71.先輩に甘える
「すごいなぁ」
初めて来た時も思ったが、やはりすごいものはすごい。
「実力の派閥」が拠点としている古城は、今日も堂々とそこに存在している。
外観は、石積みの大きな建造物だ。
城としては小さい方だそうだが、それでもとても立派である。
無骨で飾り気もなく、戦乱時代の辺境の砦といった感じだろうか。
前回は、十名ほどの妖精 (怒れる女性たち)に連れられてきたので、じっくり眺める間がなかった。
一度だけ祖国ヒューグリアの王城へ行ったが、生憎あの時は「鏡眼」を習得していなかったので、クノンは見ることができなかった。
城。
実に壮観である。
「――男の子ってお城好きだよね」
「――統計ではそうなってるんですか? まあどうであれ僕は見えないんですけどね」
後ろから近づいてくる足音には気づいていた。
「エリア先輩でしたよね?」
「そうだよ。君との決闘であっという間に濡れネズミにされたエリアだよ」
そして、初めて「実力の派閥」に入るようクノンを勧誘に来た女性でもある。
「ずぶ濡れのエリア先輩、非常に可愛かったですよ」
「見えないのに?」
「見えなくてもわかることってありますからね。もちろん濡れていない今のエリア先輩も素敵ですよ。ずぶ濡れにしてあげたいくらいです」
ちなみにあの「赤い雨」は、解除すれば消える仕様となっていた。
だから魔術の検証に手こずった。痕跡がなくなったから。
「あはは。絶対やめてね」
クノンならずぶ濡れも速乾も自由自在だ。
だが普通は、人は理由もなく濡れたくはないものである。
エリアも普通に例外ではなかった。
偶然会ったエリアに案内されるようにして、クノンは古城の中へと入る。
彼女曰く「クノン君は掛け持ちを認められてるんだから、遠慮なく入っていいんだよ」とのことだ。
別に遠慮して立ち尽くしていたわけではないのだが、クノンは「次はそうします」と返した。
「で、今日はどうしたの? 何か用事?」
「エリア先輩に会いに来たに決まってるじゃないですか。ランチは済みました? 僕は済ませてきましたよ。食後のティータイムはぜひあなたと過ごしたいな」
「誘ってくれるなんて光栄だなぁ。で、本当のところは?」
「代表のベイル先輩います?」
「あー……どうだろ。いるかな」
前に通された時と同じ、広い食堂へ通された。
あの時は、派閥を問わずたくさんの人がいたが、今日のところはいつも通りだ。
何人かの派閥の魔術師が、食事をしたり談笑したりしている。
「あっ!」
やってきたクノンを見て声を上げたのは、誰かと話していたカシスである。
「こんにちはカシス先輩」
ここで会うとは思わなかった。
カシスは確か「合理の派閥」だったはずなので、余計にそう思う。
泣かせてしまった
「フン! 話しかけないでくれる!?」
嫌われたものである。
根に持つタイプだと言っていたから、しっかり根に持っているのだろう。
「カシス先輩って違う派閥でしたよね?」
エリアに問うと、彼女は「ここまでは誰でも入っていいことになってるんだよ」と答えた。
誰でも利用していい、解放されているスペースとのことだ。
「――ねえ、誰かうちの代表見なかった?」
エリアが食堂にいる者たちに問うと、「さっきまでいて、部屋に帰ったよ」とのことだ。
「クノン君、どうする? 呼んでこようか? それとも代表の部屋まで行く?」
その問いは、「クノンの用事は何だ?」と遠回しに聞いている。
ここで話してもいい内容なのか、それともベイルと内密に話をしたいのか、と。
「行ってもいいですか?」
質問の意図を察したクノンは、更にエリアの先導に従い、古城の奥へと向かう。
「――やっぱり魔術師の研究室ってこうなりますよね」
古城の一室を研究室にしているベイルの元を訪ねると、彼は快くクノンを招いてくれた。
そしてクノンは言った。
ベイルの研究室も、少し前のクノンの研究室のように散らかっていたから。
積み上がった本に書類。
見たことがない実験器具もあるが、部屋の隅で埃をかぶっている。
植物を育てているらしく、壁際にはプランターがいくつか並べられていた。
その一つに植わった毒々しい色の赤い花が印象的である。
「ああもう。少しは片付けてくださいよ」
「はは……すまん」
本を読んでいたベイル・カークントンは、手近なところから整理を始めたエリアの小言に苦笑して、机から立ち上がった。
「クノン、よく来てくれた。歓迎するよ」
「ありがとうございます。急に来てすみません。やはり先触れとかあった方がいいですか?」
「そうだな。先触れなんて大層なものはいらないが、不在の時があるからな。確実に会いたいなら事前に連絡をくれると、お互い無駄がないと思うぜ」
その通りだな、とクノンは思った。
「で、どうしたんだ? 相談事か?」
「はい。せっかく派閥に属したわけだし、早速先輩に甘えようかなと思って」
「そうか。まあ座れよ」
どこにだ、と思ったが。
一応、応接用のテーブルと椅子があった。
本と書類に占領されていたので、それと気づかなかったが。
クノンは椅子にあった本を移動させ、先に座ったベイルの向かいに座る。
「おまえに甘えられるのは怖いな。俺に何を頼むつもりだ?」
「……」
クノンがまだ部屋にいるエリアに注意を向けると、ベイルは「大丈夫だ」と断言した。
「俺の部屋に入っていい奴は、そう簡単に口は割らない。まあ気になるなら外してもらうが」
「いえ、そういうことなら大丈夫です」
別にエリアからの情報漏洩を気にしているわけではない。
そもそも、まだ漏れる心配するほどの話でもないから。
ただ、興味を持ったら手伝いに来そうなのが心配なのだ。
それが無償でも、だ。
魔術師は、己の興味と好奇心と自己満足で動く者が多いと、クノンは師匠に聞いている。
実際そうだとクノンも思う。
その論で言うなら、自分なんて、まさに典型的な魔術師だと思う。
だから、巻き込まないためにも話したくない、という面もあったのだが――
「……」
当のエリアが、「話めちゃくちゃ気になります」と言わんばかりに期待してクノンたちを見ているので、もういいことにした。
「ベイル先輩、共同で魔道具の開発をしませんか?」
「お、ゼオンリー譲りの魔技師の知識か? 興味がないとは言わないが、俺はおまえの師匠ほど魔術はできないぞ」
「構いません。細かい指示は僕が出します。今は優秀な土属性の協力者がほしいんです」
ベイルは三ツ星の土属性である。
情報源は客からだ。
魔術学校というこの環境において、属性を隠してやっていけるわけがない。知っている者は知っているのである。
なお、ベイルの後ろに憑いている「金属の塊」の正体は、見当もつかないままだが。
「何を造りたいんだ? それを聞かないと返事ができないんだが」
もっともな問いに、クノンは指を三本立てて見せた。
「三つの魔道具を考えています。
二つは性質が似ているので、同時進行で開発できるんじゃないかと思っています。
一つ目は、中に入れた物の水分を奪う小型の箱。
二つ目は、中に入れた物を完全密閉する小型の箱。
というのも――」
クノンは、ついさっき商談をまとめた霊草シ・シルラの丸薬の話をする。
特に守秘義務のない話なので問題ない。
「ほう、なるほど。簡単に言うとシ・シルラの傷薬を持ち運ぶ容器ってことだな」
シ・シルラの傷薬はデリケートなものである。
それを持ち歩くとなれば、ある程度の寒暖差や湿気などに気を配らないと、どんどん薬の寿命を縮めていく。
あの薬が冒険者に渡るとなれば、それを持ち運ぶ専用の容器も売れるはずだ――というのがクノンの読みだ。
「冒険者っていろんな場所に行くし、いろんな状況に陥りますよね。急な雨に降られたり、魔物や魔獣に襲われたり。
どんな状況でも薬だけは保存できるような、そんな魔道具があるといいかと」
この話は、二つの要素を持つ「水分を奪い完全密封する箱」を造るための布石でもある。
これからクノンが造る「紙型の傷薬」は、とにかく保存が難しいと思われる。
血液の温度で溶けるなら、汗で溶ける。
手汗もまずい。
雨も怪しい。
湿気もきっとよくない。
でも「紙型」の性質上、冒険者が持ち歩けないといけないのである。安置できる場所で眠らせておくことはできない。
「――いいな。いずれ誰かが造りそうだから、俺たちが先に造ろうって話か」
その通りである。
さすがは三派閥の代表を務める魔術師だ、察しが早い。
「で?」
「はい?」
「三つ目は? さっき二つしか言ってないよな? もう一つ、何を造りたいんだ?」
クノンは笑った。
触れられなければ言わないつもりだった。
三つ目に関しては、今はまだ、構想もできていないから。
「三つ目は、正直、できるかどうかわかりません。さっき言った二つは比較的簡単にできると思うんですが」
似たような性質を持つ、食料を保管する箱がすでにあるのだ。
クノンなんてベーコン用の保管庫を自作しているくらいだ。
あの辺の技術を応用すれば、小型化は比較的簡単にできるだろうと睨んでいる。
「魔道具ってそんなもんだろ。言ってみろよ。どうせおまえが一番造りたいのはそれなんだろ?」
当たりである。
クノンとしては、頑張ればできそうな物より、できるかどうかわからない物の方が挑戦し甲斐がある。
師匠にも自慢できる。
ただ、本当にできるかどうかはわからないが。
「三つ目は、魔術を入れる箱です」
「……は?」
「一つだけ魔術を入れて保管する箱です。使いたい時に箱から出して使える、そんな魔術の保管庫です」
――これができれば、魔術の世界が変わると思う。
できれば、の話だが。