不可視の矢《ニル・アロウ》
その弓矢には、弓が存在していなかった。
正確に言えば、一般に
それは、水で形成された美しい
ゆらゆらと、魔力が、彼女の右腕に
静かに――師匠は、口端を曲げる。
瞬間、
視えない。いや、視えないように細工されている。
不可視の矢は、大木の中心を捉えて
残ったのは、一粒の水滴だけで。
師匠の人差し指と中指の間。
そこにしがみついていた水滴は、ぴちょんと音を立てて地面に落ちる。
「
彼女は、微笑む。
「メリットはみっつ。
ひとつ、腕を弓と化すことで弓具の携帯を必要としない。
ふたつ、矢を必要としないので矢の携帯を必要としない。
みっつ――」
師匠は、人差し指を自分の口の前に立てる。
「この矢は、視えず、音も立てない」
「……すげぇ」
感嘆の声が漏れて、俺は頷く。
「確かに、コレなら、魔力量が足りなくて、二つ目の
「ふっふっふっ!」
腕を組んだ師匠は、鼻高々に笑う。
「どうですか! 貴方の師匠はスゴイんですよ、ヒイロ! 婚約解消する気になりましたか! こんな師匠を持てて幸せ者ですね!!」
「いや、本当に、あんたは……いや、貴女はスゴイよ……本来、ヒイロなんかの師になるべき存在じゃない……ただの凡俗なら、そこらの弓矢を渡してきて終わりだ……俺の要求を完全に叶えた上で、数倍上の提案をしてくる……」
「ま、愛弟子が、普通に褒めてくる……こ、こわい……」
アステミル・クルエ・ラ・キルリシア。
この
普通の弓の使い方を教えてくれと、俺は、凡俗丸出しのことを言った。
ゲーム内知識をもっており、
対して、師匠は、俺から話を聞いた直後には、
この
ありとあらゆる要素が絡み合って、一本の強者としての立場が備わっている。
――いずれ、私すらも超えるでしょう
本当に、俺が、この
「でも、ヒイロ、この
では、その問題とはなんでしょうか?」
「
満足そうに、師匠は頷いた。
「俺の使ってる九鬼正宗は3
『属性:水』、『生成:矢』、『操作:射出』――魔法で作った矢を飛ばすこと自体は、俺も考えたけど、近距離戦から中距離戦までカバーするには、
だから、俺は、普通の弓を使うつもりだった」
「近距離戦は
俺は、頷く。
「師匠が、無銘墓碑を使ってるのも同じような理由だろ?」
「いえ、アレは、ただのハンディキャップです。
私、強いので (ドヤァ)」
うっざぁ^^
「でも、師匠がわざわざ、この
「正解。
でも、さすがに、その方法はヒイロにも思いつかな――」
「弾帯だ」
ゆっくりと。
師匠は、驚愕で目を見開いた。
「ぐるりと、こう、射出の起点となる弓……つまり、腕の周りを囲むように
この時点で必要なのは、『属性:水』、『生成:矢』の2
俺は「ココまでワンステップ」と前置いて、二本目の指を立てる。
「で、弾帯を生み出し終えたら、
魔力さえ保つことが出来れば、
師匠は、笑った。
「良い……」
そして、俺の頭を抱え込んで、めちゃくちゃに撫でてくる。
「その
「……そう言うの、ラピスとやってくんない」
ぎゅうぎゅうと。
柔らかいやら良い匂いするやらで、男にとっては毒の可愛がりをこなしてから、師匠は嬉しそうに微笑む。
「大体、矢が消えるトリックもわかったよ」
「……は?」
呆然とした師匠を離してから、俺は、
息を吸って、吐いて。
水矢を形成する――が、安定しない。
水の
ぐにょぐにょに曲がった矢は、まともに飛ぶとは思えないくらいの代物だった。そんな出来でも、魔力をぐんぐん吸われて、眼の前がちかちかと点灯する。
飽くまでも、
『生成:矢』の
だが、矢は……
「…………ッ!!」
射出台となっている腕も安定せず、上手く狙いがつけられていないせいか。
俺が撃った水矢は、明後日の方向に着弾した。
そう、着弾した。
腕裏に付いている水矢はそのままで、あたかも撃っていないかのような状態で、狙いから外れた大木に浅い穴が空く。
それを視た師匠は「……まさか」と、声を漏らした。
「全然、ダメだわ。死ぬ。弾帯とか調子にノッてたけど、二本、安定させるのにもしんどすぎてまともに使える気がしない。
つーか、そもそも、相手に当たるとは思えな――」
「たった、一度」
師匠は、まるで、幽霊を目撃したかのような目つきで俺を視る。
「たった、一度、視ただけで……
「え、うん。師匠の撃ち方と同じかはわからないけど」
俺は、魔力切れに近い症状、
「実際には、アレって、水矢の生成を二度繰り返してるんでしょ。
つまり、矢を腕裏に生成するのが一度目。その次に射出で飛ばして、魔力を軌道に乗せた状態で水矢の生成を解除……軌道に乗った魔力が着弾した時点で、もう一度、水矢の生成を行えば相手には軌道が視えない」
空気中には、魔力……つまり、魔術演算子が大量に散らばっており、一度、ソレに混じってしまえば魔力の痕跡を追うことは難しい。
だから、相手には、魔力の軌道が視えない。
それこそが、
「でも、勘の良い相手はネタに気づくかもしれない。
だから、二本、重なる形で水矢を生み出して、一本は撃たずに視える囮にして、もう一本を撃てばかなり相手は混乱するかなって」
「…………ふっ、ふふっ」
ぞくりと、背筋が寒くなる。
両目を光らせた師匠は、息を荒げながら、俺を見つめていた。
「最高だ……最高じゃないですか、この素材は……どこまでも……どこまでも、強くなる……才能の塊……天才……私の愛弟子……誰の弟子よりも賢くて強く、カワイイ……ふふっ……もっと、強くしてやる……もっともっと……」
俺は、がしりと、師匠に肩を掴まれる。
「あ、あの、師匠、俺、もう今日は魔力切――」
「今夜は寝かせませんよ(イケボ)」
「いや、あの、今、朝だし昼間は俺、学園が……し、師匠……なぜ、真剣を……剣術の基礎は、素振りからって……ちょ、ちょっとまっ――」
ぁあ~^^(定期死)
たっぷり、師匠に絞られてから。
俺は、放課後に戻るからと、どうにか師匠を説得して鍛錬を抜け出す。
息も絶え絶えに、既に閉まっていた学園の門を飛び越えて、どうにか授業に間に合いそうだと思った時――着地して、彼女と目が合った。
「ヒイロ」
もしかして、俺を待っていたのだろうか。
「ちょっと、付き合って」
有無を言わさない雰囲気。
「お、おう」
俺は、彼女の空気に引きずられるようにして……その背中に付いていった。