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22 最初の任務



「俺は、お前のようなスラムの人間を信用しない」


「…………」

 ……こいつは何を言いたいのだろうか?

 私が腰のナイフの柄に手を添えたまま、ジッとカストロの射るような視線に目を合わせていると、そんな私の態度も気に入らなかったのか、片眉をわずかに上げるようにして言葉を吐き捨てる。

「スラムの人間は『何もない』という環境に甘えて、真っ当に生きようとする気概をなくした人間どもだ。だから息をするように犯罪に手を染め、仕事を与えてもわずかな欲で他人を裏切る。そんな人間をどうして信用できる?」

「…………」

 私がその言葉に反応することもなく視線を逸らさずにいると、カストロは『チッ』と口の中で小さく呟いて背を向けた。

「そのナイフと仕事だけはくれてやる。お前の持ち場はこっちだ」

「……わかった」


 カストロが投げ放った細いナイフ……ニードルダガー?を地面から引き抜いて彼の後を追う。

 スラムの人間は、ジルやシュリの兄妹のように親がなく仕方なくそこで生きている者もいる。それと同様にあの二人から金を巻き上げて酒を呑んでいた、どうしようもない大人たちもいた。

 スラムは普通に生きられない人の受け皿である面を持つ。真実は一つではなく多方面から見なくては理解できない。

 彼の過去に何があったのか知らないけど、私はスラムの住人ですらない、住人とすらカウントされないただの浮浪児だから、何か反応を期待されても困る。


 カストロに連れて行かれたのは、城の裏手から西方向に進んだ森の中だった。こんなところで何をするのかと思ったら、カストロはさらに森の奥を指さした。


「ここらから向こうは、どの貴族領にも属さない森林地帯になる。保養地があるので定期的に森林警備隊の騎士が見回っているが、ごく稀にはぐれ狼などの獣が入り込んでくる場合がある。お前の仕事はここの見張りだ。ヴィーロがあれだけ大口を叩いたんだ。狼の一匹ぐらい追い払えるだろう?」

 ずいぶんと大雑把な任務だ。見張り自体は子供でもできるけど、普通の子供がやらされたら数日で逃げ出してしまうと思う。

「……期間は?」

「最低一ヶ月だ。向こうの監視小屋に食料はあるはずだから勝手に使え」

「……了解」


 本当にそれだけのことしか告げず、カストロは森の中に私を残して屋敷のほうへ戻っていった。どうやら彼には『信用できないスラムの子供』にまともな仕事を与える気はないらしい。

 彼やヴィーロの言葉から察するに、依頼主の意向としては護衛対象が子供と言うことから、子供視点の監視者が必要だと考えたのだろう。

 我が儘な子供なら、自分の危険を理解できずに大人の目を盗んで逃げ出そうとするかもしれない。そんな事態を考慮したのだと思うけど、カストロとしてはそれに否定的らしい。……いや、『スラムの子供』を使うことに否定的なのか。

 まぁいいか。私からしてみれば貴族と絡むような仕事よりも気が楽だ。とりあえずカストロが言っていた監視小屋とやらがあるほうへ向かってみると、そこには小屋とは名ばかりの半分朽ちたような納屋が建っていた。


「……けほ」

 ほとんど用を成していない朽ちた扉を開くと、中は埃だらけで空の酒瓶が無造作に転がり、何年も使われた様子がなかった。

 おそらくは定期的に夜間巡回する警備員が使用して、予備の食料なども備蓄されている『名目』になっているのだろう。

 当然まともな食料が残っているはずもなく、あったとしても虫食いだらけの黴びた干し肉があった程度で、とても食べられる物ではなかった。


 ……仕方ない。私は背負っていた荷物を下ろして現在の持ち物を確認する。

 武器は黒いナイフと予備のナイフが一本ずつ。投擲用のナイフが六本に、鉄串が一本ある。他には私の髪で編んだ紐分銅と、スリングくらいか。

 カストロが置いていったニードルダガーもあるけど、使い方がよく分からない。刃渡り30センチで刃の幅が2センチしかなく、それなのに厚みが1センチ近くある。

 側面部分に刃が付いてなく先端部分が異様に研がれていた。……突き刺す専用の武器だな。それでもこれだけ刃が厚いと私の筋力じゃ深く刺さらない。

 食料は干し肉が少量、黒パンが一個、ナッツが袋に少量、氷砂糖と塩が少しずつ。

 その他には、あの女が魔術の師匠のところから盗んできた野草が書かれた小さな本とポーションが二本あるけど、多分使うことはないだろう。

「……【流水(ウォータ)】」

 とりあえず生活魔法で埃の付いた手や顔を洗い、銅水筒に水を満たして咽を潤すと、私は下ろした荷物を担ぎ直した。

「まずは、拠点と食糧の確保かな……」


 この小屋は拠点には向かない。防衛力は無いに等しく、それでいて居場所を明確にしてしまうからだ。それに埃臭い。

 それからその周辺を見て回り、湖以外は水場がないと確認した私は、小屋から50メートルほど離れた木の上を仮の拠点に決める。【体術】スキルを得てから大木に登るのもそれほど苦じゃなくなった。

 木の上に荷物を隠してから周囲の森を散策する。そして目的のものを見つけると腰からナイフを引き抜いた。

「……【突撃(スラスト)】っ!」

 単音節の無属性魔法……短剣の【戦技(せんぎ)】を放つと、2メートルのほどの若木がメキメキと音を立てて倒れた。

 鍛錬を兼ねて戦技を使ってみたけど魔力は10ほど消費されている。少ないように思えるけど、身体強化を使いながらだとそれほど連発できるものじゃない。魔力が増えるまで一度の戦闘では二回までに留めたほうがよさそうだ。

 それでも三本ほどの若木を切断して枝を払って持ち帰る。直径5センチ程度の棒でも2メートル近いと持って木に登るのには身体強化が必要になった。その甲斐あって三本の木の棒を木の枝に渡してツルで結ぶと、簡易的だけど寝場所が完成する。

 のちのち棒を増やしていけばもう少しは楽になる。念の為に切り落とした枝を結びつけて寝場所を隠し、除虫草でいぶしながら黒パンと水で食事をして、それから食糧の確保に向かった。


 この辺りは大きな樹木が多く、低木の黒ベリーはあまり見かけなかったが、その代わりに黒い殻のナッツと、ツルに生った濃い紫の果実を見つけた。

 その間も隠密と暗視の修行も同時に行っている。ヴィーロに習った通常の暗視は魔素の反射で形状を視覚化するもので、私の『色』で視る暗視より細部はよく分かるのだけど、範囲が少し狭い気がした。

 投擲の練習で偶に緑蛇を見かけてナイフを投げてみるけど、いまだに【投擲】スキルをまだ得てない私では小さな的には刺さらない。


 そのままカストロも様子を見に来ることもなく夜になる。それまでカストロどころか巡回の兵士も見かけなかった。

 暗くなった森を暗視と隠密を駆使して拠点に戻り、濡れた布で身体を拭いてから木の上で食事をする。一応監視任務なので夜に火を焚くのは良くないと考え、ナッツ類と果物だけの食事をして一息つくと、旅の疲れが出たのかすぐに睡魔が訪れた。


 次の朝は、朝日が昇る前のわずかに変わる空気の“質”で目が覚める。

 基本的に熟睡はしない。気を抜かなければ、常に脳の一部を覚醒状態にしておくことはそれほど難しいことじゃない。

 完全に休めるわけではないけど、それでも私にとって一番危険な『他の人間』がいないことで、だいぶ目覚めは爽やかだった。


 陽は昇っても狼どころか誰も来る様子はない。

 そもそも監視に交代要員もいない子供が一人ということがおかしいのだけど、それでもし狼でも見逃したら、私を連れてきたヴィーロの評価が下がるのかな?

 朝もナッツと果物だけの食事をして森の中を見て回る。

 巡回の意味もあるけど、まだスキルレベル1しかない私にとっては、すべての行動が修行になる。

 今は使える技能を増やす時期だろう。欲をいえばどれか一つでもスキルをレベル2にしたいけど、たぶん無理だと思っている。

 一般の平民では二十歳以下でスキルレベル2になるのは稀である。それはおそらく技能の練度というよりも、体格的に無理があるのだと推測した。

 今の私は急激に魔力が増えたことで実年齢より1~2歳成長しているけど、それでも体格的には10歳以下の子供に過ぎない。

 その成長も魔力の伸びが落ち着いてきたことで通常に戻りかけている。だったら魔力を増やす修行を優先するべきだろうか?


 その日は投げた短剣が命中して兎を狩ることができた。兎も魔物に属する『角兎』がいるらしいけど、私はまだお目にかかったことはない。なんでも可愛らしい外見をしているが肉食らしい。まぁ、どっちにしても見かけたら狩るので一緒だけど。

 夜に火は使わないので森の奥で兎を焼く。あらためて気づいたが、毛皮を剥ぐには切れすぎるナイフは向かないと悟った。

 あまり時間はかけたくないので血抜きは程々にして、串に刺して焼く。やはり少しえぐみは残るけど、食に対する拘りはあまりあるほうじゃないので気にしない。

 帰りに少し変わった野草を採取する。記憶が確かならアルコールと混ぜることで強心剤になる野草のはずだ。ただし、量が多いと心臓発作を起こす毒にもなるらしい。

 何かに使えるかな……? そろそろ毒も使うことを考えよう。


 少し早めに拠点に戻り、小屋に人が訪れていないことを確認してから木の上に登って焼いた残りの兎肉を口に運びながら、闇魔術の考察をはじめた。


 私はまだ、闇魔術を会得していない。たぶん、呪文の意味や発音よりも『闇』に対する明確なイメージができていないのだろう。

 光は太陽があるように明確なエネルギーがある。火もそうだし風は運動エネルギーになる。そして水や土はそもそも現物が存在する。

 でも闇は光が当たらない『陰』でしかない。そこには何も存在しないのだ。

 だから私は、実際の暗闇と闇属性の魔素は別物だと考えた。

 それでも暗闇の中から闇の精霊が喚び出され、暗闇の魔素は闇属性となる。……もしかしたら、闇属性とは暗闇から発生する魔素そのものを指す言葉なのかも。

 光があるから陰ができるのではなく、闇属性とは光を遮る物理エネルギー体なのではないだろうか?

 だとすれば……闇を粒子として扱うことでそれに包んだ思念……音やイメージを跳ばすことが出来るのかも。いや、闇粒子そのものに投影するのが『幻術』なのか。

 光属性は純粋なエネルギーなので、それを生命力に変換することが可能なのだろう。そして闇属性は他の属性のように形状がない。

 ヴィーロの拡張鞄の中は真っ暗で何も見えなかった。形状がないからこそ、イメージ次第で鞄の容量を増やすようなことも出来るのだと考えた。

 でも、もしかして……鞄という形状に拘る必要すらないのかも?


「………?」

 その時、視界の隅で魔素の『色』が動いた気がした。

 明確な形のある景色として認識するなら30メートルが限度だけど、単純な魔素の動きだけならその倍くらいは見て取れる。

 風の動きじゃない……本当に狼でも出たのか、それとも巡回の兵士でもようやく現れたのか……

「……違う」

 動く物体は五~六体……徐々にこっちに来ているのか、意識を向けたことでその形状が徐々に明確になってきた。

「……ゴブリン? でも……」

 一体だけ大きな個体がいる。

 ゴブリンは子供のような体躯の低級な魔物だ。それでも一般の大人程度の……40くらいの戦闘力はあるし、私でも二体同時に相手をするのは難しいけど、兵士が数人いれば勝てない数じゃない。……でもあの個体は?

 魔力の消費は惜しいけど私がそれを鑑定すると、“知識”から該当するその正体が浮かんできた。


【??ゴブリン】

【魔力値:66/68】【体力値:340/340】        

【総合戦闘力:101(身体強化中:116)】


「………ホブゴブリン?」


 ホブゴブリンはゴブリンの上位種で確かランク2の魔物だ。はぐれ魔物だろうか? どうしてこんな場所にいるのか分からないけど、私では手に余ると判断する。

 ホブゴブリンたちは面倒なことに、獲物を探すようにゆっくりと私がいる木のほうへ近づいてくる。

「…………」

 わずか5メートル下まで近づいたゴブリンたちを、私は息を潜めて通り過ぎるのを待っていると、監視小屋の方に歩いてくる小さな灯りに気がついた。

 兵士……じゃない? メイド? たった一人で?

 小さなランタンと小さな篭を持った小柄な女性が、暗闇に覚束ない足取りで近づいてくる。

 ここで私が声をかければ私も彼女も気づかれる。でも放っておけばこのまま彼女はゴブリンたちに見つかる可能性が高い。

「…………」

 仕方ない……。私は内心溜息を付いて、静かに心を奥底へ沈める。

 黒いナイフではなく貫通力の高いニードルダガーを抜くと、魔素の流れに沿うように音もなく枝を蹴り、両手でしっかりとナイフを抱えたままホブゴブリンの真上に飛び降りた。

 ガキンッ!!


『グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!?』


  ダガーは頭蓋骨を貫通できず、滑るように顔面を抉りながら首元に突き刺さる。ホブゴブリンの悲鳴が上がり、噴き上げた返り血が私を赤黒く染めた。

 とりあえずお前は死ね。



次回、手負いのホブゴブリンとその配下のゴブリンたちと戦闘。


次は水曜日に更新予定です。

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