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74.この生徒は偉そうにふんぞり返って飛びました





「久しぶりだね。君の噂はちょくちょく聞いてたよ」


 クノンが訪ねたのは、入学試験の時に会った教師サーフ・クリケットである。


 書類仕事をしていたようで、机に着いてペンを握っている。

 魔術学校の教師が普段何をしているかは知らないが、まあ、暇ではないのは確かなのだろう。


「お久しぶりです、サーフ先生。いきなりですけど部屋を綺麗に保つ秘訣ってなんですか?」


 本当にいきなりだが、クノンは整理整頓されたサーフの研究室が羨ましかった。


 几帳面な性格ゆえだろうか。

 だから試験官を務めたのだろうか。


 ベイルの研究室は実際見たし、ジュネーブィズの研究室も似たようなものだと言っていた。


 クノンも含めて、片付けられない魔術師は多い。

 それに反してこの部屋だ。


 床には一枚も書類が落ちていないし、紙くずも転がっていない。

 出所のわからない変な臭いもしない。

 なんならかすかにいい香りがするくらいだ。


 実に羨ましい研究室だ。


「本当に急だな。……性格の問題じゃないか?」


 それを言ったら話は終わりなのだが。


「なんだ、そんなことを聞きに来たのか? あ、何かの実験に使う統計のサンプルか?」


「いえ、ただ僕が気になっただけです。僕の研究室すぐ散らかるから」


「片付けといた方がいいぞ。ただでさえ魔術師の部屋は、触媒だの魔帯素材だの魔力だの満ちているんだ。何が起こるかわからない。

 部屋の片隅で見たことのない生命が生まれたり、広がったりしていることもある」


「興味深い話ですね」


「絶対やめなさい。昔それで建物一つダメにした生徒もいたそうだ。

 なんでも、偶然海の怪物を呼び出してしまったとかなんとかで……正体不明のぬるぬると悪臭で、対処も事後処理も大変だったらしいぞ。

 悲しい過去を繰り返さないでくれ。せめて私がいない時に頼む」


 その話も興味深い。


 いや、本題に入ろう。

 このままでは本題に入れないまま時間だけが過ぎてしまいそうだ。


「実技の単位が欲しいんですが、見てもらえますか?」


 久しぶりに会うなり話が脱線してしまったが、クノンはようやく本題に入った。


「お、いいぞ。何をするんだ?」


「ここだと狭いので外でいいですか? 空を飛ぶので」


「ほう? 水属性でか?」


「はい」


「――いいだろう。今すぐ行こう」


 二つ返事で了承し、サーフは書類仕事を放り出して立ち上がる。


 サーフも魔術師である。

 珍しい魔術が見られると言われれば、居ても立ってもいられないのである。





 空を飛ぶのは、風属性の専売特許だった。

 もしクノンが風以外でそれを実現できたなら、なかなかの成果である。


「もしかしてリーヤにやらせていた『飛行』も、このためのものか?」


 外へ向かう道中サーフが問うと、クノンは「もちろんです」と答えた。


 同期であるリーヤ・ホースは少し勘違いしていたが、クノンは別に無駄に報酬を払っていたわけではない。


 魔術学校の生活に不慣れな彼への個人的な支援、というわけではない。

 その面がなかったとは言わないが、それだけではない。


「僕がいずれ自分でやろうとしていたことを、リーヤにやってもらっただけです。

 彼は『飛行』を身に付ける、僕は少々のお金で充分な実験データが手に入る。おまけに彼の単位にもなる。

 我ながら良い一手だったと思っています」


 確かに話だけ取ると、無駄のないアイデアだが。


「ではハンクにやらせたベーコン造りもか?」


「あれは僕の趣味嗜好です」


「あ、そう」


「え? あれも単位になります?」


「ちょっと難しいな。……うまいのできた?」


「ええ、ハンクのベーコンは美味しいですよ。僕ちょっと支援して、加工肉の商会を立ち上げるのを勧めようかと思ってて。あのベーコンなら世界で勝負できるんじゃないかと」


「それは火属性の有効活用を考えてか?」


「それもあります」


 生産に向かない火と風属性は就職先に困る――という話をクノンが聞いたのは、この学校に来てからだ。


 人間社会の中で、火と風で何ができるか。


 冷静に突き詰めて考えると、日常の中ではそこまで必要ではないとクノンは考えた。

 きっと多くの者が同じ結論に達したのだろう。


 半分以上が冒険者となり、使い道が難しいその魔術を魔物退治に向けるのだとか。


 火は、文字通り火力という意味で、戦うには適している。


 風も使い方次第だ。

 文字通り追い風や向かい風は、あらゆる局面で役に立つだろう。


 だが、日常生活にそれらは必要だろうか?


 ――そう考えた時にクノンが思いついたアイデアの一つが、食肉加工だった。己の趣味嗜好も兼ねて。


「火の魔術師しか造れない極上ベーコン。いいと思いませんか?」


「私は支持するよ。ただ魔術師はプライドが高い者が多いから、仕事として人気が出るかどうかはわからないが。

 だが個人的には、魔術の適性が低い一ツ星や戦うことを避けたい火属性は、いい受け皿になりそうだと思う。私は応援したいな」


 適性の低い一ツ星は、日常でちょっと役に立つ程度の魔術しか使えない者もいる。

 率直に言うと、常人と大して変わらない者もいる。


 そんな、役立つ方法が見出せていないくすぶった魔術師たちの就職先に良さそうだ、とサーフは考えている。


 ――が、その辺は個々の自由。


 ハンクの造るベーコンが世界中のどこででも入手できるようになる。

 クノンにとっては夢のような計画だ。


 ほかの火の魔術師なんて二の次だ。

 働きたいなら働けばいいし、そうじゃないならそれでいいのである。


 幸いハンクは、ベーコン造りに強い興味と関心を持ちつつある。

 更にベーコンの沼にはめ、ベーコンの商会を立ち上げてほしい。

 そして世界一のベーコン会社の会長になってほしい。


 慎重に、時には切なく、そして大胆に詰めていきたい話である。

 ハンクに警戒されないよう、じっくり対処したいところだ。


「――なんか悪いこと考えてるだろ?」


「はい? いいえ?」


 クノンは案外顔に出るタイプだが、本人に自覚はない。





 さて。


 道中少し話が盛り上がったりもしつつ、二人は表に出てきた。


 風も穏やかで、天気もいい。

 飛ぶには絶好の日である。


「サーフ先生は飛べますか?」


「まあ、風属性だからね」


 ディラシック魔術学校の教師は、皆特級クラスを卒業した優秀な魔術師である。


 風属性であるなら、全員「飛行」くらいは習得している。


「先に言っておくが、水で飛ぼうっていう君の発想は、なかなかのものだよ」


「ちなみに前例は?」


「ある。私も話に聞いただけで、実際見たことはないが」


「やっぱりありますか」


 そうじゃないと面白くない、とクノンは思う。


 自分はまだまだ駆け出しもいいところ。

 ここの教師や先人たちは、もっともっと先を歩いているのだ。


 それだけクノンの知らない魔術の技術と知識がある、ということだ。


 わくわくしてくる。


「じゃあ行きますね」


「ああ」


 クノンは「超軟体水球」を生み出し、そこに背中から横たわった。


 いや、上半身がそれなりに起きているので、深いソファにふんぞり返っている、という感じだろうか。


 なんというか、実に偉そうだ。


「僕は少し考え違いをしていました」


 ふわり、とふんぞり返ったクノンを乗せて「水球」が浮かび上がる。


「風属性は『飛行』できるけど、水属性は『浮かんで漂う』ことしかできない。少なくとも現段階の僕は」


「ふむ――その答えは?」


  ぎゅん!


 サーフは目を見張った。

 ものすごい速度で、クノンを乗せた「水球」が飛んでいったからだ。


 低空を進み、急上昇し、空高く舞い上がったと思えばきりもみ旋回して落下し、また上昇する。


 空を自由に飛び回る。

 偉そうにふんぞり返って。


「……まさか……」


 サーフは呆然としていた。

 目の前でふんぞり返って飛び回るクノンの姿が、信じられなかった。


 速度はいい。

 あれくらいは出る。


 だが、あんなにも複雑な軌道を描き、重力や慣性に逆らった「飛行」は、風属性でも不可能だ。

 あんな急停止もできない。

 やろうとすれば制御できず墜落するのが落ちだ。


 そもそも――「飛行」自体、恐ろしく操作が難しい魔術である。


 そして失敗したら死に直結するほど危険だ。

 だから誰かが教えるのではなく、ちゃんとした実力を身に付けた術者が独自に編み出すものなのだ。


 それなのに……


「――ただいま、っと」


 偉そうにふんぞり返ったクノンが戻ってきた。

 風属性には不可能な急停止で、サーフの前で停止した。


「どうですか?」


「……気になることしかない、というのが本音だが……」


 言いたいことはたくさんある。

 だが今のサーフは、選ぶことなく、ただ一つの言葉を選び取った。


「その偉そうな格好じゃないと飛べないのか?」


 偉そうにソファに座った子供が飛び回る絵は、なんというか、ちょっとイラッとした。


 飛ぶならちゃんと飛べと思った。

 風属性より複雑に飛び回ったくせに、椅子にふんぞり返っているせいで「片手間でやりました感」が出ていて腹が立つ。


「え? ……? 何がですか?」


 だが、クノンにはよくわからなかった。


 偉そうにふんぞり返っている人を見たことがないから。





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