84.皮算用と、それから
「――でね、結局二千万くらいにしかならなかったんだよね」
それはそれで高額ではあるのだが。
しかし、カシスがざっと計算していた五千万ネッカの半分以下となった。
「それで納得したのですか?」
聖女の問いに、クノンは霊草関係の書類を読みながら頷く。
「僕は全然構わないよ。でも返事は僕じゃなくてチームリーダーがしたんだけどね。事後報告を聞いただけだよ」
難破船が沈んでいた場所は、聖教国の端の海域。
それだけに、あの船は聖教国の船であったことが判明した。
法的には拾得物は拾った者の物になるはずだった。
だが、聖教国から引き渡し要請が来たのだ。
拾得物の一切は自分たちの物だから渡すように、と。
そしてこの学校の教師陣から、「今後のことを考えたらここは譲れ」という聖教国側を後押しする声が上がり。
結局、ユシータは聖教国へ引き渡すことを決めた。
そして、宝石や貴金属の売買ではなく、拾ってくれた謝礼として、二千万ネッカを貰うことになった――とクノンは聞いた。
これに関しては、絶対に意見が割れるだろうしどっちに決まっても文句が出ると判断して、ユシータがリーダー権限で決定したそうだ。
教師陣の声もあった以上、突っぱねるのは難しかったのだろうと思う。
それに、今後の聖教国と魔術学校の関係も、地味に悪化しそうだったから。魔術師全体が睨まれたら却って損害の方が大きくなりそうだ。
今回は、目先のお金よりは穏便に済んだ方がよかったのだろう、とクノンは判断している。
カシス辺りは最近荒れているらしいが。
収入を期待して、色々と欲しい物もあったのだろう。
「我が国のことながら申し訳ないです」
言葉こそ謝っているが、若干他人事のように見える点は、相変わらず聖女らしいところである。
海での実験が落ち着き、数日が経ったある日。
霊草シ・シルラ関係の細々した用事を済ませるため、クノンは久しぶりに聖女の教室を訪れた。
「レイエス嬢、久しぶり――あ、鉢植えが増えてる」
挨拶を中断して増えた鉢植えの様子を見に行く辺り、クノンも相変わらずである。
「この葉っぱは人参かな? こっちはカブかな? 野菜を育ててるの?」
背中を向けているクノンに、聖女は読んでいた本を閉じて答える。
「ええ。せっかくスペースがあるので、霊草以外も育ててみようかと思いまして」
結界の力で、霊草の栽培は成功した。
ならば、同じ条件で普通の野菜や薬草、香草などを育てたらどうなるだろうか。
聖女には豊穣の力もあると言われている。
あくまでも伝承に残っているだけで、具体的な効果や使い方まではわからない。
その辺の模索も兼ねて、聖女なりに実験を始めたのである。
「養殖池はどうなったの? そろそろできそう?」
「いえ、残念ながら許可が下りませんでした。過去、この学校にはすでに養殖池があったそうですが、その池で事故が起こったとかなんとか」
なんだか聞いたことがある話を、クノンは「ふーん」とあまり興味なさそうに聞き流す。
「そちらはどうですか? 噂では、難破船を調査しに行ったと聞いていますが」
「ああ、そうなんだよ。実は――」
終わるまでは、実験テーマを外部に漏らすことはできなかった。
だが、終わった今なら問題ない。
鉢植えの観察を切り上げたクノンは、「水の中で呼吸する方法」チームで行った実験や、その顛末を語った。
霊草関係の仕事をしながら。
「残念でしたね」
五千万が二千万に。
少し前まで金欠に喘いでいた聖女だけに、話を聞くだけでも我が事のようにがっかりである。
「なんかね、聖教国の紋章が入った宝石もあったみたい。そういうのって君の国の偉い人しか持てないやつなんでしょ?」
「ああ、はい。女神キラレイラ様の紋章が入った宝石は、その技術も含めて教皇様の許可がないと造られないのです。
そうした装飾品は、教皇様が手ずからお渡しする特別なものなので……それがあったのなら、仕方ない采配かもしれませんね」
それならば、持ち主がわかる拾得物だ。
この先どんな形で悪用されるかもわからないので、聖教国が回収したいという意向は理解できる。
聖教国の者である聖女なら、猶の事である。
「そうなんだ。まあ僕は本当にいいんだけどね」
漁と
宝石や貴金属以外の拾得物……金貨などは、こちらが貰っていいという話だ。
それから諸々の経費などを引いて、だいたい三千万前後。
あのチームで稼いだお金として換算し、約三千万を十五人で分ける計算となる。
クノンとしては、報酬はそれで充分なのである。
それより単位が欲しいくらいだ。
「――薬箱も問題なさそうだね」
聖女が付けている記録に目を通し、経過を確認する。
霊草関係は順調である。
シ・シルラの薬を保管する魔道具「薬箱」も、想定した効果を発揮している。
「時に、クノンは今何か実験を?」
「今は何もしてないよ。君とデートする予定ならすぐに入れられるけど?」
この数日。
クノンは、「合理の派閥」代表ルルォメットから教えてもらった闇の魔術に夢中である。
なんとか闇を出し抜く方法はないかと、考え事ばかりしている。
水を生み出す「
洗浄する泡「
水の魔術師にとっては、初歩の初歩という魔術だ。
それだけに、使用する魔力はかなり少なく、クノンが使えば非常に利便性が高い。
だが、メリットである「使用魔力が少ない」というのが、闇の前ではデメリットになるのだ。
使用魔力が少ないと、すぐに衰退して掻き消されるだろう。
だから、今のところ闇に対抗する手段がないのだ。
――光と闇、そして魔は別格だな、とクノンはなんとなく思う。
一般的な火、水、土、風と比べて、希少な光、闇、魔の属性は、根本的な力が違う気がするのだ。
上手く言えないが……火や水といった現象とは、在り方が違うというか。
一段上の格を感じるというか。
万物の相性、万象の相克を超越しているというか。
実に興味深いことである。
つまり、今は無理だとしても――水を、それら希少な属性と同じ一段階上の領域に持って行くことができれば対抗できる、ということだ。
魔術の限界を突き抜ける、次の領域があるかもしれない。
いや、ある。
必ずそこまで行く。
視界の確保がまだ完璧なものではない以上、更に上があるとすれば、それは喜びでしかない。
クノンが探すべき領域、試すべき領域は、まだまだ広い。
きっとどこかに、視界を得る方法があるはずだ。
……と、まあ、それはともかく。
「そろそろ新しい魔術を覚えたいな、って思ってるんだ」
それも、使用魔力の多めな中級魔術を。
ルルォメットの闇攻略の糸口になるかもしれないし――何より、単純に新しい魔術も面白そうだ。
「
その二つで思いつく限りのことをしてきた。
できることは、だいたいやり尽くしたんじゃないかと思っている。
だから、そろそろ次の魔術を覚えてもいいのではないかと考えた。
「そうですか。でもその前に私とデートしませんか?」
「するとも!」
聖女の思いがけない提案だったが、クノンに迷いはなかった。
「レイエス嬢の誘いを僕が断るわけないさ!」
「それはよかったです。ではこれから冒険者ギルドへ行きましょう」
「君が行きたいところならどこへでも!」
――などと返事をしつつ、クノンは思った。
ああ、たぶんなんかギルド絡みの用事を頼まれるんだろうな、と。
それでも返事は変わらないが。