいただいてありがとうございます。是非ともゆるりとご覧下さいませ」

「そうさせていただきますわ」


 店主と軽い言葉を交わして、エレーナが布地や既製品のスカーフなどを見て回る。

 エレーナが私に何か買い与えると言ったのを誰かに聞いたのか、一緒の馬車で来られなかったメイドたちが物欲しそうにエレーナを見るが、彼女と見て回るのは侍女たちの仕事なので、私を含めて“四人”のメイドは離れて見ているしかない。……が、

「……一人どこにいったの?」

「私は知りませんわ」

 メイドの一人がいないことに気づいた私に、私を敵視する貴族縁者のメイドがツンとした顔で横を向く。

 いくら彼女たちでも勝手にいなくなったりはしないだろう。嫌な感じがして細かく探知をしてみると、身体の寸法を測りに個室に入ったエレーナの気配が感じられなくなっていた。


 急いでその採寸部屋の扉に向かうと騎士の一人に止められる。

「いくらお前でも勝手に入ることは許さんぞ」

「エレーナ様の気配が感じられない。至急中を確認して」

「何を……」

「分かりました」

 私のことをセラから聞いていたのか、外で待っていた侍女の一人がノックをして、返事がないことを確認して扉を開ける。

「殿下っ!」

 その侍女を先頭に中に入ると、中にいたはずのエレーナの姿はなく、一緒に入った侍女の一人が倒れていた。

「殿下はどこに……」

「一緒に入った店員の女もいないぞっ」

「こちらに穴がありますっ!」

 執事の声が聞こえて騎士の後ろから覗き込むと、子供か細身の女性なら通れるほどの穴が床に開いていた。

「地下だっ!」

「階段はっ?」

「私が先行する」

 階段を探しはじめた彼らの間をすり抜けて一声かけると、スカートの裾を畳んだ私がその穴に飛び込んだ。


 数メートルの落下を、身体強化した脚のバネを使って着地する。すぐに暗視を使って辺りを見回し、奥の方からわずかな魔素の乱れを感じて、穴の開いている天井に向かって奥へ向かうと声をかけた。

 上の人間が早めに追いついてくることを期待して奥へと駈けると、そこにいたのはエレーナではなく、唖然としたようにへたり込んでいる、居なくなった貴族縁者の一人のメイドだった。


「ここで何をしている? エレーナ様はどこにいった?」

「……し、知らなかったのよ。私、……ちょっと情報を流したら、あの店員がお金をくれるって……でもこんなことになるなんて知らなくて…」

「エレーナ様は?」

「ひっ」

 軽く威圧して正気に戻すと、彼女は怯えたように震えながらも地下室の隅にあった、小さな横穴を指さした。

「…………」

 店員の女が主犯か……私は支給されていた木炭で、漆喰の壁に追いついてくる騎士たちに向けて必要な情報を書き連ねると、その小さな横穴に入って誘拐されたエレーナの姿を追った。




速攻で巻き込まれる主人公。


次回、エレーナを追うアリアと誘拐犯の戦い。

次はたぶん、火曜か水曜です。

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