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02 逃避行

物語は淡々と進みます。




 この世界は『銀の翼に恋をする』――通称『銀恋』とか呼ばれている『乙女ゲーム』と酷似した世界らしい。

 乙女ゲーム……私にはよく理解できないけど、絵物語のような遊戯(ゲーム)の世界で、主人公が男に貢いだり貢がれたりしながら、何人もの男を籠絡していく話みたい。

 そんな節操のない人間が本当にいるとは思えないけど、あの女の“知識”によると、その“主人公(ヒロイン)”というのが“私”ということになっていた。

 アーリシア……私の名前で、遊戯(ゲーム)の“主人公(ヒロイン)”の名前。遊戯(ゲーム)の中では姓がついていたけど、貴族の家に引き取られたことで変わったのだろう。

 どうやらお母さんは貴族の娘だったらしく、騎士見習いだったお父さんと恋に落ちて駆け落ちしたと“知識”ではそうなっていた。

 だから私には貴族の血が流れ、貴族の血縁者がいるのだから、その気になれば今よりもまともな生活ができると思う。以前の何も知らなかった私だったら、貴族は雲の上の存在で、怖いけれどもお姫様のような生活に憧れもしただろう。

 でも……今の“知識”を得た私からすると、貴族は憧れよりもその在り方に恐ろしさを感じ、それ以上に面倒な存在だと認識していた。

 それに私は、あの女が傾倒していた『乙女ゲーム』とやらの“運命”に左右される人生を生きるつもりはなかった。

 あの女はこの世界を『遊技(ゲーム)の世界』だと信じ切っていたようだけど、“知識”を得た私からすると、“そんな世界は現実的にあり得ない”と感じている。

 私は“私”だ。遊戯(ゲーム)の登場人物じゃない。この世界に生きる一人の人間だ。

 運命に抗い、私は一人でも生き抜いてみせる。そのための“知識”も得た。


 本当なら遊戯(ゲーム)に関わらないためにも、ある程度その内容を検証するべきなのだと思うけど、あの女の知識と人格を写した魔石を心臓に埋め込まないとその部分の情報は得られないのか、あの女の『前世』に関わる知識は曖昧だった。

 もしかしたらあの女を拒もうとして、あの女の本質部分を弾いてしまったので、その方面の知識が得られなかったのかもしれない。

 でも、あの魔石は私が砕いてドブに捨てた。もし壊していなくてもアレにまた触れたいとは思わない。

 それでも曖昧な遊戯(ゲーム)の知識を、他の物語の知識で補完しながら繋ぎ合わせてみると、だいたいの内容(ストーリー)が見えてきた。


 明るく優しい頑張り屋の『ヒロイン』は、実はどこかの貴族の娘と見習い騎士が駆け落ちした結果産まれた子で、両親を魔物の暴走で亡くしてから孤児として教会で暮らしていた。

 なんだかんだでその貴族に見つかって、貴族の子が通う学校に行くことになり、王子様とかそこらへんの取り巻きと仲良くなって、その婚約者である『悪役令嬢』とやらに苛められたけど、ダンジョンで加護を得たり、魔王とか倒す冒険とかして、なんだかんだでハッピーエンドみたいな、凄くくだらない内容だった。

 ……本当にくだらない。人間は貴族にならなくても、王子様と結婚しなくても生きていける。

 そんな“くだらない”ことのために生まれてきたなんて、私は誰にも言わせない。


   *


 とりあえず私は、あの女の“知識”にあった隣町に向かうことにした。

 あの女の“知識”では、ここは『シエル』と呼ばれる世界のサース大陸にある、クレイデールという大国らしい。私がいるこの地域はクレイデールの最北にある男爵領で、あの女も細かい地名までは覚えていなかった。

 隣町に移動しようと考えたのは、今まで住んでいた町は“大きな村”みたいな感じだったので、領主の男爵が住む隣の町なら、人を手にかけた私でもここより隠れる場所が多いと思ったからだ。

 本当なら貴族に見つかる前にこの男爵領からも離れたいところだけど、まだ子供の私は長旅なんて出来ないし、壁に覆われた街に入るには税金として一回入るのに銀貨一枚が必要になる。……住んでいた小さな町だとそこら辺は適当だった。

 男爵領から出て他の領を通るのにもまた税金がかかるので、普通の平民だとあまり旅なんてしない。

 そんな通行税を回避する方法もある。

 きちんと年収相応の税金を領主に払って“市民権”を得れば、領内ならどこでも移動できるようになる。商業ギルドで行商権を買ってもいい。商人なら他の領へ行くのにも割引が利く。

 そして冒険者ギルド――そこに登録してランクが高くなれば、国内なら移動が自由になるそうだ。

 もちろんいきなり高ランクなんてなれるわけがないけど、初級である【ランク1】でも登録した町なら出入りは自由になるらしい。


 『冒険者ギルド』とは、元々商業ギルドからの支援を受けた傭兵ギルドから派生した機関で、『冒険者』とは、一人または少人数で魔物などを排除しながら遺跡や未踏地を調査する、探索専門の傭兵であった。

 でも現在では単なる遺跡荒らしか、魔物から得られる魔石を街に供給する探鉱夫のような、所謂『何でも屋』になってしまっているけど、それでも少数精鋭で強力な魔物を倒せる高ランクの冒険者は優遇されていた。

 けれど、冒険者ギルドに登録するには、最低でも【ランク1】……戦闘系スキルがレベル1以上必要になるらしい。


 ……“スキル”?

 私は自分の思考の中にすんなりと浮かんできたその単語に首を傾げる。これまで孤児という知恵も知識もない子供だったので“スキル”というものを知らなかったけど、今はそれを考察する時間はないので後にする。


 とりあえずの目標は、どれでもいいので戦闘系スキルを1に上げて、冒険者になることだ。でも、この町に留まるのも危険に思えたけど、このまま隣町に向かうのも問題があった。

 まず、今の私はただの子供で、たとえ町に入れたとしてもたかが七歳の子供では、悪い大人に騙されて売られるか殺されるのがオチだ。

 だから町に入るまで最低限、ごろつき程度からなら逃げられる力がいる。できればそこで戦闘系スキルを得られればいいのだけど、“知識”だけで【スキル】を覚えられるか微妙なところだろう。


 まずは今の私に『出来ること』と『出来ないこと』を確かめたかった。だからまず私は、あの田舎町と隣町を繋ぐ街道のどこかに潜伏することにした。

 隣町の向こう側……北にしばらく進むと魔物が出てくるらしいけど、ここら辺にはまず魔物は出ない。出るとしたら狼くらいで、それも定期的に兵士が巡回しているので森の奥に行かなければ滅多に出会えない。私としては滅多に出ない狼よりも巡回する兵士のほうが面倒なんだけどね。

 隣町まで馬車で朝早く出て夕方には着くそうだ。だとしたら徒歩で二日弱と言ったところか。子供の脚ならその倍はかかるだろう。

 そのくらい離れているなら、その途中のどこかに野営地のような場所があるはずだ。そんな場所はおそらく近くに水場があり、そこが最初の目的地となる。


 ゴォン…ゴォン…と町にある時計台から鐘の音が二回聞こえてきて、半分ほど失っていた意識が覚醒する。

 あの鐘は四時間ごとに鳴らされ、深夜零時に1回なので二回鳴った今の鐘は朝の四時だと教えてくれた。

 農作業をする者は今の鐘で目覚め、朝八時の鐘で町の住民も仕事を始める。教会の孤児達は朝の四時から働き始めるが、老婆が起きてくるのは朝の八時なので、死亡に気付かれるまでもう少しかかるはず。

 空の向こうが明るくなってきたのを確認した私は、隠れていた町近くの森から出て、街道沿いを隣町に向けて歩き出した。


 野営地がどの程度の距離にあるのか分からないが、子供の脚でも夜中に着けるだろう……と考えていたけど、私は子供の体力の無さを甘く見すぎていた。

 歩き出して四時間……それでもかなり頑張ったほうだと思う。空が明るくなり遠くから微かに三度の鐘が聞こえた時、私は限界に達してへたり込んだ。

 まぁ、冷静に考えたら、碌な食事もせず、睡眠もほとんどなしに子供が何時間も歩けるわけがない。

 さすがに目が眩み鈍痛のような頭痛を感じてこれはマズいと判断した私は、力が抜けて震える脚を叩くと、街道から数メートル奥に入った森の中に身を隠した。

 荷物を下ろして大きな木の幹に背を預けるように腰を下ろす。


「ふぅ~……」

 軽く息を吐き、荷物から皮の水筒を取り出して、咽の渇きから貪るように皮臭い水を咽に流し込むと、水腐りを防ぐために果実酒を混ぜたせいか激しくむせ込んだ。

「――げほ、げほっ」

 それでも呼吸を整え、舐めるように水を口に含んでいると、果実酒のせいか身体が温まって意識がハッキリとしてきた。

 それと同時に激しい空腹を覚えて、持ってきていた老婆用の食料の中から白パンを掴み取る。時間をおけばカビが生えるのでこれは早めに食べたほうがいいだろう。そう考えて一口囓ると、ずっと昔、家族で過ごした懐かしい味がした。

「…………」

 柔らかい白パンは高級品で、家族といた頃も祝い事の時にしか食べられなかったが、今よりも幼かった私はそれをいつも愉しみにしていた。

 兵士だった父は毎日白いパンが食べられないことを母に詫びて、母は笑って首を振っていたのを不思議に思っていたが、あの女の知識にあるように母が貴族だったのなら、父の態度にも納得がいく。

 少し寂しくなった気持ちを誤魔化すようにパンを食い千切り、水筒の水で流し込むと腹が膨れてようやく人心地つくことができた。


「……痛っ」

 落ち着くと足の痛みに気付いて顔を顰める。孤児院の子供は全員裸足だった。だからサンダルを履くのは初めてで慣れてなく、皮で擦れて血が滲んでいた。

 痛い……けれど怖くない。傷が大したことのないのを確認して、荷物の中から洗濯してある清潔そうな手拭いを見つけると、ナイフで切り裂いて包帯を作る。

 ついでに昨日女と争った時に出来た手の傷も昨夜簡単に治療はしたけど、そこにも果実酒の混じった水筒の水で洗ってから、作った包帯を巻いていく。

 ……“知識”ではできるはずなのに、子供の指は意外と不器用で治療を終わらせるのに結構な時間が掛かった。


「……水が少ない」

 出てくる時に他の荷物もあったから沢山の水を持ってこられなかった。治療にも水を使ったので残りはかなり減っていた。

 飲み水の残りを気にしたせいか、それが呼び水となったように、あの女の“知識”が浮かんでくる。

 身体の小さな子供は多くの水分を摂らないといけない。なるほど、水分を摂らないとさっきのような状態になるのだろう。ならばどうすれば良いかと考えると、果物などで糖分や『びたみん』を一緒に摂ると良いそうだ。

 その『びたみん』が何か女もよく分かってなかったが、きっと大切な物なのだろう。でもその果物なんてこんな森のどこにあるのか?

 するとまた“知識”が浮かんできて辺りを少し探してみると、私の胸くらいの低木に黒い実が生っているのを見つけた。

 それはベリーの一種で、この国のある大陸南部ならどこにでも見られる物だった。

「……すっぱい」

 一つ摘まんで爪で皮を破って汁を舐めてみると、甘みは弱く、酸味が強くて少しだけ渋みがあった。これは生ではなくジャムや干したりして食べるのが普通みたい。

 それでも生で食べられないわけじゃない。蛇がいないのを確認して近くにあった大きな葉っぱ……トーソル草?を皿替わりに黒いベリーを摘んでいった。


 腹が膨れたせいか急に眠気が襲ってくる。それでもやることはやらないといけないので、私は荷物の整理をすることにした。

 孤児院から持ち出した荷物は、幾つかの衣類と布類、食料品と幾つかの硬貨。

 今着ている貫頭衣は、平民の子供なら一般的に着ている物で男女の違いはないから、少し大きいけどとりあえずこのままでいいだろう。

 どうして老婆の部屋に子供用の服があったのか? 古着とはいえ良い布を使っているので、あの老婆が孤児を『売り』に出す時に着せる物だと、“知識”を得た今だからそれに気がついた。

 白パンは残り1個。後は干し肉と乾いたチーズが一塊あるので、少しずつ分けて食べればあと三日は保つだろう。

 お金はあの女が持っていた物を含めると、銀貨が15枚に小銀貨が8枚と銅貨が13枚になった。店や屋台で食べる食事が銅貨数枚で、銀貨1枚で三日は宿に泊まれるのだから、かなりの大金だ。


 そして問題の、あの女が持っていた鞄の中身を確認する。

 薄汚れた肌着類は気持ち悪いのでそこら辺に放り投げて鞄の奥を捜すと、萎れた草の束とポーションらしき陶器の薬瓶が二つ。そして手帳のような小さな本が出てきた。

「……珍しい」

 その本を見て“知識”を持つ私はそんな印象を持った。


 本は高価だけどそこまで珍しいモノじゃない。“知識”によると、この大陸では昔は動物の皮を使った羊皮紙を使っていたけど、120年前から植物紙が使われるようになって、今はそれが主流になっている。

 その原料はさっき皿替わりに使ったトーソル草だ。この草は葉が大きく産毛のような短い毛があり、とても柔らかいので昔からお手洗いの後に使われてきた。

 実際、私も使ったことがあるけど、それ以外に使い道がなかったとも言える。この葉っぱは柔らかいけど繊維が長く、山羊くらいしか食べないから。

 それを昔の貴族が葉っぱで拭くのが嫌だと言って、磨り潰したり煮たりして錬金術師に研究させたのが植物紙の始まりとされている。

 このトーソル草は加熱すると色味が落ち、ほんのり黄みがかった紙になり、数十年で品質が向上した今では、昔は金貨十枚以上した本が一割程度にまで安くなった。


 まぁ、そんなことはどうでもいいけど、私が『珍しい』と言った理由は、この本が羊皮紙でできていたからだ。

 何度も書き直したのか削られてペラペラになっていたけど、中には薬草や毒草、薬に使えるキノコや鉱物が、丁寧な挿絵付きでビッシリと事細かく書かれてあった。

 あの女にそんな一面があったのか……と思っていたら、どうやら師事していた魔術の師匠から私物を盗んできたらしい。

 ……あの女、どうしようもないな。

 でもこれは有り難い。“知識”があって文字を見れば意味は分かるけど、文章を読んだり書いたりするには『学習』が必要だった。これは良い教材になるだろう。


 他の二本のポーションの片方も師匠から盗んだ物らしく、かなりの上級な回復薬で、あの女は私の心臓に魔石を埋め込んだ後、それで治療するつもりだったみたい。

 そして萎れた草の束は“薬草”の束だった。でもこちらはそんな凄いモノではなく、どこにでも生えている草で、一般家庭で使う常備薬のようなものだ。

 私はそれを一つ取って口の中で噛む。かなりの青臭さが鼻を突き抜けるが、我慢して噛んだそれを怪我した部分に擦り込んで、もう一度包帯を巻き直した。

 気がつけばお日様はかなり上に昇っている。そろそろ意識を保つのが限界だと感じた私は荷物を纏めて背負い直し、ナイフを持って老婆に売るために伸ばすように言われていた長い髪をばっさりと切り落とす。


 摘んでいたベリーを貪るように噛み砕き、傷ついた獣が傷を癒すように私は木の陰に身を潜めて、周囲を警戒しながら静かに目を閉じる。

「………」

 少し前まで“闇”が怖かった。“痛み”が怖かった。“飢え”や“孤独”が怖かった。でもそれが怖かったのは、私が生きる術を知らなかったからだ。

 私は薄目を開けて、足下まで迫っていた蛇の頭にナイフを振り下ろす。頭を刺し貫かれた蛇はしばらく蠢き、私はゆっくりと動かなくなっていく蛇の様子を何の感情も揺らすことなく見つめていた。

 怖いのは何も知らなかったから。でももう怖くない。今はどの程度までなら自分が死なないか“知識”で理解できるから、もう恐れる理由がない。

 私がそんな風に思うようになったのは、あの女の数十年の知識を得たからか。

 でも、そんなことは関係ない。私は『私』だ。他の誰でもないアーリシアだ。

 私はそんなことを考えながら身体の疲労を癒すために、周囲を警戒しながら少しだけ薄い眠りについた。




ストックが尽きるまで毎日適当に更新します。

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