89.予想はしてたけど一瞬だった
「――ほうほう。面白かったか。そりゃよかった」
授業が終わった。
クノンはジェニエとともに、食堂で昼食を貰ってサトリ・グルッケの研究室にやってきた。
そして、サトリに問われた。
ジェニエの授業はどうだったか、と。
クノンの答えは「面白かったし興味深かった」だった。
「先生の授業も懐かしかったけど、三級の生徒たちもすごく面白かった。とても興味深い体験でした」
特級クラスはないが、二級と三級には授業がある。
だが、どちらも午前中で終わり、午後からは自由時間となる。
自習するもよし、働くもよし、実験するもよし。
程々に遊ぶもよしである。
「何が一番興味深かった?」
「やっぱり魔術の差ですね。魔術の個体差、というか。定型魔術なのに、あんなに個人差が出るなんて知りませんでした」
魔術はキーワードで発動する。
キーワードを唱えることで魔力で紋章が描かれ、魔術が発動する。
これが定型魔術。
基本となる魔術である。
「僕は最初から『
こんなことを語るのも懐かしいが。
感傷もそこそこに、クノンは言葉を続ける。
「でも、三級クラスの生徒の『
定型魔術でこんなに差が出るなんて、想像もしていなかったです」
――この理屈は、むしろ初心者だから、素人同然の初級だから起こりうる現象だった。
魔術が上達すればするほど、それは洗練されていく。
その結果、理想の形に辿り着くのだ。
簡単に言うと、弓を引いて的に当たるのが玄人。
的をはずし予想外のところに飛ぶのが素人、という具合だろうか。
そうなるはずのものが、そうならない。
そこにクノンは強い関心を持った。
オリジナリティ溢れるやり方なら、その限りではないのだが。
定型魔術で定型とは異なる魔術が出るのは、理屈に添わないのだ。
「ふむ。原因はなんだと思うね?」
「なんだろう? ……魔力操作? いや、魔力不順かな? 紋章を描く魔力の供給が、魔力不順で勝手に強弱ついちゃうから? だから定型なのにオリジナルになってしまうとか」
紋章を描く魔力に斑がある、というのが原因ではないか。
クノンはそう予想した。
そしてサトリはニヤリと笑う。
「――あんた本当に優秀だね。そこらの準教師よりは確実にできるね」
どうやら及第点の答えだったようだ。
「トンビが鷹を生んだかい? なあジェニエ」
「クノン君は私の教え子ですけど、
と、憮然とした顔のジェニエはティーポットを持ってやってきて、カップに香草茶を注いだ。
これから昼食である。
「僕はジェニエ先生に似ましたけど!? あの人書類仕事ばかりやらせましたからね!」
そう言われても、師の数だけ教え方があるので、なんとも言いづらいが。
クノンを三級クラスの授業に誘ったジェニエは、サトリの思想を強く継いでいる。
サトリ・グルッケ。
数年前まで、実験と研究と自主鍛錬に夢中で、
教師とは名ばかりで、自分の研究に没頭していた。
まあそんな教師も、ここでは珍しくないのだが。
そんな彼女は、少々重い病気を患った。
約一年をかけて完治したその時、サトリの価値観は大きく変わっていた。
――自分の知識や推測、発見を、後世に残さなくていいのか、と。
それは、病によりはっきり死を意識したが故の、意識の変化だった。
本を書き始めたのは、それからだ。
後進の育成に力を入れ始めたのも、サトリを訪ねてきた生徒の質問に向き合うようになったのも、それからだ。
たとえ自分が死んでも、自分の足跡は残る。
今まで実験だの研究だのに現を抜かした結果、辿り着いた色々なものをこの世に残す。
散々好き勝手やって生きて、最後に「あー面白かった」だけで終わらないように。
それはとても幸せな人生かもしれない。
しかし、研究者としてはそれではいけない。
自分が歩む足掛かりを、知識を残して逝った先人たちに、申し訳ないから。
紡いだ知識は未来へ繋がねばならない。
そんな思考を定めたサトリは、教育に取り組むようになった。
そして――そんな彼女の弟子であるジェニエも、多分に影響を受けている。
「ここからが問題なのさ、クノンよ」
食堂で貰ってきたサンドイッチを食べながら、サトリは言う。
「あんたが言うところの『興味深い魔術』をどうするべきか。
ちゃんと球体にするよう教えるのか、それともそのままで伸ばしてやるのか。
あんたはどっちがいいと思う?」
「……、わかりません」
クノンは長考して、答えを出せなかった。
要は、今ある個性を殺すのかどうか、という話だ。
矯正はできるだろう。
従来の、皆が知っている、球体の「
だが、するべきなのか?
魔術に正解など存在するのか?
その問いなら、存在しないと言い切れる。
では、この問題は?
従来と違う定型魔術を、定型じゃないからと否定していいのか?
クノンには判断することができない。
「というか、それは答えがある質問じゃないです」
「だよなぁ?」
「はい」
「面白いよなぁ、魔術って。この歳になってもまだまだあたしの知らないことが山のようさ」
「いいですよね、発見することがたくさんあるって。わくわくしますね」
ふっふっふっ、と笑い合う二人。
――仲いいなぁ、と思いながらジェニエはそんな二人を見ていた。
昼食を終えたら、約束の個人的な授業である。
外へ出てきたジェニエとクノン。
ついでに、見学と称してついてきたサトリもいる。
「じゃあ先生、僕に『
「はい。……まあ、教えるって言ってもなぁ」
クノンなら習得に一秒も掛からないだろうが。
「もう知ってると思うけど、改めて言うね。
『
そこで言葉を切り、ジェニエは「
ドバッ、と結構な勢いの水が水平に飛び、それなりの距離で地面を濡らした。
「特徴は、水が一直線に飛ぶこと。水がずっと出ること。任意で飛距離を伸ばすこともできます。
クノン君、これは攻撃性が高い魔術だからね。
私なんかじゃ人を吹き飛ばすくらいだけど、クノン君がやると…………まあ、なんかすごいことになる可能性が高いから。注意してね」
この魔術そのものの危険性は低い。
そこそこの勢いの水が当たるだけなので、殺傷力という点ではかなり低い。
だが、クノンがこれをどう変化させるか。
それがジェニエには想像もつかない。
魔術自体の動きが単純なだけに、きっとクノンなら、恐ろしいオリジナリティを付加することだろう。
そんな未来しか想像できない。
「じゃあやってみてね」
「はい――『
ドバッ、と出た。
定型魔術なので、ここまではジェニエと似たり寄ったりである。
「へえ、ほう。なるほど、魔力はこんな感じに動くのか」
二、三回ほどドババッとやったところで、クノンは「わかった」と頷いた。
自分で納得できる程度には習得したようだ。
元々下地がしっかりしているので、まあ、予想通りの習得の早さである。
「ちなみに、どんな変化をつけたい?」
軽い気持ちで問うと、「そうだなぁ……」とクノンは腕を組む。
「せっかくだし直角に何度も曲げてみたいなぁ。水を圧縮して細く出したりすると何か切れたりしませんかね? あ、水の中に氷を混ぜたら普通にできそう。推進力みたいなのも生みそうだけど今はあんまり意味ないかな。あ、遠隔操作は絶対面白いと思う。僕からじゃなくて、どこかよそから水が飛んだら楽しそう。
うーん。もうちょっとなんかできそうだなぁ。普通に飛ばすだけじゃ面白くないなぁ」
出た。
全然もう意味がわからない奴だ。
今修得したばかりなのにもうこんなに考えついている。恐ろしい子。
これがクノンだ。
本当に変わっていない……というより、以前より成長している。
「――ふふっ。はっはっはっ」
余計な口は挟まず見ていたサトリが歩み寄ってきた。
「クノン。あんたがやりたいのは、こういうのかい?」
サトリの「
まっすぐ飛ぶ水が、ガクンガクンと直角に曲がる。
その軌道は、直線で点を辿るようにして渦を巻いて走り――最後は真上に曲がって雨を降らせた。
さすがである。
この大胆かつ繊細な魔力操作は、なかなかできるものではない。
やはり師はすごい、とジェニエは思った。
「あ、すごーい。もう一回、もう一回」
「ほら」
「お、なるほど。うん。こう? ――あ、意外と簡単」
そして、二度見ただけで再現するクノン。
「――ほら見ろ、さながら水龍のようだろ!? あんたに真似できるかね!?」
「――見えないけどなんの! 僕は巨大水ミミズで対抗だ!」
「――巨大水ミミズ!?」
「……」
ジェニエは遠い目をしていた。
これなら最初からサトリが教えたらよかったのではないか。
自分が教える意味があったのか。
一瞬で師を追い抜いた弟子と、孫と遊んでいるかのような師を、ただただ遠い目で眺めるだけだった。