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アグネータ

来ていただいてありがとうございます!



薄暗い部屋で目が覚める。空気が冷たい。ついさっきまで温かいぬくもりに包まれてたような、そんな夢を見てた気がする。


「寒い……」

ふんわりと温かい布団をかぶったまま起き上がると、少しづつ頭がはっきりしてきた。

「ここは……寮の私の部屋だわ。私はそう……あの後グラソン侯爵邸に泊まらせてもらって……一日学園を休んで……帰って来たんだ……ラーシュ様と一緒に………………っ!!!」

ぶわっっとよみがえる記憶……!思い出してしまった……。


(いやああああああっ!!)

叫びそうになって布団に潜り込んで突っ伏した!今は早朝!ここは女子寮!!叫んじゃダメ!


私、私、ラーシュ様と……は、恥ずかしい……!!

「キスしちゃった……。何度も」

うわああああっ……顔が熱い。


「ラーシュ様が私を好きだって……婚約を解消しないって……本当なの?」

まだ信じられない。全部夢だったらどうしよう。でもラーシュ様の感触……残ってる。指でくちに触れてみた。でも何で?あの時ラーシュ様はお姉様と一緒にいて、それで……。なのに。それに前の時も……。混乱が収まって来ると疑問が浮かんでくる。

「もしかして、ラーシュ様は優しいから私に同情してくれたんじゃ……」

あ、ありえそう。


でも、話し合いの時の事はあまりよく覚えてないけれど、ラーシュ様はアグネータお姉様の事を睨んでたような気がする。そうだわ……。婚約破棄されたって。破棄ってことはお姉様に非があったってことよね?おかしいわ。お母様は理不尽に婚約を解消されたって言ってたのに。お姉様の素行がどうとかって。男性とはいえ、お友達と一緒にお祭りを回るだけなら、そこまで素行が悪いとは言えないような気がする。


お父様達あれからどうしたんだろう。今頃凄く怒ってるわよね。グラソン侯爵ご夫妻もラーシュ様も心配いらないからって仰ってくれたけど、大丈夫かしら。ご迷惑をおかけしてるわよね。って、私はグラソンご夫妻の前でラーシュ様に告白しちゃったんだわ……。ああああっ次にどんな顔をしてお会いすればいいの?布団を巻き付けてゴロゴロと転がって危うくベッドから落ちそうになった。


考え込んでたら朝日が昇ってきてカーテンの隙間から光が入って来た。

「ちょっと早いけど起きちゃおうかしら。もう眠れそうにないわ」

私は物音を立てないように着替えをして身支度を整えた。サーラがいないから、髪を梳かすのに時間がかかるの。不器用ね、私って。寮の庭を散歩することにしてエントランスを出た。男子寮と女子寮は隣接してるけど間には壁があって。入り口には鉄柵の門があるの。ラーシュ様、まだ寝てるわよね。




「リファーナ?」

え?門の前にラーシュ様がいる?私は慌てて駆け寄った。

「やっぱり、ラーシュ様?どうして?」

門の閂をそっと開けて私は外へ出た。

「一度起きたら眠れなくてね。自然と足が向いたんだ。おはようリファーナ」

「おはようございます……んっ」

唇が重ねられた。冷たいわ。いつから外にいたのかしら。ラーシュ様は私の髪をそっと撫でた。そのままそっと抱き締めてくれたから私も抱き締め返したの。

「良かった。夢じゃなかった」

ラーシュ様も同じこと考えてたの?嬉しい。けどちゃんと聞かなくちゃ。もしも同情なら、ラーシュ様の本当の気持ちが違うなら私は……。


「あの、実は私、あの試験の日に音楽室で見てしまったんです。その、ラーシュ様がお姉様と……」

「!……ああ、そうか。あれを見られてたのか。それであの日からリファーナの様子がおかしかったんだね。もしかして嫉妬してくれてたの?」

嬉しそうなラーシュ様の顔に戸惑ってしまう。

「嫉妬というか、ラーシュ様はてっきりお姉様の事が好きなのかと……」

前と同じになったのかって絶望してたのというか。

「はあ……。前々から思ってたけど本当に全然伝わってなかったんだね。僕は興味もない相手とこんなに長い時間を共有する程暇じゃないよ」

そうなの?前の時は私に全然興味が無かったのね。

「あの時はね………………」






放課後、私は音楽室でラーシュ様を待っていた。試験には合格したけど、聖地の音楽隊は引退が無い代わりに落第があるの。これも精霊様が基準で喜んでもらえなくなったらおしまい。という曖昧なものなんだけど、やっぱり技術や気持ちの劣化が影響してくるみたい。だから練習は欠かせない。特に私は際立った才能がある訳でもないし、毎日の積み重ねが大事になってくる。


「今日は二年生は午後の授業が三時間だったっけ」

ラーシュ様はまだ音楽室に来ていなかった。

「まずは、発声練習から……」

クラヴィーアをポーンと叩いて音を取って、いつもの通りの基本的な練習をこなす。動きやすい服に着替えて走ったり柔軟運動をすることもあるんだけど、一人で外に出ないように言われてるから、今日は無しね。


「そろそろ歌の練習を始めようかしら」

クラヴィーアの上にある楽譜を見ていた時、いきなりバタンと音楽室のドアが開いた。

「リファーナ!貴女、ラーシュ様に甘えるのもいい加減になさいな!」

「アグネータお姉様?」

凄く怒ってるわ。心なしか眩い金色の髪がぶわっと膨らんでるように見える。美人が怒ると迫力が凄いのね。…………確かに私はラーシュ様に甘えちゃってる。だってラーシュ様と練習してなければ聖地の音楽隊に入ることはできなかったと思う。

「甘えているのは自覚しております」


「あら、自覚があったのね?ならどうすればいいかわかるわよね?貴女があんな風に泣いて縋りつくから、ラーシュ様は私を選べないのよ!」

あの話し合いの時を思い出して、顔が熱くなる。ああ、そうだわ。私自分の家族の前でも公開告白をしてしまったんだったわ……。私に無関心な家族とはいえ、普通はしないわよね。私は恥ずかしくて頬を押さえた。


「自分のみっともなさを自覚したの?言っておくけど、クレソニア様との婚約解消に私の非は一切ありませんからね!グラソン侯爵家の方々は誤解をなさってるの!誤解が解ければ貴女はもう婚約者ではいられないから!そうなる前に貴女から身を引きなさい!」

その言葉に私は顔を上げた。ああ、お姉様がこんなにたくさん話しかけてくれるのはいつぶりかしら。こんな話じゃ無ければ良かったのに。いつの間にかお父様やお母様の方へ行ってしまったお姉様。幼い頃は一緒に遊んでくれて、とても楽しかったのに。


「それはできません。お姉様」

「何ですって?!」

「私はラーシュ様を愛しております。ラーシュ様のお気持ちが変われば仕方ありませんが、私から身を引くことはできません」

「……っ!そう。残念ねぇ。ラーシュ様のお気持ちは私にあるのよ」

「…………」

「そう!まさにここで、ラーシュ様は私を優しく抱きしめて慰めて下さったの!貴女、あの時見ていたでしょう?」

お姉様は私がいたのを知ってたの?そっか、角度的にラーシュ様は私に背を向けてて、お姉様はドアの方が見えていたわね。


「ラーシュ様は婚約解消された私の話を優しく聞いて慰めて下さったの。他の方にはあまり見せない優しい笑顔で!リファーナだってあまり見たことは無いでしょう?」

お姉様は優越感に満ちた表情で私に笑いかけてきた。

「笑顔ねぇ……」

ラーシュ様が音楽室へ入って来られた。時計を見たら授業が終わる時間を過ぎていた。

「ラーシュ様……」

「まあ!ラーシュ様!」

お姉様がラーシュ様に駆け寄って抱き着こうとした。でもそれをすいっとかわして私の方へ歩いて来たの。

「おまたせ、リファーナ」


かわされたお姉様は悲し気な表情でラーシュ様に訴えた。目を潤ませてる。

「酷いですわ!あの時は優しく慰めて抱きしめてくださったのに!」

ああ、綺麗な人の涙って物凄くグッとくるものなのね。男の人なら尚更だわ。

「婚約破棄だなんて嘘の情報ですわ!ラーシュ様は誤解なさってます!クレソニア様はオルコット様にお心変わりなさったのです。私は泣く泣く身を引いたのですわ……」



「僕が何も知らないとでもお思いですか?」

「ですからそれは!私達の婚約はちゃんと解消されています!婚約破棄ではないですわ!」

「ええ。存じております。表向きはそうなっていますね」

「そうでしょう?私に一切の非は……」

「僕はクレソニア様からずっと相談を受けていたのですよ。選抜チームに入ったことで話す機会が増えましたからね。僕の婚約者は貴女の妹ですから、何か知らないかってね。まあリファーナは何も知らなかった訳で、最近では愚痴を聞く程度でしたが」

「…………え……?」

「クレソニア様はずっと悩まれていたんです。貴女の男性関係の事で」



お姉様はあのダンスパーティーの時に別の男性と()()()親しくしていた所をクレソニア様に目撃されてしまったらしいの。今までも婚約者以外の男性と距離が近すぎると思われていたそうなんだけど、パーティーの時の事が婚約解消の決定打になったみたい。詳しくは教えてもらえなかったけど、お姉様一体何をなさってたの?




「婚約破棄となさらなかったのは、クレソニア様の温情ですよ。彼は本当に貴女を愛していたのだから」

「でも!だったらどうして、あの時ラーシュ様は私を抱きしめて優しく笑ってくださったの?」

「笑顔?これですか?」

あ、冷たい方の笑顔だわ。無表情の方の笑顔。アナキン様やエバンズ様に見せていたような笑顔。

「情報や会話を引き出すのには笑顔は欠かせませんよね?貴族の常識では?ああ、よろけたふりをしてしなだれかかるのもよくある手口ですよね?女性が男性を誘惑する時には」

ええ?よくある手口なの?そんなの知らないわ!ラーシュ様ってそういうの、慣れてるのかしら……。

「違うから」

ラーシュ様が小声で呟いた。ラーシュ様ってどうして私が考えてることがわかっちゃうの?


「あなた達が僕のリファーナを本当はどう思ってるのか僕は知りたかった。リファーナはあまり家族と上手くいってないようだったから」

「ラーシュ様……」

心配してくれてたんだわ。私はラーシュ様の袖をギュッと掴んだ。ラーシュ様は私の肩を抱いてくれたの。

「少し水を向けるだけで、貴女は僕のリファーナをかなり悪し様に罵ってくれましたね。おかげで僕のリファーナが家でどういう扱いを受けてきたのか確認することができました。クレソニア様に見限られて焦って僕の気を引こうとなさったのでしょうけれど、人の悪口を言う人間の顔は同じですね。総じて醜い」

「なっ!私が醜いですって?!」


「大体の調べはさせていただいてましたよ。貴女の男性関係も演奏会の差し入れの件もね」

「な、何をおっしゃってるのか……」

「あんなものを差し入れするなんて、酷い人間だ」

「そ、そんなこと……、あのお茶を差し入れしたのは私じゃないですわ!どうして私がそんな……」

「どうして差し入れがお茶だと?それにその件は関係者以外には知られていないはずですよ」

「…………っ」

「お姉様!あの場にいたのは私だけじゃなかったんですよ?」

ラーシュ様から聞いていたけど、あの演奏会の時のお茶は本当にお姉様が……。


「生意気なのよ!リファーナのくせに目立って!だから、ラーシュ様を奪ってやろうと思ったのに。今度は聖地の音楽隊に合格するなんて!お父様もお母様もあんたなんかを褒めるなんて許せない!クレソニア様だって悪いわよ!自分だってマーガレット・オルコットなんかを構って私を放っておくのだから!」

「演奏会ではリファーナは大活躍で、僕は貴女に心を動かされることは無かったですね」

「……っ!」

お姉様は悔しそうに怖い顔で私を睨んでる。

「カフェの店主からも事情を聴いて既に報告は上げてあります。貴女にも何らかの咎めは行くと思いますよ。それと、僕はいつ貴女に名前を呼ぶことを許可しましたか?」


ラーシュ様の冷たい視線と言葉に、お姉様は真っ青な顔で音楽室を出て行ったの。











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