01 乙女ゲームのヒロイン
新連載です。よろしくお願いいたします。
【サバイバル】survival.
・厳しい環境や条件の下で、生き残ること。
【乙女ゲーム】date-sim.
・女性用の恋愛シミュレーションゲーム。
「見ぃつけたぁあああっ」
「っ!?」
その
その女が着ていた、都会から来た若い女の人が着るような桃色のドレスは妙にくたびれて、薄汚れたバラバラの髪はまるで老婆のように見えたが、もしかしたら本当は若いのかもしれない。
こけた頬に血走った目付きはオバケのように恐ろしく、私が怯えて身を竦ませると、その人は背負っていた荷物袋を投げ捨てるようにして私に襲いかかってきた。
「や、やだぁあっ!」
「このガキッ、大人しくしなさいっ! ……ふふ、これね」
「やあっ、返してっ!」
「煩いっ!」
私の胸元を破るようにして首に掛けていたお守り袋を奪われ、その女は決して開けてはいけないと言われていた袋から何かを取り出すと、けたたましく笑い声を上げた。
「アハ……アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ! やっぱりそうっ! もう間違いないっ! ここは『※※※※』の世界だったのよっ! アハハハハハハハハハハハッ!」
その狂気さえ感じさせる嗤い声に、私は恐ろしくて動くこともできなかった。
私は四歳までお父さんとお母さんと三人で暮らしていた。その頃は幸せだった……。朝にお母さんの作るスープの香りで目を覚まし、私が寝坊助のお父さんを起こすとギュッと抱きしめられてまだ剃っていないお髭で頬ずりをされる。
私が文句を言うと、お父さんは笑いながら私の機嫌を取るように脇を持って高く持ち上げた。私がすぐに機嫌を直して笑い声を上げ、その声にお母さんが台所からやってきて、ちっとも怖くない顔で私たちを叱った。
でも、そんな幸せな日々はもう二度と訪れない……。
三年前のあの日、私たちが暮らしていた街を沢山の魔物が襲ってきた。何十年か一度起こる魔物の大発生。街の兵士であるお父さんはお母さんと私を守ると言って、魔物と勇敢に戦い亡くなった。それでも魔物を抑えきれず、街に入ってきた魔物から私を守るためにお母さんも亡くなった。
魔物との戦いがどうなったのか知らない。瓦礫の中で魔物と人の死体に囲まれて泣いていた私は生き残っていた兵士に拾われ、離れたこの町にある孤児院に入れられることになった。
お父さんの大きな背中。お母さんの優しい笑顔……。全てを失った私に残されていたのは、お母さんに渡された『お守り袋』だけ。これからどうなるのか分からないまま、私は両親を失った悲しみを嘆く暇もなく世界の厳しさに曝されることになった。
古い教会の孤児院。新しく入居した孤児は十人くらい居た。そこで私たちは全員纏めて納屋のような狭い部屋に押し込まれ、寝具の代わりに与えられたボロのような薄い毛布も、野菜クズに塩だけの薄いスープも、前からいた年上の孤児に奪われた。
孤児院を管理する老婆は一日に二度、硬い黒パンと塩のスープを与えるだけで何もせず、孤児院の中のことは全て孤児たちにさせていた。水汲み、洗濯、掃除、畑の世話、薪拾い、荷運び、その他にも孤児院とは関係のない老婆が請け負ってきた仕事まで押し付けられ、夜が明ける前から始めて暗くなっても終わらないほど働かされた。
楽をすることを覚えた年上の孤児は全ての仕事を幼い子にやらせ、食事を奪われて飢えた一人の男の子が食料庫の芋を囓り、老婆に麺棒で血を吐くまで折檻されたその子は、翌日寝床で冷たくなっていた。
殺される……そう思ったことは一度や二度じゃない。でも町の大人も頼れなかった。薄汚く痩せ細った孤児に関わろうとする人なんていない。そんな孤児を引き取ろうとする人もいない。しかもあの老婆は、時折現れる特定の身なりの良い大人に見た目が良い孤児だけを渡して、沢山のお金を貰っていた。
こんな所にいたくない。でも私は、お父さんやお母さんが言っていた言葉を守って我慢した。
『心から悪い人なんていない。だからあなたは笑って許せる人になりなさい』
暴力を振るう老婆は虫の居所が悪いだけ。下から奪う年上の孤児たちも、きっと環境が悪いだけ。だから私は笑って許せる人になろう。……そう思って、お守り袋だけは奪われないようにしながら笑顔だけは絶やさず、私は三年間耐えてきた。
でも……私がしたことは間違っていたのか、老婆は明日大事な客がやってくると話し、私は井戸で身を清めて身綺麗にするように言われた。私は絶望した。あの大人たちの私たちを見る目が嫌だった。そして私は、あまりの気持ち悪さとこれ以上の生活に耐えきれなくなって、その日……孤児院を逃げ出した。
でも逃げたのはいいけれど、結局何も持っていない私が空腹と心細さから裏路地でしゃがみ込んで膝を抱えていると、その
「ふふふ、怯えなくていいのよ、『アーリシア』……」
「っ!?」
突然その女に名前を呼ばれて私はビクリと身を震わせる。どうして私の名前を知っているの?
「あなたのことは一昨日からずっと見ていたのよ? 名前と年齢……それと髪と瞳の色しか分からなかったから探すのには苦労したわ……」
その女は歪な笑顔で私を見下ろしながら、怯える私の髪と目元を指で撫でる。
「随分と汚れているわね。でも大丈夫よ、すぐに綺麗にするから。それに、こんなに痩せちゃって……『お祖父様』が迎えにきた時に驚くわ。ちゃんと食べないと……」
「……おじい…さま?」
私がその言葉を呟くと女の血走った目がギョロリと動いた。
「そうよ、あなたの……いいえ、『私』のお祖父様よ。……ねぇ、聞いてくれる? 私が前世の記憶を取り戻して、ここが『※※※※』の世界だと気付いた時、歓喜に打ち震えて……絶望したわ。だって本編の舞台である学園に『
「ひっ」
女が私の首を掴んで、自分の腰からナイフと真っ黒な『石』を取り出した。
「私は、『
女の笑顔が異様に歪む。
「ねぇ、『魔石』って知ってる? 一定以上の魔素を取り込んだ生き物は、体内の血液を媒介にして、『魔石』と呼ばれる石が心臓に生まれるのよ。魔石は体内で魔力を生みだし、高純度の魔力を蓄積するだけじゃなくて、属性やわずかだけど元になった生き物の性質を残しているの。フフ……この方法を古い文献で見つけたときは興奮したわ。だってこの方法を使えば、魔石に『記憶』と『人格』を写して他人に移すことができるのだからっ!」
魔石? 魔力? 女は難しい言葉を使って酔ったように言葉を続ける。
「その研究をしていた魔術師は
饒舌に語っていた女は、真っ黒なその石を見せつけるようにニタリと笑った。
「この魔石をあなたの心臓に埋め込めば、私はこの古い身体を捨てて、『
「……ひっ」
狂ってる。正気じゃない。もしそれが成功したとしても、それは記憶と人格を受け継いだだけの別人じゃないの? そんな幼い私でも分かるようなことにも気付かず、女はナイフを振りかぶる。
「大人しくしてね。すぐ済むわ」
「……い、いやああっ!」
恐怖で思わず振り回した手がナイフに触れて、私の手の平をわずかに傷つける。その血に濡れた手が女が指で摘まんでいた魔石に触れると、私の頭に奇妙なものが流れ込んできた。
「あっ!」
私の手に魔石が弾かれ、女の意識が転がっていく魔石に逸れる。
冷たいような熱いような、奇妙な感覚が傷ついた手から流れ込んでくる。私を侵食してくるその何かにあの女のような気持ち悪さを感じて夢中で拒絶すると、残された部分だけが私の中に沈殿して、この三年で人形のように張り付いていた私の笑顔が崩れた。
スッ…と目を細めた私は、冷静に『この隙に反撃しなければいけない』と考えている自分に気づく。女に押さえつけられたまま視線だけを動かして辺りを見回し、見つけた手頃な石を掴むと、そのまま女のこめかみに勢いをつけて叩きつけた。
ガツンッ!!
「ギャアアアアアアアアアアアアッ!?」
頭を庇うようにして女が横に転がり、持っていたナイフが地面に転がる。私はそのナイフを拾い上げて右手に構え、左の手の平を柄頭に添えて、体当たりをするように勢いをつけて女の胸元に飛び込んだ。
「がッ、はッ……な、なんで、あんた……」
肋骨の隙間を縫うように水平に突き刺したナイフは女の心臓を抉り、まるで信じられないものでも見るような女の瞳が、無機質で感情のない『私』の顔を映す。
心臓を抉られながらも女の手が私に伸ばされる。それに動じることもなく、私がさらに力を込めてナイフを抉るように隙間を作ると、そこから大量の血が溢れて女の目から生命の光が消えていった。
「……………」
手が微かに震えていた。血塗れのナイフを握る固まったように動かない指を、同じように震える指で少しずつ引き剥がす。
今わかった。私の頭に流れ込んできたのは、断片的なこの女の『知識』だった。
この女が何を思って、こんなことをしようとしてたのかよく分からない。でも、知識にあるこの女は、『乙女ゲーム』とやらの為に、何十年も血の滲むような努力をしてきたことだけは私にも理解できた。
剣と魔法の世界、シエル。
その中にあるサース大陸最大の大国クレイデール。
地理と歴史。魔術の知識。戦闘の技術。この世界の常識……専門的すぎて私には理解できないことも多いけど、この世界で生きる最低限の『知識』は得ることができた。
私は事切れて冷たくなっていく女の遺体から、奪われていたお守り袋とその中にあった指輪を取り返し、その傍らに落ちていたあの女の気持ち悪い『魔石』を、触れないように注意しながら何度も石で叩き潰してから、潰しきれなかった残りの部分をドブに弾き捨てた。
それから女の懐を漁ってナイフの鞘と財布を奪い、放り捨ててあった女の背負い袋を肩に担ぐ。
もうこんな場所に用はない。でも……私には一つだけやり残したことがある。
私は荷物を背負ったまま、今までと違う足音を立てない歩き方で、逃げ出したはずの孤児院まで戻ると、中には入らず誰にも見つからないように孤児院の様子を窺う。すると中では、ようやく私が居なくなったことに気付いた老婆が、他の孤児たちに怒鳴り散らしているところだった。
私はそっと孤児院の敷地に入り、庭の暗がりに身を潜めるよう隠れて獣のように息を潜める。
「…………」
体力が無いせいで急激に眠気が襲ってくるが、女の荷物にあった硬い黒パンを少しずつ囓って誤魔化した。それでもうつらうつらと意識を飛ばしながらも孤児院から音が聞こえなくなるのを待ち、老婆の部屋がある離れから灯りが消えて、さらに一時間ほど経ってから私は暗闇の中を動き出した。
充分に闇に慣らした眼がわずかな星明かりでも老婆の居場所を教えてくれる。
古い教会である孤児院に鍵の掛かる部屋はない。そっと扉を押し開けてお酒の匂いがする離れの部屋に忍び込むと、イビキをかいて眠っている老婆が寝返りを打つのを根気よく待ち、こちらに背を向けた瞬間、近くにあった手拭いを軽く押し当てるようにして、その上からナイフに全体重をかけて刃を老婆の延髄に根元まで突き刺した。
「――ッ」
微かな呻きを漏らした老婆の身体がビクンと震える。
血が噴き出さないように手拭いを押し当てながら、血糊を拭うようにゆっくりとナイフを抜き取った私は、止めていた息を静かに吐き出して、硬直した指先をほぐすようにナイフを鞘に戻してから腰帯に挟み込んだ。
これでもう憂いはない。あの女の『知識』では、私が住むこの孤児院の院長は優しい老神父になっていた。もしかしたらこれで、その神父が老婆の代わりにここの責任者になるのが早まり、虐待もされず売られるような孤児も減るだろう。
でも――
「……くだらない……」
この古いだけの孤児院も、小賢しい孤児たちも、強欲なだけの老婆も、虐待を知りながらも目を背ける町の人間も、あの女が抱えていた想いも、その『乙女ゲーム』とやらも全てくだらない。
まさか、そんな“くだらない物”のために私が生まれたとでも言いたいの?
そんなくだらないことのために、お父さんとお母さんが死んだとでも言いたいのかっ!!
私は老婆の部屋とその横の納戸を漁り、素足だった足に履けそうな革のサンダルを履き、返り血のついたボロ布のような貫頭衣を少しまともな貫頭衣に着替える。
それからシーツを広げ、清潔そうな布や老婆の隠してあった硬貨、老婆用の質の良い食料や水筒などの必要なものを詰め込み、夜逃げするような格好で、このくだらない町から抜け出した。
私は『乙女ゲーム』を拒絶する。
「私は、一人でも生き抜いてやる」
新連載ですが、また乙女ゲームものです(笑)
基本的には冒険などの成長記と、乙女ゲーム要素の暗躍パートになります。
成長パートは結構細かくなります。
かなり殺伐としてますが、よろしければブックマークしていただけたら嬉しいです。
簡単な解説:
ゲームヒロイン:アーリシア・メルシス(メルローズ)
貴族令嬢だった母親譲りのピンクブロンドの髪に、祖父譲りの翡翠色の瞳を持つ、庇護欲をそそるような可憐で可愛らしい顔立ちの少女。
ゲームでは11歳まで孤児院で暮らしていたため、魔力は低く、発育も控えめ。
魔術の才能も平凡(光属性のみ)だが、魔術学園に入学後はめげない明るさと、他人を疑わない“笑顔”で『攻略対象者』たちと交流を深めていく。
ちなみに現在の主人公は、パッチリお目々が半目になり、弱冠七歳で目付きが悪くなっている。
奇妙な前世を持つ女の『知識』を得られたが、学習をしていないのでまだ使いこなせていない。
知識には偏りがあり、その内容は女がこの世界で学んだ知識と、現代の計算や中学生程度の科学知識のみで、女の本質に関わる『乙女ゲーム』の部分はアーリシアが無意識に弾いたために、その方面の知識は曖昧になっている。
知識だけがあり教育を受けていないので、今の主人公の倫理観はかなり薄め。
アーリシアの人格は変わっていないが、急激に数十年分の知識を得たせいで達観し、子供らしい“純粋さ”や“無邪気”さ――そして“笑顔”が失われている。