<< 前へ次へ >>  更新
97/253

恋人同士の筋書き

 波打ち際で。


 真っ白なサマーワンピースを着たクリスは、ビーチサンダルを指に引っ掛けて、なびく髪を押さえつけながら振り返る。


「ヒイロ」


 ふわりと。


 夢見心地なスカート丈が、ふわりとひるがえった。


 日光に透けて、彼女の素足があらわわになり、少し髪が伸びた彼女は嬉しそうに手を振ってくる。


「…………」


 こたえずにいると、彼女は、ゆっくりと歩み寄ってくる。


 取り残された砂浜の足跡は、打ち寄せる波に抗えずに消えて、彼女の痕跡を持ち去っていった。


「ヒイロ、髪」


 クリスは、風で逆立った俺の髪を撫で付ける。


 微笑みをたたえたまま、彼女は俺の髪を整えて寄り添ってくる。


「いい加減、自分で髪を整えられるようにならないとダメだぞ? 最近、私に任せっぱなしで、自堕落にも程がある」


 自然に、俺の腕を抱き込んで、彼女はからかうように目を細めた。


「それとも、何時いつまでも、私にやらせるつもりか?」

「いや、そろそろ終わらせよう」


 断言すると、彼女の瞳の色が変じる。


「明日、フェアレディと決着をつける」


 弾かれたように立ち上がったクリスは、俺から離れ、視線を揺らして戸惑いを表した。その表情が『どうして、そんなことを言うの』と、疑問をていしていて、拒絶するように彼女は後退あとずさる。


「クリス」


 俺は、彼女に手を差し伸べる。


「最初から、そういう話だった筈だ。この一ヶ月で、俺とお前の魔力共有化は完了したし、後はフェアレディのヤツをぶちのめせば終わり。晴れて、俺とお前の関係性も元通りで、ミュールたちとも再会出来る。

 ハッピーエンドだ、そうだろ?」


 立ち上がると、クリスは、更に下がる。


 手を差し伸べたまま、微笑みを向けると、彼女はゆっくりと首を振った。


「違う……私のハッピーエンドは、ココにしかない……帰ったら……ヒイロは、この一ヶ月のことを忘れるんだろ……それに……ミュールと……あの子と家族になれる気がしない……酷いことをたくさんしたんだ……今更、どんな顔をして……」


 なんで、クリスが、記憶が消えることを知っ――フェアレディか。


 舌打ちをして、俺は、一歩踏み出す。


「クリス」


 更に踏み込むと、彼女は、首を振りながら下がる。


「い、いやだ……私は……いやだ……ココで、ヒイロと一緒にいたい……家族が……家族が欲しい……酷いことをしない家族が……酷いことをしなくても良い家族が……ひ、ヒイロは、私を救ってくれるんじゃないのか……?」

「…………」

「いやだ!! いやだ、いやなんだっ!! ココでしか、私は幸せになれないっ!! アイズベルト家の呪いに囚われたくない!! 誰も、誰も、私を救えないっ!! ココでしかっ!! お前とココにいるしかないっ!!」

「いや、違う」


 俺は、微笑を浮かべる。


「ミュールがる」

「あの子に……あの子に、なにが出来る……小さくて弱いあの子になにが……!?」

「その小さくて弱いあの子に、お前は救われた筈だ。

 そして――」


 クリスは、ゆっくりと目を見開く。


「あの子を救えるのはお前だけだ」

「…………」

「家族だろ。ごっこ遊びじゃなくて、本物の家族の筈だ。

 俺なんぞと遊んでないで、そろそろ、心配してる妹の元に戻ってやろうぜ?」

「断る」


 裸足はだしのままで、彼女は、俺から遠ざかる。


「私は戦わない。

 だから、お前も諦めてくれ。一緒にココに残ろう。そうすれば、きっと、私がお前を幸せにしてみせるから」

「なぁ、クリス」


 ポケットに両手を突っ込んで、俺は、彼女を見つめる。


「お前の魔導触媒器マジックデバイス……あの杖……ミュールとおそろいなんだってな?」


 無言で、彼女は、こちらをにらみ返す。


「それがどうした?」

「なんで、魔法を使えないあの子が、あの杖を持ち歩いてると思う?」

「…………」

「あの子は、何時いつも、俺に言ってたよ。

 『お前がお姉様にかなうわけがない』とか、『お姉様は凄いんだ』とか……お姉様、お姉様、お姉様、お姉様って……あの子にとってのあこがれは、格好良いヒーローは、アイズベルト家にとらわれてるミュールのたったひとつの希望は……」


 腕を押さえて、目をらした彼女に――俺は、ささやく。


「クリス・エッセ・アイズベルトなんじゃないのか?」

「……うるさい」

「そんなところで」

「うるさい」


 俺は、彼女を見つめる。


何時いつまで、立ち尽くしてるつもりだ、クリス・エッセ・アイズベルト」

「うるさいうるさいうるさいッ!! 黙れぇええええええええええええええええええええええええええっ!!」


 絶叫し、息を荒げたクリスは、赤くなった目で俺を睨む。


「お前は……お前だけは、理解してくれてると思ったのに……結局、裏切るのか……あ、あんなことまでした癖に……責任をとらずに逃げるのか……」


 ドキリと、心臓が跳ねて、俺は視線を明後日の方向に向ける。


「な、なななななななに言ってんの!? あ、あああああああれは、じ、じじじじ事故みたいなもんだし!? そ、そそそそそそれに、さ、最初に手を出してきたのは、く、クリスの方でしょ!?」

「は、はぁ!?」


 顔を真っ赤にしたクリスは、掴んだ砂を投げてくる。


「お、お前が、捨て犬みたいな目で視てくるから!! だ、だから、受け入れてやっただけだろ!! 卑怯者!! せ、責任とれっ!!」

「お、お前、俺がどんな思いでこの一ヶ月を過ごしてきたと思っ――痛い!! やめて、砂はともかく、石はやめて!! とても痛い!!」

「死ね死ね死ね死ねっ!!」


 石やら砂やら貝を投げつけ、クリスは、はぁはぁ言いながら叫ぶ。


「へたれっ!! ずっと待ってたのに!! アレ以来、なにもしてこなかったへたれがっ!! 一線を越える度胸もないのかっ!!」

「お、俺からしたら、死ぬような思いで、あそこまでしたんですがっ!?」

「男女の関係なら、あんなもの序の口で、それ以上もあっただろ!? あの程度で、なにが一線を越えただっ!! わ、私をバカにしてっ!!」

「いやだって……そ、それ以上って……」

「結局!!」


 泣きながら、クリスは、俺に向かって叫ぶ。


「お前には、私よりも大事なものがあったんだろ!? だ、だから、一線を越えなかった!! 我慢してた癖にっ!! バカ、アホ、ボケッ!! お前は、優しいから、この夢が覚めるとわかっていても、私の心を支配するような方法はとらなかった!! 恋愛経験0の小娘なんて、そういうことをすれば、簡単に籠絡ろうらく出来たのにっ!! このお人好しがっ!! 最後まで、私を大事にしやがって!! 死ね死ね死ねッ!!」


 クリスの指の隙間から、さーっと、掴みきれなかった砂粒が落ちていく。


 ぽろぽろと涙を零しながら、彼女は、嗚咽おえつを上げて顔を歪める。


「ゆ、夢でもいいから……そばにいてよ……」

「……悪いな」


 自分でも。


 酷いことをしていると自覚しながらも、俺は、笑うことしか出来なかった。


「俺は、百合を護る者だ」


 クリスは。


 すべての砂粒を落としきってから、俺に背を向け歩き去っていった。


 入れ代わり立ち代わり、魔人フェアレディが姿を現し、出番を待っていた女優のように計算された足取りでやって来る。


「あぁ! くも、悲劇は巻き起こった! シェイクスピアの筋書きと比べれば、杜撰ずさんで、薄汚くはあるが、それはまごうことなき人間ひとの愛! 主役の男女は醜悪で、下らないメロドラマではあるが、この脚本ストーリーも、主演女優(フェアレディ)が現れれば救われることになるでしょう!」


 俺から視て、最も良くえるように。


 計算()くのカメラワークで、綺麗な泣き顔を演出したフェアレディは、両手を組んで俺に祈りを捧げる。


「あぁ、どうか、泣かないで、我が哀れ子よ! 美しきこの私が、貴方たちを救うために降臨いたしましたよ!」

「はいはい、降臨、ご苦労さん」


 俺は、砂浜に座り込み、フェアレディは立ち尽くす。


 ゆっくりと、俺は、口を開いた。


「最初から、こうなると思ったから、俺とクリスが仲良くなるのを止めなかったのか。なにもしてこないから、なにかあるとは思ってたよ」

「あぁ、その通りですよ、無力な羊飼いよ! 貴方たちか弱き人間は、私のような完璧なる存在とは異なり、あまりにも脆弱ぜいじゃくすぎる! ただ、脇に引っ込んで、主役の登場を待ち望むしかないのです!」

「で、その主役は、この後はどうするつもりなの?」

「もちろん、救いましょう」


 醜悪な笑顔で、彼女は、俺をのぞき込む。


「クリス・エッセ・アイズベルトは、とある悪役のせいで、最悪の二択を迫られる……恋人か妹か……どちらかしか救えない二択で、選択によっては貴方に死んでもらいますが……だいじょうぶ……その悲劇に、この私が寄り添いますから……ぐっ……うっ……!!」


 苦しそうに胸を押さえつけて、フェアレディは慟哭どうこくを上げる。


「くっ……くふふっ……な、なんて酷いことを……恋人か妹、どちらかしか救えないなんて……ゆ、許せない……ふふっ……なんて可哀想なクリス……だいじょうぶ……私が、じっくりと、時間をかけて……迫りくる不幸から救ってあげますからね……」

「楽しそうなところ悪いんだけどさ」

「あぁ、なんたる甘美かんび……我がかいなに抱かれる悲劇よ……救いの声を上げたまえ……!」

「お前、明日には消えるからな?」


 ぴたりと。


 笑い声がおさまって、ゆっくりと、フェアレディは顔を上げる。


 彼女の顔面には、黒黒くろぐろとした影がさして、そこにはなんの表情もなかった。ただ、そこには薄暗い洞穴が開き、その黒い穴から声がい出てくる。


「いま、なんと?」

「聞こえなかったか」


 俺は、フェアレディの頬に手を当てて、指先で撫でながらささやいた。


「お前は、消えるんだよ……明日……お前の腐った脳みそでも解るように言えば……」


 哀れみの表情を浮かべて、俺は、魔人にささやきかける。


「自分で用意した舞台で、自分を消し去る用意は出来たか――マッチポンプ野郎」


 俺が触れている反対側。


 まるで、相対する恋人同士のように、魔人の指先が俺の頬を撫でた。


「クリス・エッセ・アイズベルトは来ない……消えるのは、貴方ですよ、三条燈色?」

「あぁ、そうか、お前には解らないか」


 笑い合いながら、俺は、魔人と見つめ合う。


「俺は、クリスを信じてる。

 だから、お前は、敗けるんだよ」

「ふひっ……ひひっ……いひひっ……!!」


 フェアレディは、笑いながら手を叩き、片手で俺の首を締め上げた。


「お目出度めでたい猿頭……その不出来な脳みそは、喜劇の脳汁で満たされているみたい……あの人間の心は折れた……あ、貴方は、ひひっ、み、見捨てられたんですよ……こ、幸福に抗える人間はいない……あ、あぁ、か、かわいそぉ……かわいそぉかわいそぉかわいそぉ……!!」


 両手で首を締められながら、俺は、彼女に微笑みかける。


「可哀想になぁ、お前は、自分のことしか信じられないもんなぁ? だから、何時いつも、自分の筋書き通りにしか動けない。お遊戯会の舞台のド真ん中で、クソつまらねー脚本ホンの通りに救世主を演じて、いひいひ笑いながら、自分の手で幸福と不幸をひっくり返すことしか出来ない。

 だからさぁ、魔人、可哀想なお前に教えてやるよ」


 真正面から、俺は、満面の笑みを浮かべる。


「お前の筋書きにはない――敗北ってもんを」


 人間と魔人は、ただ、お互いを哀れみ合って――明くる日が、やって来る。

<< 前へ次へ >>目次  更新