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91.片や、片や

2021/12/28 修正しました。










 本日の授業も無事終了した。


 今現在、授業内容は「氷面(ア・エゥラ)」の訓練を兼ねた実験が続いている。


 凍りやすい液体、凍らせやすい物質。

 凍らせづらい触媒、凍らない触媒。


 ジェニエは一つ一つ丁寧に教えていて、クノンも三級クラスに混じってそれをやっている。


 氷の動きは興味深い。

 クノンは充実した時間を過ごしていた。


 そんな時だった。


「――えっ!? 学校辞めるの!?」


 さっさと帰ろうとする隣のリム・レースを捕まえ、雑談を振ってみたところ。

 話の流れで、クノンは驚愕した。


「ほんとに!? 冗談じゃなくて!?」


 なんとリムは、今度の夏……入学から一年で、このディラシック魔術学校を辞めるつもりなのだそうだ。


 人にはそれぞれ事情がある。

 彼女にもきっと、この魔術学校に通い続けることができない事情があるのだろう。

 それはわかる。


 しかしそれでも、クノンは驚かずにはいられない。

 そして惜しまずにはいられない。


 三級クラスは、学費も生活費も魔術学校が面倒を見てくれるそうだ。


 門は広く開かれており、個々が抱える事情の半分くらいに対応している。


 たとえ家庭の事情で魔術師として学ぶ機会がなくとも。

 今ここに学ぶ機会はあるのだ。


「別に珍しくないんだよ、三級ではね」


 そう言ったのは、リムと一緒に帰ろうと近くにいた、リムの友人の女子である。

 女友達の女友達なので、クノンはもう彼女とも友達である。


「え、じゃあ君も辞めるの!?」


「私は……わかんないけど。でも一ツ星は……」


 言いづらそうに口ごもる彼女を継いで、リムが答えた。


「一ツ星は魔術師として一番才能ないでしょ?

 だったら何年も通って特に身に付かない魔術をがんばるより、初歩の魔術だけ覚えて普通に働こうかな、って」


 言いたいことはわかる。

 クノンだって、案件によっては早めに諦めることもある。


「実際、私は初歩の『水球(ア・オリ)』さえまともに使えない。だったら長々続けるより早めに見切りをつけた方がいいでしょ」


 だが、魔術に関してだけは違う。

 その判断を選ぶ人がいることが、信じられない。


「才能の有無は別じゃない? 僕は、魔術師のランクって総魔力量の差くらいしかない、って学んだんだけど」


 そして己の経験則で言うと、魔力量は大した問題ではないと思う。


 大量の魔力を消費する大魔術を使う機会なんて、日常生活には滅多にない。

 それよりは、器用にいろんなことができた方が有用性は高いだろう。


 それこそ、個々の魔術師しか使えないオリジナル魔術の開発と習得こそ、魔術師としての成功に繋がると思う。

 魔術師の才は、決して魔力量の大小ではない。


 ――今が戦国の世なら、また話は違うのかもしれないが。


「じゃあ私は普通に魔術の才能がないんじゃない?」


 リムはそう言って、友達と一緒に教室を出ていった。


 その言葉には気負いもなく、気にする素振りもなかった。

 ただ事実を述べただけで、感情が入っていなかった。


「……あ、そうかぁ」


 クノンは理解した。


 リムには魔術に対する思い入れがないのだろう。

 だからもう諦めてしまったのだ。


 魔術にしがみついてすがるしかなかったクノンとは、根本的に違うのだ。

 それがわかった。わかってしまった。


 特級クラスでは感じたことがなかった温度差である。


 クノンは戸惑い、少し寂しくなった。


 やはり特級クラスは、良くも悪くも、魔術に入れ込んだ集団なのだ。

 そんな集団の中にいたから、余計に。


 リムのように魔術に思いがない人がいるだなんて、想像もしなかった。 


 世の中いろんな人がいる。

 魔術が使えるのに魔術師としての道を捨てる人がいるのも、きっと、不思議ではないのだろう。


 ただただ、惜しまずにはいられないが。





「――クノン。ちょっといいかな」


 なんとなくやるせなくなってしまったクノンに、まだ教室に残っていた三級の生徒が声を掛けてきた。


「ん? あ、グリフスだ」


 誰かと思えば、リムと同じく一ツ星の魔術師グリフス・キーヴァだった。


「あ、うん。……俺の名前覚えてたんだ」


 クノンは特級クラスの生徒である。

 別に隠すようなことでもないので本人が認め、その事実はすでに知られている。


 最初は「何しに来たんだこいつ」みたいな視線を集めたクノンだが。


 真面目に授業と実習に挑み、三級の生徒たちの様子を見ては楽しそうに声を掛ける姿に、早くも馴染みつつある。


 決してバカにしているわけでもなく、見下しに来ているわけでもない。

 クノンの態度でそれはすぐにわかった。


「君のことは気になっていたからね。君の『水球(ア・オリ)』も球体じゃないよね。興味深いよ」


 そう、この三級クラスでリムと並んで気になる人物の一人が、彼だ。


 しかしクノンは、男に声を掛けるよりは女性に声を掛けたい。

 しかもすぐ隣にいる。

 だから紳士としてリムの方を注視していた。


 だが、このグリフスのことだってちゃんと気になっていた。

 いずれ話をしたいと思っていたのだ。


「ああ、なんか、俺の『水球(ア・オリ)』は球体にならないんだ」


 リムの「水球(ア・オリ)」は、ずっとぐにゃぐにゃ変化を続ける。

 不思議な現象だけにとても興味を引かれた。


 グリフスの「水球(ア・オリ)」は、形こそ動くことはないが、球体ではない。

 楕円だったり厚みがなかったり角が立っていたりと、不揃いな形で発生する。


 あんなの注目せざるを得ないだろう。


「ちょっと時間ある? 俺に『水球(ア・オリ)』を教えてくれないか?」


「もちろん――いや待った」


 まさかの用件だった。


 まさか観察対象が向こうからお土産を持ってやってくるとは思わなかったこれはチャンス!

 ……と思ったが、クノンは踏み止まった。


「ジェニエ先生には聞いた? 僕より先生に頼んだ方がいいと思うよ」


 魔術と女性には真摯であり紳士でいたい。


 己が独断で教えるより、ちゃんと教えられる人に委ねた方がいいだろう。

 下手に教えて、変な癖でも付いたら大変だ。


「聞いたよ。相談もした。でも先生、自分の力でがんばってみろって言ったんだ」


 なるほど――クノンはジェニエの意図に気づいた。


 昨日、自分がサトリに問われた問題の答えだ。

 個性を殺して定型魔術として習得するのか、それとも個性を伸ばすのか。


 昨日は答えられなかったが。

 ゆっくり考えて、クノンも自分なりに答えを見つけた。


 ――ジェニエは、いや、ジェニエを導くサトリは、きっと「両方」を選ぶだろう。自分の結論もそうだ。


 両方というのは、個性的な魔術を習得してから、普通の定型魔術も習得する。

 どちらも修めるという意味だ。


 どちらかを切り捨てる必要などない。

 二者択一である必要はないのである。


「あのね、グリフス」


「ああ」


「君はまず、今自分が使える『水球(ア・オリ)』を完全に習得することだ」


「……だから、それができないから相談してるんだよ。先生も教えてくれないし……」


 不満に苛立ち。

 入学して半年が経つ今、初歩で躓いていると思っているグリフスは、焦りも感じているのだろう。


 リムのように一年で辞める気はないのだ。

 きっと来年は、二級クラスに上がるつもりなのだろう。


 片や辞めることを決め、片やこうして足掻こうとしている。


 どちらが正しいというのはない。

 が、クノンはその魔術に入れ込む気持ちが嬉しかった。


「はっきり言うけど――」


 と、クノンは「水球」を生み出す。


「そもそも『水球(ア・オリ)』に決まった形なんてないんだよ。だから君が今使える魔術も、別に間違ってはいないんだ。

 ただ言えるのは、君はまだちゃんと習得してないってことだよ」


「水球」がぐにゃりと形を変える。


 ネズミになる。

 次は鳥。

 蝶。

 チーズ。

 林檎。

 犬。

 金貨。

 女子の間で人気のル・プリームの香水。

 牛の頭。


「ね? ちゃんと習得すれば、形なんていくらでも変えられるんだよ。

 色だって付けられるし、匂いもつけられる」


「……」


 グリフスは唖然と、目の前で形を変える「水球(ア・オリ)」を見ていた。


 いや、もはやこれを「水球」と言っていいのかどうか。

 色のついた動物は脈打つ生物のようだし、物質の光沢も本物さながらだ。


 そして机の上にドンと置かれた牛の頭に引いていた。

 このリアルな質感。大きさ。


 もう意味がわからない。

 そもそも牛の頭を選んだ理由もわからない。


「だから先生は、まず自分の力でがんばれって言ったんだよ。

 君の『水球(ア・オリ)』は形どうこうの問題じゃなくて、習得しきれてないから。話は習得してからってことだよ」


「そ、そう、か……」


 グリフスは己を恥じた。


 魔術を究めるとはこういうことか。

 初歩の魔術一つとっても、使い手によってこれほど差があるのか。


水球(ア・オリ)」など、ただの初歩の魔術だと内心バカにしていた。

 他の魔術なら普通に使えるだけに、いずれ使えるようになるだろうと、練習に身を入れてやっていなかったのもある。


 クノンの「水球(ア・オリ)」は桁が違う。

 本人が言った通り、自分はまだ「水球(ア・オリ)」を習得したなどと、口が裂けても言えないことが、よくわかった。


 意識が変わる。

 この小さなきっかけを経て、グリフスの魔術に対する気持ちが変わる。





 要するに、タイミングが非常に悪かった。


 グリフスは今、一番心に響く状態になっていた。

 だからである。


「ちゃんと習得できたら、これくらいは簡単にできるようになるからね。がんばって」


 クノンのこの言葉は嘘である。

 いや、正確には、間違いであり勘違いである。


 クノンは彼我の実力差というものが、よくわかっていない。

 ある程度はできるかな、とは自覚しているが――


 己の「水球(ア・オリ)」がどれほど異常なのかは、理解していない。

 それゆえの間違いだった。


 これくらいがんばれば誰でもできるよ、と本気で思っていた。

 実際自分はできるのだから、と。


 根拠としては、特級クラスには自分よりできる人がたくさんいることを知っているからだ。


「……わかった! ありがとう! 俺がんばるよ!」


 そして間違った言葉を真に受けて、グリフスは奮起した。

 牛のつぶらな瞳に見詰められながら奮起した。


 彼はクノンの言葉を信じた。

 ちゃんと「水球(ア・オリ)」を習得したらあれくらい簡単にできるんだ、と勘違いしたのだ。





 グリフス・キーヴァ。

 この時より、長い長い初歩魔術との戦いが始まった。




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