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馬車の引き手

 ミュール・ルートでは、彼女の成長物語がえがかれる。


 それは、別に、魔法士の強さ……と言うわけでもない。


 どちらかと言えば、それは人格的な成長について言及されたものだ。


 序盤のミュールに反感を抱くプレイヤーはそれなりの数いて、シナリオが進むにつれ、彼女に好感を抱き始めるプレイヤーも多い。


 それは即ち、彼女の人間としての成長をの当たりにしたことを示していた。


「…………」


 ぐすぐす言いながら、俺の隣に立つミュールは涙目で。


 彼女の前に立つ、元、黄の寮(フラーウム)の寮生……かつて、ミュールの手で、家財道具を放り出され、寮を追い出された彼女は、小さな寮長のことをにらみつけていた。


「謝りなさい」


 俺は、寮長ミュールうながし、彼女は勢いよく顔を上げる。


「ば、ばかを言うな! なぜ、わたしが謝らないといけないんだっ! 悪いのはこいつだっ! わたしは黄の寮(フラーウム)の寮長だぞ!?」

「華族だろうが大統領だろうがアーノルド・シュワル○ェネッガーだろうが、悪いことをしたなら謝るのが当たり前です。

 ほら、謝りなさい」


 譲らない俺を見上げて「うぐぐ……」と、ミュールは歯を食いしばる。


「なんで、わたしがお前の言うことを聞かないといけないんだっ! わたしは、ミュール・エッセ・アイズベルトだぞ! 男のお前の言うことを聞いてやるほど、落ちぶれたつもりはないっ!!」

「無駄よ無駄」


 リボンの色からして、最上級生の先輩は、やれやれと首を振った。


「コイツが、現在いままで、何人の寮生を追い出してきたか知ってる? 反省する気なんてゼロ。お得意の『アイズベルト家のわたしが~』が炸裂して、ふんぞり返った挙げ句、自分の思い通りに人生を進めていくのよ」

「偉そうに言うな! お前が悪いんだぞ! わたしは、ただ、寮長であるわたしを敬えと言っただけだ! 生活態度に難があったから、指摘してやったのに反論してくるから、わたしの寮から叩き出してやったんだ!」


 先輩は肩をすくめて、俺はため息を吐いた。


「寮長。そんなこと続けてたら、周りから誰もいなくなりますよ」

「……ふん、そんなもんいるか」


 ミュールは、そっぽを向いてささやく。


「わたしは……最初から最後までひとりだ……周りから誰もいなくなった方が気楽だし……わたしは……アイズベルト家の末女としての責務を全うするんだ……そうしないと……お母様は、視てくれない……」

「はんっ、そうやって、被害者面してるのもムカつくのよ」

「な、なんだとっ!!」


 水に油。


 両者は正面から睨み合い、俺は、ひょいっとミュールを抱き上げる。


「こ、こら! お、おまえーっ! は、はなせーっ!! な、なにをするっ!! わたしをだれだとおもってるんだーっ!!」


 ジタバタジタバタ。


 俺の手の中で、暴れまわる寮長の拳を避けながら、俺は先輩に頭を下げる。


「いずれ、きちんと、本人に謝らせます。

 その時になったら……また、黄の寮(フラーウム)に戻ってきてくれませんか?」

「なんで、君みたいな子が、ソイツなんかのためにそこまでするの?」


 俺は、満面の笑みを浮かべる。


「綺麗な花が咲いたら、他の人にも視てもらいたくなるものでしょ?」

「おろせーっ!! ぶれいものーっ!! おろせーっ!!」

「綺麗な花、ねぇ……」


 苦笑する先輩と分かれてから、俺は、ブンブン腕を回す寮長を下ろす。


 ブンブンブンブンブンブン……腕を振り回しながら、少しだけ前進して、ねじ巻き式の玩具おもちゃかこの子はと思った。


「ふざけるな! お前が、特別指名者じゃなかったら追い出してるところだ!」

「嫌いになりました?」

「好きも嫌いもあるか! お前なんて、なんとも思ってない! リリィがお前のことを気に入ってるから、そばに置いてやってるだけだ!」

「なんとも思ってない、頂きましたぁ!!

 ありがてぇ……!」


 感謝の念をめて、寮長を拝んでいると……予定通り、やって来た月檻が、制服姿でこちらに手をげる。


「ヒイロくん、おはよ」

「おう」


 月檻は、微笑んで両手を広げる。


「おいで」


 間髪入れず、俺は寮長を突き飛ばし、月檻の両手にすっぽりと小さな彼女は収まった。


「うわっ、急になにをするっ!」

「よしよし、がんばったね。よしよしよしよし」

「…………」


 ニチャァとした笑みを浮かべて、俺はふたりのハグを見つめた。


 前日の夜。


 俺は、月檻に泣きついて、今回の『アメとムチ』作戦を受け入れてもらった。


 寮長の成長のために俺がムチとなって彼女を叱り、その代わりに、月檻がアメとなって彼女をなぐさめ甘やかす。


 すると、どうだろうか。


 ムチである俺は嫌われ、アメである月檻は好かれる。


 いつの間にやら、百合は美しく育って咲き誇り、俺はダストシュートにダンクシューッ!! されることになる。


 ついでに、寮長に俺の悪評を広げてもらえば、他の連中の好感度も下がる。寮長も徐々に成長し、月檻も彼女と関わることで、ミュール・ルートは進行していくことになる。


 まさに、一石一億鳥くらいの策である。


 頭ってのはね……こうやって、使うんですよ(トントン)。


「月檻桜! なんのつもりだっ!!」


 月檻の胸から抜け出したミュールは、真っ赤な顔で彼女を突き飛ばす。


「え、だって、ヒイロくんから頼まれ――」

「こらこらこらぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! よんべぇだぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 俺は、腰の位置で両手を構えて大声を上げる。どうにか、注意をいて、誤魔化すことが出来たらしい。


 ハァハァ言いながら、俺は、月檻を手招きする。


「どうしたの、急に気を解放したりして」

「いや、話を誤魔化したい時には界○拳を叫ぶと良いんだよ。成功率かなり高い。

 じゃなくて、なんで、唐突に裏切りに走った? びっくりしたわ。秒で裏切るじゃん。お前の血、本当に赤色か?」

「うん」

「うん、ではなくて」


 いつものように、俺の寝癖をいじり始めた月檻の手を止める。


「やめなさい。話を聞きなさい」

「やだ」

「やだ、ではなくて。

 昨日の俺の涙ながらの説得はなんだったんだよ。俺の涙、返せよ。あの号泣は、間違いなく、リットル級だぞ」

「だって、わたし、あの子のことは興味ないし……ヒイロくんを甘やかすって話なら、喜んで引き受けてあげるけど……まぁ、やる気、起きないかな」


 あいも変わらず、ローテンションの主人公様だった。


 何時いつになったら、この子の恋愛スイッチがONになるんだ……ONにさえなれば、無敵の月檻桜様なのに……。


「おいっ!!」


 ひょっこりと、俺たちの間に顔を出した寮長は顔を歪める。


「ふたりで、なにをコソコソと話してる! わるだくみじゃないだろうな!」

「あはは、まさか、そんなわけないですよぉ……頼むぞ、月檻、礼はするから……!!」

「しょうがないんだから」


 月檻は苦笑して、どうにか、作戦を受け入れてくれる気になったらしい。


 俺は、ホッと息をく。


 俺たちは、三人で黄の寮(フラーウム)の寮長室に戻り――


「で」


 二枚の参加用紙を見つめていた。


「新入生歓迎会が差し迫ってるのに、どうして参加用紙が二枚なんですか?」

「きっと、わたしのカリスマにかれたんだ!」

「いや、褒めてないです。どうして、未だに俺と月檻の参加用紙しか集まってないのかと聞いています」


 俺の背後に回った月檻は、俺に寄りかかったり離れたりを繰り返し、謎の遊びに興じ続けている。


 その行為を無視して、俺は目を逸らした寮長を見つめた。


「寮長、お答え願います」

「し、知らん……」

「…………」


 ちらりと、俺を視て、寮長は「ふんっ」とそっぽを向いた。


「寮長、怒らないから。言ってみ」

「…………」


 不安そうに、寮長は上目遣いで俺を見つめる。


「あ、アイツら、リリィの悪口を言ってたんだ……出来損ないのお守りとか、金目当てだとか……だ、だから、待ち伏せして、頭から水をぶっかけてやった……そ、そしたら、1年生の間でも、わたしの悪評が広まってて……さ、参加申請を取り消された……」


 怒られるとでも、思ったのだろうか。


 ビクビクしていた寮長の頭に、俺は、そっと手のひらを置いた。


「正しくないけど正しいことをしてるじゃないですか」

「……え?」

「まぁ、先に手を出したのは悪いかもしれないですけど、大切な人を護ろうとしたのは百合観点で言えば100点満点ですよ。少なくとも、俺は喜んで花丸つけますね。

 でも、寮長、貴女は上に立つべき人間ですから。自分の手を汚さないでください」


 俺は、笑う。


「そういうのは、俺の仕事です」

「…………」


 俺が、そっと頭を撫でると、彼女は目を逸らした。


 その反応を視て、俺は、ニヤリと笑う。


 ククッ……嫌いな男に頭を撫でられるのは、相当嫌なことらしいからな……頭を撫でて、好感度が上がるのはラノベ主人公くらいのもんだ……ココで、一気に好感度を下げさせてもらうぜ……!


 手を払いけられたタイミングで、月檻とバトンタッチする。


 コレこそ、ベストユリニスト賞を受賞した俺の実力だ!! アメとムチ作戦の本髄、その身でとくと味わうが良い!!


 ナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデナデェッ!!


「…………(余裕の表情)」

「…………」


 ナデナデナデナデ。


「…………(違和感を覚え始める)」

「…………」


 ナデナデナデナデ。


「…………(汗を掻き始める)」

「…………」


 ナデナデナデナデ。


「…………(顔が歪む)」

「…………」


 ナデナデナデナデ。


「…………(苦悶の息をく)」

「…………」


 ナデナデナデナデ。


「…………(絶望で膝が震え始める)」

「…………」


 ナデナデナデナデ。


「…………(泣きながら神に祈り始める)」

「…………」


 ナデナデナデナデ。


「…………(自我が崩壊を始める)」

「…………」


 ぐにゃりと、景色が歪んでいた。


 ハァハァと息を吐きながら、俺は、ぼやける視界の中を彷徨さまよう。


 な、なんだ、この悪夢は……お、俺は、いつ目覚めるんだ……バカな……俺の完璧なる策が……つ、月檻、たすけてくれ……現在いま、俺はどこにいるんだ……なにをしてる……俺は起きたら転生直後、百合をたっぷり視てから眠るんだ……。


「ヒイロくん、いつまでやってるの?」


 声をかけられて、ハッと、俺は寮長の頭から手を離した。


 びっしょりと、全身に汗をかいた俺は、ふらついて月檻に抱き止められる。


「つ、月檻……現在いまは何年だ……?」

「急激なストレスで、タイムトラベラーと化してる……」


 俺の前で。


 頬を染めて、顔を背けた寮長はささやく。


「…………さ、さーびすだ」


 そして、勢いよく、こちらを睨みつけた。


「つ、次は無いからな! お前の忠誠に報いてやっただけだ! 男がわたしの頭を撫でるなんて、本来、考えられないことなんだからな!」

「月檻、契約書にサインさせろ!! 次はないと!! 契約書にサインさせろっ!!」

「よしよし、こわかったね。大丈夫大丈夫」


 月檻にあやされながら、俺は、寮長を見つめる。


「寮長、急にチョロインみたいなことしないでくださいよ……殺すつもりですか……あんた、一流のヒットマンか……?」

「調子にのるなっ! リリィが、お前には恩があるからとうるさいから! 特別に、我慢して、手を払い除けなかっただけだ!」


 確かに、現在いまのは、ただの気まぐれだったんだろう。


 再度、恐る恐る、寮長の頭を撫でようとすると、怒りで顔を赤くした彼女にビシリと手を叩かれる。


 ようやく、俺は、安堵の息を吐いた。


「よ、良かった……じゃあ、本題に入りましょう」

「本題?」

「新入生歓迎会のことですよ。

 このまま、新入生の参加が、俺と月檻だけになったら、クリスに鼻で笑われることになりますからね」

「…………ふん、別に、いつものことだ」


 いじける寮長に、俺は、笑顔を向ける。


「だから、ココにいる月檻桜が寮長に魔法をかけますよ」

「魔法?」

「えぇ、そうすれば、歓迎会の参加者は一気に増えます」

「い、言っておくが、わたしは謝ったりしないからな! アイツらが悪いのに、謝ってやる道理があるか!!」

「謝るどころか、なにもする必要はありませんよ。

 ただ、寮長は、そこで座っていれば良い。それが、上に立つべき者のすることです」


 俺は、笑いながら、机に両手を突いた。


「魔法使いの月檻はかぼちゃの馬車を生み、寮長はそれに乗っていれば良い。

 貴女は、魔法の軌跡きせきに導かれ、泥だらけの道を歩かずに歓迎会を堪能してくれれば良いんですよ」

「……その馬車は、誰が引くんだ?」

「言ったでしょ」


 正面から、俺は、彼女を見つめる。


「そういうのは、俺の仕事です」


 俺は、笑って――新入生歓迎会、当日。


 新入生でごった返している黄の寮(フラーウム)の広間で、目に涙を溜めた寮長は立ち尽くし……両手をポケットに入れた俺は、苦笑してから、その場を後にする。


 黄の寮(フラーウム)の裏。


 誰も視ていないその裏側で、俺は、彼女と対峙する。


 待ち望んでいたクリス・エッセ・アイズベルトは、静かに杖を引き抜き、俺は九鬼政宗を抜刀する。


「よく逃げずに来たな、褒めてやる」

「…………」

「男を称賛するのは、この生涯において最初で最後、たったの一度だけだ。

 そして、お前は、ココで――」


 クリスは、螺旋をえがき――魔眼『螺旋宴杖』を開く。


「死ぬ」


 俺は、夜空を見上げる。


 冷え切った空の下で、俺は息を吐いて、顔を片手でおおい――指と指、その狭間から――魔眼『払暁叙事』がひらいた。


 四方が、赤と黒に分かれて、断続的なごくに染まる。


 おとずれた漆黒と紅蓮の夕暮れは、俺の四肢から入って神経を包み込み、深淵の底から膨大な魔力が解放される。


 それは、あたかも、煉獄を思わせる。


 魔力で全身が焼け焦げる臭いが鼻をつき、した払暁ふつぎょう、三条燈色の叙事詩じょじしが世界に刻まれる。


 手の内で、九鬼正宗の刀身が――しゅに染まった。


「15秒だ」


 愕然がくぜんとするクリスに、俺は、緋色ヒイロの眼を向ける。


「15秒で片をつける」


 ゆうに焼けた両目で、俺は、彼女を見つめ――光がひらめいた。

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