<< 前へ次へ >>  更新
27/261

27 護衛メイドの修行


「……何をしているのですか?」


 クルス人の少年を押し倒して咽にナイフを向けていると、横手から不意にセラの声が聞こえた。……相変わらず足音も気配もない。それでも声の大きさや方向からまだ数メートルの距離があると察して、油断なくナイフを構えたまま少年から目を離さずにいると、少年が救いを求めるように『母さんっ!』と声に出した。

「…………」

 セラの子供だったのか……うっかり殺さなくてよかった。今の私では、セラと敵対したら確実な“死”が待っている。

 セラと敵対しないことを示すように、私が刃を離しながらそっと少年から距離を取ると、セラは息子ではなく私に尋ねてきた。

「何がありましたか?」

「スカートを捲られた」

「……そうですか」

 セラは顔が真っ赤になったままの息子を見て少し不審げに眉を顰めると、軽く溜息をつくように私を正面から見て頭を下げた。

「女性に不埒なことをしたのなら仕方ありませんね。母としてお詫びします」

「問題ない」

「それでは、この話はこれで終わりとして……セオ、いい加減に立ちなさい。鍛錬をはじめますよ」

「……母さん」


 セラが息子に厳しい……。

 そのセラの息子……セオが少し拗ねたように母を見ながら立ち上がり、私を見るとまた顔を赤くして視線を逸らした。


「“自己紹介”は済んでいるようですね。これが私の息子のセオで、こちらがメイド見習いになるアリアです。セオは通常の訓練を続けるとして、アリアには十日後に到着する予定の“対象者”が余計な行動をしないか監視する任務をするために、最低限、貴族の前に出られる“教育”を施します」

 子供の監視任務……それが私の仕事になるらしい。

「……教育? 礼儀作法?」

「それもありますが、そちらは通常業務の終わった夜に行います。朝の時間は、セオと一緒に体術関連の修行をします」

「魔術は……?」

 セラの魔力値なら何かしらの魔術を会得しているはず。私の傷を癒したのがセラでなくても、できれば光魔術のことを知りたいと考えて私が口にすると、セラが私を見極めるようにジッと見つめた。

「時間がないので考えていませんでしたが……あなた、属性は分かっていますか?」

「光と…闇」

「二つも属性があるのですね。闇はヴィーロに習いましたか? 光魔術でしたら私が2レベルまで使えますので、時間があれば教えましょう」

「やっぱり……私に【治癒(キユア)】をかけたのはセラさん?」

「その通りです。光魔術を使えるのなら【治癒(キユア)】は必ず覚えてください。私たちは仕事柄、傷を受けることはありますが、護衛メイドは貴族の前に出る必要があるので、見える部分に傷があるのは目立ちます。仕事中、一般のメイドの前で着替えることもあるでしょう。出来る限りの傷跡は消すように」

「……うん」

「僕だって風魔術を教えられるよっ!」


 突然セオが私に迫るように話に割り込んできた。

 なるほど……スカートを捲られたとき、私が反応できる間合いでなかったのは、たぶん生活魔法の【流風(ウィンド)】も併用していたのだろう。でも……


「私は風魔術は使わない」

「……そう」

「でも、対風魔術の訓練はしたい」

「うんっ、任せて、アリアっ!」


 ……蹴り倒してナイフを向けたら懐かれた?


「アリア、あなたの足運びなどを見るに、自己流である程度は鍛えているのだと分かりますが、それを矯正します。具体的に言えば、『護衛メイド』独特の体術で、スカートのままでも戦える足運びです。少し見せましょう」

 そう言うとセラの身体が、そのまま音もなく真横にスライドする。

「……わからない」

「もちろん、そう簡単ではありません。足を見せますので見逃さないように」


 セラは足首まであるスカートを脹ら脛まで持ち上げ、同じ動きを見せてくれた。

 すり足、交差、加速と減速……かなり高度で複雑な足運びをしている。これを会得できれば隠密にも戦闘にも応用が利く。こういう動きは“知識”にはなかったので、私は食い入るように見て目に焼き付けた。


「本来なら子供の場合、セオのように私たちの動きを基本から叩き込むところですが、アリアはある程度の下地も実戦経験もありますし、時間もないので、手取り足取り教えたりはしません。目で盗んで覚えなさい。ある意味、ヴィーロなどと同じ扱いになりますが、構いませんね?」

「……問題ない」

「よろしい」


 ……知り合う大人はみんな子供に厳しいな。

 でも、知識だけで実戦して覚えるのはいつもと一緒だ。意気込みもなく静かに頷く私に、セラが初めてわずかに笑みを浮かべた。


「それと武器を支給します。一般のメイドは、武器等の所持は厳禁ですが、私たちは兵などと同じように最低限の武装を許されています。それでも外部から来た人間の場合は屋敷に入る際に武装を預かるのですが、あなたの場合は、『虹色の剣』のヴィーロと私が保証人になることで許可しました」

 そう言うとセラは布に包まれた物を私に寄越す。

「その武器で、あなたがおかしな真似をすれば、私とヴィーロがあなたを始末することになりますので注意するように」

「……はい」

 それは確実に命がない。

「それと……先ほどの黒いナイフはどこに隠していましたか?」

「脹ら脛に革紐で…」

「それくらいなら許可しましょう。他の者には見つからないようにしなさい」

「「………」」

 脹ら脛に……の時点で、太ももにも投げナイフを隠していると知っているセオが何か言いかけたけど、私が睨んで止めさせた。


 使える武器は幾つあってもいい。余計なことをするつもりはないけど、命の危険があれば躊躇なく使う。特にこんなヒラヒラした物を着ているので、私なら戦闘は投擲が主体になるはずだ。

 支給された武器は、細いナイフが2本に投擲用の投げナイフが4本だった。

 細いナイフは黒いナイフの逆側につければいいだろうか。それでも2本だと重くなるので1本は予備にする。投げナイフは……太ももに全て括り付けるには、私の脚の太さが足りない。

 ヴィーロに貰った投げナイフより細いから、1本ずつなら袖に隠せるかな? そのうち専用のホルダーを作るか買うしかないか。


 足運びや細いナイフを使った戦闘術、そしてメイド服のままでも戦える、投げや極めの体術も教えられる。

 その体術を扱う上で、体格の近いセオと格闘の模擬戦もやらされた。


「あ、アリア? 蹴りとか使ったらダメだよっ!?」

「分かってる」

 何故かセオは私のスカートが気になるらしい。セラもスカートで足下が隠れている状況を活かすため、蹴り技などは奥の手にするのが良いと言っていた。

 セオは私よりも一つ年下の6歳らしい。6歳にしては背が大きいけど、私と同じように魔力のせいで成長が早まっているのだろう。

 私は対人戦の技術が不足している。実際に修行を始めて一月半程度しか経っていないのだから、足りていないのは当たり前だが、正面からの技の応酬となれば、正式な訓練をしているセオに何度も土をつけられる結果となった。


「そろそろ朝の訓練は終わりにします。汗の臭いと埃を消しますので、二人ともこちらにいらっしゃい」

「……?」

 何だろう?と思いながらセラの近くに寄ると、彼女は何か呟きはじめ、その手に光の魔素が集まりはじめた。

「――【浄化(クリーン)】――」

 その光を受けると私の身体から汗の臭いが消えて、メイド服にもついていたわずかな埃が消えていった。

「これは……」

「レベル2の光魔術、【浄化(クリーン)】です。本来は障気などを浄化するための魔術ですが、こうして身体に付いた細かな汚れや匂いを消すこともできます。大きなゴミや汚れは無理ですが……いかがでした?」

「覚えたい……」

「是非ともお願いします。職場に使える人間が少ないので、光属性のあるあなたには期待します」


 光魔術のレベル2は【浄化(クリーン)】と【解毒(トリート)】だ。

 見るのは初めてだけど、【浄化(クリーン)】は目に見える(けが)れを消して、【解毒(トリート)】は体内の微少な異物を消す、私からするとかなり有効な魔術だった。

 でもセラが言うには、どちらの呪文も術者がその“汚れ”を理解している必要があり、障気も実際にそれが障気だと理解が必要で、解毒も何の毒か分かっていないと消せないらしく、使い勝手の悪さから治療師くらいにしか使い手がいないそうだ。

 軽い解毒をする薬草もあるし、使いこなすには専門の“知識”が必要になるので、そこら辺が高レベルの光魔術師が少ない理由かもしれない。


「それから、今日からこれを朝に飲みなさい」

 鍛錬の最後に、セラから陶器の瓶に入ったポーションを手渡された。

「……何これ」

「『何ですか』と言うように。それとこれは“毒”ですよ」


 なんでも特別な調合をした弱い毒で、苦痛を感じることはないが、丸一日は体力値が1割ほど減少したままになるらしい。

 どうしてそんな物を……と思ったら、それを続けることで【毒耐性】を得られる可能性があるみたい。護衛メイドは主の毒味役もしなければいけないそうなので、死にたくなければ真剣に飲むようにと言われた。

 ……やっぱりこの人、部下に厳しい。


 朝の鍛錬の後は朝食になり、セオと一緒に食べることになった。

 以前は私たちの他にも子供の見習いがいたらしいけど、すぐに辞めていったそうだ。だからか知らないけど、私は一部のメイドたちから胡乱な視線を向けられた。

 けど、今更その程度のことは気にならない。せめてホブゴブリンくらいの殺気なら気にはするけど……と思いながら彼女達に目を向けると、何故か目を逸らされた。

「……アリア、目付きが悪いよ?」

「知ってる」


 朝食の後は、セオは執事見習いの仕事があるらしくここでお別れになる。

 別れ際にまた赤い顔で『セキニントルカラ』とか言っていたけど、私の仕事で彼が関わることがあるのだろうか?

 午前中はミーナの後についてシーツの回収や洗濯の手伝いをした。掃除や洗濯にも注意点があり、その点では、あの女は師匠の所でも適当だったみたいで、“知識”はあまり役に立たなかった。

 役には立たないけど、教わったことをゆっくりでも丁寧に仕上げる。それは武術の修行と一緒だ。丁寧に覚えることが第一で、速度や威力はその後でもいい。


 昼食は朝とほぼ同じメニューだった。ミーナによるとシチューは大鍋で一気に作るらしく、それがなくなるまで違うメニューにはならないらしいが、毎日ヘビと兎を食べていた私からすると気になるほどじゃない。

 午後はミーナではなく直属の上司であるセラと、屋敷の中や城の周りの警備の注意点を教えられた。途中で一度カストロとも会ったが、彼は私を見て顔を顰めるだけで何も言わずに去って行った。

「あれでも、あなたに悪いとは思っているのですよ」

「ふぅ~ん……」

 別にどうでもいいな。


 夕方になってまた食事になる。魔力が増えてまた身体が成長しはじめているのか、それなりにお腹は減っていた。

 夜はセラと付きっきりで礼儀作法を教わる。歩き方や姿勢の矯正をされ、お辞儀の角度も直された。私の場合は“知識”があるのである程度物覚えは良いみたいだけど、それよりも貴族に対する作法や言葉遣いを念入りに叩き込まれ、四時間ごとに鳴る“六の鐘”が聞こえた後も、暗闇での文字の書き方や、この北部地方にいる貴族の名前やその領地を覚えさせられた。


 夜は夜で、私は個人的にやることがある。

 それは私の【闇魔法】の把握だ。闇魔術ではなく、うっかり【闇魔法】を覚えてしまった私だけど、そのおかげか、それまで使えなかった【幻聴(ノイズ)】の魔術が使えるようになっていた。

 【幻聴(ノイズ)】の…というかレベル1魔術の消費魔力は10前後になる。試しにそれと同じことを闇魔法で何とか再現してみると、魔力を20以上消費していた。


 魔法は魔術と違って色々と応用は利くけど、使い勝手が悪い。やはり魔法が廃れて、魔術になっていったのには理由があるのだ。

 要するに、一人分のシチューを材料から揃えて作るよりも、味の好みさえ気にしなければ、屋台でシチューを食べたほうが安いし美味いのと同じだと理解する。

 それでも、肉を抜いたり香辛料を省けば、かなり安くて簡単に作れるレシピがあるのでは?

 強い“威力”と“効果”を両立させる必要はない。魔術は汎用性を求めて完全な物を作るが、闇系の幻惑魔法なら完璧な物を作る必要すらなく、私はホブゴブリンの時のように一瞬でも騙せれば充分なのだ。

「……何を“騙す”か?」

 目や耳を騙す魔術はある。視覚や聴覚の他に何がある? 嗅覚? 味覚?

「触覚か……」


 呟きながら眠気覚ましと毒耐性の鍛錬を兼ねて、乾燥させていた強心作用のある薬草を少しだけ噛み千切る。

 私はかすかに思いついた『何か』を形にするべく、眠気の限界が来るまで森の仮拠点で闇魔法の修行を続け、徐々に迫りくる『貴族』との邂逅に備えた。




アリアはかなりストイックです。強くなることに妥協をしません。

朝の修行でセオが言いかけたのは、スカートの中の武器ではなかったのですが、そのせいでアリアのスカートのことを報告できなくなりました。


次は貴族との邂逅。悪役令嬢。


更新速度が上がらなくて申し訳ございません。次回は土日の更新予定です。


<< 前へ次へ >>目次  更新