75.次に先生も偉そうにふんぞり返って飛びました
「乗ってみます? 僕が操作する形になりますけど」
「……そう、だな。頼むよ」
風属性である教師サーフは、自力で飛べる。
だが、さっきの複雑怪奇な飛び方は、自力でできるものではない。
ぜひ試してみたい。
「あ、逆さになるのだけはやめてくれ。あれは怖い」
少し迷ったのは、あのきりもみ状態を自分が経験すると思ったら、普通に怖かったからだ。
風の「飛行」であれをやれば、確実に墜ちることを知っているから。
サーフの苦い思い出だから。
「わかりました。じゃあ普通に飛ばしますね」
ふんぞり返ったクノンに代わり、今度はサーフが「水球」に身を沈める。
「あ、もっと背中を後ろに倒して。飛んでる時に風圧がモロに掛かりますから。身を起こしていると腰や背骨に負担が大きいですよ」
「これでいいか?」
クノンの指示通りに座ると、自然と偉そうにふんぞり返った形となってしまった。
「なるほどな」
傍目には偉そうでしかなかったが、座ってみると非常に合理的だ。
身体の背面全体が「水球」に密着し、その「水球」が吸い付くようにして身体を固定するのだ。
なるほど、確かに身体を固定していないと、急停止したら前方に放り出されてしまう。
それを防ぐための安全がちゃんと設計されている。
この体勢は、「水球」への接地面積を多く取る形だ。
――そしてそれを差し引いても、座り心地の良いこの水ソファ。
体験するとよくわかる。
クノンの商売が軌道に乗り、かつ順調である理由がこれなのだろう。
「じゃあ行きますね」
ぎゅん!
サーフは飛んだ。
偉そうにふんぞり返って。
「――意外と理に適ってたんだな」
飛び回って戻ってきたサーフの第一声がそれだった。
クノンの言った通り、飛んでいる間、風圧がすごかった。
むしろ身を起こす――偉そうじゃない座り方になる方が難しかった。
受ける風のせいで自然とあの形になる、というか。
風属性で飛ぶのとでは別物だった。
なんならもはや寝そべった方が楽に飛べるのではないか、とさえ思うくらいだ。
寝ながら空を飛ぶ人。
寝飛。
なんというか……偉そうにふんぞり返っている方が、まだマシな気はする。
紙一重で。
寝ながら飛ぶなんてもう意味がわからないから。
「よくわかりませんが、見た目が悪いんですか?」
サーフを飛ばしている間、クノンなりに考えていた。
偉そうな格好とは何のことだったのか、と。
てっきり、いつの間にかシャツの胸元がはだけてセクシーな感じになっていたのかと。
身だしなみを気にしてしまったくらいだ。
幸い、服装の乱れはなかった。はずだ。
ほっとした。
紳士でありながらセクシーだなんて、自分にはまだ早いとクノンは思っていた。
「少しだけね。あの座り方は愚かな権力者みたいに見えたから」
「座り方……なるほど。そういうものなんですね」
そう言われても、いまいちピンと来ていないクノンだが。
しかしサーフが嘘を吐く理由もないだろうから、世の中はそういうものだと憶えておくことにした。
「見栄えが悪いというのであれば、全体を覆うのもいいかもしれませんね。風除けにもなりますし」
「できるのか?」
「ええ。要は外観でしょう? 水に色を付けて覆うだけですから。
箱型の馬車みたいにもできますし……あ、でも、やっぱり飛ぶなら流線型かなぁ。鳥の胴体とか魚の形とか。その方が空気抵抗がなさそうだし」
「……ふむ」
サーフは言われて気づいた。
風属性が飛ぶときはその形だな、と。
自然とそういう形になるので、意識したことがなかったのだ。
風属性で飛ぶ時は、頭から突っ込むような形になる。
視界を広く取るためだ。
そして、頭からつま先まで流れる風を全身にまとうので、正面からの風は当たらない。
それを形とするなら、頭を起点とした三角錐か、あるいは流線型である。
きっとそれが空気を、あるいは水を割くように進むには、優れた形なのだろう。
「まあ、改善案は追々考えたらいいさ。それで――君はこの成果を公表するのか?」
「あ、なんか単位に影響するそうですね」
公表。
それは公開と非公開のことである。
公表する場合は、その魔術の仕組みや実験データをレポートにし、誰でも観覧できるようにすること。
いわゆる歴史に名を刻む行為だ。
図書館に置かれたりして、誰もが読むことができるようになる。
非公開の場合は、自分だけの魔術・成果として独占することである。
当然記録は残らない。
あくまでも単位取得のためだけの技術となる。
当然前者の方が単位は多くもらえる。
魔術師業界全体の糧となるからだ。
「――でも公表は無理なのでは?」
しかし、いくら生徒が公表を選ぼうとも、学校側が規制することがある。
たとえば、実力不足の魔術師による「飛行」練習などを避けるためだとか。
広範囲に広がる火の魔術だとか。
試すだけでも危険な成果は、強制的に非公開になってしまうことが多々ある。
「まあ、そうだな。私が決めるわけじゃないが、恐らくそうなると思う」
決めるのは学校の上の方々だ。
サーフのような若い平教師には、あまり関わることはない。
ただ、風属性の「飛行」と同じ理屈で、許可は下りないだろうとクノンもサーフも考えている。
失敗して墜落したら怪我では済まない危険があるので、練習でもやらせるわけにはいかない。
上がそう考えれば、風の「飛行」と同じ理屈で却下だ。
この「飛行」は、大元は初歩の「
初心者の水の魔術師でも、できる可能性はある。
だが、これはクノンの鍛え上げた「
その差が、危険なのである。
「じゃあ非公開でお願いします」
どうせ通らないなら、申請するだけ無駄である。
習得に関する危険の面でも、公開しない方がいいとクノン自身も判断した。
「ではそうしよう。――ちなみに、どういう原理であんな飛び方ができるんだ?」
「え、聞く? 興味本位ですか?」
クノンは驚いた。
今「非公開にする」と言ったばかりなのに、まさか原理を聞かれるとは。
「風属性は『飛行』できるが水属性は『浮かんで漂う』しかできない、なんて思わせぶりなことを言うからだ。答えが気になるだろう」
「あ、そうですか。まあ単純な構造なので隠すようなことでもないですけど。
答えは簡単ですよ。『
「カ・リュ……?」
「
地面を走る火だ。
魔力の導線を引いて、それに添って駆け抜ける火の魔術――
「そうか! 『飛んでいる』んじゃなくて『移動』しているだけか!」
ならばあの速度、急停止、きりもみ状態の説明がつく。
事故を起こすわけがない。
あれは先行させた魔力に添って動くのだから。
そう、原理は「
入学試験でハンクが見せた魔術の応用である。
「その通りです」
さすが先生だ、とクノンは思った。
すぐに把握するとは思ったが、こんなに早いとは思わなかった。
「あ、先に言っておきますが、風の『飛行』とは相性が悪いみたいですよ。リーヤはできなかったので」
「そうだろうな。
浮いただけの状態なら、可能か?
いや、その場合はあの風圧を身体で受けることになる。
やはり風属性では難しいだろうとサーフは予想する。
「その代わり、急な方向転換ができるのが強みですよね。僕の方法じゃそういうのが無理なので」
クノンの方法では、あくまでも指定した方向へ行くだけ。決まった方向に進むだけだ。
だから急な方向転換も、微調整さえもできないのだ。
風の「飛行」の方が、きっと感覚的には自由に飛べるはずである。
「まあ何にしろ大した発見だし、新技術だと思う。それにいい経験ができた。ありがとう、クノン」
単位については後日手紙で、ということで、二人は別れた。
「これで単位は四か五か。次はどうしようかな」
借りている教室へ向かって歩きながら、クノンは次の手を考える。
構想は色々ある。
すぐ着手できそうなものもある。
霊草シ・シルラと薬箱関連は、今は時間が必要だ。
一ヵ月から三ヵ月は経過を見る必要がある。
だから、やはり、ここは。
「……そろそろ会いに行ってみようかなぁ」
ずっと気になっていた、憧れのサトリ先生。
聖女の金銭問題から始まり、なんだかんだで忙しくて、会いに行けるような余裕がなかった。
今会っておかないと、また色々と忙しくなってしまいそうだ。
「よし」
決めた。
このまま憧れのサトリ先生に会いに行こう――と、思ったその時だった。
「――あ、クノンくーん!」
校舎の窓から顔を出している女性の呼び声で、クノンの思考は停止した。
名前が出てこないが、確か「合理の派閥」の女子である。
「水の中で呼吸する実験に興味ないー!?」
「君に興味ありまーす!」
紳士として、女性の声に応えないわけにはいかない。
こうして、クノンはしばし「水の中で呼吸する実験」に没頭することになる。