67.手紙
「――なるほど。教えてくれてありがとう」
シロトはお礼の言葉を述べた。
クノンが惜しげもなく自身の魔術を解説してくれたおかげで、昨日の一戦の謎は解けた。
本人の言う通りである。
聞けば聞くほどの初見殺しである。
これはクノンがやることを知っている上で対策を考えておかないと、どうにもならないだろう。
聞けば、
無防備なままクノンの魔術が展開したら負け。
「赤い雨」がある程度付着したら負け。
運悪く行動を阻害する部位に付着したら即負け。
つまり、クノンとの勝負は「様子見」を選んだら負けるのだ。
恐らくゼオンリーも、初めての勝負においては、様子見をしたのだろう。
弟子でありまだ子供であるクノンの実力を引き出すべく、師として胸を貸すつもりで。
その結果、初手で手遅れになったのだ。
軽い気持ちで胸を貸して、予想外にみぞおちに強烈なのを食らったようなものだ。
――そして知った上で考えると、いくつか対策は思い浮かぶ。
シロトの場合は、得意の「雷撃」なら、クノンの「赤い雨」より速い。
ハンク辺りの火属性なら、火の防壁である程度は蒸発させられるのではないか。
個人的には、狂炎との勝負は見てみたいものだが……
まあ、本当に怖いのは「赤い雨」ではなく、それを扱うクノンの発想力だが。
生半可な対抗策を立てても、すぐにそれを塗り替えるだろう。
率直に言って、クノンにとって「赤い雨」は、誰に教えてもいい程度の初手の牽制でしかないのだから。
それこそ彼にとっての様子見なのだ。
当然、切り札は別にあるはず。
これで十二歳。
末恐ろしい新入生がやってきたものである。
――さて。
「ところでクノン。少しは部屋を片付けた方がいいんじゃないか?」
目下一番気になっていた疑問が解消した以上、シロトの興味は次に移る。
そう、次の興味は、この散らかり放題の教室だ。
「シロト……」
彼女の整理整頓好きを知っているハンクは、シロトが何を言おうとしているか察しがついた。
「そうですよねぇ。僕もそろそろ気になってきたので、今片付けている最中なんです」
「うん……ん?」
頷きかけたが、待て。
今の言葉の違和感はなんだろう。
考え込むシロトの横で、ハンクが言った。
「私には君がくつろいでいるようにしか見えないが」
そうだ。それだ。
今クノンは、水ベッドに横たわって本を開きつつ来客に対応している。
片付けているようには見えないが。
だらっとしているようにしか見えないが。
「今は休憩中だよ」
「いつから休憩してる?」
「えーと……お昼食べてからずっとかな」
もう少ししたら夕方である。
言葉通りの意味なら、なかなか長い休憩時間である。
「あーあ」
クノンが寝返りを打った。
「僕が風使いだったら風の力で部屋を片付けられるのになぁ」
「部屋中の物を全部吹き飛ばすって意味か?」
「それで片付くならもうそれでいいや。もう面倒臭い」
めちゃくちゃなことを言い出した。
床に散らばっている書類だけでも売れそうなものもあるのに、それらすべて投げうってでも、部屋を片付けるのが嫌だと言うのか。面倒だと言うのか。
「――起きろ」
シロトが言った。
うずうずしながら。
「来たついでだ。片付けを手伝ってやるから、一緒にやるぞ。幸い物が散らかっているだけだから、やる気になればすぐ済むだろう」
やはりそういうことを言うんだな、とハンクは思った。
そして己も覚悟を決めた。
「仕方ないな。私も手伝うから、ほら、起きろクノン」
「そんなの悪いよ! 手伝ってもらうなんて悪いよ! 面倒だけど後で僕が一人でやるから気にしなくていいよ! 面倒だけど絶対気にしないで! 親切って時には迷惑にもなるんだよ!」
クノンはごねた。
そんなに掃除は嫌なのか。
なんだか初めて子供らしい姿を見た気がした。
「早く起きろ」
「起きろ」
だが、子供の我儘は許されなかった。
シロトの読み通り、散らばった物をまとめるだけの作業で済んだので、あっという間に終わった。
三人がかりというのも大きかった。
クノンが飽きる前に、短期決戦で決着がついたのもよかったのだろう。
足の踏み場にも困るほどだった汚部屋が、なんということだろう、広々としたそれへと生まれ変わった。
いらない書類やメモは、もうゴミとして処理することにした。
火が使えるハンクが燃やすために持って行ったところだ。
「シロト嬢は風属性なんですね」
ある程度物が片付いたところで、シロトが風を起こして、うっすら溜まっていた埃を外へ飛ばしたのだ。
――クノンには、シロトの周囲に浮かぶ雨雲……謎の大気が見えるのでわかるが、それを明かす気はない。
「ああ、見ての通りだ。一応聞くが、おまえは掃除用の魔術はないのか?」
「ありますよ」
当然のように「ある」と答える辺り、やはりクノンは只者じゃない。
「でもやっぱり風には敵わないって感じですね。なんといっても速度が違う」
と、クノンは手に小さな「水球」を出して見せた。
「昨日の雨とほぼ同じものです。これを、こう、転がすと、埃が表面にくっつくんです」
「ほう……」
クノンの手から床に落ちた「水球」は、ころころと床を転がっていく。
通った後は、いくらか綺麗になっている気がする。
埃を払う前なら、見た目にわかりやすかったかもしれない。
あの「赤い雨」の応用は、こういうところでも利くらしい。
「でも取れるのは埃だけ。物は片付かない。本は本棚に戻らない。書類はまとまらない。記憶にない書類も出てくる。
ね? こうなってくると片付けなんてできないでしょ?」
ね、と言われても困るが。
それでもやれとしか言いようがない。
まあ、片付けられない魔術師なんてたくさんいるので、クノンだけが特殊だとも思わないが。
「……あの、ところでシロト嬢」
「なんだ」
「カシス先輩は大丈夫でしょうかね?」
「ん? ああ、昨日泣かせたからか」
昨日、クノンと勝負した少女のような少年。
「赤い雨」に呑まれて、一瞬で、一方的に、あっという間に負けて。
意気込んで勝負に乗り出したカシスだけに、あの敗北は非常に悔しかったのだろう。
カシスは本気で泣き出してしまった。
その時に「男が泣いてもなぁ」みたいなことをクノンが漏らしたら、言われたのだ。
――「男っていつもそうね、女の身体目当てばかり」と。
――「あたしの心は女なのに、身体が女じゃないと女じゃないの」と。
――「そんなにおっぱいが好きか」と。
クノンにはショックだった。
女性の心を持つ男性がいるなんて知らなかったから。
自分も目が見えないという、身体的な問題を抱えている。
それを含めても、仮に別問題だとしても、女性を泣かせたこと。
紳士として恥じ入るばかりだ。
「気にするな」
しかしシロトは言った。
「勝負に負けて泣くのは構わないが、相手の前で泣くのは男でも女でも女々しい。見せたくない涙なら何が何でも隠すべきだ。見せた時点でこれ見よがしだ」
なかなか厳しい意見である。
「涙は女性の武器と言いますが」
「個人的には気に入らないが、武器として使った場合は認める。故意であればな」
そういうものか、とクノンは頷く。
「僕はまだまだ女性というものを知らないようだ。紳士として未熟です」
クノンの目指す紳士像はまだまだ遠い――
「紳士なら身の回りくらいは常に小綺麗にしておくべきだぞ」
シロトの言葉は聞こえなかったことにした――
親愛なる婚約者様へ
頬を撫でる風に秋を感じられるようになった昨今、いかがお過ごしでしょうか?
そちらに変わりはありませんか?
僕は個人的に作ったベーコン保管庫が一杯になってしまったので、思い切って二つ目のベーコン保管庫を作ろうかと悩んでいます。
魔術都市ディラシックでの学校生活が始まって、一ヵ月と少しが経ちました。
ようやく学校生活にも慣れてきました。
知り合いもできました。
女性の友人も数十人ほどできました。
いろんな女性を知り、いろんな経験を積み、貴女に相応しい紳士となるべく、日々精進しています。
これから本格的な魔術の勉強が始まります。
どうもヒューグリア王国に帰郷するほどの長い余暇は取れないようです。
やはり、貴女と会うのは、数年後になるかと思います。
手紙を出します。
何通でも、何度でも出します。
僕を忘れないでください。
僕は一日たりとも貴女を忘れたことはありません。
殿下は、貴族学校の騎士科へ進学したとのこと。
おめでとうと伝えるべきなのでしょう。
でも、僕はとても心配です。
毎日心身を削るように鍛錬するのでしょう。
怪我をすることもあるでしょう。
貴女の努力を応援したいけど、貴女の苦しむ姿は見たくありません。まあ見えないけど。
どうかご無理だけは致しませんように。
これから寒くなります。
どうかお身体に気を付けて。
貴女のクノン・グリオンより 永遠の愛を込めて
追伸
学校の人たちに、僕の紳士らしさって間違っているとよく言われます。
殿下はどう思いますか?
第二章終わりです。
お付き合いありがとうございました。
良かったらお気に入りに入れたり入れなかったりしてくださいね!