69.お金の問題
「――フィレアです」
「――ジルニです」
魔道具の試作品ができた日の午後。
クノンとスレヤは、あれこれ改善点やアイデアを出し合って盛り上がったりもしたが、予定に変更はない。
もちろん改善点とアイデアはしっかりメモしてあるし、後でまた話し合うつもりだが。
午後からは、いよいよ売り込みに行くのである。
聖女にとっては、むしろここからが本番と言えるのだ。
その際、聖女の護衛を兼ねた侍女二人と合流し、付き添ってもらうことになっていた。
それがフィレアとジルニである。
フィレアは三十歳を過ぎた女性。腕のいい魔術師だ。
周囲に丸い水球のようなものが幾つも浮かんで見えるので、恐らくは風属性である。あれが魔術であれば水だが、そうじゃなければ――生物じゃない何かなら、きっと。
ジルニは、二十歳前後のよく鍛えられた女性である。
右肩に、侍女服をすり抜けて鋲のような棘が生えているので――何かの一部が表面化しているので、魔術師ではないはずだ。
「初めましてクノンです。レイエス嬢の良き友としてお見知りおきを。いやあ、こんな素敵な侍女が二人もいるなんてレイエス嬢は幸せ者だなぁ。羨ましいよ。ところでランチはお済で? 魅力的な女性を三人も連れてランチに行けるなら、賭けてもいい、今日世界中で一番幸運なのは僕だね。僕を世界一幸運な男にしてくれないかな?」
のっけからなかなかのご挨拶である。
だが、侍女たちは反応薄く「よろしくお願いします」と声を揃えた。
聖女から事前にクノンの性格は聞いていた。
――クノンの言うことは、反発ではなく受け止めるか流せ、と。
侍女たちは驚いたものだ。
感情の起伏がほとんどない聖女は、態度も言葉遣いも主張も、受け売りのものばかりだ。
「そう学んだからそう返す」、「そうしろと言われたからそうする」ばかりで、自分の考えというものがあまりない。
杓子定規で図ったような性格をしているのだ。
そんな人間味が薄い聖女が、特定の人との付き合い方について話したのだ。
柔軟に対応し、人間関係を円滑に保つための方法を語ったのだ。
それがクノンという少年についてだった。
人によっては当然のことだが、聖女にとっては違うのである。
良いか悪いかは判断できないが、これは間違いなく、彼女の成長だった。
――クノンの挨拶もそこそこに、四人は売り込み先へと向かうことにした。
ランチは話が終わったら、ということになった。
昨今食費も厳しくなってきた聖女と、少しばかり給料が滞っているフィレアとジルニは、もうこの際おごってもらえるならなんでもいいと思っていた。
美味しくて高い物を食い散らかしてやろうと思っていた。
酒も呑もうと思っていた。
「僕はレイエス嬢の方針にまで口を出す気はないけど。でもここに売り込む理由は先に聞いておきたいな」
まずやってきたのは、冒険者ギルドだった。
クノンが売り込み先として考えていたのは、薬草ギルド、錬金術ギルド、商業ギルドである。
その三つなら、試作品の価値を正確に見抜くだろうと予想していたから。
価値さえ伝われば交渉もうまくいくだろう、と。
なのに、聖女が連れてきたのは冒険者ギルドだった。
冒険者ギルド。
まあ、魔術師として無縁の場所とも言い難いのは確かだが。
しかしまずここに来るとは。
魔術ギルドでもいいかも、とは思っていたが、ここは完全に予想外だった。
「ジルニ、説明を」
「はい」
クノンの質問にはジルニが答えてくれるようだ。
「新たな魔道具が傷薬であった場合なら、もっとも需要があると考えられるのは冒険者ギルドだと思ったからです」
霊草シ・シルラは、傷薬の原料として知られているので、その予想は正しい。
「私自身が元冒険者なので、即効性の高い傷薬のありがたみはよくわかっています。それにここなら少し私の顔が利きますので、交渉も楽かと」
ちなみに、傷薬じゃなければ薬品ギルドや錬金術ギルドに持って行く予定だったそうだ。
「――正直に言うと、薬草ギルドや錬金術ギルド、商業ギルドを経由すると、中抜きや仲介料が……元冒険者としては、命を助ける薬となれば、安く手に入るに越したことはありません。だから個人で直接冒険者ギルドと取引をしてもらいたいのです」
「なるほど。美しい声だ」
クノンは納得した。
確かに各ギルドを経由するよりは、直接取引した方が冒険者ギルドの負担は少なく済むだろう。
いわゆる産地直送だ。
「レイエス嬢はそれでいいの? 他のギルドを経由した方が儲けは大きいかもしれないけど」
「それが、各ギルドの登録料、手数料、取引額に掛かる税金。それらを考慮すると、高値で売れたとしても後から持って行かれる分も多いのです。
ならば、個人で取引した方が儲けが出るかもしれません。冒険者ギルド相手なら踏み倒されることもないでしょうし」
「そうなんだ。ちゃんと考えて選んだなら、僕からはもう何もないよ。君の声も美しいよ」
四人は冒険者ギルドへ踏み込んだ。
魔術都市ディラシックは、魔術師の多い街である。
帝国、聖教国、新王国という強国に囲まれているにも関わらず、侵略戦争や吸収・合併交渉を拒み、今も独立を保っている街――
いや、もう国と言っていいのかもしれない。
国としての体裁は成していないが、独自の自治や規則はちゃんと存在している。
だからこそ、今や周囲三強国とも交流を持っているのだ。
まあそんなことはさておき、魔術師の多い街である。
「ここが冒険者ギルドかぁ。僕は初めて来たよ。レイエス嬢は?」
「私もです」
場違いな場所にやってきた子供たちに、ギルド内で過ごしていた冒険者たちの目が光る。
――子供でも魔術師だ。
下手に魔術師に絡もうなんて命知らずの冒険者は、この街にはいない。
もっと言うと、今後は依頼主や冒険仲間になる可能性もある相手だ。
媚びる必要はないが、悪印象は残したくないところだ。
ただでさえ魔術師が多い街である。
世界一有名な魔術師グレイ・ルーヴァがいる、彼の方のお膝元みたいな場所だ。
魔術師たちに嫌われたら非常に生きづらいのである。
「――ジルニさん、こちらへどうぞ」
先に話を通していたらしい。
やってきたクノンたちを見るなり、受付嬢が奥へ案内する。
そして、案内された部屋で待つことしばし、
「お待たせしました」
クノンが侍女たちを口説き出す前に、ひょろりとした痩躯の男がやってきた。
「私は冒険者ギルド・ディラシック支部、経理部責任者アサンド・スミシーと申します。ギルドマスターは外出しておりまして……私がお話を聞かせていただきます」
聖女を筆頭にクノンらも名乗り、早速商談に入る。
「……なるほど」
試作品の丸薬を仔細に観察したアサンドは、深く頷いた。
「ジルニさんが持ってきた話だから、ハズレはないと思っていました。期待通りです」
ひとまずアサンドの欲しい物のカテゴリーには入ったようだ。
その反応を見て、聖女は売り込み文句を伝える。
「その薬は、霊草シ・シルラ一本から十個から十一個作れます。シ・シルラ一本の値段が五十万から百万ネッカに送料がついて、約百二十万前後。
加工費を合わせると――」
「丸薬全て合わせて、百五十万から二百といったところでしょうか」
来た。
来た!
来たっ!
聖女の表情は変わらないが、心の中には光が差し込む。
ようやく、ようやくだ。
ようやく金銭問題に終止符を打つ時が来たのだ!
「ちょっといいですか」
「はい?」
これまで聖女の隣でずっと様子を見ていたクノンが、こんなことを言った。
「その薬はまだ試作品です。できたばかりです。三ヵ月から半年は使える、というのも理論上でしかなく、まだそれも試していません。実際はそんなにもたないかも」
「……おや。それでは前提が変わってくる」
そう。
霊草シ・シルラを素材にした傷薬は、回復魔術張りの効果がある。
即効性が高く、命に関わる怪我さえも癒してしまう。
怪我が付き物の冒険者ならば、必須アイテムと言えるだろう。
しかし、シ・シルラの問題点は、薬品にしたら日持ちしないことである。
その問題点を解決した傷薬ということで、アサンドは聖女たちが持ってきた丸薬に価値を見出したのだ。
そうじゃないなら価値は落ちる。
「ならば私どもで引き取る理由はなくなりますね」
というか、今すぐほしい物ではなくなる。
どうせ数日経てば、使用期限が迫り、価値が落ちるのだから。
「……クノン……?」
再び金銭問題に暗雲が立ち込める聖女の呼びかけに、クノンは穏やかに笑いながら頷く。
大丈夫だ、とばかりに。
「ここで重要なのは、取引の権利だと思います」
「……権利?」
「そうです。アサンドさんが取引に応じないなら、僕らは次の取引先に行く。『もしかしたら日持ちする傷薬かもしれない試作品』を持って」
要するに、別に冒険者ギルドに売る必要はない、ということである。
不良品かもしれないが、そうじゃないかもしれない。
しかし――
「――そうですね。ここで価値を言い出すのは、問題点があるかもしれない丸薬ではなく、問題点を解決しているかもしれない丸薬を冒険者ギルドに売ってくれるかどうか。
つまり、今ここで購入権を確保しておくかどうか、という話ですね」
アサンドからすれば、これは賭けである。
しかし、勝てば大きい賭けだ。
仮に丸薬が不良品でも、聖女――聖教国セントランスの名を持つレイエスと関わる、もっと言うと借りを作ると考えれば安いものだ。
ついでに冒険者で鳴らしたジルニにも。
そして、聖女の隣にいるクノンにも。
彼が
優秀かどうかまではまだよくわからないが。
「わかりました」
アサンドは決断した。
「月に一度、最低シ・シルラ一本分の定期購入をさせていただきたい。契約は三ヵ月間。それ以上はその都度更新するかどうか決めます。
シ・シルラ一本分につき、二百万ネッカを報酬として払います」
二百万。
三ヵ月契約ということは、向こう三ヵ月間は月に二百万ネッカが貰えるという計算となる。
そして、追加購入の依頼が入れば、更に二百万ずつ上乗せ……!
聖女は我知らず拳を握り締めていた。
お金が手に入る。
一ヵ月以上も苦悩した問題が解決する。
明日の食事も豪華になる。
手に汗を握らないわけがない。
「レイエス嬢、それでいい?」
「ええもちろん。早く契約を交わしましょう早く」
聖女は興奮していた。
傍目には全然わからなかったが、興奮していた。
「あ、ところでアサンドさん」
「はい」
無事書類での契約を交わし、握手を交わしてさて帰ろう、という段になり。
クノンは言った。
「その試作品はお湯で溶けます。でも融解温度を下げることもできます」
「……はい?」
何の話だ。
この場の全員が、急にわけのわからない話題を出したクノンに、不可解という顔をしている。
「つまりですね。薬を薄い紙のように加工します。怪我をします。怪我に紙のような薬を貼り付けます。すると――」
「…っ!」
アサンドは目を見開き、椅子を蹴って立ち上がった。
「まさか、血液で溶ける!? お湯で溶かす手間もいらず薬が使える!?」
画期的。
シ・シルラの傷薬の寿命が延びたことは望外の僥倖。
しかし、新たにもたらされたこのアイデアは……
戦闘中でも楽に治療ができる、という可能性だ。
致死性の怪我をしても、助かる可能性が上がる。
それどころか、戦闘を継続さえできるかもしれないという話だ。
――霊草シ・シルラの価値さえもが変動しかねない、恐ろしいアイデアである。
「保存が難しくなりますけど、理論上は無理ではないですよ。というか簡単です」
「クノン君! そのアイデア! その試作品! 三百……いや、五百万で買います! まず冒険者ギルドに持ってきてください!」
「あ、そうですか。じゃあ契約を……あ、レイエス嬢たちは先に行ってて。僕契約してからいくから。そうだ、お昼どこに行くか決めておいてよ」
「…………」
さすがクノンだ、と聖女は思った。
「「…………」」
ただの変な子じゃなかった。
侍女たちはクノンの認識を改めた。