82.水の領域
「――ふふふ。なかなか大漁ですね」
大きな魚はいい金になる。
それを知っているルルォメットは、たとえ難破船に財宝がなくても無駄足にならない、漁での稼ぎを当てにしていた。
「「――おおーーーーー!!」」
たまに雄叫びが聞こえるので、船の方でもそれなりに収穫はあるようだが。
それはそれ、これはこれだ。
海の異変に反応して小さい魚は逃げ、獲物を探す大物ばかりが集まってくる。
そしてそれを狩る。
予想はしていなかったが、なかなかの好循環である。
「先輩、そろそろ僕の限界です」
ニ十匹ほど、大きな魚を仕留めた。
仕留めた魚はクノンが回収し、近くに「特大低温水球」を浮かべてその中に入れている。
だが、そろそろ重量オーバーらしく、これ以上は入らないようだ。
振り返って「特大低温水球」を見れば、確かにわかる。
よくもまあ大物ばかり狩りに狩ったものである。
「わかりました。これくらいで切り上げましょうか」
丁度いいかもしれない、とルルォメットは思った。
異変を察して小物は逃げ、大物ばかりが寄ってくる。
ということは、つまり――
それは漁を初めてすぐに思い浮かんだ。
調査に漁にしろ、長時間できるものではない。
だから余計なことは言わず、各々のすべきことを優先したのだが。
「あ」
クノンが声を漏らした。
「来ましたね」
同じく、ルルォメットも感じた。
――厄介な大物が、深い海の彼方から、やってくる。
「退避! 魔物が来ます!」
ルルォメットが叫ぶと同時に、クノンは自身らが乗る「箱型水球」を上昇させる。
「――魔物が来るってよ!」
「――誰か先に行け! 俺らが出たら壁を解除するよう伝えろ!」
「――サンドラに攻撃準備も頼んどけ!」
いろんな経験をしてお金を稼いできた特級クラスだけに、急な警戒発令でも反応は早い。
難破船の探索を即座に打ち切り、離脱を選ぶ。
最悪、今回収できなくても、後からまた潜ればいい。
今は接近する魔物をやりすごすべきだ。
もしこの海中の大穴で、海を隔てる壁が壊されたら、魔物どころの話でさえなくなるのだから。
「手伝いはいる!?」
総員退避の最中、様子を見にきたカシスが、クノンたちに声を掛ける。
「素敵ですね」
「はあ!?」
「なんだかんだ言っても僕を気に掛けてくれるカシス先輩って、素敵な女性だと思います」
「今そういうのいいでしょ! 言ってる場合か!」
そう、言っている場合ではないのだ。
言っている場合ではないのだが、実にクノンらしい発言でもある。
「ルルォメット先輩を連れて行ってください。軽くなればもう少し早く動けます」
クノンは今、「箱型水球」と「特大低温水球」を維持しつつ飛んでいる。
さすがに積載量が多すぎて、風の「飛行」と比べて上昇速度が遅いのである。
「わかった! 代表、掴まってください!」
「ええ。ではクノン、先に行きますよ」
カシスがルルォメットの手を引いた瞬間――
ドン!!
膜が、大穴が、大きく揺れた。
恐ろしい衝撃音とともに、膜にピシリとヒビが走った。
感知した魔物が体当たりしたのだ。
ヒビはあっという間に広がる。
小さな亀裂を押し広げるようにして、ついに海水が入ってきた。
大量の水が、まるで滝のように流れ込んでくる。
周囲の海の圧に負けない、堅いながらも多少伸縮する、耐久性に優れた性質の膜だった。
それなのに、魔物の強烈な一撃で小さな穴が開いてしまった。
「でかっ!? 何あれ!?」
カシスは焦った。
これはかなり危険な状況なのではないか、と。
「すごいなぁ。単純な外的衝撃で割れる強度ではないのになぁ」
クノンは呑気に驚いていた。
あれだけの魔術師が構成する魔術だけに、頑丈さは相当なものだと知っているからだ。興味深い。
「おや。これは大きな
ルルォメットは冷静に、やってきた魔物を見ていた。
頭部が岩のように発達した、頭でっかちな魚の魔物である。
実に巨大である。
頭から尾の先までで見れば、クノンたちが乗ってきた中型の帆船くらいある。
通常の
なんなら、冒険者ギルドの方で懸賞金でも掛かっているかもしれない。
運悪く遭遇して沈められた船も、きっとあるだろう。
「先輩、あれ即死できます?」
クノンが、カシスに腕を取られたままのルルォメットに問うと、
「君はもう私の魔術の構造に気づいているのでは?」
「あれだけ見せられれば。いくつかの予想くらいは立てましたけど」
「ではできると思いますか?」
「がんばれば?」
「うーん。ちょっと無理ですね。あれは大きすぎる」
「――じゃあ飛びますね!」
一応仕留められるかどうか返答を待っていたカシスが、逃げを選ぶ。
が。
「あ、待った」
クノンは手を伸ばした。
カシスのこれ見よがしなミニスカートを掴んで止めた。
「うわちょ、どこ掴んでっ、このっ、エッチ!」
「えっち」
クノンはときめいた。
今のはすばらしい女子力による暴力だった。
そして――クノンたちのすぐ真上を、二度目の体当たりで膜を突き抜けた
「うそぉ!?」
危なかった。
今急いで上昇していたら、横から来たあれにぶつかっていたかもしれない。
ただ、浸水が続いている海の底は、もうすぐ目の前である。
この高さはまずい。
「クノン君離して! 先行くから!」
二人を気にしてやってきたカシスだけに、他の者たちはすでに撤退済みである。
つまり、三人して逃げ遅れている現状なのである。
狙われるのは、間違いなく自分たちだ。
何しろここには三人しかいないのだから。
「問題ないですよ。あれなら僕がなんとかできそうです」
「はあ!? 見えないのに!?」
「ええ」
クノンは平然と頷いた。
「むしろ下手に動く方が危ないかもしれない。ここは紳士である僕に任せてくれませんか?」
今紳士関係ないだろ、とカシスは思った。
だが、思っただけで言わなかった。
そんな余裕もなかったから。
「――大丈夫。水辺は僕の領域ですから」
「――えっ!? 逃げ遅れた!?」
報告を聞いて、船上のユシータは激しく動揺する。
――クノンとルルォメットとカシスが逃げ遅れた。
膜を破壊して飛び込んできた
穴の中には、まだ三人残っているという。
だが、ユシータを始めとした、膜を維持する魔術師たちにも限界が来ていた。
一度亀裂の入ったそれを、それでもなんとか維持しようと頑張っていた。
だが、外圧が強くなるにつれて難しくなり。
ついには、完全に消え失せてしまった。
途端、全方位から海水がなだれ込む。
救助要員を送る、なんて指示を出す間もなかった。
大海原に空いた穴は、完全になくなり――
海は、いつもの姿になった。
何事もなかったように。
宝はあった。
目ぼしい物はもう引き上げてある。
念のために、休憩を挟んでもう一回探索すれば完了、といったところだった。
実に簡単なお金稼ぎだと誰もが思っていた。
なのに、魔物の登場で、すべてが台無しになった。
おまけに、人死にまで出すほどの大失態となってしまった。
穏やかな海の上で、お祭りムードが一転した。
回収してきた宝石類を身に付けて浮かれ狂っていたサンドラまで、浮かれ切った格好のまま表情を失っていた。
誰もが何も言えないまま、さっきまで空いていた穴を見ていて――
海の底から、ものすごい勢いで何かが飛び出してきた。
それは大きな「水球」だった。
ニ十匹もの巨大魚と、三人の人を中に含んだ、「巨大な水球」だった。
飛び出して空中で止まった「水球」は、上半分を消した。
中の三人は水面に浮かび、巨大魚は水の中を漂う。
見上げるそれは、まるで小さな海のようだった。
「――よし、脱出成功」
「――げほっ! ごほっ! あーもう! 海水飲んだしびっしょびしょなんだけど!」
「――君の魔術は本当に面白いですね」
逃げ遅れたクノンとカシスとルルォメット、無事生還。
何のことはない。
弾力のある「水球」に全員を包んで、微調整して
「水球」の下に当たるようにして、上に弾いてもらったのだ。
――ついでに。
体当たりを食らった拍子に、中にある空気を「水球」に込めて、
あれも弾力のある「水球」だ。
もがいてもはずれないし、何にぶつかっても早々割れない。
もうしばらくしたら、
海の中でありながら、陸に打ち上げられた魚として。