21 王国の闇
第二章、『暗部の戦闘メイド』になります。
「殿下は問題なく王都を出られたか?」
サース大陸南方の大国、クレイデール王都にある王城の一室にて、その部屋の主である男の一言に若い執事が静かに口を開く。
「第一王女殿下におかれましては、特にお身体の不調を訴えられることもなく、本日王都から離れられました。道中に問題がなければ、予定通り二週間後にダンドール辺境伯領に入られます」
「そうか。エレーナ殿下のワガママにも困ったものだが、向こうに着けば、後は祖父であるダンドールの奴に任せられるな」
この部屋の主であるクレイデール王国宰相――ベルト・ファ・メルローズ辺境伯は、学生時代より旧知の間柄であるダンドール辺境伯の顔を思いだして、椅子に深く背を預けた。
このクレイデール王国は元は三つの国であり、北方のダンドールと南方のメルローズの王家は、その地の辺境伯として残された。
本来なら辺境伯はその地方の纏め役であるのだが、統合当時の政治的な問題により、旧ダンドール公国と旧メルローズ公国の貴族や民の不満を抑えるため、二家の当主は伝統的に国の重役に就くことになっている。
ダンドールは軍事面を担当し、歴代の総騎士団長である元帥はダンドールの当主一族が就任する。
メルローズは内政面を担当し、歴代の宰相はすべてメルローズ当主一族の者が就任していた。
統合から100年以上が経ち、すでに一つの国家として旧国家間の貴族のわだかまりはだいぶ薄れていたが、いまさら伝統を変えるのも難しく、いまだに二つの辺境伯家は二つの重役を占領していた。
第一王女エレーナは、ダンドールの姫であった第二王妃を母に持つ。
当時は公爵家に年回りのよい令嬢がおらず、本来ならそのダンドールの姫こそが家格も美貌も第一王妃に相応しいとされていたのだが、当時王太子だった青年が選んだ女性は、婚約者候補にすら名前のなかった、魔術学院の同級生である子爵令嬢だった。
正妃となったその子爵令嬢は、現王との間に無事次代の王太子になる男児をもうけ、第二王妃となった姫はその翌年にエレーナを産むことになる。
当時、愛する婚約者を横から奪われた形となった第二王妃は、せめて我が子だけでも次の王にするべく躍起になっていたが、産まれた子が女児であったため、その望みはほぼ絶たれてしまった。
だが諦めきれなかった第二王妃は、エレーナが物心つく頃から異様なまでの英才教育を施し、その結果、エレーナは四つの魔術属性を持つに至ったが、その多すぎる魔力のせいか身体の丈夫さを失った。
すべては正妃が産んだ王子を越えるため。だが、皮肉なことに身体が弱くなったエレーナを気遣い、その心を支えたのは、正妃が産んだ王子であった。
幼いエレーナは腹違いの兄に対して兄妹とは思えないほどの強い好意を示しており、それが少々行きすぎだと感じた王は、一旦王太子と距離を置くため、エレーナを第二王妃の生家であるダンドールで『療養』させることにした。
現在ダンドールには、現王太子の婚約者候補の一人である、クララ・ダンドール嬢がいる。
兄に好意を持つ第一王女を、兄の婚約者に近づけて問題はないのか心配になるところだが、エレーナとクララは従姉妹同士で幼い頃よりの遊び相手であり、エレーナもクララにだけは牙を剥くことはない。と言うよりも、エレーナは兄が目の前にいない限り、かなり落ち着いた性格の優秀な少女だった。
「ベルト様は現地には向かわれないのですか?」
「オズ……宰相の儂が向かってどうする? 殿下の療養は公にされていないとはいえ、保養地の警備は暗部の者が仕切っているのだろう?」
「我が姉であるセラが担当しておりますので、問題はないと思われます」
内政面を担当するメルローズ家は、国の裏側で情報を集め、要人を警護し、危険ならば排除する『暗部』の室長も兼任している。
このオズと呼ばれた青年も旧メルローズ王家の家臣だった家系の者で、宰相の執事でありながら暗部の騎士の一人でもある。
現在、王の子は王太子と第一王女、そして産まれたばかりの第二王子のみであり、王もまだ若いとはいえ、この規模の国家からするとあきらかに少ない。
それ故に王に側妃を送り込もうとする一部の上級貴族家が暗躍しており、王太子やエレーナは一部の利権を欲する者たちから何度か命を狙われたこともあるが、それは常に身の回りで警護する暗部の騎士達によって人知れず排除されていた。
現在のメルローズの領地はベルトの長男が領主代理として治めているが、今も複数の業務を兼任しているベルトは、これ以上仕事を増やすつもりかと、オズをジロリと睨み付けた。
魔力が多い貴族なので、ベルトの外見はまだ四十代の前半だが、実年齢はすでに五十代の後半に達している。
ベルトとしては、すでに王位を現王に譲り楽隠居して王太后である妻と旅行三昧している前王や、元帥の地位を息子に渡して領地で孫に囲まれているダンドール当主のような生活をしたいのだが、なかなか周りが許してくれない。
(孫……か)
「ですが、お嬢様がホーラス男爵領で見つかったとの報告もありますが……」
オズの一言に、わずかに思いを馳せていたベルトの片眉が微かに動く。
ベルトには二人の息子と一人の娘がいた。末子であり初めての娘であるその子をベルトは大層可愛がり、娘は今の王の婚約者候補の一人とまでなっていた。
だが、娘はあろうことか騎士見習いと密かに思いを通じ合わせていた。
娘に苦労はさせたくなかったベルトはその仲を認めてやることができず、思い悩んだ娘はその騎士見習いと十年前に駆け落ちしてしまったのだ。
風の噂では娘と騎士見習いの青年は北方に流れ着いたとされ、その消息が判明したときには、娘とその地で兵士の職に就いていた青年は、町を襲った魔物の大量発生に巻き込まれて死亡していた。
けれど二人は、その間に一粒種である一人の娘をもうけていた。
旧メルローズ王家の家紋である『
その子も魔物の襲撃に巻き込まれて死んだものと思われていたが、諦めきれなかったベルトが調査させていたところ、ホーラス男爵領にある小さな町の孤児院に、該当する少女が見つかったとの報告が舞い込んだ。
だが――
「……その話は手の者から聞いた。だが、髪の色は娘と似ていない赤毛に近い金髪で、瞳の色も黒に近い青だ。見た者の話では、顔立ちも娘に似ているとは思えん」
「けれどそれは、そのお嬢様の父である騎士見習いの血の影響もあるのでは?」
「……我が家の女系は、皆、『月の薔薇』と同じ桃色がかった金髪だ。娘だけでなく、儂の姉も叔母二人もそうだった。その見つかった娘だけがどうして違う?」
旧メルローズ王家の直系女性は、全員が桃色がかった金髪を持つ。だが、不思議なことにメルローズの家から出て直系と見なされなくなると、数代でその特徴はなくなるらしい。
だが、ベルトの娘は駆け落ちしたがまだメルローズ家に籍が残っていた。故に外で産まれたアーリシアもメルローズ家の直系である『姫』となる。
その見つかった少女は、自分で『アーリシア』と名乗り、自分の亡くなった母親が、南方の貴族の娘だったと話しているそうだ。
その証言だけではベルトの孫だという証拠にはならないが、確かに髪の色だけで違うと断定するのも早計だろう。
「その娘に関しては、その孤児院に暗部の人間を管理者として送り込み、数年は証言に齟齬がないか見極めさせろ。それで言葉に偽りがないと分かったら……」
「メルローズ家で、身柄を引き取られますか?」
「……いや、成人するまでは他家に出す。そうだな……分家のメルシス子爵辺りがよかろう。才は人並みだが人柄だけは信頼できる」
「メルローズ家の直轄地を管理しているあの方なら適任でしょう。それで、ベルト様はいかがなされますか?」
それこそ産まれた頃から知っているオズの言葉にベルトは顔を顰める。オズも同様にベルトの性格をよく知っていた。
「……確か、隠居したホスは、儂の娘の顔を知っていたな?」
「はい、私ども姉弟は面識がございませんが、お屋敷の執事として働かせていただいていた祖父なら、間違いはないと存じます」
「ならば、ホスを孤児院の管理者として現地に送る。先行させて、その娘の顔を確認させてからダンドールに寄越せ。儂がそこで直に報告を聞く」
***
ダンドール辺境伯。クレイデール王国北部の上位貴族で、領地を持つ四十以上の貴族家を寄子にする大貴族である。
辺境伯は、名目上は伯爵位だが、爵位の階級としては侯爵と同等になる。特にこのクレイデールにある辺境伯二家の場合、ヴィーロによれば、公爵家を越える財力と政治力を有するらしい。
さすがにその大貴族が依頼主ではないみたいだけど、その地にある保養地を借りた貴族からの依頼らしい。
辺境伯の住む街は十万人以上の民が住む大都市だったが、そこには冒険者ギルドで報告だけに立ち寄り、一泊もせずに石造りの街並みと遠くに見える要塞のような巨大な城を横目に見ながら、南にある保養地を目指した。
……あのお城は少し見たかった。
ダンドールの首都から徒歩で丸一日ほど進むと、森の切れ間から湖が見えるようになり、かなり大きめな湖を回り込むように進むと、湖の畔に建つ小ぶりの城があった。
もちろん小ぶりとは言ってもダンドール城に比べてなのでそれなりの大きさはある。そこが目的地かと思ったが、ヴィーロはそこへは向かわず、その隣にある三階建ての白い屋敷の門を叩いた。
「冒険者ギルドから依頼を受けた『虹色の剣』のヴィーロだ。執事のカストロに取り次いでもらいたい」
虹色の剣……? 察するにヴィーロが冒険者たちに呼ばれている名前か、彼が所属する冒険者パーティーの名前だろうか?
「虹色の剣……分かった。今確認してくるから待っててくれ」
門番の一人が少し驚いた顔をして屋敷のほうへ向かう。
でもその驚きは『ヴィーロに』というよりもその名称に対してだと感じて、おそらくその名前は、それなりに有名な冒険者パーティーなのだと思った。
それからしばらくすると、屋敷のほうから背が高く痩せている、少し人相の悪い三十歳ほどの執事が門番と共にやってきた。
「よぉ、カストロ。息災だったか?」
「ヴィーロ、遅かったな」
人相の悪い執事――カストロはヴィーロの気安い挨拶にも気にした様子もなく、ヴィーロの背後にいた私に視線を向ける。
「そいつか。予想よりも小さいな……使えるのか?」
「最低限のことは仕込んである。それに、こいつをそこらのガキと一緒にしないほうがいいぞ」
ニヤリと笑うヴィーロにカストロが微かに顔を顰めた。
「お前がそこまで言うとはな……。ヴィーロ、お前はセラ様のところに顔を出せ。そこの子供、お前はついてこい」
そう言うとカストロは屋敷のほうへ歩き出し、私がヴィーロに視線を向けると、彼は肩を竦めて苦笑する。
「あいつは人相が悪いし愛想もないが、ただ融通が利かないほど真面目な奴だから安心しろ。とりあえず一旦ここで別れる。奴から仕事を教えてもらえ」
「……分かった」
ここからはヴィーロと離れて一人になる。それでもヴィーロはこの場所で警備の仕事をするはずだから、また会う機会はあるのだろう。
とりあえず先に進んだカストロを追って私も屋敷のほうへ向かう。その後ろ姿や歩き方だけを見てもそれなりに実力がありそうに感じた。
【カストロ】【種族:人族♂】
【魔力値:125/130】【体力値:260/260】
【総合戦闘力:355】
でもヴィーロほどじゃない……執事の格好をしているけど、たぶんランク3くらいの
「っ!」
カストロに追いついた瞬間、予備動作もなくカストロから何かが放たれ、警戒していた私はそれを飛び避けるように躱す。
避けた地面にやたらと細いナイフが一本突き刺さっていた。私がそれを一瞬だけ目に留め、体勢を低くしながら腰のナイフに手を伸ばすと、カストロから微かに漏れていた薄い殺気が消える。
「ほぉ……ヴィーロの戯言も、まるで嘘ではなかったようだな」
「……何のつもり?」
私を試したのだろうか? ただ、本気ではなかったのだろうが、こんな試しをしていたらただの子供なら怪我では済まなかっただろう。
「これで怪我をするようなら、それを理由に解雇した。セラ様の仰るとおり、子供の監視人がいれば役立つ場面もあるだろう。ヴィーロが連れてきたのだから雇いはするが、一つだけお前に言っておこう」
ゆっくり振り返るカストロが見下ろすように私を睨む。
「俺は、お前のようなスラムの人間を信用しない」