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夢畏施の魔眼

 覚醒。


 真っ白なレースカーテンと天蓋てんがい


 俺は、視界に飛び込んできた風景をぼんやりと眺める。


 どうやら、お姫様みたいに天蓋付きベッドに寝かせられているらしい。


 グロテスクを表現していた俺の右腕は、元の形状を取り戻しており、見慣れた包帯が全身を包み込んでいた。


「…………」


 腕と足を組んで、ベッド横の椅子に座っているクリスは、むっつりとしたまま文庫本に目を落としていた。


 本の題名は『君主論』。


 コイツ、キャラクター徹底し過ぎだろ……とか思いつつ、眺めていると、彼女は俺の視線に気づいて舌打ちする。


「起きたなら起きたと言え」

「起きた」

「ディレイをかけるな、カスが」


 立ち上がった彼女は、PTP包装(ほうそう)シートに包まれた錠剤を放り投げ、自身もミネラルウォーターで薬を含んだ水をあおる。


「解熱剤と痛み止めだ。飲んでおけ」


 さすが、高位の魔法士、修羅場を潜り抜けているだけある。


 熱を帯びている身体と激痛を訴える頭……投げられたミネラルウォーターを受け取り、俺は、乾ききった喉に水分と薬剤を支給する。


「で、ココどこ?」

「知るか」

「…………はい?」


 思わず、俺は、手を止める。


 ドカッと、椅子に座ったクリスは、黙って扉を親指で指した。


 扉。


 大量の写真が貼り付けられた扉……それらの写真には、俺が映っており、満面の笑みでフェアレディと並んでいた。


 すべての写真に、俺とクリスとフェアレディが映っている。


 まるで、家族か恋人かのように、俺は浮かべた覚えのない笑顔を浮かべ、フェアレディは俺の肩を抱いて聖母面している。大量の写真には大量の背景が詰め込まれており、大量の思い出が捏造ねつぞうされていた。


「……やべぇ」


 どうやら、俺とクリスは、フェアレディの巣に閉じ込められたらしい。


 正確に言えば、俺たちふたりは死にかけており、生と死の狭間に差し込んだフェアレディの夢畏施の魔眼スウィート・スリーピィとらわれている。


「クリス、コレ、現実じゃないぞ」

「視ればわかる。この手の魔法には、覚えがあるからな」

「俺たちは、たぶん、現実で瀕死状態だ。アイツは、弱った人間に寄生して、生命力を吸い取る固有魔法を使うから。

 とっとと、この精神世界から抜け出さないと殺されるぞ」


 夢畏施の魔眼スウィート・スリーピィ銘打めいうたれているが、この世界は夢の世界ではなく、茫漠ぼうばくとしたフェアレディの精神世界である。


 そのため、この世界では、なにもかもがフェアレディの思い通りに構築され、俺たちは押し流されるしかない。


 それはつまり、川底で摩耗して丸みを帯びる石ころのように、徐々に精神性を変じられていくことを意味する。


 フェアレディは、こうして、忠実な信徒を創り上げる。


 ただ、この手の強制洗脳を仕掛けるのは、肉体/精神ともに弱りきった対象だけで、加えて、フェアレディは気に入った相手にしかこの魔眼をほどこさない。


 つまり、俺とクリスは、美食家グルメぶった魔人様のお眼鏡にかなって、舌の上にせられている。


 たった今、俺たちは、フェアレディの精神に食われているのだ。


 扉の向こう側から、コンコンと、ノックの音が聞こえてくる。


 クリスは、静かに立ち上がり、俺に座っていろとハンドサインを出した。


 俺の両眼は、部屋の中を彷徨さまよい……まくら、写真立て、椅子、クマのぬいぐるみ……俺は、迷ってから、クマのぬいぐるみを手にとった。


 魔導触媒器マジックデバイスを没収されているクリスは、椅子を頭上に構えており、クマのぬいぐるみを抱いた俺に驚愕の表情を向ける。


「バカか、お前?」

「いや、コレで良い。お前も、こっちにしとけ」


 俺は、クリスから椅子を奪い取り、枕を押し付ける。


「おい、フザけ――」

「来るぞ」


 ぎぃっと、扉が開いて。


「おはよう、我が子たち」


 髪をひとつにまとめて、エプロンを身に着けたフェアレディが、可憐かれんなステップで部屋に入ってくる。


「おはよう、母さん」


 俺は、窓辺の光を浴びながら、満面の笑みを浮かべる。


「朝空で、カナリアたちが綺麗な歌声を響かせてるよ」

「…………は?」


 絶句しているクリスの横で、フェアレディは微笑を浮かべる。


「あぁ、なんて、美しき我が子よ! この世界が、今日も、綺麗に通り過ぎていくことに祈りを捧げましょう!」


 両手を組んだ若すぎる母親役は、小首をかしげて微笑む。


「朝食にしましょうか、ヒイロ」

「あぁ、そうだね」


 俺は、片手でひさしを作って目を細める。


「でも、困ったな……今日も、母さんを直視できそうにない……太陽よりも偉大な母性……そのあたたかな愛は、春の陽射しを思わせる……」

「子の返愛に返す言葉はない!」


 トットット。


 前のめり、腰を曲げた俺は、つま先で床を叩く。


 対面で、同じようにポーズを決めたフェアレディは、同調するかのようにつま先を床に叩きつける。


 そして、俺たちは、同時に口を開いた。


「「あ~、美しき日々~♪」」

「意味がわからん、死ね(グーパン)」


 クリスの右拳は、フェアレディを突き抜ける。


 驚愕の表情を浮かべた彼女は、つんのめった体躯たいくを片足で支えて、絶妙な体重移動――回し蹴りを放った。


 が、その蹴りは、魔人を通り抜ける。


「「この清らかな365日に名前をつけよぉ~♪」」


 呆然とするクリスの前で、サビまで歌いきって、愛らしい母親フェアレディはスカートをひるがえす。


「我が子たちよ、さぁ、朝食にしましょう!」


 俺たちの返事を待たずに、彼女は、階段を駆け下りていく。


 唖然あぜんと立ち尽くしていたクリスは、ただ、俺のことを見つめる。


「言ったろ、まくらの方が良いって」

「なぜ、攻撃が通用しない。

 セオリー通りで言えば、私たちの精神は混ざり合っていて、好むと好まざるとに関わらず互いに影響を受ける筈だ。一方的な精神干渉なんて有り得ない」

「魔人に道理を求めるなよ。

 家族ごっこがお望みなんだ、迎合げいごうして、朝食に舌鼓したづつみを打ってやれば良い」


 だるい身体をベッドに預けて、仰向けに倒れた俺はささやく。


「そんなの、有り得ないでしょ。相手の求める事を為せば、それだけ取り込まれる時間が早まる。

 精神掌握の魔法をかけられた場合、反発するのがセオリーだ」

「残念ながら、セオリーってのは、教科書通りの回答を書き込めば満点がもらえる学校教育にしか通用しないんだよ。

 俺たちが生き残るには、フェアレディに気に入られるしかない。ヤツに『不要』と思われた瞬間、現実の肉体は生命活動を停止する」

「……つまり、ヤツに気に入られながら、この世界から脱する方法を探せと?」


 答える代わりに、俺は笑顔を浮かべた。


 顔を歪めたクリスは、ぴくぴくと頬を痙攣けいれんさせながらささやく。


「お前、私に、羞恥しゅうちを極めろとでも言うんじゃないだろうな?」

「なに、ダンスとか不得意な――いだっ!!」


 急に、げしりと、足蹴あしげされる。


「人は踊らなくても生きていける。蒙昧もうまいが。余計なことを口にして、己の寿命を縮めるな」

「いや、別に、踊らなくても良いけどさ」


 立ち上がって、俺は、クリスの手をとっ――右拳が、顔面に叩きつけられる。


「顔、ないなった^^」

「気安く触れるな」

「お、俺だって、触れたくねぇわ……!!

 慈愛の聖母気取ってるフェアレディは、俺たちが仲良くしてることを好むんだよ。たぶん、アイツの脳内設定的に俺たちは兄妹だからな」

「姉弟だ」

「別に、どっちでも良――」

「姉弟だ」


 コイツ、最早、マウントコンプレックスだろ……。


「とりあえず、俺とクリスの絆(笑)を見せつけておいた方が良い。仲良しこよしポイントが溜まれば溜まるほど、フェアレディの評価も上がる筈だからな。

 あんた、フェアレディ構文作るの下手そうだし、ニコニコしながら、俺と腕組んでるくらいが丁度良いよ」

「男と腕を組めと?」

「我慢だよ、我慢。

 さすがに、命がかかれば、ゴキブリだって指でつまめるだろ?」


 舌打ちをして、クリスは、俺の腕の端に自分の右手を引っ掛けた。


「…………」

「そんな、極悪設定のクレーンゲームみたいな腕の弱さある?」

「黙れ。とっとと歩け」

「先に言っておくけど、フェアレディの言うことには逆らうなよ? アイツの機嫌を損ねたら、即死してもおかしくないからな?」


 フッと、クリスは、あざけるように口端を曲げる。


「お前のような無知蒙昧むちもうまいには、理解し難い真実かもしれないが……高位の魔法士は、己をりっすることにけている。素人とは違う。どのような要求が来ても、私が狼狽うろたえることはない」

「ひゅー、すげー、かっけー!!」


 その言葉を信じて、俺たちは階下に下りて、笑顔のフェアレディが振り向いた。


「ヒイロ、クリス、わたしはい考えを思いつきました」


 彼女は、笑いながらささやく。


「朝食を食べ終えたら、家族一緒にお風呂に入りま――」


 脱兎のごとく。


 俺の腕を振り払ったクリスが逃げ出し、勢いよく跳んだ俺は、鋭いタックルを仕掛けて彼女を押し倒す。


 ずざーっと、ふたりで床の上を滑り、俺は彼女を組み伏せる。


「うおらっしゃァ、トラァイ!!」

「クソが……クソがァ……!!」


 クリスは、這いずりながら、必死に逃げ出そうとして――最終的には、諦めて、がくりと項垂うなだれた。

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