79.一転してもう一転
フィールドワークは無事終わった。
湖周辺で色々と試してみて、昼には学校に戻ってきた。
「現実的な方法としては二つね」
「合理の派閥」の地下施設に戻り、昨日と同じように大きな水槽を囲んで話し合う。
唯一の例外は、部外者から関係者になったカシスがいることだ。
「水中に空気の層を作るのと、筒型の壁を作って海に穴を開けるの。この二つがいいと思う」
データを元にユシータが述べる。
メンバーから異論はない。
今日行った浅い湖や、海の浅瀬ならほかの方法もよさそうだが。
しかし、そこそこ深い海となると、単身潜るような形は現実的じゃないだろう。
海には何が潜んでいるかわからない。
魔物だって巨大なものもいるし、毒を持つ生物もいる。人を食べる魚がいることも有名だ。
周囲の空気――人間の行動範囲が広い分だけ、それが海では防護範囲にもなるのだ。
安全マージンは取り過ぎて困ることはない。
「で、他に気になったことはある?」
その言葉を皮切りに、メンバーは意見を言う。
「湖の底の地面がすごいぬかるんでたから、無理に底を歩く必要はないんじゃない?」
「あ、同じこと思った。水底から少し浮かせた方が歩きやすいと思う」
「よし、私はパン買ってくる!」
「ベーグルサンド一つ」
「私もベーグルサンド」
「じゃあ俺も」
「僕はベーコンと卵のサンドイッチ」
「なんか二個。サンドラのセンスに任せる」
「クノン君はいいとして、私らは空気の層を作る魔術の練習は必要だと思う」
「うん。方向性が見えてきたから、しっかり習得しておくべきよね」
「じゃあわたしは実験できそうな浅瀬を探しとこうかな!」
「そうね。明日からは海で実験しようか」
話し合いはしばらく続いた。
まだ年若く未熟とは言え、皆が特級クラスの魔術師である。
一度興味を抱けば、そこへ向かう情熱はかなりのものだった。
次の日から、チームは海での実験に入った。
秋も深まる昨今、海風はとても冷たい。
浅瀬ながら、やはり湖とは大きく勝手が違った。
水流、水圧、気圧、海中生物などなど。
水中に展開する魔術が受ける影響は、湖より大きく多い。
不都合があればその都度データを残して修正し、微調整を重ねていく。
水の中と一言で言えば同じだが、湖と海は大きく異なる場所なのだ。
失敗は命に関わる可能性もある。
何度か実地試験をしてから、より安全に、本番を迎えたい。
「――皆さーん! 昼食の用意ができましたよー!」
魔術都市ディラシックから国境を越え、聖教国セントランスの端の海辺にやってきていた。
ランチは、クノンが連れてきた侍女が腕を振るった。
ついさっき総出で集めた食材を、あまり風の当たらない岩場の影で火を起こし、調理したのだ。
焼き魚に焼き貝。
焼きアワビに焼きウニ。
焼き海藻。
それに焼き魚介スープといった海鮮尽くしである。
実験場所を選んだカシスは、「ギリギリで日帰りできる距離だ」と言った。
だが、実験日程を数日は見ているユシータは、「いっそ泊まり込みでやろう」と数日掛かりのスケジュールを決定。
そして、まだ十二歳のクノンだけ、保護者代わりの侍女を連れてきた。
誰も身分は聞いていないが、見るからにいいところの子であるクノンだ。
勝手に家の者の目が届かない場所へ行くことはできないのだろうと、全員が理解していた。
「あ、うまっ!」
「貝うまい!」
「はあ……あったまる……」
「――皆さん、それらの調味料はなんだと思います? そう、何もつけてないんです。強いて言うなら海の味なんです。母なる海の味……つまりお母さんの味なんですよ」
若干侍女の得意げな顔の語りが邪魔だが、料理の腕は確からしい。
焼き魚のワタはちゃんと取ってあるし、トゲトゲのウニも綺麗に割れている。
シンプルに「焼いただけ!」「煮ただけ!」みたいなものに見えるが、それぞれに細々した気遣いが見える。
「――それで? クノン様のガールフレンドはどなたで?」
侍女はスープをすするクノンに囁き。
「――え? 全員だけど?」
クノンは当然のようにそう答えた。
「――見てごらんリンコ。全員魅力的でしょ? 全員僕の友達なんだよ」
クノンの言葉を否定したいが、否定したくない点もある。
だから、女性陣は微妙な顔で聞き流した。
もう一人男子もいるが、食べるのに夢中な振りをして、聞こえていないことにしていた。
彼は、女性比率の多い場では女性に逆らわない方がいいことを知っているのだ。
「――もう。クノン様ったらプレイボーイなんだから」
「――これで僕も一端の紳士に近づけたよね」
はっはっはっ、と笑い合う二人。
なんというか。
クノンの間違った紳士観の原因を見た気がしたが、結局誰も何も言わなかった。
――浅瀬での調査は五日に及んだ。
浅いところ。
深いところ。
天候に時刻、満ち潮に引き潮。
雨の日、曇りの日。
大掛かりな調査を始めるとなれば、日程をずらすことさえも困難になる。
だから、多少海や天気が荒れている状態のデータも欲しかったのだ。
そのため少し長期的な実験となった。
「――うへへ。へへ。いひひ」
その甲斐あって、拾得物もあった。
実際に、沖合に沈んだ小さな難破船を見つけたのだ。
魚たちの住処になっていた場所に土足で踏み込み、金目の物を探した結果――ちょっとした宝石や細工物、それなりの硬貨を発見した。
カシスがニヤニヤしながら、一つ一つ拾って来た金目の物を数えては頭の中で換金している。
細工物の土台になっている金属はダメになっているが、宝石や金銀は大丈夫なんだとか。
参加人数で割ると、一人頭の金額はそう高くないそうだが――
「これならやれそうね」
ユシータの言う通りだ。
そう、拾ったそれらの価値より、実際に海に沈んだ船から回収できた、という事実の方に価値がある。
「――じゃあ本番の準備に入ろうか」
いよいよ財宝探しが始まる。
「――難破船の調査? リサ・フローリン号の財宝? そんなのとっくに終わってますよ?」
「えっ」
本番に向けて準備を始めよう。
いよいよの段階となり、六日ぶりに学校に戻ってきたユシータは、協力を仰ぐために「合理の派閥」代表ルルォメットに話を持ち込んだ。
整理整頓された彼の研究所へ赴き、用件を伝えたところ――
「だから、終わってますって」
その返答が、これだった。
「お、終わった、ん、ですか?」
「全部とは言いませんが、有名処は終わっているはずですよ。
有名なリサ・フローリン号なら、航海ルートもわかっているわけですし。だいたいどこで沈んだかも割り出せるでしょう?
そこに宝が沈んでいるとわかっているなら、どうやってでも手に入れたいでしょう。そう考えた権力者が、魔術師を雇ってなんとか拾い上げた――という話を聞いたことがありますよ」
何しろこの学校の教師に依頼が来たそうですからね、と。
ルルォメットはショックを受けて固まっている後輩に、軽い調子で更に言う。
「難破船探し専門の魔術師もいるそうですよ。冒険者として活動している魔術師だったと記憶していますが」
「そ、そんな……」
ユシータはよろめいた。
確かに、最初は単位が欲しいだけだった。
思いがけず大きな話になり、だから、本気になって実験をしていた。
カシスが何くれと財宝の話をするから、いつの間にかユシータもその気になっていた。
もはや財宝は手に入れたようなもの、とさえ思っていた。
その日々が無駄になった。
野望が、豪遊の夢が、ここに散った。
「……はあ……失礼します……」
「おや、もうよろしいので?」
力なく頷くユシータは、肩を落としてルルォメットの研究室を後にした。
自信満々でやってきた後輩が、自信を失って出ていった。
寂しげな背中を見送ると――「合理」の代表ルルォメットは考える。
「……しかし、海中の捜査ですか。面白そうですね」
実験でも調査でも、ルルォメットはいろんな場所に行ってきた。
だが、海の中には行ったことがなかった。
難破船の捜索。
沈んだ船から金目のものを拾い上げる。
「ふむ」
ルルォメットは立ち上がった。
少し興味が湧いたので、今出ていった後輩を追うことにした。
――どこへ行く予定かは聞いていない。
――そこは探索済みの難破船かもしれない。
だが、空振りならそれでもいいだろう。
お金は稼げばいいが、経験はお金では買えない場合がある。
己も、そして後輩も。
何も得るものがないかもしれないが、しかしこの経験は、きっと無駄にはならないだろう。
それに――海中にある金目の物には心当たりがある。
それも含めて、きっといい経験になるはずだ。