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不可視の矢《ニル・アロウ》

 その弓矢には、弓が存在していなかった。


 正確に言えば、一般に想像イメージされる弓は存在していなかった。


 師匠アステミルの腕の裏に、一本の矢が張り付いている。


 それは、水で形成された美しい一矢いっしだ。


 ゆらゆらと、魔力が、彼女の右腕にまとわりついている。怖気がはしる程に、膨大な魔力がゆらぎとなって、周囲の空気が曲がっているように視えた。


 静かに――師匠は、口端を曲げる。


 瞬間、穿うがたれる。


 視えない。いや、視えないように細工されている。


 不可視の矢は、大木の中心を捉えて穿うがち、ぽっかりと空洞を生み出していた。射出音は聞こえず、ただ、無音のうちに穴が生まれた。


 残ったのは、一粒の水滴だけで。


 師匠の人差し指と中指の間。


 そこにしがみついていた水滴は、ぴちょんと音を立てて地面に落ちる。


不可視の矢(ニル・アロウ)


 彼女は、微笑む。


「メリットはみっつ。

 ひとつ、腕を弓と化すことで弓具の携帯を必要としない。

 ふたつ、矢を必要としないので矢の携帯を必要としない。

 みっつ――」


 師匠は、人差し指を自分の口の前に立てる。


「この矢は、視えず、音も立てない」

「……すげぇ」


 感嘆の声が漏れて、俺は頷く。


「確かに、コレなら、魔力量が足りなくて、二つ目の魔導触媒器マジックデバイスを使えないって問題はクリア出来る……水属性の魔法の鍛錬も兼ねてるし、刀から弓に持ち変える必要性がない……近距離から中距離をカバーしたい俺の要望にかなってる……」

「ふっふっふっ!」


 腕を組んだ師匠は、鼻高々に笑う。


「どうですか! 貴方の師匠はスゴイんですよ、ヒイロ! 婚約解消する気になりましたか! こんな師匠を持てて幸せ者ですね!!」

「いや、本当に、あんたは……いや、貴女はスゴイよ……本来、ヒイロなんかの師になるべき存在じゃない……ただの凡俗なら、そこらの弓矢を渡してきて終わりだ……俺の要求を完全に叶えた上で、数倍上の提案をしてくる……」

「ま、愛弟子が、普通に褒めてくる……こ、こわい……」


 アステミル・クルエ・ラ・キルリシア。


 この女性ひとは、ただ、強いだけじゃない。最善手を惜しみなく出してくる。


 不可視の矢(ニル・アロウ)……確かに、俺の状況をかんがみても、この一手しか存在しないように思える。


 普通の弓の使い方を教えてくれと、俺は、凡俗丸出しのことを言った。


 ゲーム内知識をもっており、不可視の矢(ニル・アロウ)の存在を知っていたにも関わらず……だ。


 対して、師匠は、俺から話を聞いた直後には、不可視の矢(ニル・アロウ)を教えようと決めていた筈だ。普通の弓矢を使わせるつもりなら、俺が魔力切れでダウンしていようとも、基本的な構えや撃ち方くらいは教えられたのだから。


 この女性ひとの強さは、複合的なものだ。


 ありとあらゆる要素が絡み合って、一本の強者としての立場が備わっている。


 ――いずれ、私すらも超えるでしょう


 本当に、俺が、この女性ひとを超える日なんてくるのか?


「でも、ヒイロ、この不可視の矢(ニル・アロウ)にはひとつの大きな問題がある。と言うよりも、その問題のせいで、貴方は『普通の弓を教えてくれ』と言ってきた筈です。

 では、その問題とはなんでしょうか?」

式枠スロットだ」


 満足そうに、師匠は頷いた。


「俺の使ってる九鬼正宗は3式枠スロ……この不可視の矢(ニル・アロウ)を使うには、最低でも、3式枠スロ導体コンソールで埋める必要がある。

 『属性:水』、『生成:矢』、『操作:射出』――魔法で作った矢を飛ばすこと自体は、俺も考えたけど、近距離戦から中距離戦までカバーするには、導体コンソールの付け替えが必須になるのは致命的過ぎる。

 だから、俺は、普通の弓を使うつもりだった」

「近距離戦は魔導触媒器マジックデバイス、中距離戦は普通の弓矢を使うということですね?」


 俺は、頷く。


「師匠が、無銘墓碑を使ってるのも同じような理由だろ?」

「いえ、アレは、ただのハンディキャップです。

 私、強いので (ドヤァ)」


 うっざぁ^^


「でも、師匠がわざわざ、この不可視の矢(ニル・アロウ)を提案してきたってことは……式枠スロットの問題を解決出来る方法があるからだろ?」

「正解。

 でも、さすがに、その方法はヒイロにも思いつかな――」

「弾帯だ」


 ゆっくりと。


 師匠は、驚愕で目を見開いた。


「ぐるりと、こう、射出の起点となる弓……つまり、腕の周りを囲むように不可視の矢(ニル・アロウ)を生み出しておく。コレが、弾帯。

 この時点で必要なのは、『属性:水』、『生成:矢』の2式枠スロ。1式枠スロ余るから、無属性の刀身くらいは生み出せる。この矢の作成の時点では、中距離を保って防御に専念、もし距離を縮められても無属性の刀で牽制けんせい出来る」


 俺は「ココまでワンステップ」と前置いて、二本目の指を立てる。


「で、弾帯を生み出し終えたら、導体コンソールを付け替え、1式枠スロを使って『操作:射出』をセットしておく。

 魔力さえ保つことが出来れば、何時いつでも、不可視の矢(ニル・アロウ)を撃てるようになるし、2式枠スロ余ってるから近距離戦にも対応出来る。むしろ、この準備万端の状態で攻めに転じる」


 師匠は、笑った。


「良い……」


 そして、俺の頭を抱え込んで、めちゃくちゃに撫でてくる。


「その感覚センス!! その感覚センスですよ、ヒイロ!! 愛弟子!! 愛弟子ですね、愛弟子!! ラピスも天才だと思いましたが、貴方もまた、天才天才天才!! カワイイ!! なんて、カワイイんですか、ヒイロ!!」

「……そう言うの、ラピスとやってくんない」


 ぎゅうぎゅうと。


 柔らかいやら良い匂いするやらで、男にとっては毒の可愛がりをこなしてから、師匠は嬉しそうに微笑む。


「大体、矢が消えるトリックもわかったよ」

「……は?」


 呆然とした師匠を離してから、俺は、魔導触媒器マジックデバイスに必要な導体コンソールめる。


 息を吸って、吐いて。


 水矢を形成する――が、安定しない。


 水の属性能力値パラメーターが足りないせいだろうか。


 ぐにょぐにょに曲がった矢は、まともに飛ぶとは思えないくらいの代物だった。そんな出来でも、魔力をぐんぐん吸われて、眼の前がちかちかと点灯する。


 飽くまでも、導体コンソールは、魔法士の脳で行われる想像演算イメージ・ディティールの補助に過ぎない。


 『生成:矢』の導体コンソールめたところで、それがどのような矢なのかは、魔法士の想像イメージゆだねられる。


 光玉ライトは、ただの球だったから、想像イメージが楽だった。


 だが、矢は……馴染なじみがないし、どのように飛ぶのか、想像イメージきづらい。


 想像イメージが適当なので、こんな子供の落書きみたいな一品が出来上がるのも当然だ。


「…………ッ!!」


 射出台となっている腕も安定せず、上手く狙いがつけられていないせいか。


 俺が撃った水矢は、明後日の方向に着弾した。


 そう、着弾した。


 腕裏に付いている水矢はそのままで、あたかも撃っていないかのような状態で、狙いから外れた大木に浅い穴が空く。


 それを視た師匠は「……まさか」と、声を漏らした。


「全然、ダメだわ。死ぬ。弾帯とか調子にノッてたけど、二本、安定させるのにもしんどすぎてまともに使える気がしない。

 つーか、そもそも、相手に当たるとは思えな――」

「たった、一度」


 師匠は、まるで、幽霊を目撃したかのような目つきで俺を視る。


「たった、一度、視ただけで……不可視の矢(ニル・アロウ)の撃ち方を理解して……しかも、応用までしましたね……?」

「え、うん。師匠の撃ち方と同じかはわからないけど」


 俺は、魔力切れに近い症状、倦怠感けんたいかんを覚えながら言った。


「実際には、アレって、水矢の生成を二度繰り返してるんでしょ。

 つまり、矢を腕裏に生成するのが一度目。その次に射出で飛ばして、魔力を軌道に乗せた状態で水矢の生成を解除……軌道に乗った魔力が着弾した時点で、もう一度、水矢の生成を行えば相手には軌道が視えない」


 空気中には、魔力……つまり、魔術演算子が大量に散らばっており、一度、ソレに混じってしまえば魔力の痕跡を追うことは難しい。


 だから、相手には、魔力の軌道が視えない。


 それこそが、不可視の矢(ニル・アロウ)擬態トリックである。


「でも、勘の良い相手はネタに気づくかもしれない。

 だから、二本、重なる形で水矢を生み出して、一本は撃たずに視える囮にして、もう一本を撃てばかなり相手は混乱するかなって」

「…………ふっ、ふふっ」


 ぞくりと、背筋が寒くなる。


 両目を光らせた師匠は、息を荒げながら、俺を見つめていた。


「最高だ……最高じゃないですか、この素材は……どこまでも……どこまでも、強くなる……才能の塊……天才……私の愛弟子……誰の弟子よりも賢くて強く、カワイイ……ふふっ……もっと、強くしてやる……もっともっと……」


 俺は、がしりと、師匠に肩を掴まれる。


「あ、あの、師匠、俺、もう今日は魔力切――」

「今夜は寝かせませんよ(イケボ)」

「いや、あの、今、朝だし昼間は俺、学園が……し、師匠……なぜ、真剣を……剣術の基礎は、素振りからって……ちょ、ちょっとまっ――」


 ぁあ~^^(定期死)


 たっぷり、師匠に絞られてから。


 俺は、放課後に戻るからと、どうにか師匠を説得して鍛錬を抜け出す。


 息も絶え絶えに、既に閉まっていた学園の門を飛び越えて、どうにか授業に間に合いそうだと思った時――着地して、彼女と目が合った。


「ヒイロ」


 もしかして、俺を待っていたのだろうか。


 何時いつになく、真剣な顔をしたラピスがささやいた。


「ちょっと、付き合って」


 有無を言わさない雰囲気。


「お、おう」


 俺は、彼女の空気に引きずられるようにして……その背中に付いていった。

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