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金と欲、そして百合

 交渉は、始まる前に結果が視えていなければならない。


 お互いの妥協点をその場で探り合うなんてのは最悪のパターンで、今後の関係値を考えなければ、仕掛けた側が一方的に勝利するのが交渉術の本質だ。


 仕掛けた側が負けるような交渉は、間違いなく、交渉方法を間違えている。


 こちらが仕掛ける側なのに、交渉が失敗するパターンは準備不足と判断不足が原因であって、交渉失敗の可能性があるのに仕掛けるのは三流がやることである。


 と言うのが、緋墨ひずみの談。


 本来、交渉とは、互いにWin-Winになって終わるものだ。


 だが、それは飽くまでも、後先を考えた企業同士の関係構築を踏まえたもので……今回、ソレを考える必要はなく、俺は、圧倒的な優位性アドバンテージを持っていた。


 俺の前で、クリス・エッセ・アイズベルトは丸裸だった。


 なにもかもが、筒抜けになっており、なにをどう揺さぶれば彼女が惑うのか、一挙手一投足まで未来さきが視えている。


 端的に言えば、クリスは不意を突かれていた。


 スコア0の底辺男が、先に仕掛けてくるとは、思いもしなかった筈だ。


 つい先日、肋骨ろっこつを折ってやった弱者が、地をいずり回る怯者きょうしゃが、歯牙にもかけなかった小者が。


 目の前に現れ、大手を振って首を締め上げようとしてくる。


 常に上に立ってきた彼女は、下から迫られることに慣れていない。


 土台として、踏みつけにしてきたゴミが、その足元から魔の手を伸ばし彼女の足を引っ張っていた。


 ぐらぐらと、揺れている。


 現れる筈のない男が目の前に現れ、アタッシュケース内の札束で精神を揺さぶられ、ついには俺の命令に従いソファーに座った。


 彼女の両眼が、揺れている。


 それは、まさしく、彼女自身の心中を表していた。


 ――コイツは、なんだ?


 その短い生涯で、はじめて、男に舐められている状況下で。


 俺は、足を組んだまま、身振り手振りで優位性アドバンテージを見せつける。時と場合によっては、言葉よりも、動作の方が強い意味をもつ。


 だからこそ、俺は、札束の前でニタニタと笑い続けていた。


「どうした、随分とおしとやかになったな。

 人様の肋骨を折ってから、宗旨しゅうし変えでもしたのか。この間まで、足を組んで俺を見下ろしていたのに……現在いまじゃあ、すっかり、立場が逆転して上下反転、俺が上でお前が下だ。

 くだらない景色だな。こんなもん視て、お前は満足してたのか?」

「私が上で、お前が下だッ!! わきまえろ、下郎がッ!!」


 激昂げっこうしたクリスは立ち上がり、俺は苦笑する。


「楽しいね、素敵なお嬢さんとのおしゃべりは。感情豊かで魅力的だよ。曇ったお前の瞳に札束で乾杯かんぱいしてやろうか。

 わきまえろよ、今後に響くぞ」

「クソがッ!! 魔法で勝てないから、金で人を脅すつもりか!? 卑怯者が!! 正々堂々、勝負しろ!!」

「笑わせるなよ、腐れ淑女」


 俺は、“上”から、彼女を見上げる。


現在いままで、散々、金の力で人を押さえつけてきたのはどこのどいつだ……テメェで殴っといて、殴り返されないと思ってるんじゃねぇぞ……正々堂々、金で勝負してやるって言ってんだ……とっとと座れ……」


 俺は、き上げるように彼女をにらみつけ、ひるんだように彼女の両眼が揺れる。


 うなりながら、彼女は、ゆっくりと座った。


「単刀直入に聞く」


 俺は、彼女にささやきかける。


「なんで、お前に真摯につかえてくれていた侍女メイドたちを解雇した?」

「…………」

「答えろ」

「邪魔だったから」


 笑いながら、彼女はささやく。


「私の覇道の途上に阻害物があったから脇に退けただけだ。なにが悪い。私はクリス・エッセ・アイズベルト。無価値な石ころを蹴り飛ばしてなにが悪い。奴らはなにもしなかったが、私に貢献もしなかった。不要物を除去してなにが悪い。たまに、空気を入れ替えなければよどむばかりだ。

 私が邪魔だと判断したからやめさせて、私が邪魔だと判断したなら脇に退くのが道理だ。理由としては、それ以上でもそれ以下でもない」

「なら、お前の妹は?」


 瞬間、クリスの表情にドス黒い感情が宿やどる。


「アレがアイズベルト家に存在すること自体、耐えられるわけがない。の出来損ない。あのメイドたちよりも下のクズだ。使用人以下の人間が、アイズベルトを名乗って、のうのうと笑いながら生きていることに憎悪を覚える」

「正直者だな。少し、お前のことが好きになれたよ」

「お前(ごと)きに好かれて喜ぶとでも思ったか」


 俺は、苦笑する。


「ただ、お前がやったことは、俺の正義に反する。

 つまり、お前の難癖なんくせ路頭ろとうに迷った侍女メイドたちは、矜持きょうじを傷つけられて自分を責め涙を流し、己の生涯をかけて身に着けた技術は意味をなくして、中にはその混乱の中で恋人を失った者もいる。

 そして、ミュール・エッセ・アイズベルトは、愛している姉に好かれるために努力を繰り返し、その期待は常に裏切られ、それでものうのうと笑い続けることを選んで懸命けんめい現在いまを生きている」


 真正面から、俺は、彼女を見つめる。


「お前から見れば、彼女らは邪魔な石ころかもしれないが……彼女らからすれば、お前こそが、道の行く手をはばむ邪魔くさい壁のひとつだよ。

 お前は、お前が蹴った石ころが、どこに飛んでいくのか考えたことはあるか?」

「…………」

「俺は、視たからわかる」


 彼女の前で、石ころの俺は笑顔を浮かべる。


「ミュールは、お前の数億倍強いぞ」

「ふざけるな……」

「…………」

「ふざけるなッ!! あんなクズが!! 魔法ひとつ行使出来ないような出来損ないが!! 私にまさっているだと!? なにを根拠に!?」

「言ったろ」


 俺は、笑う。


「もう、視てきた」

「狂人が……ッ!!」

「精々、楽しみにしてろよ。ミュール・エッセ・アイズベルトが輝く時を。

 いずれ、お前は、の当たりにする」


 俺は、彼女と、見つめ合う。


「必ず、似非エセが本物を上回る時が来る」

「…………」

「悪いな、ついつい、話し込んじまった。

 そろそろ、本題に入るか」


 緋墨ひずみは、すっと、一枚の契約書をクリスに差し出した。


「……なんだコレは?」

「A4用紙」


 人を殺しそうな目でにらみつけられて、俺は両手を上げてバンザイする。


「契約書だ。

 俺は、お前を雇う」


 目を見開いたクリスは、瞬時に殺気を宿やどらせて、魔導触媒器マジックデバイスに手を伸ばし――俺は、その腕を掴んだ。


「ぐっ……うっ……!」

「おいおい、やめろよ。現在いまの俺じゃあ、お前に勝てないだろ。こんなところで、俺を殺したら、優等生のお前でも反省文じゃ済まないぞ。

 まだ、顔合わせしてからもないんだ。お手々繋いで、友好を深めるのも良いが、もう少し後でのお楽しみにしておこうぜ?」

「このゴミがァ……!!」


 拮抗きっこうする意思と意思。


 その狭間で、俺はつぶやいた。


「左手でサインしろ。

 さもなきゃ、俺は、概念構造クオリアハイツを買収して、お前のことを侍女メイドたちと同じように路頭に迷わせる」


 愕然がくぜんとクリスは俺を見上げて、俺は口端を曲げる。


「冗談を言うな……三条家がそこまでの金をお前に与える筈がない……このアタッシュケースの金も、どうせ、嘘っぱちだ……分家の連中から金を借りて、くだらない見栄みえで、私を誤魔化そうとし――」

「入金しろ。

 現時点で、替えられた分だけで良い」


 俺は、イヤホンマイクにささやいて、緋墨は画面ウィンドウを開き――新規口座の残高照会、その額面を見つめて、クリスはわなわなと身体を震わせた。


「ぎ、偽造だ……!!」

「緋墨」


 ため息をいた緋墨は、イヤホンマイクに指示を吹き込み……待機していたルビィとリイナが、大量のアタッシュケースを持ってきて、手際てぎわよくソレらを開いていき、その度にクリスの震えが大きくなる。


「こ、個人が!! ただの学生が、ココまでの金を得られるわけがない!! ニセモノだッ!! 偽造だ!!」

「一枚一枚、丁寧に調べさせてやろうか? 偽造かどうか、銀行の入出金履歴を見せてやれば満足するか? 支店長でも呼んできて、揉み手させながら説明させれば、この状況を理解して呑み込めるか?」

「あ、有り得ない……こ、個人が概念構造クオリアハイツを買収なんて……お、オーナーが認めるわけがない……」

「どうかな」


 俺は、クリスの腕を押さえつけたまま微笑む。


「この応接室まで、男の俺がトコトコ来れた時点で、そこらへんのいざこざは解決済みだとは思わないか?

 営利団体と化すってことは、結局のところ、金の魔力で動くようになるってことだ……純粋な魔法結社なら、目的と理念のために幾ら金を積まれようとも動かないだろうが……お前のつとめてるココは、そこらの企業と同じように見せかけのコンプライアンスとリスクコントロールの下で動いていて、ちょっとつつけばきな臭いことのひとつやふたつ、ぽろぽろ湧いて出てくるような場所なんだぜ……?」

「お、脅すつもりか!?」

「脅す? 失礼だな」


 俺は、満面の笑みでささやいた。


「実行まで移して、お前のことを破滅させるつもりなんだよ。

 お前が、俺のお友達として、依頼を受けてくれないならな」

「こんなことをして……こんなことをしてなにになる……お前の利益はなんだ……ココまでして、私を敵に回して、お前になんの得がある……!?」

「得だらけだろ」


 俺は、ニヤリと笑う。


「女の子は女の子同士で、幸せになれば良いんだよ。

 邪魔な男は粗大ゴミ置き場で、三角座りしてくれてれば、胸がスッキリしてよく眠れるんだ。悪いが、俺の快眠のために犠牲になってくれ」

「しょ、正気か、お前は……他人のために、なにをそこまで……?」

「他人のためじゃない」


 笑いながら、俺は、掴んだ腕に力をめる。


「百合のためだ」

「く……」


 力なく、クリスは項垂うなだれる。


「くそ……が……」


 そして、その場にひざをついた。


 数分後、ようやく我を取り戻したクリスは、ろくに文面も読まずにサインをして――去り際に、俺のことを黒々とした憎悪でにらみつける。


「必ず……お前を……殺す……」

「その態度、最高」


 素晴らしい敵意に拍手を送り、クリスは去っていった。


 彼女の姿が見えなくなった途端に。


 緋墨ひずみは「はぁ~」と息を吐いて、ぐったりと、ソファーに倒れ込む。


「こ、殺されるかと思った……あ、あんた、もう少し、言葉選びなさいよ……魔力探知のセキュリティゲートに引っかかるから、なにかあっても、シルフィエル様たちは助けに来れなかったんだからね……!?」

「リイナ、ルビィ、見てみて!! めっちゃ高い!! すげー遠くまで視える!!

 いやぁほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!(絶叫)」

「わっ……ほ、ホントだ……えへへ、すごい……!」

「カメラ、持ってくればよかったね。

 オレ、最近、新しいデジカメ欲しくてカタログ視ててさぁ」

「唐突に観光を始めるな……気疲れしてるのは私だけって……おい……この短期間で、概念構造クオリアハイツの買収交渉が終わるわけないんだから、初めから終わりまで、ただのハッタリだったんからね……?」

「そんなことは、クリスだって承知の上だろ。

 その上で、コイツらならやりかねないって思わせた俺らの勝ちだ」


 防音になっているせいか、オフィスの人たちは、騒いでいる俺たちに目を向けるようなことはなかった。


 観光を楽しんだ俺たちは、エレベーターに乗って階下に下りる。


「で、あの契約書、なにを書いてたの?」

「緋墨ならわかるだろ」


 緋墨は、苦笑する。


「『新入生歓迎会の警備依頼』とか?」


 俺は口笛を吹いて、マネしたリイナが「ひゅーひゅー」言っていた。


「あんたも意地の悪いこと考えるわね……わざわざ、脅しをかけてまで、潰そうとしてた歓迎会の警備をさせられるって」

「クリスが警備してくれれば、アイズベルト家も手が出せなくなってお得だからな」

「あのプライドの塊みたいなクリス・エッセ・アイズベルトの頭が、沸騰ふっとうしちゃうんじゃないの?」

「まぁ、良い機会だろ。

 直ぐ近くで、自分が追い出した侍女メイドの働きぶりと、妹が頑張って企画した歓迎会を見守ってもらえれば少しは感じ入るところもあるんじゃないか?」


 苦笑いしたまま、緋墨は壁にもたれる。


「どうだか。

 で、あのお金は、全部、本当にクリスにあげるの?」

「時給1100円」

「は?」


 スマホで、謎の曲線を見ているルビィを眺めながら俺は言う。


「時給1100円だよ。アイズベルト家から追い出された子たちが、現在いま、メイドカフェでもらってるお給金。

 だから、同じ額面、アイツには警備代を出すさ。たまには、お嬢様にも、お金の有り難みを感じてもらわないとな」

「あんた……本当に……」


 緋墨は、嬉しそうに微笑む。


「意地が悪いわね」

「ちなみに、コレ、どこぞの魔人のアイディアも混じってるんで」


 性格の悪さでは、ダントツで俺らの上を行く魔人アルスハリヤ様は、エレベーターの隅でふわふわ浮いていた。


「まぁ、でも、ココからが本番だ。

 後は、今回の俺の悪評を広めて、逆に功績こうせきを月檻に押し付けるだけ……くくっ、俺の百合IQ180が冴え渡るぜ……!!」

「「「…………」」」

「なんで、急にそっぽ向いて黙り込むの!? ねぇ!? おかしくない!? ココまで上手くいったんだから、上手くいくに決まってるじゃん!! ヒイロくんのこと、ちゃんと、信じてあげようよ!?」

「また、僕が手伝ってや――」

「黙れ、カスがァ!! 地獄通り越してマントルまで旅行に連れてくぞ、テメェ!?」


 こうして、俺は、障害物をひとつ取り除いて――次の日。


「やめろ、ばかぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 三条燈色、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「良いから、来なさいって!! 来なさい!!」


 なぜか、泣き喚く寮長ミュールを必死で引きずっていた。

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