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手つなぎ、べりぃはーど

 手を繋ぐと言うよりは、指先でつまんでいる……と言う方が合っている。


「…………っ!!」


 歯を食いしばって、右斜め下を見つめるクリスは、羞恥と屈辱で震えていた。


 恋人ごっこ開始から三日目。


 クリスは、俺の小指をそっと握る以上のことが出来ず、俺は俺で、クリスがかもし出す初心うぶな雰囲気にやられ、自分から積極的に動くことが出来ていなかった。


「く、クリスさん、このままだと恋人繋ぎまで数年かかるんですが……?」

「だ、黙れっ!! 人の努力を嘲笑あざわらうつもりかっ!!」


 飛び級の才媛さいえん、『至高』のくらいいただく最高峰の魔法士、弱冠19歳で魔法結社『概念構造クオリアハイツ』に勤める天才児……そんな彼女が、顔を真っ赤にして、ちんまりと俺の小指を握っている。


 この態度は、当然と言えば当然だ。


 彼女は、アイズベルト家の次女としての責務を負い、ひたすら魔法士としての道に邁進まいしんしてきた。


 脇道にれたり、寄り道をしたことはない。


 何もかもを犠牲にして進み続けてきた彼女は、恋愛なんて経験したことがあるわけもなく……それどころか、この感じだと、誰かと触れ合ったことも数えるくらいしかないのではないだろうか。


 アイズベルト家は、家内で個々が孤立している。


 クリスもミュールも、姉妹として共に過ごした時間はほぼなく、物心がつく頃には『クリスの教育に悪い』と引き離されていた筈だ。


 クリス・エッセ・アイズベルトは、の当たりにしてきたに違いない。


 実の妹が『出来損ない』呼ばわりされて、弾圧され虐められ、実の母親にすら見捨てられる姿を。


 妹の次は、自分の番じゃないのか。


 その恐怖がクリスの自己防衛反応を生み、彼女は幼い妹を罵倒して押さえつけることで、自身を護ろうとしてきた。


 ミュールもそうだが、アイズベルト家の人間は、傲慢と言う名の虚飾を着込み、自分自身を必要以上に大きく見せようとする。


 そうしなければ、彼女たちは自分たちを護ることが出来なかった。


 ただ、ひたすらに。


 己の両足だけを信じて、進んできた少女は、気がつけば19のよわいを重ねて孤独の鎧を着込んでいた。


 振り返ってみて、虚しさを感じる瞬間もあっただろう。


 そんな折、彼女は、初めての敗北を経験し、自分が見下していた妹に命を救われて……ようやく、その鎧は粉々に砕け散った。


 ミュールには、リリィさんがた。


 でも、クリスには、側にいてくれる人間ひとは誰も居なかった。


 どれだけ酷いことを言っても、追いかけてくるミュールを視て、孤独感にさいなまれていた彼女はなにを思っていたのか。


 クリスは、どうしても、ミュールを認められなかったのかもしれない。


 専属のメイドに世話を焼かれ、黄の寮(フラーウム)を与えられて、楽しそうに寮長生活を送る妹の姿は、甘やかされているようにも視えたのだろう。


 でも、ミュールは、己の意思で、己の強さで、己の感情で――姉を救った。


 その姿を視て、クリスは、ミュールを認められた筈だ。


 ようやく、ふたりは、正しい姉妹の関係性を取り戻して……これから、ゆっくりと、仲良くなっていくに違いない。


 原作ゲームでは、クリスがミュールを認めるのは死の間際だった。


 フェアレディの手で、瀕死にまで追いやられた彼女は、完全に視えなくなった両眼で過去の妹を見つめた。


 孤独の闇。


 彼女には、ただ、遠い昔に置き去りにしてきた妹の声だけが聞こえた。


『ミュール……あそぼう……』


 泣きながら、クリスは、かつてこたえられなかった妹の誘いに応えた。


『いっしょに……あそぼう……』


 ミュール・ルートで、徹底的に憎たらしい敵としてえがかれてきた彼女のその最期さいごは、プレイヤーたちに衝撃を与えた。


 結局、悪役として描かれていた彼女もまた、被害者のひとりに過ぎず……クリスは、ミュールとの姉妹関係を取り戻すことを望んでいたのだ。


 まぁ、クリス生存ルートでは、最後の最後まで憎たらしいし、反省しないし、ミュールへの嫌がらせも継続するんですけどね……こうして、生き長らえながら、ミュールと姉妹百合を構築出来ているのは奇蹟と言ってもいいくらいで……。


 この俺が、その機会チャンスを逃すわけないよなァ!?


 と言うわけで、俺は、改めてクリスを見つめる。


「まぁ、無理せず、ゆっくりやろうぜ。こういうこと初めてなんだろうし」

「……うるさい、黙れ、気をつかうな、カスが、黙れ、ボケが」


 ボソボソ言っている彼女には、何時いつもの鬼迫が感じられず、唯々諾々(いいだくだく)と俺の小指を握り込んでいた。


 俺は、そっと、クリスの手から小指を抜き取る。


 砂浜に腰掛けてから、ぽんぽんと隣を叩くと、彼女は舌打ちをしてからそこに座った。


「なぁ、クリス、俺に稽古けいこをつけてくれないか?」

「……なにを企んでるの?」


 この短期間で、信用を完全に失ってしまったらしい俺は肩をすくめる。


「単純に必要だからだよ。

 来たるべきフェアレディ戦に向けて調整」

「無駄。

 ココはフェアレディの精神世界で、私たちの思惑はすべて筒抜け。こうして、必死で、恋人ごっこに精を出していることもバレているんだぞ。

 ご親切な魔人様が、真正面から、勝負に応じてくれるとでも思っているのか?」

「思ってるね」


 俺は、砂をかき集めて山を作り始める。


 目線で手伝うようにうながすと、体育座りしていた彼女は、顔をしかめたまま砂山へと砂を集め始める。


「なぜ?」

「コレは、所謂いわゆる、完全情報ゲームだ。

 フェアレディの精神世界に居る以上、俺たちの考えが筒抜けなのは当然だが、俺たちだってフェアレディの精神世界をの当たりにしてるんだから条件は同じ。如何いかに互いを理解して、優位性アドバンテージを保つかの勝負になる。

 そして、俺は、フェアレディを既に良く理解している……アイツは、絶対に、勝負にノッてくる」


 俺は、両手で、砂山にトンネルを掘っていく。


 見様見真似で、クリスも穴を掘り……開通して、俺とクリスの手が触れ合った。


「おっと、これは失礼」


 バッと、手を引っ込めたクリスは、触れた指先を抱え込んで俺をにらみつける。


「わ、わざとだな……!!」

「あぁ、わざとだ。でも、あんたには、すべてわかっていた筈だ。このまま、穴を掘り続ければ、手と手が触れ合うって。

 なんで、避けなかったんだ?」

「仕方ないだろ!! わかっていても、避けられなかったんだから!!」

「そういうことだよ」


 苦笑して、俺は、付いた土を払いながら立ち上がる。


 釣られて、彼女も立ち上がり、ぶつくさと小声で何事かをつぶやいていた。


「お前は、さっきから、上から目線で偉そうに講釈を垂れるが。

 お前自身は、どうなんだ? 恋愛経験はあるのか? お前みたいな小癪こしゃくなクソガキが、誰かから好かれるとは思えないが」


 思わず、俺は「ハンッ」と鼻で笑った。


「俺が、何度、美しい恋心の軌跡きせきを見守ってきたと思ってる? イージィ、イージィ!! 数多あまたの恋愛教本(女性同士限定)を読破した俺は、霊長類を超越した恋長類よ」

「誰かと付き合ったことはあ――」

「あのぉ、関係ない話するのやめてくれます?」

「関係、大有りだろ。なんだ、その勝ち誇った顔。殴るぞ」


 嬉しそうに、クリスは微笑む。


「なんだ、お前も、恋愛経験0か。雑魚でボケのにわかが。二度と大口を叩くなよ。お前のような恋愛弱者は、生涯、孤独に生きる宿命なんだ。

 私に小指を握られて、内心、ドキドキしていたんだろ?」

「は? いや、なに? え、びっくりした、え、あの、なんすか? なに、その、ムカつくおフェイス? 貴女、俺より歳上なのに、小指ひとつ握れないんですよね?

 あの、正直、有り得ないんすけど(笑)。アメリカでは、それが常識なんすか(笑)。ハロー、ナイストゥーミーチュー、ドゥーユーノーラァブ?(笑)」


 勢いよく。


 クリスは、俺の手を握り込み、彼女の肌のなめらかさとぬくもりが伝わってくる。


 わなわなと口元を震わせたクリスは、俺と繋いでいる自分の右手を凝視し、ふらふらとしながら笑った。


「ど、どうだ、ガキが、お、お前とは、違うんだよ……!!」

「…………」

「お、おい、なんとか言っ――きゃっ!!」


 バッと、クリスは、自分の口を押さえつける。


 クリスの指と指の隙間に、自分の指をからませた俺は、臓腑ぞうふの底から這い上がる吐き気と戦いながら……ニヤニヤと、真っ赤になった彼女を見つめる。


「あれ? あれれ? なんか、今、可愛い声聞こえなかった? どこの誰が、あんなに、可愛い声を出したんだろうねぇ? まさか、良い歳して、恋愛経験0でアメリカから帰ってきた天才児様じゃないよねぇ?」

「お、お前ぇ……!!」


 殺される前に、俺は、彼女から手を離す。


 指を絡ませ合った感覚を振りほどくように、右手をブンブン振りながら、首筋まで赤くなったクリスは俺から距離をとる。


 ニヤけながら、俺は、両手を広げた。


「どうやら、コレで、恋愛強者がどちらかおのずと明らかになったようだなぁ?」

「こ、ココから出たら、絶対に殺す……!!」

「そんなに怒るなよ、立ち位置は明白になった。

 俺は恋愛、クリスは戦闘、それぞれの教師になって進めていくことにしようぜ」


 歯噛みするクリスは、拳を振り上げてから、行き場をなくしたソレを下ろした。


「わ、わかった……この屈辱は、いずれ、殺意に変えることとして……ひとまず、受け入れて、溜飲りゅういんを下げる……」


 さすさすと、いたわるように自分の右手を擦りながら、クリスは俺を見つめる。


「それで、具体的に、私はお前になにを教えれば良い?」

「そうだな、まずは――」


 気配。


 振り向けば、風に髪をなびかせながら、微笑む魔人フェアレディが居た。


「あぁ、なんて楽しそう」


 彼女は、両手を組んで、俺たちを見つめる。


「是非、母である私も……混ぜて欲しいところですね」


 ただ、俺は、彼女を見つめ返して――笑った。

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