<< 前へ次へ >>  更新
79/116

78.意地とプライドを捨てた瞬間





「――旧帝国銀貨じゃん!」


 中身は無事だった。

 カシスが嬉しそうな声を上げた。


 サンドラが湖の底で拾って来た革サイフの中身は、硬貨が十数枚ほど。


 長い間水中にあっただけにサイフの劣化は激しく、触るだけでぐずぐずに崩れる。

 両手で救い上げるようにして、サンドラは慎重に陸まで持ってきた。


「ああ、旧暦の頃のお金か」


「戦乱時代の落とし物じゃないかな」


「……落とし物っていうか、落とされた(・・・・・)のかもしれないけど」


「あ、たぶんそれだ」


 ユシータを始めとした実験チームも集まり、水底の拾得物に感想を述べる。


 クノンもそう思う。


 恐らくは、魔術都市ディラシックを欲して帝国が侵攻してきた頃のものだろう。

 何かがあって、その頃から湖の底に沈んでいた。

 もしかしたら持ち主(・・・)ごと一緒に。


 今でこそ戦乱時代の傷跡もなくなり、綺麗なだけの湖だが。

 きっとあの時代は、ここらでもたくさんの人が亡くなったりしたのだろう。


「もっと何かあるんじゃない!? 金貨とか!」


「そうだ! 一つはあったんだから、もっとあってもおかしくねえ!」


 カシスとサンドラは、時代背景や経緯は気にならないようだ。


 とにかく今お金が欲しい即物系女子なのだろう。


「――そうね。ちょっと方針を変更しようか」


 そんな二人の意見も聞き、チームのリーダーであるユシータが言う。


「とりあえず、もう水の底にある物には触らないで」


「「えっ」」


「ここで拾えるような物は、どうせ昔の小銭くらいでしょ。

 私たち全員で分けて、せいぜい一人頭十万から五十万ネッカくらいだと思うわ。湖もそんなに広くもないしさ」


 確かに。

 当時の物はもはや使い物にならないだろうし、硬貨にしたってここに大金が沈んでいるとは思えない。


「それより歴史的価値の方が高そうだから。この実験データを歴史学者にでも売って、彼らからお金を巻き上げよう」


 巻き上げよう、という言い方はあれだが。

 しかし言いたいことはわかる。


 硬貨が入っていたサイフなんて、触るだけで壊れてしまうほど脆くなっている。

 つまり、水の底にあるものすべてが、同じような状態のはず。


 ならば、無理に金目のものを探して荒らすより、すべてに価値を見出すであろう歴史学者に売った方が、お金になると判断した。


「わたし十万でも嬉しいけど!?」


 カシスが吠えた。

 欲望が丸出しだ。


「私なんて拾った金なら五百ネッカでも嬉しいけど!?」


 サンドラの気持ちはわかる。

 どれだけお金を持っていても、五百ネッカ拾ったら誰でも嬉しいものだ。五百ネッカには謎の魅力がある。なんなら千ネッカより感覚的に嬉しさは上かもしれない。


「だからお金は学者から巻き上げるってば。あとカシスは関係ないでしょ」


 一番興奮している彼女が、一番の部外者であるという事実。


 カシスは気づいた。

 心なしか、己に向けられた全員の視線が冷たいことを。


「――やだ! やだやだ! 仲間に入れてよ!」


 それに気づいた瞬間、カシスは駄々をこねた。


「どうせこの技術を使って海に沈んだ海賊船とかリサ・フローリン号とか探しに行くんでしょ!? 旧帝国の失われたニーベ派の宝石とか美術品とかエクラ・ザートラントの初期アクセとか拾いに行くんでしょ!? わたしも欲しい欲しい! あっ、ただの金の延べ棒でもいい! 太くて大きいの!」


 物欲も金銭欲も丸出しだ。


 心なしか冷たいままの眼差しが、ユシータに集まる。

 この守銭奴どうするんだ、と。


「……どうせ優秀な風魔術師は欲しかったしね」


 移動時間やら、難破船の捜索やら、引き上げる際の荷運びやら。


 ユシータは、現メンバーだけで大掛かりな海の探索ができるとは思っていなかったので、カシス参加は悪い話ではないと判断している。


 ここまで物欲まみれなら、変に裏切ることも実験の情報を漏らすこともないだろう。

 自分の貰いが減るだけなのだから。


 それに、だ。


「もしかして宝石の目利きもできる?」


「もちろん! 美術品もイケる! 骨董品大好き! 宝石はもっと好き! あっ金塊も好き!」


 ならばうってつけかもしれない。


「まあ、私たちはまだいいんだけどね。同じ派閥だし知らない仲じゃないし」


 カシスと話したことがないメンバーもいるが、お互い同じ派閥の者だと認識くらいはしている。


 今本性を知って内心驚いていたりもするが、ともかく。


「でもクノン君がなぁ」


「僕?」


「自分のこと嫌いってはっきり言う先輩が参加するの、嫌でしょ?」


 それは気遣いからの言葉である。

 もしユシータがクノンとカシスの因縁を知っていたら、カシスを手伝いに選んでいなかったから。


「――好き! 大好き! わたしクノン君大好きだし!」


 カシスは告白した。

 お金のために意地とプライドを捨てた瞬間だった。


「ねえクノン君! クノン君もわたしのこと好きだよね! 好きだよね!? ……好きって言え!」


 詰め寄られたクノンは――堂々と頷いた。


「もちろん好きだとも。ここまで女性に乞われて応えない男は紳士じゃないからね」


 クノンはカシスを女性と認識すると決めている。

 だから答えは一択だ。


「……ク、クノン君…………フンッ。調子に乗らないでよねっ。優しいのは今だけなんだからねっ」


 予想外の堂々たる受け止めに、カシスの方が動揺した。


 ここまでのやりとりで、カシスの優しさなど欠片も見えなかったが。

 しかしまあ、クノンが構わないなら、決定である。


「クノン君がいいならカシスも入れようか。

 まあどの道、やってみた感じ五人六人じゃ少ないからね。海に入る時はもっと手伝いを増やすべきだと思う。

 この規模の湖でも手が足りない感じだしね」


 この辺は、実際実験してみての感想である。


 水魔術師五人では、手数が足りないという印象を受けた。

 本当に海で難破船を探すつもりであるなら、万全を期すためにも、人数を増やすべきである、と。


「あと代表にも来てもらいたいな」


 その言葉にクノンは強く惹かれた。


「ルルォメット先輩ですか?」


 ユシータが代表と呼ぶのは、「合理の派閥」の代表のことだろう。

 つまり、背後に影の樹木を背負ったルルォメットのことだ。


「そう。あの人がいれば何かと安心だしね」


 安心。

 周囲はそういう認識らしい。


 ――「合理の派閥」代表ルルォメットは、闇属性だ。


 クノンが客から聞いた情報である。

 光、闇、魔は珍しい属性であり、ルルォメットはその一つである闇属性を持っているそうだ。


 闇属性はどういうことができるのか。

 人数が少ないだけに情報も皆無で、クノンは闇のできることをまったく知らない。


 だから、それだけに、非常に興味深い。


 予想外にも、とんとん拍子でどんどん話が大きくなっていったが。

 正直、財宝だのなんだのより、クノンはルルォメットが参加するかも、と言われた時の方が、胸が高鳴った。





 まあ、それはともかくとして。


「――へえ。水の中ってこういう感じなんですね」


 一通りのデータは取ったので、最後にクノンも水中に入ってみた。

 実際に経験するのも、実験の一環である。


 水深は深くない。

 今回は、水辺から空気を送って一人分歩ける程度に空気の層を作り、水底を歩いている。


 見上げると魚がいた。

 図鑑で見たことのある大きな淡水魚だ。優雅に身体をくねらせて泳いでいく。


「あんた見えるの?」


 一緒についてきたカシスに「見えないですね」と適当に返しつつ、クノンは周囲を見ながらゆっくり歩く。


「友達が養殖池を作りたいって言ってて。参考になりそうです」


「ふーん。それって学校に作りたいって話?」


「はい」


「無理なんじゃない?」


「え? なぜ?」


「昔はあったらしいよ、淡水魚を育てる養殖池。結構うまくいってたそうよ」


「ということは、何か問題が?」


「うん。どっかのバカが、使用期限切れの魔術薬やら媒体の残りカスやら半端に余った溶剤やら溶液やら、ちゃんと廃棄するのが面倒で養殖池に捨ててたんだって。

 で、何がどう作用したのか知らないけど、怪物みたいな魚が大増殖したんだって。後始末が大変だったらしいよ」


「へえ。興味深い話ですね」


「あんた何にでも興味あるのね」


「先輩は宝石でしょ? リサ・フローリン号と言えば、旧帝国時代を代表する貴族用大型船ですよね。沈んだ当時は帝国の要人が多く乗っていたそうですが」


「そうそう! 船上で次期帝王任命式を行うからって周辺国のお偉いさんも乗ってたんだよ! こんなの絶対お宝乗ってるじゃん!」


「見つかるといいですね」


 意外と穏やかに、クノンはカシスと水中散歩を楽しんだ。




<< 前へ次へ >>目次  更新